第9話 夜明けの救出
◆
「相棒を救ってくれてありがとう」
薄汚れた男は、元気になった白猫を指で撫でながら言った。
「まだこの町にいたのね」
クレアが言うと、男は辺りを見回しながら言った。
「それはこっちの台詞だ。賞金首がなぜわざわざ戻って来たんだ?」
クレアは男に事情を説明した。
町の猫たちにエサを与える約束をして、白猫は新しい野草を首に巻き、夜の闇に消えて行った。
☆
リンナ公国の西端バルリナと対極に位置する東端ソマリナの南東に、二人の姉弟がいた。
姉はリリー、十歳。弟はスー、七歳。
二年ほど前に、この修道院に移り住んだ。
当初は優しかった姉と離れ、淋しい思いをしたが、ここは規律正しく、学びや遊びものびのびと出来て、毎日が充実していた。
ミリア教の教義は全世界の人を幸せにすると信じている。
より多くの人にこの教えを広めようと、姉弟は一緒に切磋琢磨の日々を過ごしていた。
リリーとスーは、いつものように夜の御祈りをした後、部屋に入って並んでベッドに寝転んだ。
「スー、明日はちゃんと起きなさいよ」
「お姉ちゃんこそ寝坊しないでよ」
「じゃあ、早く起きたほうが起こす事。わかったわね」
リリーがスーを見ると、もう寝息を立てていた。
「ほんとにもう……」
突然部屋のドアが開き、黒い覆面の大人たちが入って来た。
「ひっ!」
リリーは驚きと恐怖で声が出なかった。寝ているスーに抱きつき涙を浮かべて、泣かないように我慢した。
◇
白猫のネットワークによってアドネルの居場所を突き止めた私たちは、妹弟がソマリナ南東の修道院に軟禁されている事を聞き出した。
アドネルを間諜たちに任せ、ジェリの運転する馬車を走らせ急いで目的地へ向かった。
◎
ソマリナとセントラル、二人の司教の対立は、権威の争奪戦へ方向を変えていた。
殺し合いをしても後々禍根を残す。公爵家の人質を取り込んだ方が、人心を掌握出来る事は目に見えて明らかだった。
人質は黒幕のお膝元ソマリナにいた。ソマリナの司教ゴーツはその事を知らなかったので、黒幕の亡き後、警備が手薄になっていた。
先に情報を手に入れていたセントラルの司教が部隊を放ち、リリーとスーの二人を今まさに連れ去ろうとしていた。
「二人とも大人しくしていれば怖い事はしない。黙ってついて来るんだ」
幼い二人は暴れないように目隠しと両手を縛られ、黒い覆面の大人たちに連れ出された。停めていた馬車に二人を乗せようとした時、目の前にボロボロの馬車が砂煙をあげて急停車した。
◇
黒い覆面の大人たちは慌てて人質を馬車の中へ放り込み、武器を手に取った。一人は御者席に乗り、二人は剣を片手に私とエレナに対峙した。
「エレナ、二人同時に相手出来る?」
「殺ってもいいの?」
「もちろんよ。私はジェリと馬車を追うわ、また後でね」
◆
クレアはジェリの馬車に乗って走り去った。あたしはアジトで選んだ軽くて少し長めの刀を鞘から抜いた。片刃で細く、少し反りがあった。すっと引くだけで切れそうだ。
刃の軌道をイメージしながら、黒い覆面の大人たちを眺めた。
「お前が殺人鬼のエレナか。随分と風貌が違うが……手加減はしないぞ」
もう一人があたしの背後に回った。二人同時に挟み撃ちにするつもりだ。
でもそれが自滅を呼ぶ。息を合わせるため、二人に一瞬の隙が出来る。
あたしは屈んで刀を水平に寝かした。二人が踏み込んだ瞬間、斜め上に半円を描いて刀を振り抜いた。一人は胴体が斜めにずれ、もう一人は首が吹き飛んだ。
「フフフ。かかって来る敵の方がスリルがあって楽しいわ」
◇
朝日が昇り始めた。闇が徐々に明け周囲はまだ青白いが、眩しい光が私を照らした。
人質を乗せた豪華な馬車とジェリのボロ馬車が、砂煙を上げながら横に並んだ。
「*バルクメス*ステート***」
私が呪文を唱えると、黒い覆面をした御者は砂になって服と一緒に吹き飛んでいった。
御者を失った馬車の馬たちは、徐々に速度を落としていく。私は御者席に飛び移って馬車を止めた。
ジェリは馬車を降り、急いで妹弟の目隠しと縄を解いた。
「リリー閣下、スー閣下、御無事でよかった!」
終始無表情だったジェリが、涙を流して二人を抱きしめていた。
☆
人質を取り戻したリンナ公爵は、妹弟を連れて王都へ向かい、過去二年に及ぶリンナ公国における委任統治の現状を国王に報告した。
話を聞いた国王は、ミリア教団に対する怒りが収まらなかったが、国民のほとんどが信者であり、改宗は不可能だという事も理解していた。
一先ず王都から調査団を派遣し、狼藉者の検挙と政教分離、強引な御布施の強要禁止など、思いつく悪弊の除去を早急に進めるよう指示を出した。
◇
私とエレナは特例で指名手配が解除された。この国の勢力圏内で面倒事を起こさない事が条件だけど。国王の配慮で入国したパルミー公国も王国の勢力圏内なので安全は保障されているが、私たちはそんな縛りは気にしない。
「エレナ。次は【ロゼルティ】の伝授書よ。必ず手に入れてみせるわ」