最終話 その風に背を押されて
お久しぶりです、三笠でございます。
このお話でこの物語も終わりでございます。今までお手に取って頂いた皆様、ありがとうございます。
宜しければ、最後につじあやの様の「風になる」をBGMとしてお読み頂ければ。では、お楽しみ下さい。
あれから一回季節が廻った。今は蝉の声が煩い。先輩たちはもういない。今年の春に卒業してしまった。
春から今まで、ずっと自分に問いかけている。あれで良かったのかと、後悔はないのかと。でも、私の答えは決まってこれに落ち着くのだ。
後悔はある。けれども決めてしまったことなのだと。
今日は終業式だ。午前中で式は終わり、その後夏休みが始まる。私達の最後の夏休みが。……先輩たちもこんな気持ちだったのだろうか。考えても仕方がないと思い、学校に行く準備をする。でもカバンに入れる物なんてほとんどない。筆箱にクリアファイルくらいの物だ。
ふと、ガラスペンが視界の端に入った。太陽の光のせいなのか輝いて見えるそれを私は箱に入れて学校に持って行くことにした。風季にもまだ見せていないし、見せたらどのような反応をするのか少しだけ楽しみでもある。
くすりと笑ってから、私はお母さんに「行ってきます」と言って家を出た。
***
風季と教室で会い、挨拶をしてから取り止めもない話をする。昨日のこと、夕飯のこと、そして今日の午後からの予定のこと。「どうしようか」と私は風季に言うが、風季の方も特に予定は無いらしく、「どうしようね」と少しだけ困ったように笑った。
そこにチャイムが鳴り、それと同時に担任が入って来た。先生に促され私達は体育館へと向かった。
時間にして約2時間。それが短いか長いかは人それぞれだと思うが、私は長いと感じる。立ったり座ったりを繰り返して、話を聞いたり、校歌を歌ったりしてやっとの思いで式が終わった。あとは教室に戻り、担任の話を聞いて私たちの最後の夏休みが始まった。
風季と話をしながら玄関まで降りて来た。そして、あっと思い出して風季に言った。
「そう言えば見たいんだっけ?ガラスペン」
「おっ、やっと見せてくれる気になりましたか。何やかんやで見せてくれなかったもんね」
と、そう風季は言うが今まで見せるタイミングが合わなかっただけだ。……だと思う。少しだけ言い訳じみたことを思いながらカバンの中からそのペンを取り出した。
今朝も輝いて見えたが太陽の下だと余計に輝いているような錯覚を受けてしまう。でも、やっぱり綺麗な青色だ。
「はい、これがそのペンだよ」
あの時に買ったペンを風季に差し出す。そして風季も受け取ろうと手を伸ばすが、そこに思わぬ乱入が起こったことで渡すことができなくなってしまった。
いつか見た狐が渡そうとしていたガラスペンを咥えてしまったのだ。呆気に取られる私達を尻目に狐は何処かに行こうとしていた。
「ちょ、ちょっと待って!」
すぐに我に帰った私は狐の跡を追う。あれは私の思い出そのもの。絶対に無くしちゃいけない物なのだ。
「風季、ごめん。カバン頼んだ、先に帰っちゃってていいから!」
「えっ、ちょっと……友ちゃん!」
放り投げるように私は持っていたカバンを風季に預けた。当然戸惑っていたが、今の私には気にしていられるだけの心の余裕がなかった。
「どっち。……どっちに行ったの」
息を切らしながら走る。影を追っているような手応えのない感覚が私の中で這いずっていた。あの狐は視界には収まっているが、距離は全然と言っていいほど縮まっていないのだ。
坂を登り、階段を駆け上がって気がつくと神社の境内に来ていた。そしてその境内にはガラスペンを咥えた狐がいた。いや、狐だけでは無く側に人が立っていた。
「……えっ?」
走りっぱなしだったことで切れ切れだった息を整えて視線を上げる。顔を上げて、私は酷く困惑した。普通では考えもしなかったことが目の前で起きていたからだ。
「私が……居る」
目の前の人は私と同じ顔をしていた。兄弟姉妹と同じようだとかドッペルゲンガーなどあるが、断言する。あれは私だ。目の前に幻覚ではない私がいる。
「……この時期は、あぁ、3年の夏休みか。良かった、ギリギリで間に合ったみたい」
彼女は足元にいる狐の頭を撫でながらボソリと呟いた。
「時間があまりないから手短に言うよ。今から貴女を過去に戻すね。強く願って。それだけで大きな力となるから」
「さぁ、早く」と促され、何がなんだか分からないながらも私は東谷先輩のことを思い浮かべていた。……うん、やっぱり戻れるんならあそこしかないや、絶対に。
「やっぱりあの時からだよね。うん、流石は私だ」
答えを告げてもいないのに私の思いに納得していた私。
彼女の手には友のガラスペンが握られていた。
「もう一度やり直すのに、これは要らない」
そう言って彼女は手にしていたペンを二つに折った。声を出そうとしたが私の意識はその瞬間から遠のいていき、ついには暗闇へと落ちた。
***
風が神社の境内を流れる中、そこに狐の姿は無く、一人しかいなかった。
過去の私はいない。今はこの場所、時代にいるのは進行形だった私、未来だった私だ。
「……ちゃんと思いを伝えてね」
ポツリと呟いた言葉は木々のざわめきに消えて行く。
「ーーおーい、友ちゃーん!」
「……風季?」
息を切らしながら境内まで走って来た友人の姿を見て驚く。
「帰っちゃってても良かったのに、わざわざ探しに来てくれたの?」
「はぁ、はぁ……そりゃ、友達がいきなり全力で、しかも無言で走り出したら、追っかけもするよ。心配だもん」
私は風季の言葉に首を傾げる。私の記憶との齟齬があったからだ。
「無言で走り出した?私、風季に帰ってて良いよって行ったはずなんだけど……」
そも、私はあのペンを無くしてしまっていた。過去で狐を見つけきれなかったのだ。あの時のことは鮮明に覚えている。見つけきれなかった私は悔しくて悲しくて泣きながら帰ったのだ一人で。しかしそこで風季には会わなかった。
しかしなんの因果か、気がついたら私は戻っていた。分岐点らしきこの場所に。
私の言葉を聞いた風季は首を傾げる。
「友ちゃんそんなこと言ったかなぁ?私は聞こえなかったけど、後で先輩たちに聞いてみ……あっー、ペン折れてる⁉︎」
風季は私が握っていた物を見て驚きの声を上げた。そこには私が折ったペンがある。
「綺麗な色だったのに。しかもお揃いで色違いのやつなのにー」
「……お揃いで、色違い?あの、風季?さっきから何を言ってーー」
「おーい、友ちゃーん、風季ちゃーん待ってー!」
「速ぇ……うぷっ。一年近く運動しなかったツケがこんなところで来るとは……」
懐かしい先輩たちの声が聞こえた。あれから連絡を取っていなかったし、出来なかったのに。
二人、名良橋先輩と錦木先輩が階段を上がって来る。そして最後の一人が階段から顔を見せた時、私はコクリと息を飲んだ。
「皆、速いよ。ちょっと、待ってくれてもっ……」
「何言ってんだ朔ぅ!お前の彼女の友ちゃんがどっか行っちゃったら責任とれんのかコラァ!」
息も絶え絶えで階段を登って来ながらそんな風に呟いた東谷先輩。しかし、その時溢れた言葉がバッチリと聞こえていたらしい。
名良橋先輩が叫びながら息を整えていた東谷先輩にドロップキックをお見舞いしていた。その蹴りを喰らってしまった先輩は「うわぁ!?」と言いながら、石畳の上を転がった。
ポカンとその光景を見ていた。そして段々と可笑しくなって笑って、次第に涙が溢れてきた。
私が泣いた事で、風季や名良橋先輩、錦木先輩そして東谷先輩がすぐに駆け寄ってきて心配の声を掛けてきた。私は「大丈夫です」と言って鼻をすすった。
ーーそうか、私は成功したんだ。過去の私の告白が成功したことに安堵したが、私はここからが大変になるなと何処か思った。
何せ、私は恋愛経験なんてないし東谷先輩に告白したことだってないのだ。
でも、まず今からのやる事は一つだけ決まった。
「ーー朔先輩。先輩から頂いたペンなんですけど、この通り折れてしまったんです。なので、買いに行きませんか?」
「今度は二人だけで」とついでのように付け足した。
「うん、いいよ。二人だけで行こう」
パチリと瞬きをして私を見た後、微笑みながらそう言った東谷先輩。……聞こえてたか、恥ずかしい。
名良橋先輩から不満の声が上がるが、それを宥める風季と錦木先輩。その様子を視界に収めながら、私は手元に視線を落とす。そこには折れてしまったガラスペンがあったが、どこか輝きを放っているように見えた。そのペンを慈しむように一度撫でた時、背後から風が吹き私を包んだ。
その風に背中を押されるように、私は一歩、そしてまた一歩。前へと歩き出した。