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夏樹にも居候を断られた悠仁は帰る勇気もなく、苦渋の選択でネットカフェに泊まった。夏樹はイタズラだと言っていたが、電話口からでも伝わった威圧感は本物だった確信があり、恐怖心がどうしても拭えなかった。一体誰で何の目的かはわからないが、ここには人が多くいるし、万が一何かあっても店員が対応してくれる筈なので安心できた。
それに、金銭で寝床を確保することにはなってしまったが、友達に世話にならなくて良かったのかもしれないと思った。もしも脅迫電話が事件の発端となる出来事だとしたら、巻き込んで迷惑をかけてしまう。友情が壊れてしまうより、よく出入りしている夏目漱石を手放す方が諦めがつく。悠仁はバイトを頑張る決意をした。
一畳程のスペースで箱に詰められた気分になりながら寝転がり、どのくらいシフトを増やせるかと考えようとした悠仁だが、それよりも、引っ越すべきかと思った。この前、机の抽斗から見つけた真人名義の通帳にはまだ残額があったが、あの部屋の家賃は学生の悠仁ではこの先払っていけない。何より広過ぎる。家主がいなくなり居候の手には余るので、いい機会だと思った。
ルシファーが残したものがわかったら、それが退去の時となるのだろう。だとしたら、これが彼との最後の思い出作りになる。
この日は、西五号館前のベンチでPCと顔を合わせていた。今日はまだ夏樹を見ていない。連絡手段を携帯していない彼が自分を見つけてくれるのを待ちながら、悠仁は答えのヒントを考えていた。
ヒントが全然わからない。共通点を探そうにも、まとまりがあるようでないんだよな……答えが違うのかな。もう少しわかりやすい問題を残しといてくれよー。
しかし、行き詰まったからと言って放り出すつもりは毛頭ない。何が何でも、圧縮ファイルを開けるまで諦めないと決めている。自分にはその内容を知る義務があると感じる悠仁は、眉頭を寄せて唸り続ける。
すると突然、背後から声をかけられた。
「一人で何をしている?」
威圧感に似た気配に驚いて、悠仁は勢いよく振り向いた。仏頂面で悠仁を見下ろしていたのは、近頃悠仁によく視線を送っている榊原准教授だった。
「榊原、准教授……」
あれから榊原の授業はことさら意識して集中している筈だったが、彼は行為をやめる様子がない。ストーカー化したと思っている悠仁は、先日の脅迫電話のこともあって危険には敏感になっていた。
「それは、君のPCか?何を見ている?」
「これは別に。ただの謎解きです」
榊原は腰を曲げ、断りもなくPC画面を覗いてくるので、悠仁はパタリと閉じた。初めて榊原に話しかけられたが、彼の持つ何とも言えない雰囲気に圧される感覚を覚えた。
ストーカー独特の雰囲気なのか?何もしてこないよな……やばそうだったら速攻逃げて、警備員に対処してもらおう。
「謎解きとは何だ?」
「暗号文とかに隠された答えを探すんです。面白くて、今流行ってるんですよ」
「そうなのか。全く知らなかった」
淡々としゃべる榊原の感情は読めなかった。声の抑揚もあまりなく、端正な顔立ちが相俟って、人形と会話をしていると錯覚してしまいそうになる。ただ何処かで───授業以外でも聞いたことがある声のような気がした。
「それは、君が考えた問題なのか?」
「いいえ。知り合いが、考えたやつです」
「知り合いとは?」
「知り合いは、知り合いです……て言うか。あの。何かご用件でも?」
空気に堪えられなくなった悠仁は、我慢ができなくなって切り出した。用事があるなら早くすませ、ないなら今すぐ何処かへ行ってほしかった。このままでは、恐怖の勢いで遁走してしまいそうだ。
「なければこんな所にはいない」
まさか、何かするつもりで……!?
悠仁の心拍数が上昇する。
「君は近頃、危険な遊びをしているな」
「危険な遊び、ですか?」
悠仁は怪訝そうにする。榊原は違法薬物の使用や、身分を偽って金銭を騙し取る詐欺行為を言っているのだろうか。一体何処からそんな話を仕入れて来たのか知らないが、悠仁は生まれてこの方手を汚すような遊びをしたことはない。手を汚した経験は、幼少時の泥遊びくらいだ。
榊原は何か勘違いをしている。しかし“シロ”の悠仁を確信を持って疑い続け、単調に問い質してくる。
「とぼけなくてもいい。ちゃんと意識してやっているではないか。私は知っているぞ」
「何か勘違いしてませんか。俺、犯罪に関わったりなんてしてないですよ。何なんですか、危険な遊びって」
「これだ」
榊原は徐に白くて長い人差し指を出し、悠仁のPCを指した。
彼はこれを────この中のメモが何なのかを知っている。
悠仁はストーカーとは違う危険を感知し、咄嗟にPCを抱えて榊原と距離を取った。
「今すぐそれをやめろ。でなければ、こちらも手段は選ばない」
まるで映画の悪役が言いそうな台詞を言い放ちながら、榊原はジャケットの懐───腰の辺りに手を入れた。するとそこから何かの取っ手が引き出され、そのあとには銀色の細長い棒状のものが現れ、悠仁に向けられた。
榊原が構えたそれは、本物のサーベルだった。悠仁は目を見開き、背筋が凍るのを感じた。
けれどおかしい。この時代に剣を持っている筈がない。一般人が真剣などの危険物を無許可で持ち歩いていれば、銃刀法違反と犯罪容疑で容赦なく逮捕されてしまう。しかし榊原は、公衆の面前で堂々と剣を晒した。帯刀していなかったのに、何もないところから出した。
この男は、法律など微塵も気にしていない。気にする必要がないのだ。
周りを歩く学生の一人が異変に気付くと、二人、三人と数珠繋ぎに連鎖反応し、数秒で周囲がざわつき始めた。
「やめろって、何でですか」
「一度忠告したぞ。それとも、他の人間と同様に愚かな判断しかできないのか?スガハラ ユージン」
「忠告?……あっ。まさか、あの電話…!?」
悠仁は思い出した。そして、あの脅迫電話の声と榊原の声が合致した。
榊原からの本気の脅迫に、悠仁は当惑する。授業を聞いていなかったことに対する恨みなら、短気の度を飛び越えてサイコパスだと思えるが、それ以外は記憶の何処を掘り返しても、榊原から脅される覚えは一ミクロンも思い当たらない。
この状況は完全に理解できないが、逃げた方がいいのは十全にわかっている。ところが、生の鋭い刃物を向けられて悠仁の足は竦んでしまっていた。早く騒ぎに気付いて警備員が来てくれないかと願うが、これでは警察でないと手に負えない。
非日常的な光景を前に、周りの学生たちはスマホをかざすか弄っているのが大抵で、警察に通報してくれているのは数人くらいだった。中にはストリートパフォーマンスだと思っている者もいる。幼稚園のおゆうぎ会で演じた村人C以外、悠仁に演劇の経験はない。
「私の忠告が聞けないと言うのなら、強硬手段に出るまでだ」
無防備の人間相手にサーベルを構える榊原。今にも襲いかかろうとしている榊原を前に、悠仁は逃げ倦ねる。
すると突然、空気中の所々で何かが電球のようにチカチカし始める。それは小さな火になると集まって炎となり、榊原に襲いかかった。人が炎に囲まれる瞬間を目撃した周囲は悲鳴やら何やらで大騒ぎになり、悠仁も何がなんだかわからないまま現場が攪乱される。
「逃げるぞ!」
かと思えば今度は誰かに腕を掴まれて、思い切り身体が引っ張られた。
「なっ、夏樹!?」
夏樹に引っ張られるがまま悠仁は走った。二人はそのまま、大混乱の大学から脱出した。




