美術教師とでたらめエンボディメント
彼女の話をしよう。
雰囲気だけは儚げで、絵を描くのが好きで、美術教師。
これは、そんな彼女の物語。
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美術室で、折角だからと手作りしたクッキーにカメーリア美術教師が手を伸ばし、食べた。
「……ふむ、味は良いな」
イチョウのような黄褐色の髪に、モミジに攫われそうな儚げな見た目。
けれどその外見に反して結構サバサバ淡々としているカメーリア美術教師は、左手で二個三個とクッキーを摘まんで口に放り込む。
「おいおいカメーリア、見た目も良いぜ?」
そう言うのは、カメーリア美術教師のパートナーであるでたらめエンボディメントだ。
彼はカメーリア美術教師の右腕に寄生している魔物であり、前腕部に二つの目があって手の平に口があるという見た目の魔物である。
ちなみに彼が寄生しているからか、カメーリア美術教師の右腕は二の腕辺りから指先にかけて真っ赤に染まっている。
「だからホラ!俺にも!俺様にもクッキーくれても良いんじゃねぇかなぁ!」
「待て、コレはエメラルドから私への差し入れとして渡されたクッキーだ」
そう言ってカメーリア美術教師はクッキーの入った皿を左腕でひょいっと掲げた。
でたらめエンボディメントは腕に寄生こそしているものの腕を思い通りに動かせるワケでは無いらしいので不要な動きだと思うが、まあそういったパフォーマンスが好きなのだろう。
……美術教師、ですものね。
「だから私が食べる」
「この腹ペコさんめ!」
でたらめエンボディメントは前腕部にある二つの目を吊り上げてそう言い、ギッとこちらに視線を向けた。
「おいエメラルド、コレ俺とカメーリア両方への差し入れだよな!?腕がカメーリアの腕だったからカメーリアへの差し入れみたいになっただけで、俺様の分もあるよな!?」
「というかわたくし、クッキーは食べ物の実体化をしたら味や質などはどうなるかという実験の為に持ってくるよう言われた気がするんですけれど……」
本題を忘れてはいないだろうかと指摘すると、カメーリア美術教師とでたらめエンボディメントの視線が部屋の角の方へと向けられた。
こちらから視線を逸らされたとも言える。
「……胸を張れ、エメラルド。貴様のクッキー作りの腕は自慢出来るレベルだ」
「カメーリア美術教師、ソレは嬉しいんですけれどソレ言うなら目ぇ逸らす必要ありませんわよね?」
「いやホラ、こんなに良い匂いさせたクッキーがあったら食わなきゃ失礼ってモンだろ?俺様はそう思うね」
「でたらめエンボディメントって目と口はあっても鼻はありませんわよね?」
笑顔で言い訳をスパスパ切り捨てると、カメーリア美術教師はこちらへと視線を戻し、頭を下げた。
「すまん、うっかり絵を描くのに夢中になってランチを食い損ねた結果空腹で本題を忘れていた」
「成る程」
細胞まで視えてしまう自分からすれば胃の中が空っぽなのにも気付いてはいたが、アレは意図的に空腹にしたのではなく、ただ食事を取り忘れていただけだったのか。
「ちなみにソレを察していたバジーリオ料理長がサンドイッチを持たせてくれていたりするんですけれど」
「其方が神か」
「俺肉食いたい!」
「種類はバーベキューサンドと卵サンドとジャムサンドの三種類ですわ」
というかカメーリア美術教師、生徒を拝む程に空腹だったのか。
・
サンドイッチを食べ終え、カメーリア美術教師とでたらめエンボディメントは満足そうに息を吐いた。
ちなみにでたらめエンボディメントの場合は寄生しているとしても空腹感や食べたモノの量が共有されたりはしないらしいので、それぞれ食事を取るスタイルだ。
……手の平からサンドイッチ食べる姿って凄いですわよね。
まあ例が少ないだけでそれなりに同じタイプのヒトは居るのだが。
というかもっと色々アレな混血も多いので、このくらいで動揺はしない。
……動揺しないからこそ狂人って気がしますわねー……。
「さて、では描くか」
「おう、腹も膨れたしな!」
「でたらめエンボディメント、貴様に腹は無いだろう。コレは私の腹だ」
「気分気分」
そんなやり取りをしつつ、カメーリア美術教師はでたらめエンボディメントが寄生している右腕で筆を取って真っ白なキャンバスに筆を走らせ始めた。
その動き自体が芸術のように、無駄を最低限に削った滑らかな動きで真っ白だったキャンバスにクッキーが描かれる。
あっという間に、この美術室に来た時より少し減ったクッキーの絵が完成した。
「で、丸」
そのクッキーを囲うようにカメーリア美術教師が雑に丸を描くと、同時にでたらめエンボディメントの目が一瞬輝いた。
視ていたのでわかるが、アレは魔力の光だろう。
そして次の瞬間、絵として描かれていたクッキーが実体化し、キャンバスからズズズと姿を現した。
「おー、出来た出来た。やっぱ命が無いからかセーフ判定だったな」
「でたらめエンボディメントが実体化させられるのは無機物だけのハズだが、意外とどうにかなるものだな」
出てきたクッキーをキャッチしつつ、カメーリア美術教師はそう言った。
そう、でたらめエンボディメントとは「食事」をするコトで魔力を確保し、その魔力を使用するコトで描かれた絵を「実体化」させるコトが出来る魔物なのである。
ちなみに寄生箇所は別に利き腕で無くても良いらしく、重要なのは描き手かどうからしい。
……まあ、寄生したヒトの絵を実体化させる魔物ですものね。
寄生したヒトが絵を描けないのであれば意味がない。
ただし実体化出来るのはあくまで魔法の効果が無い無機物に限り、実体化可能なのは魔法を仕込んで魔道具にしやすい素材、というレベル。
だからこその、無機物では無い食べ物は実体化出来るかどうか、という実験だ。
「さて、では実食」
「あ、俺様もー」
「ん」
カメーリア美術教師は左手でクッキーを食べつつ、右手の手の平をクッキーに触れさせるコトででたらめエンボディメントにもクッキーを食べさせていた。
「……というか、わたくしが協力者として呼ばれたのって確か安全面の確認の為だったハズなんですけれど、ソコ完全スルーですの?」
「あ」
「あ」
既に一口齧っていたカメーリア美術教師とでたらめエンボディメントが硬直した。
「まあ視た感じ中身がインクだったりはしないようなので食べても問題は無いと思いますわ」
「驚かせるなエメラルド!」
「俺今めちゃくちゃビビッたのに……!」
「うふふ」
今のは実験の協力を頼まれた時、「これこれこういう実験するからクッキー持ってきて、あとその目で安全確認もヨロシク」という雑な頼み方をされた分だ。
そのままソッコで立ち去ってしまったせいで拒否も出来ず、聞かなかった振りしてスルーしたらこっちがドタキャンしたような空気になりかねないという悪魔のようなトラップ。
なのでこのくらいの仕返しはしても良いだろう。
……ソレに、流石にアウトそうなら食べる前に待った掛けますしね。
「……しかし、味が無いな?」
実体化させたクッキーをもそもそと食べながらカメーリア美術教師がそう言った。
「そういや俺、まだエメラルドが作った方食ってなかったから味の違いわかんないんだけど、エメラルドのクッキーって調味料入れ忘れてたりする?」
「お菓子作りの常識、引く程の量の砂糖入れましたわ。ホラ」
「あ、マジだ」
絵の見本として置かれていたクッキーを一枚摘まんででたらめエンボディメントの口に突っ込めば、あっという間に消費された。
「ふむ、無機物では無いモノを実体化させたから味が無いのか、でたらめエンボディメントがまだ元となるクッキーを食べていなかったから味が無いのか、もう一度描いて試すか」
「あー成る程、その可能性もあったな」
「だろう?では描くぞ」
カメーリア美術教師はサラサラっと筆を動かし、あっという間に再びクッキーを描き上げた。
そして実体化させ、再び齧る。
「……同じだな」
「おう、エメラルドの作ったクッキーとは見た目似てるだけの別物……俺コレ味が無いように感じるけど、匂いとかはどうだ?」
「エメラルドのクッキーは焼いた小麦粉や砂糖の香りがするが、実体化させた方のクッキーは匂いも無い」
「無味無臭の、触感をクッキーに似せただけのナニかになったか……」
「ちなみにエメラルド、さっきからナニかを言いたそうな視線だが、ナニか意見があるのか?」
「ええ、ちょっと視えた成分が……」
どのタイミングで言い出そうか迷っていたので、カメーリア美術教師が気付いてくれたのをありがたく思いながら答える。
「ソレ、栄養が皆無ですわ」
「え、マジで?」
「マジですわよ。空気を固形にして固めたみたいな感じというか、外側をクッキー色に着色しただけで中身が空、のような。ソレを主食にすればリンゴを食べ続けるよりも容易く餓死出来ますわ」
「ヤダ俺様が実体化させておいてナンだけどコッワ」
「せめて味や香りがあれば太るのを気にしないで良い菓子が出来たかもしれんが、無味無臭では使い道も無いな」
「え、カメーリア美術教師ってそういうの気にするタイプですの?」
平均より大食いだしヒトに分けるなんてとんでもないという態度で自分の分の食事をガッツリと食べる性格で、しかも基本的に美術室にこもっているというのに太った様子は視えないヒトなのに。
「いや、私は気にしたコトが無いのだが、食堂で時々女子生徒が羨ましい、とな」
「あー、成る程」
「ソレ言ったらエメラルドだって結構菓子食ってるのに太らなくね?」
「わたくしの場合、翻訳で脳を酷使したり手伝い押し付けられて肉体を酷使したりしてるからだと思いますわ」
「うん、すまん。いつも俺達教師側も世話になってます」
ソコはコレからは自分達だけで頑張りますと言って欲しかった。
・
とりあえずクッキーは駄目だったというコトで、本日の実験は終了した。
後日また他の食べ物でも試すらしいが、ソレらも今日と同じ結果で終わるんだろうなとは多分ここに居る全員が思っている。
「そういえば」
クッキーを食べつつ、ふとカメーリア美術教師にはまだ聞いていなかったと思い出した。
「カメーリア美術教師とでたらめエンボディメントの出会いとかパートナーになるキッカケってどんなんでしたの?」
「ふむ」
一口でクッキーを頬張って咀嚼し飲み込んでから、カメーリア美術教師はチラリと右腕のでたらめエンボディメントを見た。
「エメラルドはでたらめエンボディメントがヒトに寄生する前はほぼ概念系であり、認識不可能だというコトは知っているな?」
「ええ、ハウスダストみたいなモノで肉眼での認識が不可能だとか」
「埃扱いって酷くね?ソコはもうちょっと、空気に溶け込んでるとか……コレも微妙にヤダな」
まあ要するにヒトに寄生する前は肉眼での目視が不可能というコトだ。
「ではソレを前提として話すが、まずは私が絵を描くのが好きで常に筆を動かしていた結果利き腕である右腕が使い物にならなくなったのが最初だな」
「スタートからハード過ぎませんこと?」
世界が終わったトコからスタートする世紀末系作品のようだ。
「エメラルドも知っているだろうが、私は絵を描いたりの芸術に人生を注いでいる」
「ええ、ソレはもうよく知ってますわ」
この学園の教師の殆どは特化している一つのコトに全力過ぎる部分があるのはこの三年間でイヤという程知っている。
「なので右腕が使えなくなって絵が描けないとなり、もう現実全てに嫌気が差してな。使えない腕は邪魔でしかないからもう切り落として代わりになる義手でもつけようかと思っていたんだ」
思った以上に当時のカメーリア美術教師はメンタルに大打撃を受けていたらしい。
「でも最近は高性能な義手もあるとはいえ、今まで通りの動きが出来るワケじゃないだろ?」
ターン交代か、今度はでたらめエンディメントが語り始める。
「義手ってのは基本的に、生活補助の為のモノだ。普段通りの生活を送れるようにする為のモノであり、以前のままの繊細な動きを出来るようにする為のモノじゃない」
「まあ、確かに」
「で、一方俺は寄生先探してフラフラしてて当時の絵に惚れてこのヒトを寄生先にしたいなーとか思いながら纏わりついてたんだが、そんな状況での腕使えない事件」
纏わりついてたとか寄生先探してたとか色々ツッコミドコロな気はするが、わざわざ指摘する程では無い気がするのでまあ良いとしよう。
「そもそも利き腕駄目にしても左腕があるってのに、そっちを使わない辺り頑張っても元の利き腕レベルの絵は描けないって理解してるようなモンだろ?なのに義手にするって、んなモンただの散財だ」
「結構キツく言いますのね」
「だってホントだもん。そんで俺はその利き腕を無くすのは惜しいし、というか折角の絵が上手かつ俺様好みな絵描きを潰させてなるものか!みたいな感じで寄生した」
寄生の扱いが軽い。
「まあ正直最初はでたらめエンボディメントを知らなかったせいで戸惑ったがな。気付いたら右腕が真っ赤になっている上に目と口が生えたのだから」
「アッ、ソレ完全にホラーですわね」
「ソッコで腕切り落とさなくては、となって斧を取りに行こうとしたな、あの時は」
「いやもう、あん時は慌てて説得したな……本気で俺ごと切り落とそうとするしよ」
その辺りで躊躇いが無いからこそ狂人なのだ。
「でも俺様が寄生したお陰で、俺っていう存在で腕の駄目になった部分が補われて今まで通りの動きが出来るようになったからってコトでどうにか落ち着けるコトが出来たんだよな。いや、そのつもりで利き腕に寄生したんだけどさ」
「ああ、そういえばそういう特性もあるんでしたわね」
でたらめエンボディメントは寄生するコトで、その部位にでたらめエンボディメントがお邪魔する感じだ。
つまり隙間が無いとでたらめエンボディメントは寄生出来ないらしいのだが、その分隙間があればソコを埋めるようなカタチで寄生が出来る、とか。
……図鑑にそう書かれてた気がしますけど、しばらく読んで無いから知識が朧気になってますわ。
今度久々に魔物図鑑を読むコトにしよう。
「私は腕が元通り使えるようになり、でたらめエンボディメントは寄生出来た。そして私は絵が描ければソレで良くて、でたらめエンボディメントは私の絵が好きなのでな。それなりに仲良くやっていたらいつの間にかパートナーという関係になっていたんだ」
「あ、ソコ曖昧なんですのね?」
「コレに関しては俺もいつの間にか、って感じだったからなー……パートナーになって絵柄に変化出るとかでも無いワケだし」
まあ確かにその通りだ。
「でも、カメーリア美術教師とでたらめエンボディメントの馴れ初めってそういう感じだったんですのね……」
「満足したか?」
「ええ、とっても!」
「ちなみにエメラルド、俺様達の馴れ初めに対する感想は?」
「スタートからクライマックス感ヤバかったですわ」
「あー」
「あー」
自分の返答に、カメーリア美術教師とでたらめエンボディメントは「まあ確かにソコが一番インパクト強いからそういう反応になるよね」みたいな表情と声色でそう頷いた。
・
コレはその後の話になるが、やはりでたらめエンボディメントは食べ物の実体化が出来ないらしい。
一応出来ているのだが、実体化すると食べ物の見た目をした食べ物とは認識されなさそうなナニかになるのだ。
無味無臭で食べても害が無い食品サンプルに近い。
「コレで食べ物の実体化が出来たなら、絵に夢中で食事を取り忘れた時などに便利だと思ったのだがな」
「俺もナニか食べないと実体化出来ないし、ソレが上手いコト行ったら自給自足も夢じゃないって思ってたんだけどなー」
「あの、ソコは普通食料の量を底上げとか、そういうの考えたりしませんの?」
そう指摘すると、でたらめエンボディメントが居心地悪そうに視線を逸らした。
「その辺は、俺じゃなくて食用系魔物の領分だし……アイツ等って食べられるのが本能かつ本望みたいなトコあるから、ソコ侵すと全力でこっちに敵意向けかねないっつー危うさあるし?」
「ああ……」
確かに食用系魔物はヒトに食べられるコトに特化しているので、常識がいまいち備わっていないコトも多い。
食べられる為に死のう!って自殺する食用系魔物も少なくないので、ソコはホントに触れるな危険。
……食用系魔物の場合、食糧難をどうにかする為に生まれた魔物も居ますし……。
つまり食べ物を増やせるぜ!とジャンル違いの相手に実行されるとガチギレしかねないというコトだ。
コレはある意味実体化が出来なくて良かった、と言えるのだろうか。
「む、しかし食べ物は駄目でも飲み物はイケるかもしれんな。あと生き物が無理なのはわかっているが、毛皮なら、剥製なら……ふむ、可能性は広がる」
「……あのー、ソレってつまり」
「ああ」
顎に手を当てて色々考えていたらしいカメーリア美術教師は、こちらを見てニッコリと微笑む。
「また協力を頼む」
その笑顔はとても儚げなのに、断れない圧に満ちていた。
カメーリア
見た目こそ儚いが、他の教師達と違わぬ狂人メンタルの持ち主。
大体は美術室に引きこもって絵を描いたり、気分転換に粘土をこねたりしている。
でたらめエンボディメント
カメーリアの腕に寄生している魔物でありよく飲みよく食べるが、一番テンションが上がるのは酒。
よくカメーリアとちょっとした漫才のような会話をするくらいには仲が良い。