第6話
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「まぁ、リュシール様。そんな恰好ではしたないですわっ」
そのドアを開けたまま動かなくなっていたリュシールを、晩餐用のドレスを選び終えて運んできたミリアが窘めた。
カーラに部屋へ案内されたリュシールがまず初めにしたのは、花嫁衣裳からの脱出だった。
とにかく腰が細ければ美しい! という風潮のせいで、とぎゅうぎゅうに締められたコルセットは、それだけで拷問になりそうなほどつらい。
くつろいでいい、というのならば早々に着替えようと、ミリアに声をかけた。
「ミリア、とりあえずこれを脱ぎたいの、手伝って」
そうお願いすると、ミリアは心得たように頷いて、ドレスの背中で締められたリボンを外し始めてくれた。
案内してくれたカーラも、一瞬の沈黙の後「お手伝いしましょうか」と申し出てくれたので、その手も借りる。
刺繍で重くなった白いドレスを脱ぎ、締め上げられたコルセットも緩められて、ようやく大きく息をついた。
その様子を見て、ミリアが「お疲れ様でした」とくすくすと笑う。衣装を着るときに手伝ったこともあり、締め上げのきつさをわかっていたのだろう。
「笑いごとじゃないわ。本当に大変だったんだから」
「リュシール様、こちらのドレスはいかがいたしましょう」
唇を尖らすリュシールに、カーラが無表情で問いかけた。
「そうね、いつか使うかもしれないから、大切に保管しておいて」
「―――では、衣裳部屋に仕舞っておきます」
ドレスを取りまとめると一礼して、部屋の中にある一つのドアを開けて中へと入っていく。どうやらそこが衣裳部屋になっているようだ。
「使う予定があるんですか?」
「だっていいものだもの。光の加減で小花が浮かび上がるように、生地と同じ色の糸で総刺繍よ。手間と時間とお金がかかってるわね、アレは。誰かが着たいと言うかもしれないじゃない」
「時間もなかったことですし、きっと急がせたでしょうね。特急料金とか発生してそうです」
こそこそと主従でドレスの価格を予想していると、カーラが部屋へと戻ってくる。
「他に御用はありますでしょうか」
「いえ―――あ、さっき渡したブーケを部屋に飾ってもらいたいのだけど」
「あの、ブーケをですか?」
花瓶に生けるには適さない形だった。けれども、水盤のようなものに飾れば、綺麗だと思っていた。しかし、指示されたカーラは戸惑った表情で聞き返した。
「何か不都合でもありますの?」
ミリアの問いかけに、カーラはようやく、何も知らないリュシールにデガルト帝国でのブーケの処し方を話し出した。
「わが国では、花嫁のブーケは、未婚の女性に譲るのが通例です。そうすることで、幸せを分け与えると言われています」
「そう。それは知らなかったわ。ファストロでは、新居に飾ることが多いから。では、そのようにしてちょうだい」
「はい、こちらで処分させてもらいます」
恭しく礼を取ってカーラは退出した。ようやくミリアと二人きりになれたリュシールは、些細なことは気にしないことにして、ソファに崩れ落ちるように倒れこんだ。
「ミリア、コルセットも脱ぎたい」
緩めたとはいえ、硬いコルセットはくつろぐには不向きだ。
「ダメです。あとで締めなおしますから、そのままでお願いします」
「……晩餐のときも、これは必要かしら?」
「もちろんですとも。今度はパニエをつけてふんわりとしたシルエットのドレスにいたしましょう。そうすれば、先ほどよりもコルセットを締め上げなくても綺麗に見えますわ」
いい笑顔のミリアに力説され、リュシールはそれ以上反論することができなかった。
全部脱ぎ捨てて、楽な格好になりたいと思っていたリュシールは、泣く泣く束の間の息抜きだけに留めておく。
そこでようやく、自分の部屋を確認する余裕ができた。
淡いクリーム色と柔らかな若葉色を基調にした部屋だった。てっきり、目や髪の色に合わせて、金色や鮮やかな青色を使った家具が多いと思ったのに、予想外だ。
けれど、派手派手しい金色の部屋よりも、余程くつろぐことのできる色合いで、リュシールは気に入った。
「趣味のいい家具だわ。あぁ、離宮として使っていたのなら、王族のどなたかの趣味なのかしらね」
部屋に備え付けられた、応接用のソファとテーブル。そして、鏡台は曲線の美しい女性的なものだった。
「ミリア、衣裳部屋の隣のドアは何の部屋なの?」
「あちらは空き部屋になっております。衣装類が増えた時の予備かと」
「ふーん…。なら、好きに使ってもいいわね。アレ、そこに運び込んで」
リュシールの趣味をあまりよく思っていないミリアは、少し不満そうな顔をしながらも、結局は了承してくれた。
花嫁道具の嵩増しにと持ってきたアレらを、どこに置こうかと迷っていたリュシールは、一つ片付いたとばかりに満足そうに頷いた。
「リュシール様、晩餐のドレスを選んできます。荷解きがまだなので、用意していただいた物の中から選びますが、よろしいですか」
「まぁ、ドレスまで用意してくださっているの?」
「衣裳部屋にたくさんありましたよ」
「そうなの。では、お礼申しあげないといけないわね。晩餐のドレスは任せるわ、あまり仰々しくないものをお願いね」
はーい、とミリアは嬉々として衣裳部屋へと向かっていった。あまりドレスに興味のないリュシールとは違い、ミリアは装飾品が大好きだった。
流行にも敏感で、任せておけば大丈夫、とリュシールは信じている。
一人部屋に残されて、またぐるりと見回した。
「残りのあのドアは、寝室のかしら」
配置的に、隣の寝室につながるドアと思われる。
暇になってしまったリュシールは、何気なくそのドアを開けた。―――開けてしまった。向かいの部屋で、同じようにドアを開けようとしている人がいることも知らずに。
「もうっ、聞いていらっしゃるんですか? はしたない恰好なのですから、あまりウロウロしないでくださいってば」
そう言われて、ぎこちなく視線が下がる。
緩められたコルセットにペチコート。完全に、下着姿だった。
自覚した途端、急激に羞恥心が沸き起こり、リュシールは今更ながら身を隠すようにその場にしゃがみ込んだ。
「……なにしてらっしゃるんです?」
「し、んしつに、向かいの…ドア」
「寝室? 夫婦の寝室がどうかなさいました?」
「ふう、ふ?」
「はい。向かいのドアは、エリック様のお部屋につながっているはずですわ」
それは知ってる。向かいのドアを開けて立つ、エリックとばっちり目があってしまったのだから。
「何で、一緒の、寝室?」
リュシールの私室とは違い、落ち着いた暗めの配色のその部屋には、ただ一つの大きな寝台が置かれているだけだった。
それを眺めながら、未だに思考がうまく働いていないリュシールは、どうして? と不思議そうにそのまま口にしてしまう。
その様子を見ていたミリアは、まさか、とか若干顔を青くさせながら、リュシールに確認した。
「リュシール様。つかぬことをお聞きしますが、子供がどうやってできるか知っておいでですか?」
「コウノト―――」
「鳥は子供を運びません」
「畑のシュルツ…」
「ご自分があの緑の野菜から生まれたと本当に思っておいでで?」
ですよねー。
座り込んだまま、リュシールはひとつ頷いた。
ミリアは恋愛小説好きのロマンチストのくせに、そういうところは現実的らしい。
コウノトリの話もシュルツの話も、童話のようなものだとリュシールもわかっている。
おぼろげながら、「夫婦」が「寝室」で行うコトによってできるものである、というのは知っていた。
けれど、正しい知識は全くと言っていいほど持っていない。本来なら母親か乳母から教えられる事柄なのだが、リュシールにはその機会がなかった。
会話らしい会話をほとんどしたことのない母からどう教われというのだろう。声をかければ、無視か罵倒というパターンだった。
優しかった乳母は、リュシールが幼いときにこの世を去り、代わりにつけられた厳格で厳粛な教育係からは「そのようなこと、仕える人に任せればよいのです」と一辺倒な回答しかもらえなかった。
今思えば、あの独身の教育係は知らなかったんじゃないかと思う。
「知識がなくても、大丈夫と言っていたけれど…」
「リエナー女史はそう言いましたが―――、あの方独身じゃないですか。絶対、本当のところを知らなかったんですよ」
ミリアの見解もリュシールと同じらしい。
恋愛よりも様々な勉強を優先していたリュシールは、そのことについて、今まで知ろうともしなかった。
ちらりと振り返ってミリアを見ると、赤くなって視線をさまよわせた。
リュシールよりいくつか上であるミリアも未婚の女性。どうやら、知識としてある程度備えてはいるが、本当かどうかはわからない、という不確かなものらしい。
突然降ってわいた難題に、下着姿を見られた羞恥も薄れてきた。
「リュシール様、とりあえず着替えをいたしましょう」
「そ、そうね。なんとかなる、わよ。たぶん」
「で、ですよね! ほら、『俺色に染めてやる』とか―――」
「………今度はどんな小説にハマってるのよ?」
お読みいただきありがとうございました。