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議会はルシファーを陥れる為に、公安部機捜班はルシファーを守る為に、それぞれが対極の目的で動いていた。大半の天使がそれを知らず、絶対的存在が天界から消えようとしていることすら知る由もない。ハビエルはできることなら、その大半の中に入りたかっただろう。
あのあとから、ハビエルは一度もルシファーを説得していない。意志が固いルシファーにもう何を言ったらいいのかわからず、ほぼ諦めてしまっていた。話し合いの場でも、ウェイターのごとくお茶を出すか石仏のように話を聞いているだけで、ルシファーたちが着々と終着点へ向かっているのを指を咥えることもなくただただ見ているだけだ。
何の為にここにいるのだろう。そう自問するだけの時間を、無為に過ごしていた。
そんなハビエルはある日、ラジエルに書状を届けてほしいとルシファーからお使いを頼まれた。大事な書状らしく、ラジエルに直接渡してほしいと言われた。恐らく、調査中の件に関することが書いてあるとわかっている。頼まれた時、気が進まない心持ちでハビエルは書状を受け取った。
ラジエルには予め、書状を届けに行くという予告をルシファーが送っているので、待ち合わせ場所のゼブルの入口の門の前で受け渡しをすることになっている。ハビエルは透明エレベーターに乗り、役所に行った時以来のゼブルへと向かった。
ハビエルは予定通りゼブルでラジエルと落ち合い、柱の影に隠れて書状を渡した。ラジエルは、受け取った書状を外衣の中に忍び込ませた。
「わざわざありがとう。いつものように、伝書鳥を使って下さればよかったのに」
「そうですよね。何で今日は手渡しなのかは、聞いてないんですけど」
「そう」
議員の自分との間で伝書鳥を往復させる行為を控えたんだろう、とラジエルは言い続けようとしたが、相槌を簡潔にし、ハビエルの顔を見つめた。
「……ねえ。大丈夫?」
「え?」
「何だか落ち込んでるみたいだから」
「いいえ。何でもありません」
心配するラジエルに、ハビエルは空元気にして見せる。心の内や自分のことを全て曝け出してしまいたいが、そういう訳にもいかない。ハビエルの周りには仲間はいるが、誰もいない。だから辛かった。
「ルシファー様は、まだ探っていらっしゃるの?」
「はい。やめた方がいいと何度か言ったんですが、聞いてもらえなかったです」
「そうか。君は、ルシファー様の身を案じているのか。あの方はしっかりと芯をお持ちなのは、オレも知っている。きっとルシファー様の意志は、既に固まっていらっしゃるんだろう。でも、まだ引き返せる。諦めないで」
「……そうですね」
ハビエルは落ち込みながら、無理に笑顔を作った。
ラジエルは、ハビエルの胸中を察して励ました。しかしラジエルは、アブディエルが画策していることを知らない。ルシファーが既に、天界を去る決意をしていることを知らない。
ラジエルはルシファーを支持している。ならばいっそのこと、現実に起きていること全てを包み隠さずに伝え、一緒にルシファーを助けてほしいと頼みたい。けれど、ハビエルの良心が巻き込むなと厳重注意する。
元々いる筈のなかったハビエルは、ここではイレギュラーな存在だ。その彼が必要以上の行動をすれば、天界は必ずその影響を受ける。今、理性を無視した行動を起こせば、ルシファー堕天に相当する影響は否めない。
「あ。そうだ。ルシファー様に伝えてほしいことがある。昨日から、公安部が忙しなくしているようなんだ」
「公安部が?」
「部署はわからないんだけど、何かあったのかも。もしかしたら、訓練をしているだけなのかもしれないんだけど。ただ、アブディエル様と公安部が、頻繁に書状のやり取りをしてるらしい」
アブディエルが公安部と……?
「それっていつから?」
「最近じゃないかな。議会から何かしらの指示があったのかもしれないけど、オレでは何もわからなかった。調べてることに関係するかはわからないけど、一応教えておこうと思って」
「ありがとうございます。ルシファー様に伝えておきます」
接触を短時間に抑える為に手短に用件をすませ、ラジエルと別れた。お使いが終わったハビエルは再びエレベーターに乗り、下層に下りる。
公安部が動いてる。アブディエルから何か指示があったのか?そんな。まさかもう!?……思い過ごしかもしれないけど、早くルシファーに言わないと!
逸る気持ちを抑えながら、ハビエルは別邸に戻った。
戻る途中、別邸に向かう道に多くの者が一方を向いて立ち止まっていた。マコノムで休暇を取っていた者たちのようだが、何やら騒ぎになっている。
重なる人影のその数十メートル先は、敷地を仕切る門がある。野次馬のささめきごとに紛れて、ざわりと嫌な予感が過る。
ハビエルは状況を知ろうと、人影の隙間をうまく覗いて前方の様子を見た。別邸の門前に、数人の覆面が立っている。それは、誰も近付かないよう見張りをする公安部の職員だった。
まさか……!?
嫌な予感が的中したハビエルは、野次馬を掻き分けて前に進んだ。しかし先頭に出られても、見張りの公安職員に止められてその先に進めない。
別邸は目の前だった。建物の扉の前にも職員が二人立ち、物々しい雰囲気だった。恐らく中にも立ち入っているが、外からは中の様子がわからない。ルシファーたちはどうなっているのか、べリエルは暴言を吐いて暴れていないだろうかと、居ても立ってもいられなくなりそうになる。
案じながら様子を窺っていると、扉が開いた。野次馬の中の誰かが「出て来るぞ」と言うと、一気に視線が集まった。
まず、公安職員が数名出て来た。そのあとに、手錠で拘束されたルシファー、ベリエル、ベレティエルが出て来た。
ルシファー!
ハビエルは衝動で駆け出そうとしたが、後ろから誰かに腕を掴まれた。振り向くと、それはアスタロトだった。
「キミは、ダメ」
「でも!ルシファー様が!」
「ダメ。キミは、希望の人。だから、ダメ」
アスタロトはいつものボケッとした面持ちではなく、心なしか真剣な表情で制止した。糸を張ったような彼の様子を察し、わからざるを得ない状況を苦い思いで飲んだハビエルは思い留まった。
拘束された三人それぞれに、抵抗する様子はない。周りの者たちは、ルシファーの手首に嵌められた手錠を見てざわつきを抑えられない。
門が開き、ルシファーたちが出て来た。群がっていた野次馬は、公安職員の一声で道を開けた。ハビエルは無理やり踏み出しそうな両足を地面に貼り付け、無理やり野次馬の一人になりすました。
冷たく重いものに繋がれた三人が、ハビエルの前を通り過ぎる。その時、ルシファーが野次馬に紛れたハビエルの姿に気付いた。ハビエルも目が合ったと思うと、ルシファーが薄っすら微笑んだように見えた。
「……っ」
叫びそうになったが、やはり思い留まるしかなかった。ハビエルには、三人を助け出す術はない。アスタロトの制止を振り解いて飛び出しても、何の意味もない。懸命に繰り返しそう自分に言い聞かせた。
三人が連行されて行く。同情、悲しみ、無関心、嫌悪、嘲りの中を見せしめのように引かれて歩く。
ハビエルは、ひたすら無情を浴びる。そして自分の無力さに、両手を強く握り締めた。




