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オルネフォルの軌跡【改稿版】  作者: はづき愛依
箱の園 Ⅴ
58/110

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 その後。ルシファー堕天の一報が、天界中に広がった。それは予想通り、大変な混乱を招いた。「あのルシファー様が」「あの方が大罪を犯すなどあり得ない」と、彼を敬愛する者たちは声を揃えて現実を否定しようとした。経緯の説明を求める者も多くいたが、更なる混乱を避ける為だとして議会は公表しなかった。

 その後間もなくして、議事堂前に数え切れない程の天使たちが堕天を望んで殺到した。ルシファー以外が治める議会に不満を抱いていた彼らは、程なく堕天した。議会と裁判所は「反乱分子の早期排除」と公表したが、実の理由は、堕天を望んだ者たち全員がルシファー派の者であることだった。しかし、この“後追い堕天”を許した結果、天使の数は全体の半数以下に減少するという前代未聞の結末を迎えた。


 ルシファーの堕天、更に後追い堕天が重なり、その影響で天界は長く混乱の中を彷徨った。その混乱を、カリスマと言える存在の代わりに誰がまとめたかと言えば、それは明言するまでもない。しかし、混乱が収まるまで大命の遂行は困難だった為、善人と悪人の系譜の把握は、事態が収束するまで一時停止となった。






 それから月日は流れた。天界にアブディエルという新たな柱が立てられ、天使たちは以前通りの日々を送っていた。あの大混乱は、天界が始まって以来の大事件として、それぞれの記憶に刻まれていた。


 天界最上層アラボト。サンダルフォンは、今日もメタトロンに会いに来た。しかしその面持ちは、少し鬱々としているようだ。

 小川にかかった橋を渡り、座れそうな石に腰を下ろすと、カーテンの向こうにいるメタトロンに話しかけた。


「最近の調子はどう?」

「調子か………すこぶるいいとは言えないな」


 メタトロンの声音にも、いつもの覇気が感じられない。彼も元気がないようだった。


「わたしも。メルキゼデクもそうらしいよ」

「あいつもか」

「人間界のことを聞くと、胸が苦しくなる。人間のことを念頭に置かなきゃならないのに、目を瞑って耳を塞ぎたくなる」

「私も同じだ」

「メタトロンは、神の側にずっといるんでしょ。神は君の様子を見て、何かご配慮をして下さっているの?」

「配慮はして下さっている。気力を失っていることに気付くと、慈悲を向けてくれる。だが、それだけだ」

「そっか……」


 少し期待をしてしまったサンダルフォンは、残念そうに目を伏せた。自分と同じように抑うつ状態のメタトロンでさえ、側用人なのに慈悲しかもらえていない。それで十分な筈なのに、欲張る二人は救われたかった。


「ねえメタトロン。ルシファー様がいなくなってから、天界の空気が昔と違うと思わない?わたしは、何だか息苦しく感じるよ」

「ああ。すっかりアブディエルの色になった感じだな」

「やっぱりさ。あの時、ルシファー様に知らせるべきだったんだよ。アブディエル様の企みを知っていたのは、外ではわたしたちだけだったんだから。アブディエル様の行動を神が目を瞑って手放しにしていたとしても、ルシファー様が天界の柱だったんだから」

「だが、ルシファーが罪を受け入れたのが事実だ。かつての柱はもういない。私たちはその事実を受け入れたから、空気も変わったのだ。何を望もうが、今更過去には戻れない」

「戻れない……」


 環境は時として、前触れもなく唐突に変化する。しかし、天界は彼らの唯一の居場所だ。環境がどんな変化をしたとしても、ここにいるしかない。今の環境を拒むことは、堕天と神への裏切りを意味する。()()()()()()()()()()二人は、絶対に禁忌を犯せない。

 サンダルフォンは、項垂れるように顔を伏せる。


「メタトロン。わたしは不安だよ。この先の未来を想像するのが怖い。明日すら恐ろしい」

「仕方がない。私たちは、私たちが望んだからここにいるんだ。サンダルフォンはそうじゃないのか」

「…………そうだよ。でもこのままじゃ、自分がどうにかなってしまいそう!」


 サンダルフォンは両手で顔を覆った。目の前を真っ暗にし、何も見えなくなるのを、無知になるのを望むように。メタトロンも友をどうにか支えてやりたいが、神の側にいるというだけでその辺の天使と大差はない。


「ねえメタトロン。そっち側に神はいらっしゃるんでしょ?」

「ああ。玉座におられ、天界と人間界をご覧になり、我々の声を聞いていらっしゃる」

「そしたら、今話していることも丸聞こえなんだよね。こんな話をしているわたしたちに、がっかりしていらっしゃるんじゃないかな」

「そんなことはない」

「ううん。絶対そうだよ。きっと幻滅していらっしゃるに違いないよ」

「サンダルフォン……」

「望んでお側にいるのに、その期待に応えられない……ああ。どうしてこうなってしまったんだろう。期待には応えられないし、心が死にそうだよ……」

「しっかりしろ。サンダルフォン」


 メタトロンよりも、サンダルフォンの方が参っている様子だった。メタトロンは友を支えようと努める。しかし、同じ状況のメタトロンだけが軽症ですんでいる訳でもない。もはや慈悲という薬だけでは、効かなくなってきている。


「ねえ、メタトロン。わたしたちがいる意味ってあるのかな。辛いし苦しいし、もういっそのこと……」

「サンダルフォン。マイナスな思念はどつぼに嵌まるだけだ」

「でもこの先どうしたら!?」

「お前がいる場所は、枯れた井戸ではない。心安らぐ豊かな大地だ。我々を育んだ大地は、我々を裏切らない。永遠に守ってくれる」


 神の側用人という特別な職務に就いているだけで、一言で友を救えるような力はメタトロンにはない。そんな力があれば、とっくに自分のことを救っている。しかしそんな無力な言葉でも、唯一の友の言葉はサンダルフォンの心に少しの力を授けた。


「………これから、意味を見つけられるかな」

「見つけられる。今は辛いかもしれないが、私たちもいるのだ。共に頑張ろうではないか」


 離れていても、触れられなくても、二人は手を差し伸べ合った。

 二人は救われたかった。これからも続く日々を照らす、希望がほしかった。




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