危険がいっぱい!?路地裏の攻防
アルカディア・ケミカル研究員エリア。
製薬会社の中枢とも言える最重要部。
複数人が共同で使用する大研究室と、ジョウのように個人で割り当てられた部屋まで大小合わせて二十あまりが犇めき合っている。
薬の設計、調合を行う部屋。
生体実験を行う部屋。
そして実験結果の分析を行う部屋まで様々な用途の施設が存在している。
ジョウの仕事は、表向きは薬品の効果検証である。
しかし、彼の専門は薬学ではなく細胞学と病理学であり、主に人体への影響分析がメインである。
そして裏の仕事、すなわち下層から連れてきた実験体の、遺伝子分析と検体検査が彼の仕事の大半を占めていた。
ヘモグロビンの加増殖が認められた増血少年。
齧歯類の如く歯が伸び続ける少女。
体内でビタミン類を合成する少女…等々。
ロミオが攫ってきた、特異体質の子どもたち。
彼らは皆、ジョウによって血液や体組織を調査された。
下層の中でも最も貧しい地区から連れてこられた彼らは衰弱しており、検査を待たずに命を落とす者も少なくなかった。
運良く生き残ることができても、会社の醜聞そのものである彼らを自由には出来ない。
あるものは会社内で監禁され、あるものは社員の家で表向き養子として、その実監視され続けている。
もし、秘密を外に漏らそうとすれば、それは『死』を意味している。
幸い、未だ会社が手を下した子供はいないが、時間の問題だとジョウは思っている。
子どもたちが自ら動かずとも、アルカディアケミカルを疎ましく思うライバル達が嗅ぎつけ、告発するだろう。
その時に『証拠隠滅』を行う可能性があるからだ。
だからジョウは、アルカディア・ケミカルがライバル社を吸収しようとする今の動きに安堵していたのだった。
科学の発展のためには多少の犠牲は厭わない、とはいえジョウも感情を持った人間である。
犠牲は少ないに越したことはないのだ。
しかしそうしたジョウの考えを、彼を訪ねてきたエリナは理解できないだろう。
彼女は、科学の発展ではなく、人を救うためにこの会社に入ってきたのだ。
彼女が救おうとしている対象が、まさにジョウ達が利用している『可哀想な子どもたち』なのは皮肉なことである。
「キリシマ主任!ジュリちゃんの血液を持ってきました!」
「ご苦労さま。どうだった?」
「はい!まだ、声は出ないみたいですけど、顔色もずいぶんと良くなりました。」
ジュリの血液が入った保冷バッグをエリナはジョウに渡す。
エリナは午前中にロミオの家に行き、ジュリの診察と採血をしてきたのだ。
一昨日のように、通常業務後ではロミオの負担になると、エリナが申し出たためだ。
ロミオもエリナと顔を合わせたくないからか、異論もなく合意した。
「次はちょっと間をあけて三日後かな。またお願いできるかな?」
「はい!勿論です!」
エリナは目を輝かせて承諾する。
ジュリという、虐げられていた子供を救っているという実感。
エリナは仕事を初めてからわずか数ヶ月で仕事の目的であった『誰かを救うこと』をしているのだ。
彼女自身はそう、信じていた。
「それにしても、ヒロネさんは本当に素敵な方ですね。今日もお茶を頂いてしまいました。とっても美味しかったです!」
「ヒロネちゃんは何でもできるからね。特に料理は、本当に上手だし。本当にロミオにはもったいないよね~」
「そうですか?コンゴウ先輩も、頼りがいがあって素敵ですし、お似合いだと思います!」
「素敵?アレがか!?」
「キリシマ主任、人をアレ呼ばわりしたら失礼ですよ!」
「おおっと、ごめんごめん。でロミオが頼りがいがあるって?」
「はい!外回りをしたときとか、何も見ずに最短ルートで効率よく巡回しますし、ハキハキしていて…私はちょっと鈍いので、憧れます!」
「あー、ハキハキ、ねえ」
あれはこの辺りの言葉でイラチというんだよ、とジョウは出かけた言葉を飲み込んだ。
なぜなら、ドアのところに本人が立っていたからだ。
「ロミオ、早かったな。」
「まいど、ほいコレ依頼されてたブツ。」
ロミオはジョウに近づき、持っていたアタッシュケースを渡した。
「あっ!先輩、お疲れさまです!お家、お邪魔しました。」
「ヒロネから聞いている。」
「ジュリちゃん、元気でしたよ。」
「そうか。」
そっけない返事にもかかわらず、エリナは嬉しそうにロミオに報告をする。
その様子を見て、ジョウは世の無常を感じる。
金にしか関心のない冷血漢に、何故エリナのようなお嬢様が慕っているんだ…と。
育ちがいい故に、今まで身の回りにロミオのような男がいなくて魅力的に映っているのだろうか…と一抹の不安すら抱いてしまう。
「ところで、先輩はどんなお仕事をしていたんですか?」
「あ?内緒だ。ホノサキ所長直々の仕事だからな。」
「!すみません、失礼しました。でも、所長から直接なんて、先輩はやっぱりすごい方なんですね!」
「…普通に仕事してりゃあ、頼まれごとくらいされる。」
きゃいきゃいと騒ぐエリナをロミオは無表情にあしらう。
ロミオの今日の仕事。
それは下層に出回っている、ある薬の回収。
摂取すればどんな激痛もたちどころに治まり、鬱々とした気持ちも霧散する魔法の薬。
シンマチ地区の路地裏で流行りつつあった、麻薬だ。
大麻草や阿片のような天然由来ではなく、どうやらアルカディア・ケミカルの薬をいくつか組み合わせて作られた合成薬物であることが分かったのだ。
その成分を特定し使われた薬とその流通経路を明らかにすることが早急に必要となった。
シンマチ地区はロミオの知り合いも多く、こうした裏世界に通じる人物にもツテがあり、知り合いの知り合いを辿って漸く手に入ったのだ。
「ありがとう。結果はまた、僕の方からホノサキさんに報告するよ。」
「頼むぜ。」
じゃあな、とロミオはジョウの研究室を後にした。
「コンゴウ先輩、ホノサキ所長に信頼されているんですね!」
「そうだね。まあ、この会社でロミオほど下層で顔が効く人間っていないからね。」
「そうなんですか?それは、どうしてですか?」
興味津々といったエリナにジョウはニヤリ、と笑って応える。
「この前ロミオと行ったシンマチ地区ってどんな場所か知ってる?」
「はい。紳士の社交場だと、伺っています。」
「ま、まあ間違っては居ないけど。ロミオの友人に、シンマチ地区でちょっと顔が効く人が何人かいるんだ。そこから色々情報を集めているんだってさ。」
「お友達がたくさんいらっしゃんるんですね!さすが先輩です。」
目をキラキラとさせているエリナに、ジョウは恋は盲目、という言葉が頭に浮かんだ。
一方のロミオは、エリナの事など歯牙にも掛けず、ただ報酬のことで頭がいっぱいであった。
ジュリをアルカディア・ケミカルに引き渡せば金が手に入る…がそれはまだ先の話である。
しかも、ジュリの『保護』以来、ホノサキは警戒して孤児狩りを控えているのだ。
孤児狩り以外の仕事では、金塊一つを稼ぐのに十倍以上の時間がかかる。
今回の薬物回収であっても四回こなして漸く一本。
情報源は人づて故に精度に限界がある。
空振になることもあれば、警察関係者だと誤解されて殺されそうになることもしばしある。
近付くには危険とそして費用(会社経費)がかかる。
しかし、少しでも金を稼ぎたいロミオは積極的に引き受けているのだ。
午前中の仕事中に手に入れた新たな情報。
それは、どんな傷もたちどころに直してしまう魔法のお守りがあるという。
人から人に渡り、今では下層市場の漢方薬局が所有しているという。
ホノサキには連絡済みであり、追加の仕事として情報収集、できれば買い取るようにと指示されたのだ。
昼。
下層市場から人足が途絶えることはない。
午後は特に、シンマチ地区の飲食店が仕入れに来ており、盛んな値切り合戦があらゆる場所で行われている。
ロミオはそんな殺気立った食材市場を抜け、日用品や薬品店が軒を連ねる怪しげなエリアに足を運んだ。
煎じた薬の匂いが何種類も混ざり合い、時たま強烈な匂いが鼻をつく。
だがその煙の効能か蝿等の害虫が少ないのがこの地区の特徴だ。
目的の店は小さく、前面ガラス張りだが、積み上がった薬の箱で入り口以外は塞がれており、店内は全く見えない。
店名は掠れてよく見えない。
ロミオが扉を開けると、ドアにつけられたベルが鳴る。
部屋の中は薄暗く、入り口と同じ様に天井近くまで薬箱が積まれている。
床には薬品を漬け込んだと思われるガラス瓶や壺が置かれていて、人一人通るのがやっとだ。
「……いらっしゃい」
ロミオが入店してから暫く経って、店の奥から年老いた男の声が聞こえた。
ロミオは店の中をぐるりと見渡してから奥に進んだ。
現れたのは小さな丸机に肩肘を載せて、微睡むように目を瞑った老人。
ロミオが来るまで寝ていたのか、眉間には皺が寄っている。
「『青い鳥の羽はありますか?なければ鳥籠でも。』」
ロミオは先程仕入れたばかりの『合言葉』を口にした。
「…ああ、あれはもう無いよ。さっき売れちまった。というか、元の持ち主が買い取りたいってんで、二倍で売ってやったんだ。」
「なんだと?」
ロミオは徒労に終わったことに腹を立てた。
せっかく、昼食返上で来たというのに目的のブツはすでに人出に渡ってしまった。
「ああそうだ。買ったやつなら、下層第二層にいる。でも、ニイサン、関わらんほうがええぞ。」
「どういうことだ?」
店主はロミオを一瞥すると、ため息を付いた。
「大方、上層の金持ちかなんかの便利屋なんだろうが、アイツラに関わるのはやめときな。」
「だから、あいつらってどこのどいつだ?」
「今、この界隈に幅を利かせている宗教の連中さ。『幸福の籠』ってやつらだ。どんな怪我でも直してしまう、奇跡があるってんで、この辺りの医者や薬屋は商売上がったりだ。んで、そいつらが大切にしている奇跡の欠片ってんで、『お守り』を手に入れたんだが、詳しく調べる前にやつら、ここを嗅ぎつけて取ってっちまったんだ。」
「拒否すればいいだろう」
「直接話したのは化粧の濃い女だったんだがな、やけに腕っぷしが強そうなのを二人連れててな。拒否したら店を壊されそうな剣幕だったのさ。」
この店に来たのはムラサキと門番をしていた二人だ、とロミオは即座に理解する。
ということは、お守りとはジュリの体組織…例えば髪の毛を使って作られたものだろう。
そして、ジュリが攫われたため、彼女の一部だけでもかき集めようと躍起になっているようだ。
「そうか分かった。んで、アンタはなんで俺にそんな情報を喋るんだ?」
「さあね。ただ、なんとなくアンタの覚えは良くしてもらったほうがいいような気がしただけだ。」
店主は口元をゆるめて、初めて笑った。
「そうだな。その判断は間違っていないぜ。」
ロミオは情報量とばかりに紙幣を何枚か店主に渡す。
「邪魔したな」
ロミオは店を後にした。
仕事が空振に終わり、ロミオは急いで市場を離れることにした。
先程、ムラサキ達があの店に来たのなら鉢合わせする可能性がある。
ロミオがジュリを攫った下手人であるとは気付かれていないだろうが、不要な接触を避けるに越したことはない。
ロミオは足早に下層市場を抜けてアルカディア・ケミカルへと足を向けた。
だが、人気のない通路を抜ける途中、前方に誰かが待ち構えていることに気がついた。
二人、逆光でよく分からないが、おそらく男。
通行人かと思ったが、その手に持っているものが何であるか認識して、ロミオは足を止めた。
特殊警棒。
普段は手の平に収まるサイズだが、使用時には肘ほどの長さに伸びる護身用具だ。
男達が明らかにロミオの方を向いていることから、目的はロミオだろう。
金目的の強盗であれば単純だが、ジュリを運搬していた時に出会ったような、ライバルであれば厄介だ。
「…」
そのまま抜けるのは無理だと判断し、ロミオは踵を返した。
すると、足音が背中を追ってきていることに気づく。
やはり、狙いはロミオのようだ。
ロミオは徐々に足を早め、通路を曲がったところで一気に走る。
迷路の様に入り組む路地を利用し、何度も曲がりながらその場から離れる。
中層へと登るリフトまでたどり着かなければ帰ることは出来ない。
あと一つ曲がれば、食材市場に出る。
そこまで行けば、リフトまであと僅か。
「!」
路地の出口に三人、立ちはだかっていた。
皆一様に手に特殊警棒を持っている。
「(クソが!)」
対して今のロミオには武器になりそうなものはなにもない。
孤児狩りのときであれば麻痺弾や麻酔弾といった物で迎撃できるのだが残念ながら会社に置いてきている。
一対一なら不意をついて逃げ切れるが、多勢に無勢では分が悪い。
「よおニイサン、ちょっとききてぇことがあるんだが…」
「なんでしょうか?」
「さっきの店で、何か買ったりしなかったか?」
「いいえ。ちょっと風邪に効く漢方を探していたんですけど、あいにく品切れでした。」
ロミオは努めて冷静に、そして丁寧に男たちに応える。
「それは気の毒なことで。で、どんな漢方を?」
会話の間にも男たちはジリジリと距離を詰めてくる。
背後からは仲間も迫っている。
袋のネズミだ。
「…僕は今薬代しか持っていません!それも差し上げますから乱暴はしないで下さい…」
ロミオは財布を取り出し、目の前の男たちに見えるように差し出した。
だが、男達の視線はロミオの顔から離れない。
「俺たちは頼まれただけだ。ニイサンが『何を買ったか?』『買ったものを買い直す。』だけだ。」
やはりロミオ自体を狙っている。
しかし、買ったものを買い直す、とは言っているが男たちの態度から強奪するつもりのようだ。
実際ロミオは空振りをしているのだが、男たちは信じていないようだ。
「(頼まれた、ということは雇われただけか。雇い主にはたどり着くのは不可能だろうな…。)」
「おとなしく手に入れたものを出したほうが身のためだぜ?」
「(しかも話も通じねえか…ああめんどくせえ!)」
後ろから迫る足音が大きくなってくる。
人数は五、六人。
荒事になれば、最悪命の危険がある。
ロミオは周囲を見渡した。
狭い路地の上は、配管や室外機が入り乱れ、人が抜けるのは不可能だ。
地面には廃材と思われる錆びた鉄パイプやナットが転がっている。
ロミオは一旦財布をしまうと、ナットを拾い上げた。
直径が親指程の大きい規格。
数秒指で弄び握り込んだ。
「ん?どうしたニイサ」
「いい加減そこを退け、ドブネズミ共」
ロミオはナットを男に向かって投げた。