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オルネフォルの軌跡【改稿版】  作者: はづき愛依
祝福の園 Ⅲ
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「人間に寿命があるのは承知していた。私が人間として生きてきた中で、何度か葬式に行ったこともある。天使は、人間から抜け出た魂を見ることができる。だから最初は、天に昇って行くそれを見て、これから転生が決まるのかと思うくらいだった。でも、いつしか天使じしんの力が弱くなり魂が見えなくなってしまうと、人間の命に対する向き合い方がわかるようになっていった。人間は命を、この世の宝のように思っているのだと。気付けば、死を悲しいと感じていた」


 天使として生きた時間と匹敵する程の年数を人間として生きたが、天界で見てきたことと肌で感じる現実は、感受の仕方がまるで違った。刺激的で有意義な時間は、天界では絶対に味わえない特別なものだった。


「……色んな人間と出会った。色んな国、色んな言葉、色んな肌色、色んな価値観の人間と出会い、別れた。それぞれの文化や風習に慣れるのにも苦労したけど、人間界の生活に慣れた頃には、出会った人間と別れるのが辛くなっていた」

「……それだけ色んな国や地域に行って、馴染めたんですね」

「できるだけ多くの人間と関わりたかったから、一ヶ所に数年から数十年定住しながら、あちこちを転々とした。一体、世界を何周したことか」

「きっと誰よりも周ってますよ」

「その自信はあるな。長期間一ヶ所に留まり続けるのも飽きてしまうから、時々旅にも出て、その旅先で次の定住先を決めたりした。生活するにも旅に出るにも費用がかかるから、仕事も色んなものを経験した」

「そうなんですね。例えばどんな?」

「例えば、農夫や、大工、料理人に、鋳造に、ホテルマン。ありとあらゆる職を経験した。戦争があった時には徴兵されて軍人になり、戦地に赴いたこともある」

「戦争……行ったんですね」

「ああ。第一次大戦も、第二次大戦も行った」


 法廷内を差している三方からの外光が寂しくなり、やや暗くなる。話の行き先が重なって、空気も重くなるのを感じる。悠仁の中の溶け残った塊が、心なしか体積を増した。


「恐怖だった。迷いのない殺し合いは、酸鼻さんび極まりなかった。大量殺人が許される状況が信じられず、人間の言う地獄とはここなんだと思ったよ」

「前線だったんですか」

「あぁ。剣や銃を持って、向かって来る敵を相手にしたことも何度もある。必死になって、やむを得ず傷付けた。もしかしたら、殺してしまった者もいたかもしれない」

「どうしてそんなことまで……拒否したり逃げたりできなかったんですか?」

「徴兵は絶対だ。避けることはできなかったし、私は敢えてしなかった。人間を理解する為に、それも必要だったんだ」

「そんな……俺なら無理です。堪えられないし、逃げ出します」

「それが普通だ。現代に生きる人間でも、その時代に生きた人間でも、誰も死にたくないし誰も殺したくはない筈だ」

「そう、ですよね……」


 その言葉は、悠仁の心臓を貫く銃弾だった。鉛を食らった塊は、いびつな形に変わっていく。悠仁は再び顔を逸した。


「本当はみんな、そう思ってるんだ……俺も、そう思ってる。それなのに俺は、そうじゃない方を選んだ。酷い選択をした……」

「悠仁……」

「計画を阻止したから、復活した悪意がこのまま広がり続けるかもしれない。このままじゃ、みんなが言ってた通りになる。歴史が逆行することになる。そうなったら、もしもまた戦争が始まったら、俺の所為だ。俺は、取り返しの付かない選択をした」


 悠仁は拳を作り、顔を床に向ける。大きくなる塊の角が痛かった。法廷内に届いていた光が、次第に失われていく。


「悠仁が決めた訳じゃない。アスタロトも言っていただろう。計画は失敗する運命だったんだ」

「でも、俺に決定権があった。一度は阻止を選択したから、周りがその方向に動いたんだ。責任は俺にある……でも。俺は何の責任も負えない。最悪な状況になっても、何も償えない」


 悠仁は、全てを見捨てて逃げることをやめた。しかしその選択に、100%向き合えている訳ではない。真っ黒で巨大な怪物の牙は、思い出すと今でも身震いする。今度はこの身ごと引き裂かれてしまうのではないかと思うくらいに。

 悠仁は、()()に不信感を抱いている。その心に、希望は欠片もなかった。


「ルシファー……俺は、どうしたらいいですか。このままじゃ、また逃げたくなる。でも時間を遡ったって、未来を選択しなきゃならなくなる……もう俺、戻りたくもないし、進みたくもないです。何処にも行きたくない……」

「……でも悠仁。今現在ここに留まっていたって、どうにもならないよ」

「じゃあどうしたらいいんだよ!戻りたくもないし進みたくもないんだ!こんな苦しいならメタトロンの計画止めない方がよかった!」

「悠仁……」

「何で俺なんだよ!何で俺に託したんだよ!何で俺があんたの末裔なんだよ!」

「………ごめん」


 面責されたルシファーは、目を伏せて謝った。


「俺の記憶は消えるかもしれないけど、世界が逆行すれば記憶が戻って、俺はまた苦しむんだぞ!俺だけ自分の罪に苦しんで、見たくないものを見て苦しんで、死ぬ寸前まで苦しみ続けなきゃならないんだぞ!」

「……悠仁」

「何で俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ!全部あんたの所為だ!これじゃあ、あんたの所為で俺の人生めちゃくちゃだ!あんたが罪なんて犯さなければ、俺は普通でも幸せな人生を歩めてたのに……!」

「ちょっと待ってくれ悠仁。何か勘違いをしてないか」

「何がですか!」

「記憶が消えたあと、悠仁は自分の罪を思い出すことはない。一体誰にそんなことを言われたんだ」

「誰にって、メルキゼデクですよ」

「あぁ……」


 嘘を吹き込んだ相手の名前を聞いたルシファーは、納得と同時に呆れた。


「悠仁。私は今から大事なことを言うから、どうか混乱せず、冷静に聞いてくれ」

「何だって言うんですか」

「メルキゼデクが言ったことは、嘘だ」

「………嘘?」


 眉間に皺を寄せたまま悠仁は、ぽかんとルシファーを見つめる。


「記憶が消えるのは本当だ。だが、その後どんな状況になったとしても、記憶が戻ることはない。だから、悠仁が自分の罪を思い出すことも絶対にない」

「え……嘘なんですか……?だってメルキゼデクは、世界がこのまま継続すればその刺激で記憶が戻るって……」

「悠仁はメルキゼデクに騙されたんだ。目的はわからないが、恐らく議会側に引き入れる為に」

「そんな……それは、ひとまず俺を落ち着かせる為に言ってる訳じゃ……」

「そんな一時凌ぎをしたって、どうしようもないだろう」

「じゃあ、ほんとに…騙された……」


 悠仁は安堵から脱力し、両腕で柵に掴まりながらしゃがみ込んだ。


「なんだ。なんだよそれ……それじゃあ、この気持ちをずっと引きずることはないのか……」


 罪悪感も絶望も、悠仁の未来を奪わない。責任を糾弾されることもなければ、誰かに命を狙われることもないし、普通にこれからの人生を送れる。

 安堵が悠仁の身体中に染み渡り、心に残っていた塊もボロボロと崩れていく。

 ルシファーは心配して、悠仁の顔を覗き込んだ。


「大丈夫か、悠仁」

「あの、ちょっと、信じられなくて……安心はしたんですけど……」

「うん。ゆっくり落ち着いて」

「………あの。ルシファー……酷いこと言って、すみませんでした」


 申し訳なさ過ぎて、ルシファーの顔を見て謝れなかった。声音は穏やかそうだが、顔は怒りが滲み出ていないかと思い、少し怖かった。しかし、恐らく神の次に慈悲深き精神の持ち主のルシファーは、海のように心が広い。


「いいよ。気にしてない。悠仁を騙したメルキゼデクが悪いんだから」

「あいつって、平気で人を騙すようなやつなんですか?」

「騙すと言うより、言葉を巧みに操って誘導することが得意なんだ」


 メルキゼデクは口が達者で、話術で相手の心に入り込み掌握する。中級天使にも関わらず議員になれたのも、アブディエルを上手く乗せたからだ。悠仁も同じように掌握され、嘘を本当だと思い込まされたのだった。


「マジかよあいつ……」


 悠仁はメルキゼデクを一発殴りたくなり、密かに拳を作った。本当に手を挙げることはしないが、誘導された薄弱な自分も殴ってやりたかった。重苦から開放されることは喜ばしいが、一生分の精神を削られた何とも言えない悔しさが奥歯に挟まっている感じがした。




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