第4話 夜の森
人工的に起こされた炎が泉と世界を照らし出している。
夜は既に更け、炎に照らされながらソシアは自分を冷たい泉の中に導いた者と向かい合わせに若草へ腰を下ろしていた。見つめていた炎が揺らぎ、生命を得たかの如く渦巻いている。
急に声をかけてしまった本人は彼女を引き上げた後から起こした火に拾ってきた木の枝をくべている。
露の降りたような若草の瞳がソシアに向けられる。
「本当にすみませんでしたね」
自分のことをステルだと名乗った者が改めてソシアに頭を垂れる。
「あの状況で突然声をかけて驚かない人はいませんよね」
「いいよ、気にしてない」
ソシアはそれだけ言って、ステルから借りた毛布にさらに包まる。
ルゥは既に彼女の隣で丸くなって眠っているようだった。
ルゥが何も反応しないということは、この者は自分に害をなす存在ではないことがわかる。
しかし初めて見る者に対しての警戒は解くことができない。
昔から繰り返されてきたことに対する自己の防衛本能だということは彼女自身気づいてはいた。
初めて会う者に心を許さないように、やはりぼそっと教えられたことなのだ。安全とわかっていても習性は抜けなくなっていた。
ステルもそれに気づいているのか苦笑を漏らす。
「先ほども訊きましたけど、ここで何をしていたんです?」
「休もうと思ってた」
視線を炎からルゥへと移して質問に小さく答えた。
「ここで、ですか?」
つんつん。
驚きの表情でステルが大地を垂直に突いてみせる。それに何も気にせず、そう、と返す。
すると彼は更に驚きを隠そうともしないで首を傾げながらソシアに見入る。
だって、本当だもん。昔からそうしてきたんだ、今が違うだけ。
疑惑の視線を感じて口が滑りそうになるのをようやく堪えてソシアはルゥを拾い上げた。
白い塊は全く目覚める様子もなく夢の世界をゆらゆらと漂っているのだろう。
夢の世界の現実を受け入れているのかはわからないが。
「それって…危ないと思いますよ?」
顔を引きつらせて注意を促してくれる。
「先ほどガレータの群れを見ました。肉食の凶暴な獣です。夜行性で、しかも人肉を好む…。こうして火を焚いていなければ、彼らはいつ襲ってくるかわからないんですよ?」
直立すればゆうに人の二倍はあろうかという鋭い目を持つ魔性の生き物。
彼らによって集落が襲われたという噂もよく耳にする。
そんなの関係ないよ。
ソシアがステルへと向けた視線はそんな意味を持っていた。
その視線を外すことなく彼女は立ち上がる。借りていた毛布をたたんで返す。
「これ、ありがとう。それと忠告も。でも、なおさら行かなきゃいけないんだ。一刻も早く」
やっぱり進むしかない。
夜の森は一人で歩くなという教えに逆らってでも。
「待ちなさい、みすみす命を捨てに行くようなものですよ?」
「関係ないよ。ここの近くには人の集落もある。もし、ガレータの群れが近づいているのなら危険を伝えに行かなきゃいけない。…ルゥ、起きて」
止めるステルの声に逆らってでも。
この泉のことを教えてくれた風の精霊が集落のことも教えてくれた。
ガレータ達のことだ。
鼻のよく利く利点を如何なく発揮して、その集落を襲わないとも限らない。
ベッドというまな板の上に自分の獲物が横になっているのだ。
彼女には目前に転がる危機を見過ごすことができなかった。
もしかしたら追手が駐屯しているかもしれない。
集落に入るには危険が伴う。
それでも!
身を切る想いでソシアは決意した。
捕まればまた逃げ出せばいい。
簡単なことだ。
彼女は一人で炎に背を向けた。ルゥも眠たそうにぽよんと跳ねる。
前に広がりを見せる闇をも飲み込んだ森は、黄泉の神ユナが影法師をひと掬い垂らしたかのような風を届けてくる。春のものなのに奇妙に冷ややかなそれ。
夜の森は彼女の友ではなかった。




