第7話「ヴァイオレット①」
部屋を訪ねてきたのは、見慣れたNPCの姿をした少女だった。
褐色の健康的な肌に、真紅の瞳。身長は168センチメートルで俺よりも15センチもデカい。趣味全開で胸を盛りすぎたセレスほどではないが、カタチの良い胸は張りがありそうだ。濃紺のショートヘアには特徴的な左右非対称な三本のメッシュ。頭の上には三角のふさふさケモノ耳が、ショートパンツの後ろにはもっふもふの尻尾が生えている。
ゲームで見たときはメイド服を着させていたが、今はデニム生地のようなショートパンツに黒いロングブーツ、厚手のセーターのようなリブ生地の長袖に、革製の防具をきっちり付けて戦闘態勢といった感じだ。腰にはゲーム内で与えた手斧がベルトの留め具で固定されている。
俺の作品で二番目に出来のよい、ヴァイオレットだ。愛称は――
「ヴィオ」
名前を呼ぶと、誰に似たのか口の悪い獣人の少女は泣きそうな顔をした。
いや、ほぼ泣いている。
「どこ行ってたんだよぉ……」
眼前に迫りくる巨大な二つの膨らみ。
鼻が革製の胸当てに押し付けられて痛い。
ほんのり獣臭い……陽だまりのような匂いがした。
子供のころ実家で飼っていた犬が、こんな匂いだったな……。
「どこも何も、今日雪山に放り出されたところだよ。ヴィオは何してたんだ?」
「オレは45日も前から待ってたんだぞ! レインベルドの野郎にマスターの手伝いをしろって言われたのに、どこを探しても居ないし……マゾのおっさんが、町でも見てこいとか言うからしょうがなく、麓の方でナイフとか売って小遣い稼ぎしてたんだよ」
マゾのおっさんとはラファンのことか。
ヴィオには鍛冶のスキルを取らせていたが、自主的に行動して資金集めを行っていたとはな。娘の成長を見ているようで嬉しい。
それに、一人ではないと言うのはとても心強い。
「金稼ぎをしてきたのか? 偉いな」
身長差で頭は撫でられないが背中をぽんぽんと叩いてやると、お返しとばかりにヘッドロックを決められる。
「マスタぁああああ!」
「ヴィオ! 鼻が、痛い! 潰れるっ!」
「………………」
抗議の声を上げると、渋々といった様子でヴィオがようやく離れてくれた。
こいつ、こんなに甘えん坊だったか……?
せめて防具を外してからじゃれついてほしい。
「……これ」
鼻をぐずらせながら、ずっしりと重たい袋を差し出してくるヴィオ。
ベッドに腰かけ中身を拝見させてもらうと、ヴィオは武具を外した軽装で隣に腰かけてくる。
結構な重量がある袋の中を覗くと、大小の金貨に銀貨、それに少しの銅貨がギッシリと詰まっていた。
大金貨が日本円で十万円、小金貨が一万円、大銀貨が千円、小銀貨が百円、銅貨が十円くらいの価値だったはずだ。
ざっくりと計算しても、4、50万円くらいはありそうだ。
この世界の物価がどうなのか分からないが、ひと月の稼ぎとしてはいい方なのではないだろうか。
「凄いな」
素直に褒めると、少し見上げる位置にあるヴィオの瞳が潤んだ。
――泣くなよ?
祈りが届いたのか泣きはせず、ただ黙って耳を伏せながら頭を突き出してくるヴィオ。
撫でろってことか?
まったく、仕方のないやつだ。
「よーしよしよし」
両手で髪の毛をくしゃくしゃにしながら撫でてやると、即座に振りほどかれてしまった。
「やめろっ! 雑だっての!」
「スマン」
どんな生き物だろうと瞬時に手懐ける偉大なビーストテイマーの技は、残念ながらこいつには通用しないようだ。
九割人間の女の子だから、そりゃ動物扱いはダメだよな。
やめろと言う割には、ヴィオの口元は緩んでいたので本気で怒っているようでもなかったが……。
「ほら。稼いだ金はちゃんと持っとけよ」
娘の稼いだ金を奪うほど落ちぶれてはいない。残念ながら向こうの世界では子供どころか子作りにチャレンジすることも無かったが、それはそれ。
金の詰まった布袋を返そうとするが、両手で押し返されてしまう。
「いや。やる」
「は? いらん」
「いらんとか言うな! やるって」
「いやいや、受け取れねぇよ!」
「一文無しのくせに遠慮すんな!」
「はぁ? 武士は食わねど高楊枝って言葉知らねぇのか? いらんいらん、そんなはした金」
どうしてもプレゼントしたがるヴィオの好意が恥ずかしく、つい突き放すような言葉が口から漏れてしまう。
一文無しと図星を刺されてイラっと来たと言うのもある。
次の瞬間。
じわりと、ヴィオのルビーのような瞳に涙が滲む……。
あ、やばい。
「いやぁ…………その……、はした金ってことはないな? ヴィオが一生懸命稼いだ金だもんな?」
「ぐすっ……そうだよ……」
「でも、そんな大事な金。受け取りにくいって言うか……な?」
「……いいから受け取れ」
「おお……そうか? ……そうだな、分かった。預かっておく。ありがとな」
これ以上意地を張りあっても不毛だ。彼女の稼ぎにたかる紐のようで気は引けるが、好意はありがたく受け取っておくことにする。この金はヴィオの為に使えばいい。
「……明日は、その金で美味いモンでも食おうぜ」
目尻に涙の粒を溜めながら微笑むヴィオ。
人の金で食う焼肉ほど美味いものはないが、これはちょっと気が引ける。
――どうしてここまで良くしてくれるのか。
ふと不思議に思い、ヴィオの思考を読み取ってしまう。
『こいつは、オレが世話してやらないとダメだからな』
――は?
ゲームでは俺が主でヴィオが従者の主従関係だったはずだし、しょぼい人工知能の時からマスターと呼び慕ってくれているものと思っていたのだが……どうやら俺のことを世話してやらなきゃ生きていけないダメ男と思い込んでいるようだ。
確かにゲームの拠点内では茶の準備から荷物の整理整頓、模様替えから家具の配置までお願いし、ゲーム内メッセージからスパムや誹謗中傷を取り除いて必要な連絡をまとめさせ、スケジュールを組ませる仕事を任せ、二人一組の狩りでは前衛を引き受けてもらい、後ろから適当に回復を飛ばして馬車馬のように働かせ、鍛冶スキルで作成させた武具を売り払って資金源確保に協力してもらったりもしたが……その程度だ。
ハウスメイドに、秘書に、倉庫番に、前衛戦闘係に、ゲーム内通過の稼ぎ頭を任せたくらいで、世話を焼かれていた記憶は……。
まあ、うん。なるほどね。
俺はアイテムストレージから取り出したハンカチでヴィオの涙を拭ってやると、キメ顔でこう言った。
「明日は焼肉だな」
ヴィオに貰った金で、ヴィオ本人を慰労する会の開催が決定した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
夜も深まり、寝るにはいい時間になったようだった。ようだったと言うのは、見逃しているだけかもしれないがこの城には時計が見当たらなかったせいだ。
ラファンが一度様子を見に来てくれたので、ヴィオを連れてきてくれたことや、しばらく面倒を見ていてくれたことに礼を言っておいた。
その後、執事のイルヌールがナイトキャップを勧めて来たのでお願いすると、鮮やかなベリー色のワインが運ばれてくる。
フルーティーで甘みを感じる果実酒を飲みながら、ヴィオに麓の街の様子を聞いてみた。
話題があっちこっちに飛ぶヴィオの話を総括すると、人口はけっこう多い、飯は美味い、兵士も傭兵も雑魚ばかり、見たことのない種族がいた…などなどで、やはり実際に見てみないと分からないことばかりだ。
「見たことのない種族ってのはどんなのだ?」
「タコみてぇなヌルヌルした奴らだよ。あんなの、昔は居なかったよな」
ヴィオの言う昔と言うのはゲームでの話と思って間違いは無さそうだが、タコに似たモンスターも種族も居ないことは無かった。ヴィオが見たことがないと言うだけだろうか、それともゲームには居なかったのか。説明を求めても、にゅるにゅるだとか、くねくねだとか、オノマトペしか出てこないので諦める。
説明が直感的過ぎる。
これからきっと会うこともあるだろう。
後々の楽しみができたと、自分を納得させよう。
ウトウトと船を漕ぎ始めたヴィオに、あてがわれた自室へ戻るように促したが、酒に酔っているのか何を言っているのか分からない。
「なんだよ〜……」
「だから、寝るなら部屋に戻れ」
「45日……」
「よん……なんだって?」
「…………」
「おい、寝るな」
「んだよ……起きてるっての……」
「しょうがねぇな……」
押しても引いても俺のベッドから動こうとせず、仕方がないので使わせてやることにする。
ヴィオは着替えも済ませていないが、硬そうな防具やベルトの類は外しているし、このまま寝かせてしまっていいだろう。
後は知らん。
寝転がり薄目でこちらを見てくるヴィオに、厚みのある立派な羽毛布団を被せてやると、寝間着の袖を掴まれた。
「なんだ?」
「……」
「なんだよ……」
「…………」
黙りこくって離してくれないヴィオ。
これは一緒に寝ろってことか?
全く、仕方のないやつだ。
風呂に入るまでの俺なら動揺していたかもしれないが、今は一皮剥けた俺だ。いや、一皮どころか全身べろべろに剥けてしまったかもしれない。
女にも賢者タイムがあったのか、それとも単に精神的に疲労困憊なだけか……。
ともあれ、今は仏のように穏やかな心持ちだ。
同じベッドに潜り込んでやると、ヴィオが胸の中に飛び込んでくる。
――全く、俺はお前のママじゃねぇぞ。
いや、容姿について言えば生みの親だった。
デカイ癖に丸まりながら俺の腕の中に収まってくるヴィオ。
頭を撫でてやっていると、いつの間にか寝息が聞こえていた。
童貞だと言うのに、ずいぶんと大きな子供ができたもんだ。
ヒロインが登場したところで、とうとうストックが尽きました。次回投稿は少しお時間いただきそうです。