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あの雪の日の約束  作者: 蒼井七海
第三章 思いの交錯
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1

「答えてください、兄上」

 凛と響き渡る声は、想像もしていないほど冷たくて。レクシオも、そしてステラ自身も、彼女の口からこんな声が出るものなのかと場違いにも驚いた。

 だが、少女の対面にいる青年の目に動揺はない。ただし彼はステラが握る剣の切っ先をじっと見据えると、自らがにぎる長剣をそっと下ろし、鞘におさめた。ぱちん、という音がやけに耳に残る。

「そんなに知りたいのかい?」

 青年、ラキアスはゆっくりと問いかけた。対するステラは身体を、そして眉ひとつさえ動かさず、ただ言葉の続きを待つ。鋭い刃にも一切のぶれがない。

 ラキアスはふっと笑んだ。

「悲しいものだな。今まで、おまえは幼いからと事実をひた隠しにしてきたことへの報いが、こんな形で返ってくるだなんて」

 穏やかに呟いた彼は、しかし直後にレクシオを鋭く睨み据えた。ただ、さすがに慣れてしまった当人は、緑の瞳を静かに相手へ向けることしかしない。

 そのうちに、ラキアスが口を開く。

「ヴィント・エルデ。この名を知っているか、ステラ」

 空気が凍った。

 二人の脳裏に同時に浮かび上がったのは、あの、冷たい目をした男だった。緑の瞳が放つ静謐な光が、すぐそばにあるように錯覚する。

 問いかけたのはステラだった。

「どうして、兄上があの男の名を……?」

「調べたんだよ。彼ほど大立ち回りをしているデルタも珍しいから、すぐに分かった」

 さらりと答えたラキアスは、くしゃりと顔をゆがめてから、虚空に剣を薙いだ。ひゅうっと風切りの音がむなしく響く。

「調べたって、どうしてそんなことを」

 ただ、兄の答えを聞いてもステラの疑問は膨らむばかりである。結局彼はもっとも重要な部分をひた隠しにしようとしている。そんな気がした。

 そして予想は、あろうことか的のど真ん中に矢が当たるときと同じくらい、しっかりと的中する。

 ラキアスは薙いだ剣を再び鞘に納めて、

「決まってるだろう」

 低い声で言ってから、息を吸い、そして。

「あいつが、あいつこそが、父上と母上を殺した張本人だからだよ」


――世界から音が消えた。そう、錯覚した。

 冷たい刃をにぎる少女も、後ろでなりゆきを見守っていた少年も、現実を現実と感じられなくなっていた。渦巻く黒い感情も、滴る赤い血のことも忘れ、ただ呆然とする。

 震える少女の手から、剣が滑り落ちた。がしゃん、というやかましい金属音が二人の感覚をようやく引き戻す。

「どういう、意味ですか」

 衝撃に震え、しかし決して膝をつこうとしないステラは、少し前とまったく同じ問いを兄へと投げかける。

「そのままの意味さ。あの男は父上と母上を殺した。その強大な魔導の力をもってして、ね」

 うそ、と唇の端から言葉を漏らすステラを、ラキアスは冷やかに眺める。

「嘘じゃないさ。そもそもどうして疑う必要がある? あの冷酷無比な男にどんな光を見いだす必要がある」

「そんなの……それは……」

 叫んだステラの視界の端に、真っ蒼なレクシオの顔が映る。ぎり、と音が鳴るほど強く、奥歯をかみしめた。

「あの男は、確かに無愛想で冷たくて、人を殺すことをためらわない人です。何度か会っているので、それはよく分かっています。けど……殺すことをためらわないことと、無差別に殺すことは違う。彼は、誰かを救うため以外の殺しはしないはずです!」

 これまで何度か遭遇して。その態度を見て、言葉を聞いて。そしてレクシオの話をまた聞いて。決して好意的でない人物でありながらも、ステラはヴィントを、血の通った人間として知らぬうちに認識していた。

 もはやヴィントはレクシオの父親たりえない。しかし、父として家族を、息子を思いやる心は残っているはずだ。

「だからっ……」

 背後で幼馴染が呆然としていることにも気づかないまま、ステラは精一杯、離れていきそうな兄の心にしがみつこうとした、

 しかし、それに対する当人の態度はひどく冷たいものだった。しばらく、拳を握るステラを見つめたあと、ふいと背を向けたのだ。少女の視界の端で、栗色の髪と見慣れた剣が遠ざかっていく。

「信じたければ信じればいい。あいつのことも……そこの少年のこともね。だが、事実は事実だ。消えることはないよ」

 平坦な声で言い放った彼は、そのまま躊躇もなく部屋を出ていく。それからどこへ行くつもりかは分からないが、足音は確かに遠ざかり、消えていった。

 後に残されたのは無情な静寂と少年と少女だけであった。

「どういうことよ……」

 ほとんど無意識のうちに、ステラは吐き捨てていた。骨が浮き出るほどに強く、拳を握りしめてみるものの、広がる現実に変化はない。うめき声が漏れた。

 しばらくそうしていたステラはしかし、背後で何かが倒れる音を聞くと、目をみはる。振り返った彼女は次の瞬間、縛りが解けたかのように動いていた。

「レクっ!」

 レクシオが、絨毯の上で横倒しになっていた。胸の傷口から少しずつ血が流れ落ち、絨毯の上に赤いしみを作っている。すぐさま、ステラは彼の身体を支えた。

 さすがに目が虚ろになっていた。傷はそこまで深くないが、放っておくのはよくないだろう。家の侍医を呼ぶべきかと考えたステラはしかし、その前にと立ち上がりこの部屋の棚から救急箱をとりだした。

 そして応急手当をしている間に、ぼんやりと空を見つめていたレクシオが口を開いた。

「……すごく、寒い日だった。今日みたいに、雪がいっぱい降ってて、町はとても静かで、浮浪者じみた親子を気にするような人も……いなかった……」

「――え?」

 ステラが聞き返すも、応えはない。ただ彼は、詩でも詠むかのようにゆったりと続けた。本当に意識があるのかと疑いたくなるほど、ぼんやりとした声。

「だけど……そんな中で気にかけてくれた人がいたんだ……。栗色の短い髪で、わりと軽そうな鎧をつけて、腰に剣をさげた……男の人だった。その人の誘いで、家に招かれることになった。状態が落ち着くまでいていい、って言われた」

 そこまで聞いて、ガーゼを取り出していたステラの手がぴたりと止まる。まさか、と声になっていない言葉を投げかけた。それに答えるかのように、レクシオがすうっと微笑む。

「それが……この家だった。なんで今、思い出したんだろうな」

 何かひどく重たい物で頭を殴られたような気分だった。それでもステラは、感情を一生懸命閉めだして手を動かした。だが、こらえきれずに唇がわななく。

「なら、どうして……あいつは二人を殺したの」

「――さあな」

 投げ捨てるように吐かれた答え。その口調だけは、いつもの幼馴染だった。ステラはぐっと眉根を寄せる。

「でも……親父が、ある雪の日に、『あの人たち』を手にかけたことは確かだ。俺は、どういうわけか意識を失っていて……雪の上で目を覚ましたとき、目の前には『二人』の死体と、血を浴びた親父の姿があって……」

 ステラの脳裏に、もう何度目になるか、あの日の景色がよみがえる。ちょうどそのとき――レクシオとヴィントが滞在していたと思われる時期――、兄妹は、事情があって帝都の方に赴いていた。そして帰ってきたときに見たのが、動かなくなった両親と、たたずむ一人の男。

 赤と白しかなかったはずの記憶に、色が戻る。雪の中でなびく黒とひかる緑は雪よりも空よりも何よりも冷たくて。けれどひどく揺れていた。

「ごめんな、ステラ」

 レクシオの静かな声に意識を戻したステラは、彼の方を見た。

 彼は、右腕で目元を覆い、唇をかみしめてから、

「俺、止められなかったんだ」

 消え入りそうな声で、そうわびた。ステラは何も答えることができず、ただうつむいた。

 その後、ステラはレクシオのことを医者に任せた。イルフォード家のことを知りつくし、また同時に非常に聡く口が堅い彼はすぐさまステラに事情の説明を求める。苦い顔をしながら彼女が語ると、その医者は「あのお兄ちゃんがねえ。人間分かんないもんだ」などと他人事のように言って去っていった。

 それを見送ったあと、ステラは自室に駆けこんだ。今回の帰省は、名目上「合宿」であるのでなるべく客室を一緒に使おうと決めていたのだが、今だけはみんなの前に顔を出せる気がしない。自室の扉を後ろ手で閉めたステラは、息を吐くと同時に、吸い寄せられるようなおぼつかない足取りで、ベッドの前まで行った。

 そして、力なく身を投げ出す。ぽすん、とむなしい音がした。

 止められなかった。そうわびる幼馴染の顔と声が脳に焼き付いて離れない。同時に、自分の中にどす黒い感情が染み出しているのに気付いたステラは、シーツをぎゅっと握りしめた。

「子供は、関係ない」

 弱々しい声で言う。

「親が何をしようが、子供には関係ない。子供に罪はない」

 例え親が聖人君子であろうと、逆に罪人であろうと、子供までそうとは限らない。親の腹から生まれた無力な赤子も、いつしか人格と自我を持ち、独立した一人の人となっていく。

 そこに少なからず親の影響があるにしろ、それの業績までは伴わない。

 分かっている。そんなことは分かっている。それなのに。

「あいつは関係ない。あいつは何も……してない」

 ためらわずレクシオを切り捨てようとした兄の気持ちを、理解できてしまう自分がいる。関係ない、とステラは何度も自分に言い聞かせる。

 しかし怨嗟の声は収まらない。どうして見殺しにした。何もしなかった。そもそもおまえたちが来なければ。ぐるぐると渦巻くそれを、彼女は強引に噛みつぶそうとする。

「だったら、あのときのあたしに、なにが、できたっていうの……」

 レクシオだってそれと同じだ。ステラと年の違わぬ幼い子供だった。けれど。

 気がつけば、その身体は震えていた。目尻には涙が盛り上がり、それはやがて筋となってぼろぼろとこぼれ落ちる。

 必死でこらえようとしたが無駄だった。耐えようとすればするほど、衝動は強まっていく。結局ステラはベッドの上でうつ伏せになったまま泣き続けた。

 嗚咽を押し殺すことだけが、その時の彼女にできた、精一杯のことだった。


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