プロローグ②
セレス――本名、五十嵐誠、三十歳。
コンピューター上で動作する一部のプログラミングをこよなく愛し、日本で独自の発展を遂げた高度に抽象化された絵画を見ることが好きな人物。
つまりはオタク。ナードと呼ばれるような人種である。
インドア趣味で自宅に引きこもり、恋愛に奥手でこの年まで童貞だ。
女性キャラクターを使用し、中身の性別を偽っているのは彼がLGBT――レズ、ゲイ、バイ、トランスジェンダーの略で――であるからという訳ではない。単純に3DCGのモデリングが趣味で、その延長として色々な人に自分の作品を見て貰いたい。
そんな思いから女性キャラクターでゲームを始めたのが15年前、神々の黄昏発売日。
切っ掛けは些細な嘘。女性と勘違いされたことに沈黙で応えてしまったことが発端となり、ずるずると男だと言い出せずにゲームを続けてしまったのが始まりだ。
セレスのデザインが素晴らしい出来栄えであったのもあり、なんやかんやとゲーム内アイテムの融通、リアルマネーの献上などの「可愛い女性として産まれた旨味」を疑似体験してしまったのが運の尽き。
蝶よ花よと、お姫様のように可愛がられることに慣れ、気付けばゲーム内では有名人。
嘘に嘘を重ね、気付けば現実世界の化粧品や女性ファッションの流行を学び、立派なネカマとして成長してしまった。
争いごとを好まず、博愛主義的な性格も人気を後押しし、「リアルでは病院で寝たきりの生活を送る、世間知らずな薄幸の美少女」という根も葉もない噂までついて回る始末。
現実逃避に訪れるゲーム内で、現実世界でのことは聞くべきではないと言う暗黙のルールにも助けられ、今まで致命的なミスも無く15年の節目を迎えてしまった。
もっと早くに中身の性別は男と言っておけば、大きな騒ぎにはならなかっただろう。
ゲーム規約でも性別を縛るものはなく、現実世界とは違う性別で遊ぶ者も多い。
性別の無い無性な種族や、雌雄同体まで作って遊ぶことのできる懐の深いゲームである。
もっと早くカミングアウトすれば良かったと、無益な後悔の念がセレスの頭の中を堂々巡りし続けていた。
「リ美肉するか……?いや、今更全身サイボーグ化は……」
「リ美肉?何だそれ」
「……忘れてくれ」
第四次世界大戦を経た技術の発展により、サイボーグ化はそれほど珍しい技術ではなくなっている。だがしかし、健康な肉体を持つ者のサイボーグ化は保険の適用外である為、費用は非常に高額だ。
「……襲われてすぐに同情を買おうとか、打算的に事件のこと呟いたのがいけなかったか……でも、まさか、全国報道で被害者が男性とか言うと思うか?常識的に考えてさ……」
「良く分かんねェけど……男だったり女だったりするマスターは、常識的な存在なのか?」
「ヴィオ…………ちょっと外の様子を見て来てくれ」
「リョーカイだ」
ヴィオと言うのは、ヴァイオレットの愛称だ。
痛い所を突いてくる従者に、恨めしそうな視線を送るセレス。
教会の外は「中身が男性でも構わないと主張するLGBTな方たちによる、中身男性肯定派閥」と「ずっと騙してたオカマ野郎は許さない、詐欺罪と傷害罪で訴えるという、断罪過激派」の場外乱闘の只中である。事件発覚後からの数日間、延々と繰り広げられており、現実世界のSNSでもゲーム内のコミュニティーでも大炎上中だ。
元も含めた信者たちの中には「セレスの語った事件と、報道された事件が同一とは限らない。強姦未遂事件同時発生説派」「あんなに可愛いキャラクターの中身が女性の訳がないので、前から男だと思っていた派」「天使は両性であるのが一般的なので何も問題はない派」「ヴィオちゃん親衛隊派」「心は女性なのだ派」「刑事上の罪にはならない派」など、本人のあずかり知れぬところで炎は燃え上がり、もはや収拾などつかない状態だ。
そんな大炎上中の教会外部に送り出されようというヴィオは、主の命令に何の疑問も抱かずに頷く。ただ、背を撫でている手を退けるのに少しばかりの躊躇を見せたが、それはAIである彼女なりに主を慕っているだけのことだ。
ヴィオは命令に従い、教会の外へと出ていった。
「はぁ~~~~~…………」
一人残されたセレスは、この数日で癖になりつつある長いため息をつく。
この騒ぎで収入は激減するだろう。
広告収入、投げ銭、グッズ販売、ゲーム内の自作アイテム販売などなど、人気が全ての商売ばかりであり、今回の事件は明らかに致命傷だ。
キャラクターを削除し、一から出直すことも視野に入れなければならない。
セレスが「報道された事件と、私が呟いた事件は別件です」などと言ったところで、人気の回復は難しいように思えた。
「お困りのようだな」
ふと教会に響いた聞き覚えのある男性の声に、セレスは恨めしそうな視線をゆっくりと向けた。
「レインベルド……」
現れたのは身長が190センチもある筋肉質な大男。黒い髪を無造作に掻き上げたかのようなオールバックの下に、ほんの僅かに赤みがかった黒い切れ長の瞳に困ったような色を浮かべていた。
キャラクターとしては20台前半の見た目で、熊のような大男だが野生味のあるイケメンである。
白いスーツにロングコートという、およそ戦闘に向いていないと思われるGM専用装備を着こんでいる。武器は身に着けておらず、革製の手袋にはナックルガードの金属板。コートの背には狼を模した意匠が金糸で編まれていた。
レインベルドとは神々の黄昏のゲーム内設定で崇められる創造神の一人であり、その名を関する彼はプレイヤーではなく運営側の人間だ。
プレイヤーと同じくゲーム上に3DCGのキャラクターとして存在しているように見えるが、ハラスメントや詐欺などの迷惑行為を取り締まったりするためのシステム権限を持っている。
システム上ほぼ無敵であり、デスペナルティ――プレイヤーキャラクターがゲームでの死亡時にゲーム内通貨やアイテムを失ったり、経験値がマイナスされること――も無い。そして、管理者の権限により許可を得ずに他人の拠点に入ったり、音声ログを回覧することができる存在。
現実世界の性別が男性であるかは不明であるが、彼はセレスのゲーム内での個人的な知り合いの一人だった。十年前のCGコンテストで賞を取ったことを切っ掛けに知り合い、レインベルドの中の人が個人的にセレスを気に入り、こうして業務の合間を縫って月に数度ほど拠点に訪ねてくるような仲となった。
彼は数日前までは、セレスのプレイヤーが男性だと知っている数少ない人間だった。
「からかいにでも来たか……?」
「心配で来てやったんだが……相当弱っているようだな」
「……GM<ゲームマスター>権限で助けてくれ」
「どうしろと……?」
「あぁ~~~~~~~~……!!!十五年!!十五年だぞ!!!もう死ぬしかねぇ!!!」
セレスは頭を抱え、長い髪を掻き乱して悶絶する。
彼女もレインベルドの言うことは分かっている。神々の黄昏内では権限を持つゲームマスターとはいえ、中身はバイトか平社員であることがほとんどだろう。
ここまで炎上してしまった騒動を個人でどうにかできるとは思ってはいなかった。
しかし、レインベルドは暫く何かを考えるそぶりを見せる。
「まあ、確かにお前のその素晴らしいモデル……失うのは惜しいな」
「……何か、手があるのかよ」
取り乱している上に言葉に地が出ているとはいえ、絶世の美女の縋るような視線を受けてレインベルドはたじろぐ。
「そんな目で見るな……私に良い案がある。ただし、ギブアンドテイクだ」
「おお……!」
「カタフィニアに行って、魔王を倒して欲しい」
「…………ん?」
カタフィニアと言うのはゲームタイトルであり、このゲーム世界の名前。魔王と言うのは、ゲームのボスにつく称号の一つだ。それを倒すことと今起きている騒動の解決が釣り合うとは思えず、セレスは間抜けな声を上げてしまう。
「まあ、良いぞ……?」
「良し……同意は得た。まあ、魔王は3年以内に討伐してくれれば良いだろう」
「うん? 3年? どういうことだ?」
「カタフィニアの平和は君の手に掛かっている。幸運を祈る」
レインベルドが鳴らす指の音と含みのある笑顔が、彼の――五十嵐誠の最期の記憶となった。