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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

黒紅の薔薇

作者:

マリアンヌが修道院の西の塔から転落死してから三週間が経過した。事故なのか自死かはまだ判明していない。

シャルロットは修道女見習いの頃から親しくしていた同僚が亡くなったことだけでもショックだったが、亡くなったマリアンヌはあろうことか妊娠していた。

すぐに修道女の間ではマリアンヌの幽霊が夜な夜な出没するという噂が立ちはじめ、シャルロット自身、何度もマリアンヌの姿を目撃していた。特に転落死した西の塔付近で見かけていた。

シャルロットは何かに操られているかのように、自分の意志とは関係なく、気がつくと西の塔の前に来ていてハッとさせられることが何度も続いていた。

そのせいもあり、これは自殺や事故ではなくて他殺への疑念を強めていた。


以前から修道院内には院長とベルナルド司祭が男女の仲であるという禁忌な噂があったのだが、シャルロットはそれが噂ではなく事実であることを知っていた。

6年前、13歳でこの修道院にやって来たばかりの頃、深夜に目が覚めてしまい眠れずに部屋から出て院内を歩きまわっていた際に、偶然二人が礼拝堂で睦み合う姿を目撃していたからだ。

今もまだ噂されるということは、まだその関係が続いているからなのだろう。

堕落した修道院になどできればいたくはなかったのだが、実家の伯爵家から厄介払いのように修道院送りにされた身としては他に行くあてもなく忍従するしかなかった。


同い年の友であったマリアンヌを失い、彼女の不審な死を目をにしてから、真の死因、犯人を見つけたら、この修道院からはもう出て行くことを決めていた。


彼女のお腹の子の父親は一体誰なのか?

シャルロットには嫌な推測しかない。


マリアンヌが亡くなる数ヶ月前、年越しの祭事における司祭の補助役にマリアンヌは抜擢された。夜間も駆り出されていて祭事中は自室に戻ることはなかった。

それ以外の男性との接触や接点は一切なかったのだから、子の親はそれしか考えられない。口に出さずとも、他の修道女達も同じことを疑っている筈だ。


伯爵家出身のマリアンヌも、シャルロット同様継母らに疎まれて修道院へ追いやられて来ていた。それでも修道女なのに妊娠していたという事実を看過できなったのか、マリアンヌの父親であるバロー伯爵は娘の死因を追及しようとしていたようだ。

だが院長は門前払いをし、マリアンヌが祭事の補助役だったことへの箝口令を敷いた。しかも警察すらあっさりと司祭から買収されてしまう有り様にシャルロットは憤怒にうち震えた。


シャルロットは自分の憶測は避け、バロー伯爵家に宛ててマリアンヌが祭事の時、ベルナルド司祭の補助役で夜間も駆り出されていた事実だけを知らせる匿名の書簡を送っていた。

この事が院長らにバレれば処分は免れず、自分の身も危うくなることは十分承知していたが、腐りきった関係者をこれ以上放置することはできなかった。


マリアンヌの幽霊は日増しに出没頻度が増えていた。恐怖で耐えられなくなり修道院から出て行く者も相次いだ。


これによって外部にも修道女の転落死と幽霊騒ぎのことは、いかに隠そうとしても知られていく筈だ。



姿だけははっきりと見えるのにマリアンヌの声はなぜか聞こえなかった。

もの言いたげな表情を見る度にシャルロットは自分がはがゆくて仕方がない。


「マリィ、あなたが苦しんでいた筈なのに、気がつけなくてごめんなさい。絶対に真相を暴いて見せるから待っていて」


マリアンヌの幽霊にシャルロットは誓った。


ほどなく、修道院の幽霊騒ぎを知った別の司祭が視察に来るという知らせがもたらされた。

当修道院の司祭は近々代替わりするそうで、新任の挨拶もかねているらしかった。やって来た新しい司祭は眉目秀麗な若い男性だったので、院内は色めき立った。

特に院長は旧い司祭から乗り換える気満々なのが、彼への異様な媚からも見て取れた。

黒目黒髪の若い司祭は彼女を全く相手にはしていなかったが。


シャルロットは院長から新旧の司祭らが待つ応接室へ呼び出された。


「マリアンヌと親しかったのは君だね?」

「はい、マリアンヌとは同じ歳で······きゃあああっ!」


シャルロットは受け答えの途中で突然悲鳴をあげた。


ベルナルド司祭の背後に見知らぬ若い女性が頭部から血を流して立っていたからだ。

シャルロットは後ずさりして両手で顔を覆った。


「どうしたのですか? シャルロット」

「司祭様の後ろに血まみれの若い女性の姿が見えるのです、院長様にはあれが見えないのですか?」


シャルロットは血まみれの女性の立つ方向を指差したが、司祭と院長は顔を見合わせ、何を馬鹿なことをと、まるで取り合わない。


怯えるシャルロットに、新任のダニエル司祭は「その女性に見覚えは?」と尋ねた。


「いいえ、存じません。黒目黒髪で、右頬の真ん中に縦に2つ並んだホクロがある女性です」

「なっ······まさか!そんな」

ベルナルド司祭と院長は動揺した。


「どうされました?」

新しい司祭は冷静にシャルロット達のやり取りを注視している。


「他に何か見えるものはありますか?」

「薔薇の香り、あの西の塔の下にある黒紅の薔薇のような濃厚な香りがします」


シャルロットの回答に二人は震え上がったように見えた。


「マリアンヌ嬢は黒髪に黒目だったのですか?」

「いいえ、亜麻色の髪に青い瞳です」

「マリアンヌ嬢の幽霊をあなたは見えるのですよね?」

「はい、日ごとにますます頻繁に見えています。彼女が見えるのは私だけではなく、他の修道女達にも見えています」


司祭と院長にはマリアンヌの幽霊すら見えてはいないようだ。


「シャルロット、もう結構です戻りなさい」と院長が掠れ声で告げた。


会釈をし退出しようとすると、ダニエル司祭に「後程使いをやりますので、個人的に話を聞かせてもらっても構いませんか」と尋ねられたので「はい」と頷いた。


夕食後にダニエル司祭から呼び出されたのは、事件のあった西の塔の下だった。

開口一番、「今も何か見えますか」と聞かれたが、噎せるような薔薇の香りが漂う暗闇しか見えない。

シャルロットが首を横に振ると、司祭は指をパチンと鳴らした。

「今度はいかがですか?」と試すような視線を向けている。


暗闇である筈の空間に、西の塔へマリアンヌが誰かに引きずられていく姿が見えはじめた。

気を失っているのか、それとも既にこと切れているのか、だらりと力の抜けた彼女の身体を司祭と院長が運んでいる。

塔の最上階まで来ると、司祭がマリアンヌを抱え上げて窓から落とした。

マリアンヌは悲鳴もあげずに落ちていった。

司祭と院長は息を荒らしながら塔からかけ降りて来て、マリアンヌの遺体を覗き込んだ。


そこでまた暗闇に戻って、何も見えなくなった。


(こ、これがマリィの死の真相なの?)


『私もあの娘と同じよ。私の指輪を探して欲しいの。多分黒紅の薔薇の木の下にあるから』


昼間応接室で見た件の女性がシャルロットの耳元でそう囁くと消えた。

今は血まみれではないその人はとても美しかった。


黒紅の薔薇の香りが一層強くなった。


衝撃で震えながら涙を流すシャルロットに、司祭はハンカチを差し出した。


「許して下さい、あなたを捜査に利用させていただきました。あなたはとても感度が良いようでしたので」

「······捜査? 」

「私は司祭ではなく、ある人から雇われ派遣された魔力捜査員です。どうか内密にこのままご協力願えませんか」


魔力捜査員と名乗った男は、シャルロットが先程見た光景を西の塔に近寄れば修道女全員にも自動的に目えるように魔力で細工した。

「あれは幻影なのですか?」

「あなたが見たものは限りなく真実に近いものだと思います。私自身は直接霊を見る力はそれ程強くはありませんが、あなたのような感度の高い相手を媒介として見たり、魔力を使い第三者に見せることができるのです」

「······感度が高いのですか?私が? マリアンヌの霊が見えるまでは一度もこんなことはありませんでした」

シャルロットは困惑した。

「マリアンヌ嬢の件があなたの能力開花の引き金になったのでは? 現にマリアンヌ嬢以外の霊も目えているのですよね?」

「······はい、他にもいくつか」

シャルロットはマリアンヌ以外の霊も次々に見えるようになってしまっていた。

これはきっと気のせいだと自分に言い聞かせようとしても、目を開けていても目を閉じても目えてしまうのだ。

今目えている人が生きている人なのか死者なのか区別がすぐにつかない。

ただ大抵の霊達はここにいる筈がない、いては不自然な場所で見かけるので、それで辛うじて区別できている。

この状態が一時的なものなのか、この先もずっと続いてしまうのか全くわからない。


マリアンヌのように姿は目えるけれど、こちらに何を訴えているのかわからないとか、何も語らずにただそこに佇んでいるだけの人、通り過ぎるだけの方が多い。

向こうから語りかけてくる人ばかりではないのだ。

シャルロットが眠ろうとウトウトしていると突然至近距離まで近寄って来られて驚いてしまうことがしばしばある。

シャルロットは取り合えず、今関係のない人には極力目を合わせず意識を向けないようにしている。そうしないと心身が持ちそうにないからだ。


シャルロットがこのようなことが起きても、それでも割りと冷静でいられるのは、自分の曾祖母にも同じような能力があったと、子どもの頃母に聞いたことがあったからもしれない。


「あなたの様子を見る限り、錯覚や幻覚を見ているわけではないと思いますが」

「では、応接室で見た血まみれの女の人も、ここの修道服を着ていましたから、過去に実在した人なのですね? その人はさっき私に自分もマリアンヌと同じだと言いました」

魔力捜査員は、やはりそうでしたかと頷いた。その瞳は悲しみで翳り、そして怒りを滲ませた。

「この修道院では十二年前にも同様の事件がありました。恐らく同様の手口、同一の犯人でしょう」


魔力捜査員が仕掛けた事件の再現映写は、昼も夜も途切れること無く延々繰り返された。


塔から落とされたマリアンヌの身体に接触して木々の枝が折れてゆく音、無惨に身体が地面に打ち付けられた音が身震いする程生々しい。

舞い散りながらも香り立つ黒紅の薔薇の芳香が、纏わりつくように漂っている。

魔力によって音や香りまでも再現して映し出されたものが、あまりにも恐ろしく気分の悪くなるものだったので、西の塔には誰も近寄らなくなった。


罪を暴かれ立場を失った院長は精神を病み、虚空を見つめて意味不明な独り言を呟き、人が近寄ると奇声をあげるほど錯乱している。


司祭と院長にはマリアンヌだけでなく、十二年前の被害者の二人に四六時中血まみれの姿で迫られる設定をしたとダニエルから聞かされていた。

院長の反応はその効果からだろうか。


ベルナルド司祭は次第に憔悴してゆき、最終的には自殺未遂の上、助け出されたベッドの上で全ての罪を懺悔した。


二人が逮捕されると幽霊騒ぎも収まり、マリアンヌと血まみれの女性の姿をシャルロットはもう見ることはなくなった。


魔力捜査を依頼したのはマリアンヌの父、バロー伯爵だった。これで晴れてマリアンヌの汚名は漱がれ、父として少しは安心した筈だ。


ダニエルは事件後倒されたままになっていた黒紅の薔薇の茂みの下の地面を掘り起こすと、シャルロットから聞いていた通り、ある貴族の家紋入りの指輪を見つけた。それは十二年前の被害者のものだった。指輪は土に埋もれていたため経年により変色していた。

被害者は修道院に入ってまだ半年も経っていない、クロディーヌ·ルグラン侯爵令嬢19歳。

不運にもマリアンヌと同様ベルナルドの毒牙にかけられてしまったのだ。当時の共犯者も院長だった。


クロディーヌは、魔力捜査員ダニエル·ルグランの実姉だった。彼女は幼馴染みで相思相愛の婚約者と死別したことから、自ら望んで修道女となった。

その姉が不審な転落事故で亡くなった時、士官学校へ通う14歳の少年だった彼は、姉の死の真相を突き止めるために魔力捜査の道を志した。


見つけた指輪の家紋はクロディーヌの婚約者の家のものだった。きっと死の直前まで肌身離さず持っていたのだろう。


前代未聞の醜聞により、修道院は当分の間閉鎖されることになった。


シャルロットは還俗し、蜂蜜を思わせる金髪に若草色の瞳の見目麗しい令嬢の姿に6年ぶりに戻った。

継母と義妹の天下で、すこぶる居心地の悪い実家の伯爵家にはシャルロットは戻る気は更々ない。


「バロー伯爵に匿名の書簡を送ったのはあなたではありませんか?」

「ええ、そうです。伯爵も真相を知りたがっておいででしたし、少しでもマリアンヌの役に立ちたかったのです」

「あの書簡が届かなければ、伯爵は魔力捜査の依頼はしなかったでしょうね。この国ではまだ魔力捜査は認知されていませんし、裏の仕事、影のようなものですから余程のことがなければ出番はありません」

「それでしたら、修道女だってそうですわ。世間から退いてひっそりと活動する影のようなものです」

笑顔でそう返すシャルロットに、ダニエルは提案した。

「あなたのお陰で姉の無念を晴らせました。よろしければ、私の魔力捜査の助手になっていただけませんか?」

「私で本当にお役に立てるのでしょうか?」

「あなたには正義感も勇気も十分備わっていますから、優秀な捜査員になれるでしょう。私も全力でバックアップします」


修道院を出たらメイドとしてどこかへ住み込みで働くつもりでいたシャルロットだったが、魔力捜査員という特殊な仕事の方がもっと面白そうだと、好奇心旺盛なシャルロットは即決で承諾した。

それに、シャルロットにはまだ他の霊が見えているからだ。


「それでは、どうぞよろしくお願いいたします」

「よろしくシャルロット、これからは私のことはダニエルと呼んでくれ」

「は、はい」

少しはにかんだシャルロットに、ダニエルは満足げに微笑んだ。



後年、二人は結婚し人生のパートナーとなったが、魔力捜査は国から認定され、シャルロットは夫婦で活躍する魔力捜査官として名を馳せてゆくのだった。


(了)

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