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「アブディエル。役所から、渡した書類のサインはまだなのかと催促されてるようだぞ」
議長執務室に訪れるやいなや、ミカエルは役所からのクレームをアブディエルに言った。雑談をしていた事務員から聞き、代わりに言ってきてやるということで、入室第一声になったのだ。
「申し訳ございません。すっかり忘れておりました」
アブディエルの机の両端には、紙の束が散乱していた。その中から役所からの書類を探し、サインをする前に内容に目を通す。
その間、ミカエルはアブディエルをじっと見ていた。その視線に気付いて、アブディエルは顔を上げる。
「……何か?」
「あ、いや。近頃、機嫌がよさそうだと思って。何かいいことでもあったのか?」
「いいえ。大したことでは」
「何だよ。どうせ、仲良しのヨフィエルは知ってるんだろ。二人だけの秘め事か?プライベートなことなら詮索はしないけど」
「秘め事はしておりませんが……」
「職務関係だったら、オレにも教えてくれよ。七大天使の肩書きを捨てて来たんだ。特別顧問はまだ大した活躍もできていないお飾りだと噂されたら、お前の評判にも影響するんじゃないか?」
ミカエルは遠回しに教えてほしいと要求しながら、サインされた書類をもらおうと手を出す。アブディエルが差し出すと受け取ったミカエルは扉を開け、廊下で待っていた事務員に渡した。事務員は礼をするとすぐに立ち去った。
「大したことではありません。大命の為に誠心誠意尽くせることに、この上ない幸福を感じているだけです」
「今度の大命はかなり長期的で大掛かりな計画なのに、随分とやる気じゃないか」
「私はどんな命でも、神の為なら苦ではありません」
「それにしては、いつもと違うじゃないか。おまけでも付いてきたのか?」
アブディエルは、ミカエルが話を誘導しようとしていることに気付く。
「……ミカエル様。何を聞きたいんです?」
「聞いたら話してくれるのか?現状ほぼお飾りの特別顧問に」
「仲間外れにしているつもりはありませんよ」
アブディエルが話す気になると、ミカエルは一人がけソファーに座った。面持ちは真剣になり、本当の用事である話を切り出した。
「では聞こう。ルシファーがこちらのことを探っていると聞いた。だがお前は、何も対処しないそうだな。何故、何もしない。邪魔をされてもいいというのか」
「邪魔をしてもらおうなど、毛頭思っておりません。ですが、ルシファー様には自由にやってもらって構いません」
余裕な態度で意に介する様子がないアブディエルに、ミカエルは眉頭を寄せる。
「……何を考えている?」
「ミカエル様もおわかりでしょう。議会に反抗することは何を意味するのか」
「ああ。だから対処しなければ……」
眉頭を寄せるミカエルの言葉が止まる。そして、アブディエルの画策にじわりじわりと気付いていく。
「……お前。まさか」
「ルシファー様には、天界を去って頂きます」
それはつまり、天界で最も威厳があり愛されるルシファーの、堕天。アブディエルの私怨は、究極のかたちへと進化していたのだ。
「何を!」
驚愕と興奮でミカエルは立ち上がった。
「そんなことになれば、天界中が混乱するぞ!どれだけの影響が出るか!」
ルシファーが堕天となれば天界全体が混乱し、彼を敬愛する多くの者たちが悲しみ嘆き、最悪後追いを始める。そうなれば、更なる混乱を招くことをミカエルは危惧する。しかしアブディエルは、それも想定した上で考えは変えないつもりだ。
「追いたいのならそうすればいい。ルシファー派が多いことは、昔から知っています。私の下が嫌だと言うのなら、好きにすればいいのです。ルシファー様やミカエル様には及びませんが、私を慕う者もいます。去る者に興味はありません」
「何てことを……それが正しいことだと思ってるのか!?」
「正しいかどうかではありません。神に従うかどうかです。それを基準に“正”か“邪”を問うのであれば、私の判断は間違いなく“正”だと断言できます」
アブディエルは毅然と言い切った。
神の代理人の議会は常に正しき存在という認識であり、どんなことでも肯定される。冷静な他人から見ておかしいと思ったとしても、議会が「正しい」と言えばそうであり、その常識が覆されることはない。
「だが、どうしてそうなる!ルシファーの堕天は天界の大きな損失だと、お前もわからない訳じゃないだろう!?」
「昔ならそう考えたでしょうね。しかし、時が流れれば価値観は変わるものです」
「アブディエル……」
「納得できないと言うのなら、ミカエル様もあの方に付いて行かれますか?私に何を言おうが、私の意志は私にしか変えられない。所詮貴方は、お飾りの特別顧問なのですから」
己の意志に一切の疑いも迷いもない統御議会議長アブディエルは、淀みない瞳と芯が通った声音で言った。
ルシファーが議会に反する行動をこのまま黙認していれば、やがてそれを謀反として罪に問えるとアブディエルは画策した。奇しくもルシファーは、アブディエルが望む方へと再び歩いていることになる。
しかし、アブディエルはルシファーの願望を知らない。ルシファーも、アブディエルの願望を知らない。けれど二人は、同じ結末に辿り着こうとしている。
まるで、両者が互いの願望を叶えようと助け合っているように。
七大天使のラグエルは、公安本部を訪れた。とある人物に呼ばれたのだ。
公安職員は外での任務の際は覆面を被るが、本部の中では皆素顔を晒している。ラグエルは擦れ違う同僚たちに挨拶をしながら、目指す場所に向かった。
そこは全く人気のない、公安内でもごく一部の者しか知らない場所にある、部署の名前が書かれていない一室。ラグエルはその部屋の扉をノックし、背筋を伸ばして中に入った。
室内には既に、同じく召集された五人が並んでおり、最後の一人だったラグエルは一番端に立った。
「所属成員の集合を確認!敬礼!」
メンバーが揃ったところで、捜査員たちは号令に合わせて正面に立つ上官に敬礼をした。
彼らは、天界公安部機密捜査班。通称、機捜班に所属する捜査員だ。
「指揮官。緊急召集とは、一体何があったのですか」
公安部の制服を纏う機捜班指揮官のミカエルは、毅然とした佇まいで部下たちに告げる。
「これから、天界始まって以来の大事件が起きる。我々はそれを阻止しなければならない」
「大事件とは」
「天使の長ルシファーに、堕天の危機が迫っている」
「ルシファー様が!?」
「そんなまさか!」
「あの方が堕天なんて!一体何故!?」
捜査員たちは堪らず喫驚する。その中で、すぐにその要因となるものの存在に察知したラグエルは、表情を強張らせる。
「……まさか」
「想像の通りだラグエル。統御議会議長アブディエルが、企図して堕とそうとしている」
「アブディエル様が!?」
「何故そんなことを……」
「理由は不明だ。だが、ルシファーが堕天となれば、天界の混乱は避けられない。この最悪の事態を何としても回避する」
天界始まって以来の大事の予告に一時は動揺した一同だが、緊迫した事態に切れた緊張を再び張り巡らせる。
「相当重大な案件ですね。今回の任務は」
「その通り、責任重大だ。故に、アブディエルに悟られてはならない」
「作戦はあるのでしょうか」
「考えてはある。任務は二班に別れ、内外から捜査を行う。そして、アブディエルがルシファーを謀反容疑で裁判を起こす前に極秘実験を暴き、画策を阻止する」
勿論ミカエルは、謀反容疑だけで堕天とは考えていない。それ以外にも、罪に問う材料を何かしら用意していると想定している。故に、裁判の判決はどうなるかわからない。できることは、現時点で手元にある情報の証拠を早急に固め、アブディエルに突き付けるしかない。
「それが第一だが、知っての通り議会は手強い。だから、万が一オレが失敗してしまった場合を想定した、多少強引な手段も考えてある。だが、飽くまでも裁判前の検挙を目的に、現任務と同時遂行する」
「了解しました。ルシファー様への密書はどう致しましょう。標的にされていることを、お伝えした方が宜しいでしょうか?」
「……いや。ルシファーはルシファーで、自分が置かれている状況を承知して対策は考えているだろう。無策で危ない橋を渡るような奴じゃない筈だ」
ルシファーならこちらから何もせずとも危機回避ができるだろうと、ミカエルは判断した。
「では。情報を整理しながら、今後の策を練るぞ」
公安部機捜班は、急遽あたることとなったルシファー堕天阻止の任務遂行へと動き出した。当事者の思惑など露知らず、正義の名のもとに己が成し得る使命だと信じて。




