第2話 授業中にテレパシーで会話していたら、クラスメイトに怪しまれた件
第2話 授業中にテレパシーで会話していたら、クラスメイトに怪しまれた件
午後の授業は数学だった。
時計の針は14時20分を指している。
あと30分で5時間目が終わる。
黒板に書かれた二次関数の問題を見ながら、
俺はカバンの中のミストのことを考えていた。
本当に昨日の出来事は現実だったのか?
チョークが黒板を擦る音、
エアコンの低い駆動音、
そして隣の席の田村が貧乏ゆすりする音。
いつもの午後の数学の時間のはずなのに、なぜか世界が違って見える。
『大樹様、お疲れではございませんか?』
ミストの声が頭の中に響いた。やっぱり現実だった。
(大丈夫だ。でも授業中だから、あまり話しかけないでくれよ)
『申し訳ございません。』
カバンの中で、ミストが小さく身動きするのを感じた。
猫らしく、狭い場所でも器用に体勢を変えているようだ。
「橘、次の問題を解いてみろ。」
数学の佐藤先生が俺を指名した。
慌てて黒板を見ると、y=2x²+3x-1のグラフを書く問題だった。
(やべぇ、全然聞いてなかった)
立ち上がりながら、必死に頭の中で計算しようとする。
二次関数の頂点の公式は...確か...
『落ち着いてください、大樹様』
ミストの声が聞こえた。
『まず、ご自分で考えてみてください。
私はそれをお手伝いするだけです。』
(手伝いって?)
『公式を思い出してみてください。頂点のx座標は...』
突然、頭の中に公式が浮かんだ。x = -b/2a。
それは確かに俺の記憶にあったものだけど、
なぜかいつもより鮮明に思い出せた。
「頂点のx座標は...(-3/4)で。」
計算を続けていると、
不思議なことに答えがスムーズに出てきた。
まるで霧が晴れるように、解法が頭の中に浮かんでくる。
「y座標は(-17/8)です。」
「正解だ。よくできた。」
佐藤先生が満足そうに頷いた。
俺は席に座りながら、心の中でミストに話しかけた。
(今のって...)
『あなた様の記憶を少しだけ鮮明にさせていただきました。
答えを教えたのではありません。すべてあなた様の知識です。』
すげぇ。これが魔法の力なのか?
『今度は逆に試してみましょう。
あなた様の考えを私に送ってみてください。』
(どうやって?)
『強く念じるのです。
私に伝えたいことを、心の中で思い浮かべてみてください。』
俺は昨日見たアニメのことを思い浮かべた。
主人公が剣を振り上げて必殺技を放つシーンを、
できるだけ鮮明に思い描いた。
カバンの中でミストが小さく震えた。
『...これは一体何でございましょう?
光る剣を振り回して何やら叫んでおりますが。』
『しかも敵が爆発しております。』
(おお、伝わってる!すげぇ!)
思わず声に出しそうになって、慌てて口を押さえた。
でも、まだうまくコントロールできない。
ミストに話しかけようとすると、つい唇が動いてしまう。
「橘君、さっきから口がもごもごしてるけど、大丈夫?」
隣の席のクラスメイトが心配そうにこちらを見ていた。
彼女の名前は佐々木美月。
黒い髪を腰まで伸ばし、知的な眼鏡をかけた彼女は、
クラス委員長として皆から信頼されている。
普段はほとんど話したことがない。
「え?あ、いや...」
「もしかして、体調が悪いとか?」
「違う違う、ただちょっと...考え事してただけ。」
美月は小首をかしげた。
「考え事?数学の問題?でももう解答は終わってるよね。」
時計を見ると、14時35分。あと15分で授業が終わる。
「そうだね...ちょっと別のことを。」
「へぇ。橘君って、
普段あまり喋らないから、
どんなこと考えてるのかな?って思ってたんだ。」
え?委員長が俺のことを?
「俺のこと?」
「うん。クラス委員として、みんなのことは気にかけてるから。
なんか最近、表情が変わったなって。前はもっと...」
美月は眼鏡を軽く上げながら、
言葉を選ぶように間を置いた。
「もっと沈んでる感じだったけど、
今日は何か明るいっていうか、楽しそうっていうか。」
そう言われてみれば、確かに昨日から気分が違う。
ミストと出会って、自分に魔法の才能があると知って、
世界が輝いて見えるようになった。
『大樹様、この方は観察力が鋭いですね。』
ミストの声が聞こえた。
『少し注意が必要かもしれません。』
(でも悪い人じゃなさそうだぞ。委員長だし)
カバンの中でミストがくるりと向きを変えた。
残り10分。もう問題にあてられることもないだろうし、
テレパシーの練習を少ししてみよう。
(ミスト、今度は俺から話しかけるから、
聞こえたら返事してくれ。)
頭の中で強く念じた。最初は何も反応がなかった。
声に出したくなる衝動を必死に我慢する。
(聞こえるか?)
やっぱり返事がない。
もっと強く、もっと集中して...
『はい、聞こえます。』
おお、できた!
(声に出さずに話せた!)
『素晴らしいです。コツを掴まれましたね。』
最初は頭の中で「話す」感覚が分からなかったけど、
今は何となく理解できた。
普通に話すのとは違って、
心の奥から相手に向けて「押し出す」ような感じだ。
今度はもっと複雑なことを伝えてみよう。
(美月って子、どう思う?)
『とても親切で、観察力のある方のようです。
ただし、それゆえに私たちの秘密に気づく可能性も...』
(やっぱりそうか。でも今のところは大丈夫そうだな。)
(それにしても、俺が魔法使いになるなんて…
まだ夢みたいだ、昨日まで考えもしなかった。)
『大樹様、まだ始まったばかりです。
これから様々なことを学んでいただかねば。』
(ああ、楽しみだ。
でも正直、ちょっと怖くもある。)
チャイムが鳴って授業が終わった。
美月が振り返ってきた。
「ねぇ、橘君。」
「何?」
「もしよかったら、明日のお昼、一緒にお弁当食べない?」
え?委員長が俺と?
クラスの何人かがこっちを見ている。
田村なんて口をぽかんと開けている。
委員長が男子をお弁当に誘うなんて、
今まで見たことないからな。
後ろの席の山田が小声で「マジかよ...」とつぶやいているのが聞こえる。
隣の列の女子たちもひそひそと何か話している。
「佐々木さんが男子を誘うなんて珍しいね」
「橘君、何か特別なことでもしたのかな?」
そんな声が聞こえてくる。
俺、そんなに目立つような存在だったっけ?
「あ、えーっと...」
『大樹様、これはチャンスです。』
ミストの声が聞こえた。
『人間関係を築くことも、魔法使いには必要な能力です。』
(でも、君のことがバレたらまずいだろ?)
『大丈夫です。注意深く振る舞えば問題ありません。それに...』
『この方となら、いずれ秘密を共有できるかもしれません。』
(共有って、まさか仲間にするのか?)
『可能性として、です。』
委員長が少し頬を赤くして待っている。
「う、うん!ぜひお願いします。」
「本当?嬉しい!」
委員長は満面の笑顔で手を叩いた。
「じゃあ、屋上で食べよっか。
また明日、お昼休みね!」
屋上。俺とミストが出会った場所だ。
「わかった。」
委員長は友達のところに戻っていった。
周りの男子たちが羨ましそうにこちらを見ている。
『良かったですね、大樹様。』
(ああ...でも緊張するな)
『私もおりますから、大丈夫です。』
カバンの中でミストが小さく伸びをした。
猫らしい仕草が伝わってきて、少し和んだ。
それと同時に、小さな鼻を鳴らす音も聞こえる。
きっと俺の匂いを確認してるんだろうな。
でも同時に、不安も押し寄せてきた。
(明日、委員長と一緒にいる時、ミストの存在をうまく隠せるだろうか?)
(それに、テレパシーの練習はまだまだ必要だ。
さっきみたいに声に出してしまったら、確実に怪しまれる。)
(それと、もっと重要な問題がある。)
(アルカナ王国の危機って話は、
いつ本格的に始まるんだ?
闇の魔法使いとかいう敵は、どこにいるんだろう?)
『大樹様』
ミストの声が聞こえた。
『今日の放課後、人のいない場所で魔法の基礎練習をしませんか?』
(基礎練習?)
『はい。テレパシーだけでなく、
他の魔法も少しずつ学んでいただく必要があります。』
他の魔法?物を浮かせたり、火を出したりできるのか?
『まずは魔法力を感じることから始めましょう。そして...』
『敵が近づいてきた時に気づけるよう、
偵察魔法も覚えていただかねば。』
(敵が近づいてきた時?)
背筋に冷たいものが走った。
(もしかして、もう敵は俺たちの近くにいるのか?)
カバンの中でミストが緊張したように身を縮めた。
『申し訳ございません。
不安にさせるつもりではありませんでした。
しかし、備えはあって損はありません。』
(そうだよな。俺も覚悟を決めないと。)
俺の新しい生活は、思っていたより複雑で危険なものになりそうだった。
(魔法の練習、委員長との約束、そして見えない敵の脅威。)
(明日が来るのが楽しみな反面、何が起こるか分からない恐怖もある。)
(でも、もう戻れない。俺は魔法の世界に足を踏み入れてしまったんだ。)




