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熾天使ルシファー。全天使の中で最も神の寵愛を受け、生まれながらにして用意されていた確固たる地位に君臨し続けている全天使の長。天界の中枢機関・統御議会の議長を務め、神から賜る大命の為に行動し、日々天界や人間界のことを考え続けている。しかし威厳や権力を振りかざすことはなく、位階関係なく皆に平等に接する姿勢はほぼ全ての天使から敬愛を集める。とても高尚な存在だ。
そんなルシファーの勤仕になりたいという夢は、中級・下級天使の誰もが願ってやまない。ルシファーの勤仕は、憧れの職務ランキング永遠のNo.1だ。なりたくても簡単になれない職務なのだから、職員が疑いたくなるのも納得だった。
書状が受理され、役所からルシファー側に、新しい勤仕が紹介されている知らせを届ける為に伝書鳥が飛ばされた。暫くして代わりの者が迎えに行くと返事が来たので、ハビエルは役所の前で待つことになった。
ルシファーには既に、勤仕が一人付いている。基本は一人いれば大体手は回るのだが、統御議会議長のルシファーならもう一人いた方がつつがなく日々の職務が捗ることだろう。
ルシファーって、真人さんのことだよな……あ。逆か。でもルシファーって、堕天使だよな。なのに天界にいる……つまりここは、ルシファーが堕天使になる前の天界なのか。
あのミステリアス天使のおかげで、ハビエルの頭はクリアな状態が保てている。おまけに天界の知識も付いていた。
待ち時間を使い、天界に来る前のことを思い返してみる。
話してた途中から記憶が途切れてるけど、「助けてほしい」って頼まれたのは覚えてる。他には確か……人間界に新たな道標が現れるとか何とか。「助けてほしい」って言ってたことと、何か関係してるのか?それともルシファーは堕天使だから、堕天するのを止めてほしいのか?
急展開に混乱しながら話は聞いていたつもりだが、会っていた時間はほんの数分で、ルシファーが残した手懸かりは僅か。ハビエルの頭には、話の一部しか記憶されていなかった。
「話、ちゃんと聞いておけばよかった。猫がしゃべった印象が強烈過ぎて、よく覚えてない。何で猫だったんだよ」
多分、ルシファーを助ける為にここに来たのはわかった。でも何をしたらいいかがわからない。何を助けるのか。それが堕天のことなのか……まぁ、成り行きでルシファーの所で働けるようになったし、取り敢えず、できることがわかるまで地道に探っていこう。
改めて自分の置かれた状況を整理したところで、ハビエルはあることに気付く。
「……ということは。俺は人間だってことを隠しながら、天使として振る舞わなきゃならないのか」
正体がバレてしまえば、大事になるのは間違いない。そうなれば、ルシファーを助けることもままならず処罰されてしまう。虚偽で天界を混乱に陥れようとしたとして詐偽罪に問われて投獄か、即刻追放か……。
とにかく、ボロが出たらおしまいだ。目的を果たすまで処分されないよう、自分は「人間の菅原悠仁」だということは忘れ、「天使ハビエル」だと思い込んで行動しなければならない。
先行きの不安から、ハビエルは重い溜め息を吐いた。
ひと足早い就活気分で緊張しながら待っていると、カツカツと地面を鳴らしながら一人の天使が近付いて来た。ハビエルの前で立ち止まると、針でも飛んで来そうな眼差しを向けた。
一言で言えば、眉目秀麗。ヒールが足された分ハビエルより背が高く、髪は鎖骨あたりまであり、斜めに切り揃えられた前髪が性格を語っている。
あからさまにツンデレっぽい……。
「君?」
「え?」
「君が紹介されて来た勤仕なのって聞いてるの」
「あ。は、はい」
何故か既に機嫌が悪そうだ。第一印象が大事だと心得ているハビエルは、面接官を前にするように答えた。迎えに来た彼は腕を抱え、品定めをするようにハビエルの足元から頭まで見る。
「あの。貴方がルシファー様の?」
「ボクはベリエル。ルシファー様の唯一の勤仕。位階は力天使」
ベリエルは“唯一の勤仕”を敢えて協調して自己紹介した。この僅かなやり取りでベリエルがどういう人物か、ハビエルは大体わかった気がする。
「俺はハビエルです」
「位階は何だっけ。権天使?」
「えーっと。はい」
名前はもらったが位階までは教えてもらっていなかったので、適当な返事になった。べリエルの眉頭がちょっと寄った。
「じゃあ付いて来て」
歩き出すベリエルの後に、ハビエルは付いて行く。
後ろ姿の雰囲気だけでも、べリエルは見目がいいとわかる。けれど、ハビエルの第一印象を裏切ることなく、今にも口を尖らせそうな口調で彼は話し始めた。
「全く。ルシファーの勤仕はボクだけで十分なのに。一体誰が君なんかを?」
「知らない人です」
「は?知らない人?」
ヒールの音がピタッと鳴り止み、ハビエルもピタッと止まった。振り向いたべリエルは、訝しむ表情をしていた。
「は、はい。見ず知らずの人が、見ず知らずのオレを紹介してくれました」
「どういうこと?紹介状は、知ってる誰かを紹介するものだよ?言ってる意味がわからないんだけど。ボクの理解力が足りないのかな」
「俺の言ってることが、おかしいんだと思います」
「まさかこの紹介状、ルシファーに近付きたいが為の偽書なんじゃ?」
ベリエルは役所からもらった紹介状のコピーを、眉根を寄せて凝視する。
確かに、何の繋がりもない者を紹介することはほぼない。身分が上の天使に紹介するのだから、その辺にいた者を適当に「この子どうですか」と紹介して実際猫の手よりも使えなかったら、紹介者の信頼が失われるだけだ。あの天使はそんなリスクを知っている筈なのに、ハビエルを紹介した。しかもルシファーに。採用される確信でもあったのだろうか。
今ベリエルが穴が空きそうなくらい見ている紹介状には、ハビエルの略歴が書いてある。しかしそれは捏造なので、追及されたら完全にアウトだ。ハビエルはドキドキする。
「役所の人にも若干疑われましたけど、偽物だったら突き返されてますよ。俺を疑うんなら、役所の人も疑って下さい」
正当な釈明をするハビエルを、ベリエルは懐疑を含めた横目で見たが。
「……ま、そうだよね。もしこれが偽造で見破れなかったなら、職務怠慢だしね」
議会の直轄機関がそんな手抜きをする訳がないと、役所の手続きを信じることにしてくれたようだ。ハビエルは密かに安堵の息を漏らした。
べリエルはヒールを鳴らして再び歩き出す。
「……あの。これから何処に?」
「ルシファーに会わせなきゃならないでしょ。今は議事堂で職務中だから、居館に案内するよ」
そう説明しながら、ベリエルの足は広過ぎるエレベーターホールの方へと向かっている。
「何で議事堂に行かないんですか?議事堂にいらっしゃるなら、そっちに行った方が早いんじゃ」
当たり前の疑問に、ベリエルは歩きながら答える。
「勤仕はただのお手伝いだから、議事堂には入れないんだよ。議会は、この天界を取り仕切る機関だからね。神の大命を直接聞いて使命に従事していることから、“神の代弁者・代理人”とも言われてる。だから、威厳のある天使たちの、神の座に次ぐ聖域とも言える場所なんだ。神の大命から生まれる会話の内容は、公式以外で口外されてはならない。もしもの場合は、情報漏洩とみなされて罰せられる。だから、議会に属した官職以外は立ち入りを禁じられてるんだよ」
一般は事務所までは入れるけどね、とべリエルは最後に付け足した。
天使を生み出した神は彼らにとって敬崇する対象であり、姿を拝謁するのは勿論、その声すら耳にすることも畏れ多いとされている。神が存在すること自体に有り難みを感じるが故、その存在価値を下げない為の決まりだ。
「そんなに特別な場所なんですね」
二人はエレベーターホールの門を潜り、居住区に繋がる反対側の出入口から木々に囲まれた回廊のような石畳の道を進む。