第4話
『私が王族でなければ、結婚しなかった?』
その問いになんと答えれば満足だったのだろう。
正解だと思った「政略結婚ですから」という答えは、目の前に座るエリックがそれまで纏っていた固い雰囲気も覇気も消し去ってしまったように見える。
その様子から、リュシールの答えが満点ではなく、エリックにとっては零点に近いものだとわかった。
別に落ち込もうが何しようが、リュシールにとっては何の問題もない。ないのだが―――。
冷酷、という噂は聞いたことがあったし、何よりこの政略結婚を仕組んだ油断がならない人だとわかっている。けれど、こんなに無防備に落ち込んだ様子を見せるのだから、調子が狂ってしまう。
これは政略結婚。
あるのは互いの利益だけ。そこに、心なんてありはしない。
―――そういうものなのでしょう?
リュシールは、忘れかけていた呪いの言葉を、自分に言い聞かせて目を閉じる。
脳裏に浮かぶのは、忌々しげにこちらを睨みつける女性。
『いやよ、なんで? 女なんていらなかったのにっ 今から男になりなさい!』
リュシールが4歳のとき、見たこともない綺麗な女性から、そんな理不尽な要求を突き付けられた。突然のことで、その女性が誰なのか何を言われているのかわからなかった。考える前に、その女性のあまりに鬼気迫る様子に、リュシールは大泣きしてしまった。
けれど、泣いてもその女性は気にもせず、自分の苛立ちをぶつけるように罵倒し続けた。
ただただ、怖くて。耳を塞いで目を閉じて、小さくなっている間に、いつの間にか気を失ったらしい。その後のことはよく覚えていない。
しばらく経ってから、それが自分の母なのだと知った。
弟のマルセルが生まれたのが、この2年ほど後のこと。
典型的な政略結婚だった父と母。
私が男であれば、後継ぎを作る努力は一度きりで済んだのに、と母は私を詰りたかったのだろう。
政略結婚とは、こういうものなのだ、と母をいないものとして扱う父と父に嫌悪をあらわにする母。
そんな風にはなりたくなくて、嫁ぐ予定のエジェンスに通っていたというのに、結果は花婿に逃げられるという無残なものだった。
だからスッパリ諦めた。なのに―――。
「リュシール? 気分でも悪いのか」
不意に声をかけられて、リュシールは閉じていた目を開けた。
そこには、ずっと結婚すると思っていた人ではなく、結婚前はたった一度しか会ったことがない、エリックが心配そうにこちらを見ていた。
父のそれとも、母のそれとも、違うその目に、リュシールは期待してしまう。
私はまだ諦めなくてもいい?
価値のある人間だとわかってもらえれば、良い関係が築けるかしら。
「あと30分ほどで屋敷につくが、辛いようなら馬車を止めよう」
「いいえ、大丈夫です」
「しかし――」
「大丈夫です。ちゃんとします」
それから30分ほど馬車に揺られていると、ようやく屋敷が見えてきた。
木々の間から見えるその屋敷は、王族が暮らすにはこじんまりとしたものだった。しかし、人の気配がしないほど大きな屋敷も無駄に広い屋敷も嫌いなリュシールにしてみれば、好ましいものだった。
「あまり大きな家じゃないんだ」
「こじんまりしていて、住みやすそうな屋敷ですね」
「この辺は王都からそれほど離れていないのに、自然が豊かだろう。子供のころによく遊びにきていた、お気に入りの離宮だったんだ。ちょうどあの森を抜けるとアスティダの領地だから、都合がいいだろうと一緒に下賜してくださった」
森、というか丘というか、山というべきだろうか。
屋敷の背後には、なだらかに木々が連なっていた。向こう側が見えないことから、平坦な森というよりも、木々が生い茂った山のようにも見える。
どちらにせよ、その終わりが見えないことから、それは深く広大なものだとわかった。
「森から危険な動物が迷いこまないように、屋敷の敷地には高い柵で囲っているし、定期的に森に見回りにいくから安心してくれ」
「危険な動物もいるのですか?」
「森の深いところには、狼や熊なんかが生息している。よっぽどのことがない限り、人の縄張りには入ってこないよ」
羊やヤギといった飼育されている動物しか見たことがなかったリュシールは、どんな動物がいるのか少し興味があった。ここから見えないかしら、と目を凝らしていると、そんな様子がおかしかったのか笑い交じりに誘われた。
「いつか、森へ連れて行こう」
いつか、とはいつだろう。
ようやく、リュシールは肝心なことを確認していないことに気が付いた。
「私は、いつまで一緒に暮らすのでしょうか?」
リュシールにしてみれば、当然のことを聞いただけなのに、エリックは目を見開いて固まってしまった。
「政略結婚ですもの、いつか領地へ送られるのでしょう?」
父と母が一緒に暮らしている姿など見たことがなかったリュシールは、それが当然のことと思い質問した。しかし、エリックにとっては予想外だったようだ。訝しげな表情でそれを否定した。
「今回のことは、一般的には私が一目ぼれして嫁いできてもらった、ということになっている」
「な、ぜ、そんなことに。そもそも『一目ぼれ』なんて、あるわけないのに」
世の中に一目ぼれなんて存在しない。
そう信じて疑わないリュシールは、思わずありえないと否定していた。
その言葉のせいか、益々エリックの眉間のしわが深くなった。
リュシールが否定した『一目ぼれ』はデガルト帝国では、ごくごく自然で「まぁ、素晴らしいわ」と褒められてしまうような、出会い方らしい。
「王家の者の多くが一目ぼれで結婚しているんだ。現国王も一目ぼれをして、まだ未成年だった母を親元から強引に連れ去ってきたしね。結構有名な話で、それを元とした本も出てるんだが読んだことないんだな」
恋愛小説など全く興味もなかったリュシールは、後でミリアに聞いてみようと内心冷や汗をかきながら、申し訳ありませんと小さく謝った。
「それに、政略結婚だと思われると、いくら非があるエジェンスも黙っていないだろう」
「あぁ、そういう可能性はありますわね」
「だから、私たちは仲睦まじい夫婦だ」
眉間に深いしわを刻んだまま、重々しくそう断定された。
『仲睦まじい夫婦だ』と決めつけられても、リュシールにしてみれば戸惑わずにはいられなかった。
とりあえず、現在別居する予定がないということは理解した。そして、そういう風に周囲に見せろということだろうか。
「―――仲、睦まじい」
それは難題、とリュシールは悩む。
不仲な両親が手本になるはずもない。社交の場で仲の良さそうな夫婦を見たこともあるが、それはあくまで外から見ただけ。仲の良い夫婦が自分の家でどのように過ごしているのか、リュシールには想像もつかなかった。
しばらく考え込んでいたリュシールは、エリックが深いため息とともに「そんなに不満か」と呟かれたことで、ようやく難しげに黙り込んでいた様子が、不満を表しているように見えると気が付いた。
「あ、いえ。そんなつもりは」
「これ以上急がないことにしたから、いいよ。幸い、正式なお披露目は1か月半ほど後の『秋宵会』を予定している。それまでには何とかなるだろう」
「わかりました。その間に習得します」
力いっぱい頷いたリュシールに、エリックは微妙な顔で問い返した。
「…習得?」
しかしその言葉は、馬車が停止したことによる嘶きにかき消され、リュシールから答えをもらうことはできなかった。
とりあえず、本日はここまで。
大体2000~3000文字くらいで更新していく予定です。
そして、ペースはやはり週1くらいになりそうな予感。
よろしければお付き合いください。