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オルネフォルの軌跡【改稿版】  作者: はづき愛依
箱の園 Ⅴ
54/110

5




 マティの牢獄の責任者サンダルフォンは、間もなく禁固刑が終了する罪人を牢獄から出す許可を申請する書類を、議会に提出に来た。

 刑期が終わったからと言って、責任者の判断で罪人をすぐに牢から出すことはできない。刑期中の様子の記録と刑期終了報告書を提出し、統御議会議長・裁判長・公安部保安管理局長の三人の許可が下りなければ、罪人を出すことはできない。

 議事堂で事務員に書類を渡し、陰鬱な職場に戻ろうとして吹き抜けのエントランスで立ち止まり、見上げた。

 滅多に来ることのないゼブルの施設には、色彩豊かなステンドグラスが窓枠に嵌め込まれている。サンダルフォンの職場には、こんなカラフルなものはない。牢獄は地中深い洞窟の中にあり、永遠の夜の場所に陽光なんて入って来ない。同じ天界なのに、色彩なんてものとは縁のない場所だ。だから初めて見た時は、目を奪われる美しさに感動した。心が浄化されるような気がした。それからはここに来る度に、心に鬱積したものが消えていくのを感じてから帰っている。流石に気休め感は否めないが。

 暫く仰ぎ見ていると、後頭部の方から何人かの声が表れる。二階の会議室から、会議が終わったアブディエルたちが出て来るのが見えた。

 サンダルフォンは、グリゴリが連れ出された時の疑問を投げかける好機だと思った。ところが、階段を上がろうとしたサンダルフォンは、アブディエルとヨフィエルの側に見たことのある人物を見つけて足を止めた。


「……あれ。メルキゼデク?」


 アブディエル様の勤仕の彼が何で……。

 おかっぱ頭に三日月のような口元は、間違いなくメルキゼデクだった。通常なら議員以外は奥に入ることはできないが、どういう訳か勤仕である知り合いが議事堂内で統御議会のツートップに堂々とくっ付いている。急遽、中級位階の力天使ヴァーチュズが議会に加入したなんてことも考えられない。

 サンダルフォンは急いで階段を上り、二階の奥に消えていく三人を追った。サンダルフォンは次期議員候補なので、守秘義務付きで議事堂の奥へ入ることが特別に許されている。しかし気後れして、今まで一度も足を踏み入れたことはなかった。

 声をかけるタイミングを覗ったが、三人は小会議室に入ってしまった。迷ったサンダルフォンだが、そうそうない機会なので会議室の扉をノックしようとした。

 すると、中の話し声が漏れてくる。サンダルフォンは意図せず耳をそばだてた。


「しかし、対象とする人間を増やしたことで、人手も手間もかかりますね。協力を要請した権天使たちからは、早くも不満が出ております。気が遠くなると」

「人間かぶれが。不満を言える立場ではないだろ。ミカエル様の顔を立ててやったから任務にあたれることを、感謝してほしいな」


 アブディエルは手近な椅子に腰かける。


「過去の方は、もう判明しているんだろう?」

「はい。現在存在する善悪の王や指導者の先祖を追うと、普通の人間よりも素質が抜きん出ているようです。研究で導き出した推論を加味すると、祖先からの教えが継承されている可能性があるようです」


 ヨフィエルが途中経過をまとめた資料を手渡すと、アブディエルはざっと目を通した。メルキゼデクもごく自然に覗くと、ヨフィエルは無言で目を細める。


「成る程。遺伝思想という訳ですね」

「途中で外的要因による思想の変質などの例外が出ない限り、続いていくのでしょう。対象の選定を始めますか?」

「いや。今お前が言った通り、繁栄の途中で途絶える可能性もある。その他にも、影響されて誕生したり、途絶えたものが復活するという可能性も捨てきれない。悪を排除する為とは言え、人間の運命に手を加えるのだから、この案件は慎重に進めなければならない。もっと追っていけば、明らかに排除すべき対象が判明するだろう」


 人間の、排除……?

 サンダルフォンは思いがけなく、議会が遂行中の大命の内容を聞いてしまう。心がざわつき動悸する。


「良い人間が残れば、神や我々の心労もなくなる。そしてこの大命をやり遂げれば、その愛情を更に我々へ注いで下さる。ルシファー様も処罰できれば、私の心は快晴なのだが。そっちはどうだ」

「お喜び下さい。ラジエルに情報開示を命じて記録をひっくり返し、細部まで漁りました。多少の扮装はしていましたが、アブディエル様の推測通り、それらしき人物を確認できました」

「やはりな。あの時人間界に降りたのは、二〇一人だったということだ。ラジエルは知っていて隠していたのか?」

「本人は、何があっても記録を見せるなと圧力をかけられたと言っております。ですが、ラジエルはルシファー様を慕っている傾向があるので、協力した可能性もあります」

「なんと。にわかには信じ難い事実が浮き彫りになりましたね」

「確認できたのなら、その真偽は二の次でいい。ヤダティ・アサフに記録されていたのなら、確実な証拠になる」


 アブディエルの手元には、公安部で密かに保管されていた本物の調書があった。偽装操作が不可能なヤダティ・アサフの記録と合わせ、決め手となる証拠が手元に揃ったことになる。


「では、私の方で裁判に向けた資料を作成し、告訴の準備を調えておきます」

「頼む。ところで、ザフキエルがいないが」

「また草いじりにでも行ったのでしょう。彼がいなくても、アブディエル様を支えるのは私だけで十分です」


 近頃のザフキエルは、会議には出るものの大して発言しなくなり、二人と行動することもなくなった。会議が終われば、新婚の夫が妻の待つ新居に帰るが如く、誰よりも早く会議室を去って行く。大命着手当初はヨフィエルと協力して調査もしていたが、諸事情があると言って抜けてしまった。

 アブディエルも彼の様子の変化は感じていたが、理由を聞くでもなく、そういう心持ちの変化だとして何もしていない。去る者は追わず、もし敵になるのならそれなりの心構えでいるまでだと。


 色々と聞いてしまったサンダルフォンは、顔色を変えて足早に議事堂を出た。

 どうしよう。聞いてはいけないことを聞いてしまった……アブディエル様は、悪い人間を人間界から消そうとしてる。どういう訳かルシファー様の身も危ない。メルキゼデクも何で普通に一緒にいるの?


「……ああっ!聞かなければよかった!どうしよう!」


 サンダルフォンは、エレベーターホールで頭を抱えしゃがみ込んだ。往来する天使が、何だといぶかしんで振り向く。


「何で聞いちゃったんだわたしは!追いかけなければよかった!」


 望めば聞いたことを忘れるなんて、脳はそんな便利な機能は備えていない。しかも聞いてしまったことは、どれだけ時間が経とうが消えそうもない。知り合いが関わっているのなら尚更だ。

 一人で悩んでもどうにもならない。でもどうしたら……そうだ。取り敢えずメタトロンに……でも待って。アブディエル様がやろうとしていることは、大命なんだよね?でも、神が人間を排除させる大命なんて下すとは思えない。悪い人間だけみたいだけど、そんなこと本当に……。

 サンダルフォンは、しゃがんで頭を抱えたまま暫く考えた。行動を決められず逡巡しゅんじゅんするが、意を決したようにエレベーターに乗り、上の層に向かった。




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