名前を教えてください!
ぽんぽこぽんぽこ。
今日も亜季はドラムを叩いていた。
「……あれね」
「……あれだね」
「……あれだねえ」
いたのだが、後ろで観戦していた者達は唸っていた。
「うぅぅ……」
そんなところへ、亜季がへろへろの状態で帰ってくる。
「……アキさん」
「はいぃ……」
なので、フレは師匠としてツッコんだ。
「特定の譜面が苦手すぎるわね」
「はい……」
そう。亜季も初心者を少しだけ脱してきたものの、得意とする曲、不得意とする曲が存在した。
例えばそれは、テンポが速い遅い等があるが、そういう問題とは少し違う。
「クロスでそこそこ叩けるようになってきたのに、オープンを強いられると」
「死にます……」
ということなのである。
クロス。オープン。音祢が言ったそれは、スティックの構え方の事である。
両手にスティックを持ってドラムを叩く際に、右手を左に、左手を右にして、交差させる形で構えるのがクロス。
反対に、右手は右、左手は左、と開いて構えるのがオープン、である。
「難儀だねえ」
「ううぅ……」
という訳で、亜季はそのオープンで叩かなければならない曲が非常に、非常に苦手なのであった。
苦手すぎて曲をクリアすることすら出来ない。そう、叩けなさ過ぎてゲームをクリア出来ないのである。途中でシャットアウトされるのである。
「叩き方の問題かしら」
「たぶんね」
「変な癖ついてるとかー?」
「ふえぇ」
オーディエンスはあれこれと意見をかわす一方、亜季はひたすらにへこむ。
「やっぱ数こなすしかないんじゃなーい?」
「ですよねぇ……うぅ、お金がどんどん消えていく……」
そして懐事情も考えると更にへこんだ。
ヨッパは簡単に言うが亜季は学生なのである。他に趣味が無いとはいえ、ゲーセンに無尽蔵に費やせるわけではないのである。いやまぁ社会人も無限にお金が湧くわけではないが。
「どうにかしてやんなよ師匠ー」
「……ふむ」
そんな裏で、音祢はフレに促す。
どうするか……と考えたのは数瞬だけだった。
「アキさん」
「はい?」
「今度、ウチに来ない?」
「……はい?」
「おぉ……大きい……」
という訳で、亜季はフレの家にお呼ばれしていた。
「……けど、普通のお宅なんですね」
目の前には大豪邸、とまではいかないものの、ガレージ付きの家。
ごくごく一般のご家庭である。
「どんなの想像してたのよ……」
「こう、お嬢様!みたいな」
フレの口調が丁寧であるが故の弊害だ、と亜季は続けるものの、ものすごく呆れた目線を向けられた。
「……こっちよ」
「あっはい! ……って、あれ?」
そして導かれた先は玄関、ではなかった。
ガレージの中、であった。
「倉庫の二階をスタジオみたいにしててね」
「わ! 電子ドラムだ!」
フレから案内されたのは、ガレージの上の階にある小部屋だった。
様々なポスターが貼られ、様々な楽器が飾られ、一際目を引くのが大きな電子ドラム。
正に、スタジオだった。
「小さい頃に買ってもらってね」
「だからあんなに上手いんですね……あ! これお土産です!」
皆さんで食べてください、と御菓子を献上する亜季。
「別に良いのに」
「いやいやいやそういう訳には!」
「……なら、ありがたく貰うわ」
「はいっ」
義理堅い弟子に苦笑するフレ。
和やかな空気が流れる。
のは、そこまでだった。
「さ、始めましょ」
「はい!」
そう。今日の目的は指導なのである。
「まず基礎からね」
「はい師匠!」
「……ふふ」
「はえ?」
が、また和やかな空気が流れた。
「いえ、もう師匠と呼ばれることに慣れてしまったな、と思ってね」
「あはは……すごく今更ですが、イヤ、ですか?」
「いいえ、もう慣れたわ」
くすくすと笑いあう二人。
そして、優しい表情で、気を引き締めた。
「さ、これも今更だけど、正しいスティックの持ち方、叩き方に矯正するわよ」
「はい!」
故に、今日の目的を開始する。
「いつもの持ち方をしてみて?」
「はい。こんな感じで……持ってます」
「で、叩いてみて?」
「はいっ」
ぽんぽこぽんぽこ。
亜季は電子ドラムを出来るだけいつもの調子で叩く。
「……ふむ」
その様子を、フレは真剣に見詰める。
「ど、どうなんでしょう」
一通り叩いてみて、師を仰ぐ亜季。
「……えっと、ね」
「はい」
だが、フレは何かを言おうとして、
「えーっと……」
「は、はい」
何かを思い出そうとして、
「教本どこいったかしら……」
「教本?」
キョロキョロと何かを探していた。
「……まぁいいわ。少し手を借りるわね」
「はわっ⁉︎」
が、ナニカを諦め、背後から亜季の手を、きゅっ、と握った。
無論、いきなりのこと過ぎて握られた方は驚天動地である。
「スティックの持ち方は主に三種類あってね?」
「うぇ⁉︎ あ、はい」
しかしそれが指導の一環なのだと分かると、亜季の身体から余分な力が抜けた。
それでもいつもよりも近いせいか、妙に良い匂いがする、なんてトンチンカンなことを考えたりもしたが。
「ジャーマン、フレンチ、アメリカン……どれがどれのことかは忘れたのだけど」
「は、はぁ」
「まずはコレ」
そうして亜季は、手の甲が真上になるような持ち方をさせられた。
「むぐ」
「……やり辛い?」
「も、持ちにくいというか、叩きにくいというか……」
「案外シンバルは連打しやすいわよ」
「えぇぇ……? あ、あー、なんとなく、分かる、かも?」
そして次、親指がスティックの真上になるような持ち方をさせられた。
「あ、あー……あー?」
「……どうなのよ、それは」
「なんか、分かりそうで、分からない、感じ? が? します?」
「全然伝わらないわ……」
「でもさっきのよりは全然やりやすいです」
そして最後、最初の持ち方と次の持ち方の中間、手が斜めになるような持ち方。
「あ!」
「……まぁ、そうなるわよね」
「え?」
「初心者向けの持ち方の筈だもの、それ」
「あ、そうなんですか?」
「じゃあその持ち方を意識してクロスで叩いてみて、今は足無しでいいから」
「はい!」
という訳で、そうなった。
ぽんぽこぽんぽこ。
亜季が正しい持ち方でドラムを叩く。
「おぉ……なんかプロっぽい雰囲気……」
「なによそれ、ふふ」
「えへへ」
和やかな空気である。
「じゃあオープンね」
「げ」
が、そんな空気は特訓には不要なのである。
「……一気に崩れるわね」
「ふええ」
「じゃあ今日はひたすらオープンで叩いてみましょう」
「ひええスパルタ!」
という訳で、本当の特訓開始である。
「持ち方崩れてる」
「リズム乱れてる、ゆっくりでいいから一定に」
「持ち方崩れてる」
「姿勢崩れてる」
「リズム」
「持ち方」
「一定」
超スパルタである。
が、亜季はめげずに着いていっていた。なかなか大したものである。
「じゃあ私は飲み物とってくるから、練習してて」
「ありがとうございます! ふええええ!」
「……ふふ」
そして、鬼の監視が無くなった。
しかし亜季は練習を止めなかった。
持ち方を保ち、リズムを保ち、姿勢も保つ、そんな演奏を目指す。
無心で、ひたすらに、上手くなりたいから。
憧れに追いつきたいから。
あの人に、辿り着きたいから。
「戻ったわ」
「ぴっ⁉︎」
「……何をそんなに驚いているのよ」
そんな一心不乱に叩いていたが故に、フレの帰還に対して過剰に反応してしまう亜季であった。
「まさかサボらずにやっているとは思わなかったわ……」
「え、えええ……?」
「休憩しましょ」
「あ、はいっ」
いくつか飲み物を持ってきたフレは、亜季の要望に応えてスポーツドリンクのペットボトルを手渡し、自身は缶コーヒーを口にした。
……一応だが、ここはガレージ内である。冷蔵庫や食器などがある筈がないのである。故に、フレも普段はこのようにペットボトルや缶の飲料を持ち込んでいるのだ。
「ふぃーっ、流石に疲れました……」
「慣れない持ち方だと特にそうなるでしょうね」
「はい……」
「少しは叩けるようになった?」
「まだまだ全然です……」
「そう……」
「…………」
「…………」
そして休憩がてら雑談が始まったのだが、なんというか、なにやらぎこちない。
「…………」
「…………」
ゲーセンでも話はする。するのだが、主にドラムゲームの話である。それ以外の話はあまりしない。
それに加え、フレはあまり自分から話を振らないタイプである。
故にどうなるか。
「…………」
「…………」
会話が、止まる。
無言が、続いてしまう。
「…………」
「…………」
という訳で、二人は内心焦っていた。何か話を振らねば、と。
「あの!」
「あの……」
という訳で被った。コントか。
「さ、先どうぞ!」
「そ、そっちからで良いわよ」
「う……」
上下関係的に先に話をし始めなければならないのは亜季の方であるようだった。
が、亜季は非常に困った。なにせ何も考えてなかったのである。
という訳で考えた。考えた。考えた。がんばって考えた。
考えた結果、
「し、師匠の名前! 教えてください!」
という、ある意味非常にきわどいお願いが出て来た。
「……?」
それを受けてフレは、意味が分からない、という顔を返した。
「あああああ何言ってんだろ私! ごめんなさい今の無しで!」
「あぁいえ……」
「さ、流石に調子乗りすぎですよね! あは、あははははー!」
「いや、だから違うの」
「親しき仲にもなんとかって」
「聞いて」
「え? あ、はい」
故に、機嫌を損ねた、と思った亜季は慌てふためいたものの、どうやらそうではない様子。
フレは改めて、心底不思議そうに尋ねた、
「……言ってなかったかしら?」
「え?」
「私の本名」
時が、止まった。
「聞いてませんよ⁉︎」
再始動した。
「そ、そう?」
「聞いてたらこんなお願いしてませんよ⁉︎」
「そ、それもそうね」
「いつの話ですかいつの!」
「……出会ってそこそこの時?」
「本当にいつですか⁉︎」
噛み付いた。珍しく師匠がたじたじである。
「ヌコさんも知ってるかと思ったのだけど……」
「音祢さ……ヌコさんも知らないと思いますよ……」
「……ヨッパさんは知ってるわよね?」
「いやそれは知らないですよ……」
とにかく、と改める亜季。
「師匠の名前、知りたいです」
フレを正面から見つめて、真摯に、願う。
「…………」
それを受けた者は、少しだけ思案する。
「……別に教えても良いのだけど」
「はい」
「……こう改まれると、少し恥ずかしいわね」
「……ふふ、そうかもですね」
だから、
「亜季。最上亜季です」
彼女は笑った。
「……桂香。君影桂香よ」
だから、彼女も笑った。
「桂香……桂香さん」
「そうね」
「桂香さん……桂香さん……」
「な、なによ」
「良い名前ですね!」
「そ、そう……」
が、そこまで連呼されると気恥ずかしいにも程があり、フレ……桂香は顔を赤くしてそっぽを向いた。
「今度から桂香さんって呼んでいいですか⁉︎」
「良……くないわ」
「ええええええええええ」
ので、調子にのった亜季は拒絶された。
「……別に今まで通りで良いじゃない」
「うー、桂香さんって呼びたいのにぃ」
「……慣れないのよ」
「……照れ屋さんだっ!」
「うるさいわね」
もはや桂香の顔は真っ赤だった。普段のクールさはどこへ行ってしまったのか。
故に、それを誤魔化すかのようにして、缶コーヒーを飲み干した。
「さ、スパルタ再開するわよ」
「えええええええええ」
「えーじゃないの。ほらスティック持つ」
「ひえー!」
師匠、とは違う呼び名。
既に伝えていた、と勘違いしていた程度には親しくなっていたということ。
だが改めて亜季に伝えられる。亜季にだけ伝えられる。
また一歩近くなる。また少しだけ縁が深まる。
「じゃあBPMゆっくりめで始めるわよ」
「分かりました桂香さん!」
「二百から」
「うひーっ⁉︎」
「……もうっ」




