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オルネフォルの軌跡【改稿版】  作者: はづき愛依
箱の園 Ⅳ
43/110

16




 自然に覆われたマコノムは、常に静かだ。大勢の天使が住んでいる訳でもなく、外から聞こえるのは鳥の囀りと、たまに風に吹かれる草木の音くらいだ。

 ルシファーは、静穏な庭園のベンチでお茶をしながら、頭の中で無音のモーターを回し、これまで集めた情報を整理しつつ推測していた。


 アブディエルの実験には、ナハロフト・ベラハを流れる人間の魂から集めた負の感情が使われている。それを先の大命に使用し、人間に悪の恐ろしさを教えた。ハビエルの推測では、人間にそのまま使われたのではということだったが、方法がわからず未だ推測の域を出ない。

 そして、堕天させられず、何故か研究施設に連れて行かれた一部のグリゴリ。その目的もやはり定かではないが、何か意図があってのことの筈だ。連れて行かれたのが、目撃された一部の者だけなのかも気になる。堕天しか罪の償いが許されない彼らに、それ相応の償いをさせたのだろうか。例えば、研究に貢献させ、罪を善行に還元させるつもりなのだろうか?

 ……いや。神の逆鱗に触れた者たちに、今更そんな償いはさせないだろう。神の愛の為に動くアブディエルは、神を裏切った者を改心させようなんて考えない。

 ならば……実験に強制的に協力させる為か?神への償いをさせるつもりがないのなら、それもあり得るか?堕天ではなく、身体への直接的な懲罰を目的に……実験はそれに見合うもの。堕天よりも、生涯を以て償わせるよりも、大罪人に相応しい罰を与える為に……。


「まさか……グリゴリが、実験台にされた……?」

「ルシファー様」


 考察していると、静穏世界の境界を切り裂いてハビエルの呼ぶ声が侵入して来た。途端にルシファーの集中も途切れてしまう。


「失礼します。ルシファー様宛に書状が届きました」


 ハビエルが中庭の掃除をしていると、ルシファー邸常連客の伝書鳥が今日もやって来た。どの伝書鳥も白くて顔が同じで個体差なんて見分けられないが、大体が顔見知りなので、また来た常連にご苦労様と労って書状をもらった。

 ハビエルは伝書鳥は連れていない。ルシファーは傍らにティーカップを置き、手渡された書状を受け取る。それは、赤い紐が巻かれたものだった。ということは……と二人は不安と期待の相反する感情を抱く。

 ルシファーは密書を開いた。それには、『実験は継続している。永続されれば、人間の未来に影響を与えるだろう』と書かれていた。やはり無名で送られて来ていた。


「また無名だ」

「筆跡が同じみたいですね」


 人間に影響を与えるって……。

 影響とはどの程度で、どういったものかまでは書かれていないが、ハビエルは悪影響を想像して不安になる。しかし彼がいた世界では、気になる事象はあるが、今のところ危機を感じる事件は起きていない。歴史を遡れば影響されていそうな出来事は多くあるが、関連があるとは言い切れない。それとも、悪い方向に考えてしまうのは、アブディエルに疑念を抱いている所為なのだろうか。


「二枚目がある」


 今回は一枚だけではなかった。ルシファーはもう一枚も読んだが、読後の表情が瞬く間に怖くなった。


「……何だと」

「何が書いてあるんですか」

「……『また、多くの天使が堕天しているよう。これまでに類を見ない数の模様』……」

「これ、目撃されたのとは別のグリゴリのことですかね?」

「……いや。グリゴリの件なら皆が知っているのだから、こんなかたちで知らせて来る必要はないだろう」

「じゃあこれは、他の天使のこと?また、何か大変な罪を犯した者たちがいたってことでしょうか」

「だが、議会から何の公示もない。公示の基準に例外はない筈だ」


 グリゴリの件は、その罪の大きさから特例で天界全体に知らせた訳ではない。仲間の犯した罪を己のことのように捉えよという意味で、罪の軽重けいちょう関係なく全体に知らせている。


「だとしたら……これが本当なら、一体何を犯して……」

「だが、これだけは言える」

「何ですか?」

「この無名の送り主は、議会がやっていることを私に教えようとしている。そして恐らく、それを暴くことを望んでいる」

「この送り主は、俺たちと同志ということですか」


 ハビエルにとっては、歓迎したいようでしたくない同志。この同志が言っていることが事実ならば、ルシファーは更に突き進む。既に道は一本しか用意されていない。進むべくして辿り着く運命に進んでいる。

 しかし、「助けてくれ」と願いを託された限り、希望を捨ててはならない。希望の自分が諦めてはならない。ストッパーになれるのは自分しかいないと、ハビエルは進言する。


「本当に同志なのでしょうか。例えばですが、よくないことを考えるアブディエル様の指示で、議会の誰かがルシファー様を嵌めようとしているとは考えられませんか」

「……考えたくはないが、残念ながらあり得る話ではあるな」

「心当たりがあるのなら、ここから先は本当に考え直した方が身の為です。もしルシファー様の身に危険が降りかかろうものなら、戻って来たべリエル様に俺がどやされますし、べリエル様が何をしでかすかわかりませんよ」


 ハビエルは言いながら、べリエルがどんなことをしでかすか想像した。それは、議事堂に乗り込み怪獣みたいに暴れまわる姿だった。ルシファーも軽く想像したが、同じような光景だった。


「そうだな。べリエルが戻って来た時に私がここにいなければ、議会に乗り込んで行きそうだ。私はまんまと、奴らの手の上で踊らされているのかもしれない」


 ルシファーは、手元の密書に視線を落とした。


「……だが、今更後戻りはできない。私は議会を正しくしたいのだ」


 ここに書いてあることの真偽は、ルシファーには関係なかった。かつてから自分の中にあるアブディエルへの疑念が抹消されない限り、立ち止まることはない。危険な道を歩んでいると自覚する姿勢は、議長だった時と変わらず真っ直ぐに正されていた。

 ハビエルの思いは未だ届かず、ルシファーの意志は揺るぎない。罪に怯むことなく、天使でなくなる可能性を恐れない。その潔さは、未練など微塵も感じさせなかった。「正したい」という芯の通った思いだけで罪を覚悟できるその姿勢は、天使の鑑と言っていい。ハビエルも、思わず背中を押したくなってしまう。

 何でそこまでできるんだろう。堕天は怖くないのかな。自分を犠牲にしてまでやり遂げたいなんて、俺には考えられない。

 堕天の危機から救う為に、ストッパーとなりたいハビエル。しかしルシファーが諦めなければ、歪んだ体制は排除され、元の規律正しい議会に作り直せる。やがて上級天使の意識も改善され、位階同士の蟠りもなくなり、全ての天使が平等に幸福を得られ、在りし日の天界の姿に戻るだろう。

 ルシファーがいれば、希望ある未来が近く訪れるかもしれない。天界の住人でなくとも、それを心から期待してしまう。




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