第3話 野草
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施しを受けた私たちは、立食や談笑する人たちを遠目に眺めていた。ミサはすでに終わっていた。炊き出しは信者たちの情報交換や親交も兼ねていて、定期的に行っているという。今日は教区の司教が視察に訪れていて、いつもより緊張感のあるミサだったらしい。
数人の司教を束ねる大司教アドネルのような大物は余程の事がないと、表には出てこないのだろう。
「細かい事は白猫に任せて、私たちは別口で動きましょう。まずは司教の後を追うのよ」
囁くように言うと、エレナは素直に頷いた。
司教は教会の神父と挨拶を交わした後、付き人とともに豪華な馬車に乗り込んだ。信者たちは整列し、祈りのポーズで見送った。その後もしばらく交流会は続くらしい。
私はあらかじめ摘み取った野草に魔法をかけ、車輪の他、馬車に幾つか括り付けておいた。距離が離れて見えなくなっても、外されない限りは追跡出来る。耳をすませば、側にいる人の声も耳に届く。司教の些細な会話から、何か情報が得られるかも知れない。
私はエレナの手を引き、静かに馬車の足取りを追った。
しばらくすると、二人の会話が聞こえた。
「今回は布施の集まりが良かったようだな」
「はい、大司教様に良い御報告が出来ますね」
「しかしあの司祭、幾らか中抜きしてやがるな?」
「織り込み済みです。いずれ脅しにも使えますので、泳がせておきましょう」
私はため息をついた後、エレナに目を向けた。
「足は痛くない?」
「大分慣れたわ。時々痛むけど」
「キェルトの伝授書を手に入れたら癒してあげる。それまでは我慢するのよ」
私は遠くに見える馬車を見据えながら言った。
◎
大司教アドネルは間諜の報告を聞き、対処を迫られていた。その知らせは明け方間もない時刻に、唐突にもたらされた。
「隣国の牢獄が襲われ、殺人鬼が逃亡。見張りや職員、囚人は皆殺し。屍の山が広がっていたそうです」
「殺人鬼の行方は?」
アドネルは胸騒ぎを抑えて尋ねた。
「関連は不明ですが、昨夜未明に隣国に面していた門番たちが死亡していました。ただ、外傷はなく、病死だという事です」
額の汗を拭い、間諜は言った。
この港町ソマリナを含め、隣接する四つの町を領地としたリンナ公国は、大司教アドネルの巨大な財力とネットワークによって、事実上アドネルの委任統治となっていた。リンナ公爵は名ばかりの操り人形だった。火急の情報は、当然のようにアドネルのもとへ入って来ていた。
「また頭痛の種が増えたな。まだそれほど時間は経っていない。念ためにソマリナを封鎖して、他の町に侵入させないようにしろ。殺人鬼を指名手配して、見つけしだい消せ。わしはしばらく姿を隠す。連絡は教区の司教たちに取次ぎをさせるから、何かあればそこを通せ」
アドネルは集まった面々に指示を飛ばした。折悪しく、ソマリナ教区の司教だけは辺境の教会に視察に出ていた。
◇
正午を少し過ぎたあたり。白猫から反応があった。魔法をかけた野草を猫の首にも付けていたのだ。予想通り、白猫も私たちの向かう先にいた。
私は待ち合わせ場所を白猫に伝え、馬車を追跡し移動しながら合流する事にした。
しばらくすると白猫の姿が見えたので、私たちは木陰で一旦休憩し、昼食を摂りながら情報交換をする事にした。
「あなたは猫のまま食べてね。元の姿に戻すと、もらった食事が勿体ないから」
私がパンの欠片を渡すと、白猫は貪るように食いついた。
「それで、どんな情報を仕入れて来たの?」
私が問うと、男は戻った自分の姿をしばらく確認してから言った。
「さてどこから話せばよいのやら。簡単に言うと、隣の国の殺人鬼が脱走して、この町に潜り込んだらしい。アドネルはこの町を封鎖して、殺人鬼の似顔絵や情報を手に入れ、見つけしだい殺せと指示を出した」
エレナは手にしたパンを握りしめ、私の背中に隠れた。
「パニックを恐れて、まだ民衆には伝えていない。水面下で暗殺するつもりだ。で、当のアドネルだが、雲隠れを決め込んで、午前中に中央教会を発ったらしい」
男は一気に話すと、私が渡した水をがぶりと飲んだ。
「ご苦労さま。用は済んだから自由にしていいわ」
私が言うと、男は白猫を抱えながら言葉を続けた。
「もしよければだが、もう少し協力させてくれないか?」
「どうして?」
私が問うと、男は冷めた口調で続けた。
「奴に、アドネルに一泡吹かせたい。あいつには許せない恨みがあるんだ。あんたらにも同じような意思を感じるんだが、違うか?」
「残念ながら的外れよ。だけどしばらく共同戦線は張れそうね。エレナはどう?」
私が問うと、エレナは無言で顔を押し付けるだけだった。
「裏切ったらどうなるか。、あなたに覚悟は出来てる?」
私は突き刺すような眼を男に向けてクギを刺した。