第2話 白猫
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まばゆい太陽が私を後押しする。エレナといえば、私にすっかり気を許したのか、すすんで私の手を握ってきた。まだ幼さの残るエレナの顔を見ると、姉の代わりも悪くないと思った。
閑散とした町並みに人気はなかった。不意に目の前を野良猫が横切る。何気なしに目で追うと、薄汚いズボンをはいた男の足に絡みついていった。
男はごみ箱を物色しながら、鬱陶しい顔をして野良猫を蹴飛ばした。鳩尾をやられた猫は悲鳴を上げ、路上でうずくまった。
私は痙攣する猫を拾い上げ、男の前に差し出した。
「猫は炒めると美味いと聞いたわ」
「ん?」
男は私と猫を交互に見つめ、ポカンとした顔を私に向けた。
「ちょっと聞きたい事があるんだけど」
「あんたは誰だ? 見かけない顔だな」
男は好色そうな顔を浮かべて、品定めするように私を眺めた。
「この子と一緒に旅をしているの。アドネルって男に会いたいんだけど、どこにいるか知らない?」
私が問うと、男は神妙な顔つきをして再びごみ箱を漁り始めた。
「あんな偽善者に会わないほうがいい。あんたらがどんな連中か知らんが、酷い目に遭うぞ」
「どういう事?」
エレナが私の背に隠れるようにして、男に尋ねた。
「ひひひ、お嬢ちゃんにはちょっと刺激が強いかもな」
男はニヤけた顔を私に向け、見つけ出した残飯を口に入れた。
「余計な心配はいらないわ。知らないなら、あなたに用はないわ」
「ちょっと待ちな。条件によっちゃあ、話してやってもいいぜ」
男はボサボサの頭を掻きむしった。数本の髪の毛と一緒にフケが舞い散った。
「この先の教会で、町の奴らがミサをやってる。そこに俺を連れて行け。見ての通り、俺は薄汚ねぇ世捨て人だ。いつも恒例の炊き出しに出入り禁止を食らってる。あんたらの計らいでもし俺が食事にありつけたら、アドネルの居場所を教えてやってもいい」
◆
あたしはクレアと男の会話を聞いて、背筋が凍った。炊き出しの準備が出来たら、クレアは手っ取り早く支度をした人たちを皆殺しにするかも知れない。日差しが強いのは、このうだるような暑さから想像出来る。有り余った魔力の捌け口として、大虐殺をするかも知れない。
「クレア……」
「何? エレナ」
「お願いだから無茶はやめてよ。こんな男のために魔法なんて使う事ないわ」
「ふふっ、エレナ。私はそんなに非情じゃないわ。無駄な事はしない主義よ」
クレアはあたしの頬を優しく撫でながら言った。その優しさが、かえって怖くなった。
「そ、それじゃあどうする気?」
あたしが問うと、クレアは呪文を唱えだした。
「*レスティトイ*ナムジーク***」
「やめて! 何をしたの? どうしたの?」
あたしは思わず耳を塞いだ。
「ふふっ。さあ、エレナ。あなたにあげるわ。しっかり捕まえておくのよ」
クレアはそう言うと、あったかい毛むくじゃらの生き物をあたしに預けた。
「猫? まさか、クレア……」
「目が見えないのが残念ね。ちょっと汚いけど、白くて可愛い仔猫ちゃんよ」
◇
教会に近づくにつれ、辺りが賑やかになってきた。町の女たちは忙しなく食事の支度をしている。男たちは日よけのテントを手分けして組み立てていた。
私はエレナが抱いた仔猫に言った。
「準備が出来たら、好きなだけ食べさせてあげるわ。それまで大人しくしているのよ」
仔猫は縋りつくような眼差しで私を見つめた。
「ねえ、ちょっとあれを見て。なんて綺麗な娘なの!」
私たちに気づいた女が、支度の手を止めて言った。連鎖するように、周りの人間が私たちに注目し騒ぎ出した。エレナは震えながら、私の手を強く握りしめた。
「大丈夫よ。あなたは黒眼鏡をかけてる。万が一正体がバレたら、皆殺しにしてやるわ」
エレナは、私の背中に強く顔を押し当てた。
「私は目の見えないこの子と旅をしているんです。もしよろしければ、この子に食事を恵んでいただけないでしょうか? 少しで構いませんから」
私は悲痛な表情を作り、一番人の良さそうな女に声を掛けた。
「ええ、構いませんとも! あなたも、その仔猫ちゃんも一緒に、遠慮なく召し上がれ。みんな、いいわね。私は許可するわ!」
女は大仰な動作で周囲に呼びかけた。一同は好意的な眼差しを私たちに向け、笑顔を浮かべて賛同した。
◆
「美人は得ね。誰もあたしなんかに見向きもしない」
あたしは軽い嫉妬を感じながら、薄味のスープを口に含んだ。手前からチャプチャプと猫の舌音が聞こえた。
「エレナ。あなたはとても可愛いわ。みんなに眼鏡を取ったあなたを見せてあげたいくらいよ」
クレアはそう言いながら、細い指であたしの髪を梳いた。
「さあ、約束よ。アドネルがどこにいるのか、何をしているのか探って来なさい。いい情報を手に入れて来たら、元の姿に戻してあげるわ」
クレアは独り言のように呟いた。猫は一言、ニャアと返事をして、走り去る音が聞こえた。