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悠仁は、自分の前に射し込んだ光が眩しくて目を細めた。すると、樹海の外から射す光は道となり、これを辿ればいいんだと悠仁は直感的にわかった。
「正しさとか強さとかまだわからないですけど、何となく大丈夫な気がしてきました」
「前向きになれたみたいでよかった」
「俺、人間を信じてみます。でも何か、ベリアルのおかげってところが癇に障る……」
「会うことがあったらお礼言っておくけど、言わない方がいいかな」
「言わなくていいです。恩着せがましい態度が目に見えてるので」
悠仁は、ふんぞり返るベリアルの姿を想像して少しイラッとする。お礼なんて絶対に言いたくなくなった。
「でも、ルシファーには感謝してますよ。今までの常識は何だったんだ!ってことの連続でしたけど、この目で見たことは自分の価値観や認識を変えるきっかけになりました」
「感謝なんてやめてくれ」
「言わせて下さい。俺を頼ってくれて、ありがとうこざいました。ルシファーが真人さんだったから俺は動いたし、そうじゃなかったら俺はきっと、世界のことに我関せずのままでした……まぁ。記憶は消えるから、気持ちもリセットされちゃうんですけどね」
しかしルシファーは、悠仁の感謝の言葉にすまなそうに首を横に振った。
「私は誰かに感謝されるような天使じゃない。ことあるごとに誰かに迷惑をかけて巻き込んでる、面倒くさいやつだよ」
「うっかりしてるところとか?」
「それも含む」
「そんなことないですよ。本当にそんな風に思ってたら、俺もミカエルもベリアルも何もしてないです。貴方はそれだけ特別な存在なんですよ」
天使の長と統御議会議長を務めたルシファーに集められるものは、どんなに月日が経とうとも、色褪せず変わらなかった。しかし、ルシファーは否定する。そこには昔からの繋がりを絶ちたいという意味ではなく、彼の理想があった。
「その印象は、周りが作っただけだ。神から最も愛されていたから特別な存在だと思われて、担ぎ上げられただけだ。私は元から、そんな高尚な存在なんかじゃない。ずっと迷いながら生きて、これからも蛇行した道を生きる、どこにでもいるやつだ」
“ルシファーは特別”。誰もがそう思い込んでいた。そうなったのは、あとから付いてきた肩書きが彼を押し上げ、そして多くの敬愛を勝手に連れて来ただけだった。ルシファーは最初から、特別なものは望んでいなかった。最初から一人の天使でいたかった。一人の天使として、仲間と人間と関わりたかった。
最初から彼は「天使」ではないし、「堕天使」にもなっていなかった。ルシファーは、ずっと「ルシファー」だったのだ。
悠仁は知っていた。ルシファーがずっと、“個”でありたいと願っていたことを。そしてそれを実現して、彼は今、“何者でもない”横顔をしている。ルシファーの人生の一端を知った悠仁は、その横顔に───彼の生き方に、何かを見出だせた気がした。
「でもたまには、威張ってみてもいいんじゃないですか」
「だから、そういうのは性に合わないんだって」
悠仁とルシファーは顔を合わせ、互いに一笑した。
悠仁は、これからの生き方を見つけられた。今はまだ樹海の中だが、出口への道がわかればもう何も怖くなかった。あとは、光の方に向かって行くだけだ。誰の後押しもいらない。“自分”さえあれば十分だから。
話していると、法廷内に扉をノックする音が響いた。二人が同時に振り向くと、被告人出入口に外で待ちくたびれて迎えに来たミカエルが立っていた。
「おい。いつまで話してるんだ。オレのこと忘れてるだろ」
「あ。待たせてるのすっかり忘れてた」
「ユージンはいいとして。ルシファーはこれから再処刑されること忘れてないか」
「ちょっとだけ忘れてた」
「お前なぁ」
「冗談だよ」
「絶対半分は本気で忘れてただろ……もういいか。そろそろ行くぞ」
ミカエルに催促されて、ルシファーは席を立った。悠仁は遅れて立ち上がり、二人に続いて法廷を後にした。
「つくづく思うが、お前本当に黒髪似合わないよな」
「またそれを言うのか。私、すごく気にしてるんだからね」
「自業自得だろ。大人しくオレの言うこと聞いて、保護されてればよかったんだよ」
「あの。ルシファーの黒髪って……」
「人間界の穢れの所為で変色したんだよ」
「あ……なんか、すみません」
「悠仁が謝ることじゃないよ」
「そうそう。全部こいつ自身の所為だから」
ミカエルは横のルシファーに向かって親指を指した。そんな無礼ができるのは、ミカエルかベリアルくらいだ。
「もうオレたちに世話焼かせるなよ。頼むから、これからは全うに生きてくれ」
「そうするよ」
「お前に付いて行ったやつらのことも、ちゃんと頼むな」
「ああ」
三人は人気のない、裁判所の裏手から外に出た。表から堂々と出ては、ルシファーを目撃されて大混乱だ。
すると、ルシファーは何かを思い出して立ち止まった。
「そうだ悠仁。ブレスレットを返してくれないか」
「えっ。でもこれは……」
これは外してはいけないものじゃないのかと、悠仁は躊躇する。さっきの説明では、呪いをかけたこのブレスレットを外してしまったら大変なことになってしまう。悠仁は実際には惨状を見ていないが、その所為で方舟が造られたことは覚えている。ここで外して何かあっても迅速に対処はしてくれそうだが、流石に迷惑はかけられない。
しかし、もうその心配はないらしい。
「私の血族が始まって何千年と経っているから、遺伝的な力はもう残っていないだろう。外しても大丈夫だ」
呪いの効力も切れているだろうと言うルシファーの言葉にやや不安が残るが、危険はないと信じて悠仁はブレスレットを外そうとする。ところが、普段アクセサリーをしないので片手で外すのに慣れておらず、手こずってしまう。それを見兼ねて、ルシファーが手伝ってくれた。
その光景を微笑ましく見ていたミカエルは、人間界にいる時にたまたま知った「縁は異なもの味なもの」という言葉を思い出す。男女間の例えで使われることわざだが、この二人の縁も常識では考えられない不思議な縁だ。例え必然性が伴っていたとしても、出会う確率が七十八億分の一ととてつもなく低かったのに、二人は出会うべくして出会い、血縁とは違う縁が現れたように思えた。悠仁とルシファーの縁は、この二人にしか作れない唯一の繋がりで結ばれたのだと。
無事ブレスレットは外れ、悠仁にも異変はなかった。それはよかったが、悠仁は返すのが惜しかった。色々あったり、記憶もなくなってしまうかもしれないが、ルシファーとの繋がりを示す唯一のものだから、できれば持っていたかった。そんな悠仁の物惜しげな気持ちが表情に出ていたのか、ルシファーは機転を効かせた。
「それじゃあ、ブレスレットの代わりにはならないかもしれないが……」
一房の髪を束ねていたリボンを解いた。
「今度はこれを、お守り代わりにしてくれ」
そしてそれを、ブレスレットを付けていた左手首に巻いてくれた。
「あ。リボンなんて、嫌だったかな」
「いいえ。嬉しいです」
それから、ルシファーは最後に、悠仁の左手を包むように両手で握った。
「もう大丈夫だと思うが。諦めるなよ、悠仁」
「はい」
新しいお守りを、悠仁は嬉しそうに見つめた。絹のような上質な繊維で作られているリボンは、日が当たると上品に控えめに艶めいた。
その後、ミカエルはルシファーだけを連れて行こうとしたが、悠仁は処刑場まで付いて行きたいと望んだ。悠仁には処刑が終わるまで待っていてもらおうと思っていたミカエルだが、ルシファーのことを最後まで見届けたいという気持ちを汲んでくれ、悠仁も共に向かった。




