第10話 ②
奇数がエリック視点
偶数がリュシール視点となっております。
まずリュシールが向かったのは、広間だった。
そこには、朝食の片づけが終わり食卓を整えている侍女のルネがいた。
「まぁ、リュシール様。御用があれば呼んでくだされば」
「いいの、屋敷を見て回りたいと思ったものだから」
「え、でもそれは普通旦那様が―――」
そこまで口にしたルネは、はっとしたように口を閉じた。言ってはいけないことまで言ってしまった、とルネの顔には書かれていた。狼狽えて助けを求めるかのように目が周囲を彷徨うが、もちろんそんなものはない。
「こちらの慣習では、夫が屋敷を案内するのね」
「は、はい。普通、結婚して1週間ほどは蜜月期間中ですので、仕事も免除されますし。その間に夫が妻に新居を案内したり、生活に慣れるように手助けをしてくれます」
へー、仕事を免除ね。
リュシールの目が据わる。それとは逆に、口角はゆるく引き上げられた。
「教えてくれてありがとう。こちらの慣習に疎いところがあるから、また教えてくれると嬉しいわ」
その口から出てくるのは穏やかな言葉なのだが、微笑を浮かべたその姿はどこか迫力があった。
ルネは声を震わせながら、「でも、平民の仕来りくらいしか知りませんので」と頭を下げるが、リュシールはこの貴重な情報源であるルネを逃すつもりはない。
「それでもいいわ。またお話しましょう」
そう言って、広間を後にして、次なる場所に向かう。
次は東棟の厨房へ。
朝食が終わり、今度は昼食の準備に追われているようだ。いくら人数が少ないとはいえ、料理人と下女の二人だけで回すのは大変なのだろう。忙しく動き回る様子を覗き見て、こちらはまた別の機会にした。
そのあとは、西棟に移り喫茶室。気軽なお客様は喫茶室でおもてなしするのだろう。こちらも華美ではないが趣味のよい家具が置いてある。
その奥の図書室には、絵本から専門的な本まで、様々な種類のものが置かれていた。時間があれば、しっかり見たいとリュシールは少しだけ機嫌が上向いた。
それから、2階へ上る。西棟にはエリックと自分の部屋しかないので、特に見回ることもなく東棟へと向かった。
「奥様」
移動する途中で、西棟から戻ってくる執事のジョセフに出会った。
「何か御用でしたか?」
「いいえ、少し屋敷を見て回りたいと思ったの」
「それは―――」
「エリック様は不在でしょう。お戻りになるまで部屋に篭っていろと言われればそうしますが、いけませんか?」
言葉の端に込められた怒りに気付いたのか、ジョゼフが苦笑して頭を下げた。
「いいえ。そのような晴れがましい役には、力不足ではありますが、私がお供致しましょうか」
リュシールの怒りを前にしても穏やかで落ち着いた態度。優秀な執事なのだろう。
自分が八つ当たりしてしまったことを恥じながら、リュシールはしばし考えた後に「いいえ、それには及びません」とはっきり断った。
「エリック様の代わりを務めてもらうわけにはいきません」
どんな形であれ、旦那様になったのはエリックのみ。その代わりを誰かにしてもらうわけにはいかない、とリュシールは首を振る。
その答えに、ジョゼフは驚いたように目を見開き、嬉しそうに頷いた。
「あぁ、でも。行ってはいけないような場所はあるかしら」
「いいえ。ここは、奥様の屋敷でもあります。こちらの西棟の2階は客室3部屋です。以前は子供部屋として使っておりました、旦那様は一番奥の部屋だったのですよ。昨夜もそちらでお休みでした」
「そう…、客室というのならば、見てもかまわないかしら」
「もちろんでございます。どうぞ、ご随意に」
そうジョゼフに見送られ、西棟の2階奥へと向かう。
その前にある二つの客室の前は素通りして、エリックが昨夜使ったという部屋の前に立った。
何がしたい、と明確に思ったわけではない。けれど、ジョゼフが勧めるのだから、何かあるのかもしれないと、気軽な気持ちで見に来ただけだった。
「なんか、客室といいながら結構散らかってませんか」
「えぇ、本当に見ても構わなかったのかしら」
二人が不安になるほど、生活感あふれた部屋だった。
脱ぎ捨てられた上着。飲みかけのティーカップ。テーブルの上には書き散らされた紙の束。そして―――乱れた様子のないベッド。
ここで寝たんじゃないのかしら、と首を傾げるリュシールの耳に、カサリと何か紙がめくれるような物音がした。
視線を巡らせると、すぐに音の原因がわかる。
テーブルの周りに落ちた紙だった。部屋の窓が微かに開いており、そこから入り込む風で舞ってしまうらしい。
「あぁ、もうっ」
また一枚、テーブルの下に落ちる。
その惨状を見逃せなかったリュシールは、窓を閉めるために部屋の中へと入った。
その窓の外には大きなクヌギの木があった。大きすぎて、窓の視界を埋め尽くしていると言っていいほどだ。木陰から、屋敷の閉鎖された裏門が見えた。門番の都合上、あちらは施錠して通行できないようになっているようだ。
「この木、飛び移って降りられそうね」
「やめてくださいっ」
童心が疼いて、そんなことを言い出したリュシールに、ミリアはやりかねないと悲鳴まじりに止めに入る。
「冗談よ。でも、本当に大きくて立派な木ね。手も届きそう。あ…」
何かに目をつけたリュシールは、当初の目的とは逆に、窓を大きく開いてその身を伸ばす。
「リュシール様っ」
まさか本当に飛び移る気かと、ミリアは慌ててその身にすがろうと飛び込んでくる。けれど、リュシールはそれ以上身体を乗り出すことはなく、それを取って戻ってきた。
「ほら、やっぱりどんくりだわ」
まだ青いどんぐりの実をとって、ご満悦そうにほほ笑むリュシールを見て、ミリアは寿命が縮んだと脱力した。
「それをどうする気ですか」
「………どうしよう」
微妙に怒りの滲んだミリアの声に、気まずそうに視線をそらしながらリュシールは笑って誤魔化そうとした。




