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オルネフォルの軌跡【改稿版】  作者: はづき愛依
祝福の園 Ⅲ
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 悠仁たちが去ったあとも、サンダルフォンはアラボトに留まっていた。魂が抜けてしまったように気力を失ったメタトロンを心配し、寄り添っていた。

『第二次方舟計画』は、メタトロンが天界で生ききる為の活力だった。全ては、苦しみと憎しみに足掻く自分の人生を終わらせる、私利私欲の為。そんなことの為に命を弄ぼうとした代償がこれだ。望みは叶わず項垂うなだれ、絶望の淵に腰かけている。


「残念でしたねメタトロン。計画はきれいに失敗しました」


 戻って来ていたメルキゼデクは、残念な気持ちなど微塵も含んでいない口調で言った。


「メルキゼデク。もう少し気遣ってあげてよ」

「気遣うとは、励ませばいいのですか。よく永い年月を堪えましたねとか、人生失敗なんていくらでもありますよ、でしょうか」

「それはこの場合、励ましとは言えないんじゃないかな」


 サンダルフォンは、励まし方がわからない同志を呆れながら見遣った。それとも全ての感覚が麻痺して、思いやりすら忘れてしまったのだろうか。

 実は、メルキゼデクも二人と同じく、遥か昔に天使になった元人間だった。サレムという国の王で、司祭も務めていたこともある高貴な身分だった。


「すみませんね。わたくしも項垂れたい程がっかりしているので、メタトロンを激励する気持ちにはなれいんです。神の座に近付こうと思っていたのに、メタトロンの計画が失敗になっては私の野望も白紙ではないですか」


 メルキゼデクは珍しく、眉を見事なハの字にした。

 人間界で民から崇められていたメルキゼデクは、次は神よりも崇められる存在になるという、とんでもなくあり得ない野望を抱いていた。アブディエルを踏み台にしようと考えていたところ、メタトロンから計画を聞かされ、全てが終わったらクーデターを起こしてやろうと企んでいたのだ。計画完遂まで好きにさせ、そのあとに裏でやっていた実験を公にして、邪魔になりそうなヨフィエルと一緒に失墜させようと画策していたが、おかげで頓挫とんざしてしまった。


「まぁでも。エンターテインメント性があって、楽しかったですけどね」


 しかし愚痴ぐちは程々にして、表情をいつもの微笑にコロッと変えた。流石は顔面形状記憶。計画の進行中も、本当にただ楽しんでいたようだ。騙されているアブディエルたちは、さぞ滑稽こっけいだっただろう。

 遊びの余韻でも感じているようなメルキゼデクに、サンダルフォンはやっぱり呆れ、羨んだ。


「メルキゼデクは前向きだね。いつも笑顔だし。ずっと変わらないよね」

「そんなことはないですよ。笑顔じゃない頃もありましたし」

「メルキゼデクも、人間に戻りたいと思ったことは何度もあるの?」

「勿論ですよ。何百回、何千回とあります。私が病んでいた時を、貴方も見ている筈ですよ?」

「そうだったね。すっかり笑顔の印象が付いちゃって、忘れてた」

「勘違いしないで下さいね。私だって鋼のメンタルじゃないんですから」


 メルキゼデクは人差し指を立てて言った。二人と同じ状態になったなんて、顔面形状記憶の現在からは容易く想像ができない。

 ふとサンダルフォンは、気にするようにカーテンの方を見た。


「……こんなことをこんな場所で話したら、いけないかな」


 彼らがいるのは、神の御座のすぐ近く。話し声は筒抜けだ。今まで我慢して隠してきた本音を聞かれてしまうのは、マズイのではと思った。しかしメルキゼデクは、神の存在など意に介する様子はない。


「少しくらい、いいんじゃないですか。参考までに、元人間わたしたちの胸中を暴露しちゃいましょう」


 そう言うと、もう一つあった大きな石に腰を下ろした。気が引けたサンダルフォンはまたカーテンの方をちらりと窺ったが、人間を寵愛する神なら元人間が多少礼を欠いた発言をしたとしても許してくれるだろうと、メルキゼデクの提案に乗ることにした。メタトロンはずっと項垂れたままだが、薄情なメルキゼデクはそっちも気にかけていないようだ。


「じゃあ、聞かせてよ。メルキゼデクは、この辛い境遇をどうやって乗り越えたの?」

「難しいことはしていません。ただ、切り替えただけです」

「何を切り替えたの?」

「ここに来た後悔と、絶望の意識をです」


 気の所為だろうが、そう言ったメルキゼデクの面持ちが、慈悲深い神のようにサンダルフォンには見えた。昔は司祭だったから、染み付いた癖でも出たのだろう。


「ほら。私って、元来が高慢じゃないですか。国王だったので仕方がないんですけどね。だから、人間たちを蟻のように見下すことにしたんですよ。そうしたら優越感に浸れたので」


 自分の高慢さに感謝ですね、とメルキゼデクは明朗に言った。普通なら、神に仕えるようになるのだから性格を変えて生まれ変わらなければ、など思いそうなものだが、メルキゼデクの性格は洗濯を繰り返しても落ちない黄ばみだったらしい。

 彼らしい切り替え方に、サンダルフォンは呆れ半分で少しだけ笑いを溢した。


「君が羨ましいよ。わたしは薬に頼るだけで、そんなことすら考えられなかった」

「貴方は、結構悩んでいましたよね」

「うん。数え切れないくらい、人間に戻りたいって思った。職場が職場だから、気が滅入る一方だったし」

「マティの牢獄は日の光が入って来ない所為で、地獄の疑似体験みたいな所ですからね」

「わたしも二つ返事で天使になったけど、無限の命がこんなにも辛いなんて思わなかったし、天使になんてなるんじゃなかったって本当に後悔した……いっそのこと、罪を犯して堕天させられた方が気楽になれるのかな、地獄に落ちれば後悔とかどうでもよくなるのかな、ってことまで考えたこともある」

「だから、メタトロンが罪に問われれば、彼の犯罪を認知しながら看過した自分も、同罪として一緒に地獄に落ちることができるかもしれない。そう思ったんですか?」


 サンダルフォンははっとする。そんなことはないと否定しようとしたが、自分の本心を改めて見つめた。

 メタトロンを止められなかったのは、彼への同情だった筈だ。しかし同情の裏で、罪を見過ごしたら自分はどうなるだろうと考えてはいなかっただろうか。メタトロンが罪を犯すことを知っていながら見過ごせば、犯罪に荷担したことになって処罰されないかと。自分はそれを、意図して狙ってはいなかっただろうか。同情は偽装で、メタトロンを止めなかった根底には、死を期待したからではないだろうか……と。


「……そう、かな……そうかもしれない。私もメタトロンと同じように、死んで解放されたかったのかもしれない」

「未だに薬に頼るのは、つまりはそういうことなのですよ」

「そうだったのか……」


 知ってしまった自身の深奥に、サンダルフォンは肩を落とした。深く息を漏らすと背中を丸めてしゃがみ込み、両手で顔を覆った。


「あぁ。何で今更……苦労して踏ん切りをつけたと思ったのに……でも、苦しんでるメタトロンを見てたら、色んなものが蘇ってきちゃったんだ……」

「それだけ、大切なものが多かったということですよ。貴方は優しいから、抱えきれない程ありそうですね」


 人間は、寿命があるとわかって生きている。人生の終わりに向かって生きている。三人はその終着点を排除した。言ってみれば彼らは、ルシファーのように既存の枠から独立した、人間でも天使でもない特別な個体なのだ。


「ですが、私たちは何処にも行けません。過去は勿論、未来というものが待っているのかもわかりません。私たちは既に、未来を生きているのですから」


 しかし、彼らはかつて人間として生きていたのだ。訪れる筈の寿命がなくなり縛る時間がないのは、人間から見れば普通ではない。人間にとって天界は異常な世界で、天使は怪異でしかない。それに気付かずに、生命体として正常な人間が、“前世”の記憶を持ったまま異常な世界で生きられる訳がなかったのだ。




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