第5話
馬車から降り、無事到着した新居にリュシールを連れていく。
花嫁を抱きかかえて新居に入る、という小さな頃の夢が一瞬脳裏をよぎったが、言い出せる雰囲気ではなかった。馬車の中の会話で、浮かれていた気分もダダ下がりしていたのでちょうどよかった、とエリックは強引に自分を納得させた。
この結婚は政略結婚。いつ別居しましょうか? と平然と聞いてくるリュシールに、エリックは少なからずショックを受けた。
だから、『仲睦まじい夫婦だ』とあえて断定的に言い切った。
仲睦まじい夫婦のフリをしていれば、いずれはリュシールもその気になるかもしれない。秋宵会までは1か月以上もあるのだから、形から入ればリュシールもきっと―――というエリックの希望的観測の多大に含まれた提案だった。
しかし、リュシールの反応は芳しくなく、何事か考え込んでしまった。
そもそも、『エリックの一目ぼれ』という体面のために、仲睦まじい夫婦を演じる必要はない。エリックは好きだが、リュシールはそうでもない、という関係性でも全く問題ないのだ。
そのことに気付かれる前に、さっさと話を切り上げたのに、その返事があの決意表明とは。一体、難しい顔をして何を考え込んでいたのか、エリックには見当もつかなかった。
『習得』って何の技術を習得するというのだろう。
「お待ちしておりました」
屋敷の入り口で、使用人たちがずらりと並んで出迎えをしていた。
執事1名、料理人1名、侍女2名、下女下男各1名、そして警備を兼ねた門番が4名。
一人一人の紹介はまた別にするとして、とりあえず主要な二人をリュシールに引き合わせた。
「リュシール。執事のジョゼフと侍女のカーラだ。私が小さいころから世話になってる」
エリックの紹介に、先頭にいた40歳くらいの白髪交じりの髪を品よくなでつけた小柄な男性と、リュシールと同世代のすらりとした女性が、顔を上げてリュシールに向かって改めて礼をとった。
執事のジョゼフは、エリックが幼少の頃は教育係としてそばにいてくれた人だ。そしてカーラは、エリックの母に仕えていた侍女の娘で、幼馴染のような存在だった。
どちらもエリックの信頼する人であり、リュシールにとって助けとなる人と信じていた。
「こちらの習慣に疎いところもあるの。迷惑をかけるかもしれないけれど、よろしくお願いするわね」
にっこりと二人に向かってほほ笑んだ。
「式と移動で疲れただろう。夕食まで部屋で休むといい。カーラ、案内してやってくれ」
「ありがとうございます」
※ ※ ※
夕食までは2時間ほど時間があった。
服を着替え、くつろぐには十分だろう。だったら、もっと夕食の時間を早くしても問題なかったかもしれない。
今日から自分のものとなる、屋敷の当主の部屋で、エリックはウロウロと歩き回っていた。
「ジョゼフ、夕食の時間を早めることは可能か」
「時間を変更なさるのですか? 料理長が腕によりをかけているメニューを簡素なものに変更すれば可能でしょう。せっかくの晴れの日のメニューがそんなものでもよければ、変更の手配をいたしますが」
「……いや、いい。予定通りにしてくれ」
かしこまりました、と慇懃無礼に頭を下げたジョゼフは、元教育係として、執事として、年長者として、エリックを支え時に諌めてくれる貴重な存在だ。
が、少々ひねくれたところがあり、閉口させられることが多々あった。
「そのように、寝室のドアの前でウロウロするなど、行儀が悪いですよ。それほど、リュシール様が恋しいのですか」
「そんなことはないっ」
からかうようなジョゼフの声音に、心中を見透かされた恥ずかしさから、思わず否定の言葉を口にしていた。
しかし、本音を言えば、やっと手に入れたリュシールをずっとそばにいたかった。部屋に案内するのも、着替えさせるのも、すべて自分の手でやりたかったといっても過言ではない。
けれど、これ以上急がないと決めたばかり。
だから、緊張し通しだったリュシールに時間を与えるべく、ぐっと我慢をしてカーラに案内を任せた。
「なぜ否定するのです? 一目ぼれ、なのでしょう。その割には、夢だと言っていた『花嫁を抱いて帰城』はやらなかったようですが」
「皮肉か」
「いえいえ、ずいぶんぎこちない様子だったので、少々心配になっただけです。もし、必要ならば、使用人に認識を徹底させておきますが」
『リュシールは、エリックの一目ぼれで強奪してきた花嫁』
その認識が徹底されれば、確かにリュシールにとって住みやすい場所になるだろう。しかし、それでは『仲睦まじい夫婦』の演技が必要なくなってしまうかもしれない。
「いや、それはいい」
「わかりました。では、夕食の準備が整いましたら、呼びに参ります」
「あぁ」
一礼して退出するジョゼフに目もくれず、じっとドアを見つめていた。そこは、寝室へと続くドアだ。そして、その向こうはリュシールの私室。
エリックは、そっと足を忍ばせてそのドアに近づき、重厚な木製のそれに耳をくっつける。
傍から見れば、なんと情けない姿か。
しかし、エリックは真剣だった。
その態勢のまま、しばらく耳に神経を集中させた。けれど、いくら耳を澄ませても一室分の空間が邪魔をして声を聴くことはおろか、その気配さえ感じられない。
「やはり、ここからじゃ無理か」
では、寝室の壁越しならばどうだろうか?
思い浮かんだその誘惑に、エリックは勝てなかった。
張り付いていたドアから身体を起こすと、ゆっくりと音をたてないように、ノブを回した。
カチャリ
慎重に回したはずなのに、ドアを開ける音は案外大きく響いた。
いや、正確にはエリックの立てた音など、ほとんど聞こえなかった。大きな音を立てたのは、エリックの向かい側のドア。
本来なら閉じているはずのそこには、驚きに固まった浮かべたリュシールが立っていた。先ほどまでの可憐な花嫁衣装を脱ぎ捨て、無防備な姿となって。
「え…」
「失礼したっ」
盗み聞きをしようとしていた疾しさから、エリックはとっさに謝ってドアを閉めることしかできなかった。別にただそのドアを開けただけで、まだ何もしていなかったというのに。
リュシールは何を思って、そのドアを開けたのだろう。
部屋に逃げ戻ったエリックは、ジョゼフが呼びに来るまで、ぐるぐると悩み続けた。
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