1
悠仁とベリアルと別れたミカエルは、公安本部に戻って来た。当初の予定通りバチカン市国へ行き、そこから天界へ戻るつもりだったが、ベリアルと別れた直後に機捜班の部下が迎えに来たおかげで、予定よりも早く帰還した。人間界と繋がる出入口の封鎖を知ったラグエルが密かに一ヶ所だけ道を開けてくれて、そこから帰ることができたのだ。
ラグエルから報告もあるようなので、今は一度、司令室に腰を落ち着けていた。
「予定より早く戻って来られたのは、ラグエルのおかげだ。だが何故、出入口の操作ができたんだ。まさか、アブディエルが手を貸してくれた訳でもないだろう」
天界と人間界を繋ぐ出入口の開閉許可は、統御議会議長にしか権限を与えられていない。議事堂への潜入調査もしていなかったラグエルだが、どうやってそれを可能にしたのか疑問に思い聞いた。
「実は先日、七大天使が議会に召集されたので、僕も行ったんです。その理由なんですが、」
「人間界に降り、計画の阻止をしようとする邪魔者を足止めせよ。とでも命令されたか?」
ミカエルは、ラグエルが淹れてくれたハーブティーを啜った。言い当てられたラグエルは、いささか驚いた顔をする。
「その通りです。何故それをご存知で?」
「さっき人間界で、その面子と顔を合わせて来たばかりだ」
「そうなのですか。ですが、ミカエル様が人間界に降りたのは、とある人間の護衛の為ですよね。狙われる理由はない筈です」
「そうだったんだが、護衛していた途中で思いがけず議会の計画阻止の任務が増えたんだ。その矢先に襲われた」
「それは災難でしたね」
「相手をする暇はなかったから、同盟の堕天使たちに対処は任せたけどな……と言うことは、お前は任務に行かずに方法を探ったのか」
ラグエルによると、出入口の封鎖を一時的に解除できる鍵があるらしい。
七大天使が降ろされる時、アブディエルから鍵を預かったメルキゼデクは、モニュメントに埋め込まれている操作盤にそれを挿して出入口を開けていた。ラグエルはメルキゼデクの服のポケットから鍵をこっそり抜き取ると、仲間と一緒に降りずに残り、見ていた手順で操作し出入口を開けたのだ。
「何だか手口がスリみたいだな」
「それは言わないで下さい。僕も本当は嫌だったんですから」
機密捜査班はその名の通り、天界上層部に極秘に潜入して捜査にあたる。以前ミカエルが議会の特別顧問になったように、周囲を欺いて任務にあたることが殆どだ。必要があれば、鍵がかかった部屋に入ることもある。だから所属した者には、欺瞞という演技力や、手を使ったテクニックが嫌でも身に付いてしまうという特典があとから付いてくるのだ。
「それで。オレがいない間、議会はどうだった?」
「以前から製作していた装置は、完成したようです。それから、拡張したナハロフト・ベラハの整備も念入りに行っていました」
今回の計画が始動したと同時に、その装置は造られ始めた。人間の魂を神の元へ通す前に、最後に“検疫”する為のものだ。
「そうか。準備は万端という訳だな」
「ミカエル様。僕には、あの装置が悍ましいものに見えてなりません。議会は何をするつもりなのでしょう」
「ラグエル。お前はいい感覚を持っているな。その通り、あれは悍ましいことをする為のものだ」
「ナハロフト・ベラハの拡張。ベラハに繋がっている装置……つまり、人間界に何かが起こる」
「そうだ。議会の計画は、人間界の再構築。計画を阻止しなければ、装置が稼働し、全ての人間の魂が生死の関係なくアラボトへ行くことになる」
狂った議会の画策を忌わしく思うラグエルは、表情を歪めた。公安部職員の立場関係なしに、議会の所業は一人の天使として絶対に許せはしない。
「ミカエル様は、計画を阻止するおつもりなのですよね?」
「ああ。人間代表の意志も確認している。だが……」
ミカエルは考える。機捜班が集めた情報だけでも検挙できるだろうが、それよりも確実で手っ取り早い方法を取るべきだろうかと。
自分や部下を信じていない訳ではない。しかし、これまでアブディエルには上手く言い逃れをされてしまっている。証拠を突きつけても、真っ当らしく聞こえる適当な理由で、また網をするりと抜けられてしまうかもしれない。しかも、大命の為という正当な理由が最後の大きな壁となる。その壁の突破と逼迫した状況を踏まえると、失った光を復活させた方が最短のように思えた。
ミカエルはラグエルと共に、公安本部の別館に来た。木々の間から覗く木漏れ日が窓から注がれ、忙しなく往来する人影は全くなく、静かな廊下は二人の足音以外しない。不思議なくらい誰とも擦れ違わないのは、特定の理由がなければ来ることもないので、本館などと比べれば極めて人影は少ないのだ。
二人が来たのは、罪に問われた犯罪者を聴取・拘留する棟。拘束されて来た者が入る牢屋や聴取する部屋、職員が常駐する管理室等がある。しかしここ数百年、牢屋が埋まるまでには至っていない。
アブディエルの力で統制され始めてからは犯罪者の数が減少傾向になり、現在はそんなに使われていなかった。それもその筈。今の天界は、アブディエル派の者が大半だからだ。統治者を支持する者の中に、反発する者はほぼいない。だから使用することが殆どなくなり、人員削減で人事異動があるなどして余計に人影も少なくなった。
地下牢への入口に到着すると、ラグエルを人払い要員として残し、ミカエルは片手に炎の明かりを灯して地下牢へ続く階段を降りた。十段も下れば射し込む木漏れ日は薄くなり、その倍を降りれば手元の灯りがなければ足元が見えなくなりそうだった。
一階分を降りて平坦な場所に着くと、ミカエルは炎を消した。等間隔にある天井の小窓からささやかに射し込む外光で、地下牢は多少困る程度の薄暗さだった。
そんな地中の空間には、片側に八つの牢屋が並んでいる。ミカエルは手前から三つ目の牢屋の前まで歩き、立ち止まった。
「安心した。ちゃんと大人しくしててくれたんだな」
ミカエルは、心許ない蝋燭の火が灯る牢屋の中の暗闇に話しかけた。そこには、かつて煌々と輝いていた天界の光が沈黙していた。枷で繋がれてはいないが、昔のような輝きは見る影もない。
「私を捕まえておいて、一体何処へ行っていたんだ?」
「任務で人間界へ行っていた。とある人間をアブディエルから守る為にな」
「人間の護衛とは、天界史上始めてじゃないか。だが、そんな特殊な任務は、誰かの命令という訳ではないんだろう?」
「オレが独自で判断した」
「いいのかい?公安部最高責任者の君でも、人間に介入したら罰せられるのに」
「それを覚悟で動いていない。と言うか、罰を受けるべきはアブディエルの方だろ。天使にあるまじき所業は、正常な思考を持った奴から見れば即極刑処分ものだ」
その文脈から察したルシファーは、瞳をミカエルに向けた。
「……計画を知ったのか」
「お前が人間だった時に使っていた、PCとやらに書いてあった」
「どうやってそれを」
「お前の家にあったんだから、方法は一つしかないだろ」
「もしかして……悠仁が?」
「お前が残した本当のメッセージに気づいて、一生懸命あの短文を解いてくれたよ。その所為でアブディエルに狙われたんだけどな」
「そうか……悠仁が……」
自分が残したものが危機を知らせるべき相手に───望んだ者にちゃんと届いたことに、ルシファーの口元は安堵した様子を覗かせた。
「オレも一緒に考えたけど、だいぶ凝った問題だったよ」
「議会にPCが見つかっても、証拠が見つからないようにしたかったから」
「それでもあいつ、本当に頑張ってたよ。お前の意志を無駄にしない為に、危険な目に遭ってもやり遂げようとしていた。本当は、色々考えてここに連れて来るつもりだったんだが、諦めるしかなかった」
「悠仁に何かあったのか?」
案ずるルシファーは聞いた。危険な目とは、アブディエルに何かされたのだろうか。怪我をして動くことができないのだろうかと。
遭遇した出来事を想起するミカエルは、疎ましい思いを滲ませて口にする。
「……オレたちは、爆破テロに遭った」
ルシファーは表情に驚愕を浮かばせた。
「議会の計画阻止を決めたあとだった。オレたちの目の前で大爆発が起きて、大勢の人間が犠牲になった」
それは、ルシファーにとっても想定外のことだった。悠仁がそんな出来事に遭遇するなんて、微塵も考えなかった。
「……ルシファー。人間界は変わったよ。変わってしまった。それを目の当たりにしたユージンは、急激に変わった世界に耐えられなかった。自分が選択した未来に、押し潰されたんだ」
「………」
私は………。
ルシファーは予想もしていなかったことに言葉を失い、動揺を隠せなかった。
「それで……悠仁は?」
「あいつは……」
そこに、階段を下る幾つかの靴音が反響して聞こえてきた。足音からして、恐らくラグエルではない。同盟を組んだ仲間でもなさそうだと、ミカエルは直感的に察知し警戒する。




