第9話
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「お前、何してんだよ」
上官に対してなんて口のきき方だ、といつもなら冗談交じりに言い返すが、今日はそんな気分にもなれない。
2週間の休みだー、と浮かれながら必死に仕事を片付けたので、今は執務机の上に何の書類もない。つまり、仕事がまったくない状態で、ぼうっとエリックは一人座っていた。
いつもよりのんびり出てきたダリウスは、いないはずのエリックを目撃して、思わず口が滑った。
「……なんでもいいだろ」
「よくないだろ。新婚一日目にしてなぜ出仕してんだ」
「仕事―――」
「がないのは、わかってんだよ」
付き合いの長いダリウスに、そんな稚拙な嘘は通用しない。目も合わせず、ふてくされたような雰囲気を醸し出しているエリックに、ダリウスの声が若干低くなる。
「まさか早々に喧嘩したとか言わないだろうな?」
「喧嘩じゃない」
対等の関係ではない今の状況で、喧嘩なんてしようもない。反応の鈍かった昨夜のことを思い出し、これ以上話す気はないとまた窓の外を眺める。
エリックの執務室の窓からは、第3訓練所が見える。そこは、主に見習いの者たちが鍛錬する場所でもあった。
太刀筋は危なっかしいが、朝早くから訓練をするほどの熱意が溢れていた。
確かに仕事をしに来たわけではなく、少し頭を冷やそうかと思って家を出てきただけだ。身体を動かして気分転換するのも悪くない、とエリックは立ち上がった。
「久しぶりに訓練所に参加してこよう」
逃げるように執務室を出て行こうとしたエリックを、ダリウスが慌てて止めた。
「詮索されたくない、というのならこれ以上は聞かない。だから、今あまり外を出歩くな。『二人の関係は上手くいっていない』という噂が広まって困るのはお前だろう」
そう言われてしまえば、エリックは立ち上がりかけた腰を、また椅子へと戻した。
「………暇だ」
「なら巣の解体でもしてろ。まさか、今日はここに泊まるだなんて言い出さないだろう?」
「少ししたら戻るに決まっているだろ」
「じゃぁ、さっさと片付けて帰れ」
休暇中なら上司でもなんでもない。新妻を放り出してきたただのヘタレである、とばかりに、ダリウスから容赦なくそんな言葉が投げつけられた。
解体、といわれてもどうするか。
執務室の椅子から衝立の後ろにまわり、簡易の寝台を眺めた。昨日はよく眠れなかったから、ここで一眠り―――。
「横になったら叩き出すからな。お前の噂なんて知ったことか」
まるで見ているかのような指摘が飛んできて、寝台に寝転がろうとしていた身体を起こした。
ぼーっとしているだけだと、昨日のことを思い出して落ち込みそうになる。仕方なく、雑然としていたそれをゴミといるものに分けるか、と動き出した。
食べ物類を持ち込むことはダリウスが許さなかったので、幸い腐敗や得体のしれないものが繁殖している、ということはなかった。
しかし、面倒臭がって見えなきゃいいや、と大量の使用済みの衣類を寝台の下へ押し込めてあった。ここで寝ると微かに酸っぱい匂いがしていたのは、これが原因らしい。
あとで洗濯係に持っていかせるように、引っ張り出して一か所にまとめておいた。
他は、督促されている図書室の本と、知り合いから借りっぱなしの本。床に散らばった書き損じの書類や仕事に使った資料など。
図書室の本は、また後日ということで、と2冊の本を寝台の隅へ避ける。さらに、借りっぱなしの個人所有の本も、これまた今は返せないので別にしておく。
最後は、紙の束。これが一番厄介だ。保管する資料といらない書類と一緒になってしまっている。しかも、1枚目が抜けている書類だと、内容まで見なければ、それが判断できない。
「ダリウスー、3年前の予算の試算なんかいるか?」
「ゴミだな。でも、一応機密書類扱い。破棄の仕方に気をつけろ」
あとで、自力で燃やすもの、と仕分けをする。
「5年前の訓練報告書」
「ゴミ」
「2年前の公開演習録」
「保管」
「3年前のイズの成長記録、は保管」
「ゴミにしてもいいだろ、それ」
「う、わ。くさ! なんだこれ。―――あぁ、女性物の香水が染み込ませてある、リオネル兄さん直筆の女装の心得その3」
「アリスに渡せ」
「1年前の遠征の記録兼報告書」
「保管」
「今年の秋宵会の警備計画案」
「……」
機械的に書類を読み上げていたエリックは、ダリウスの返事がないことに気付き、もう一度それを読み返した。
今年の秋宵会の警備計画案?
「なんで、それがそこにあんだよ。昨日レナルド様に『とっくにラミーヌに提出済み』なんて大見得きってなかったか?」
さーっと血の気が引いていく。
大見得、きった。ないのなら、そっちが悪いんじゃないのか、とまで言い切った。
エリックの脳裏に、元帥補佐のラミーヌが、いつも通り糸のような目で笑っている姿が思い浮かんだ。しかし、そこから感じられるのは静かな怒り。
想像するだけで、冷や汗が出てきた。
「…ダリウス、提出してきてくれ」
「自分で行け!」




