孤児少年とペンスネイク
彼の話をしよう。
孤児で、文字の読み書きが出来なくて、だからこそ学ぼうとする。
これは、そんな彼の物語。
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王都には孤児院がある。
つまりはこのアンノウンワールドにも孤児が居るというコトだが、ソレは当然だ。
性行為で子を作るヒトはほんの僅かしか居らず、殆どは誕生の館で子供を作る。
そんな誕生の館は、なんと使用料無料なのだ。
……まあ、誕生の館の設立者の一人であるアダーモ学園長曰く、子供が出来てからの方が金が掛かるから子作りにお金を掛ける必要は無い、というコトらしいんですのよね。
性行為による出産が常識だという異世界の知識がある身としては、出産の際に色々とお金が掛かるイメージだ。
いや、異世界の自分は出産をしたコトが無いらしいので詳しい知識は無いが。
さておき、基本的に誕生の館はお金が掛からない分、愛を重要視している。
つまりはパートナー、または夫婦かどうか。
……そして、お互いに子が欲しいと思っているか。
お互いが欲しいと思っていなければ子は作れない。
そんな仕様になっている為、嫌々政略結婚みたいなのでは子は作れないのだ。
なので孤児の数も少なくなってきているのだが、しかし不慮の事故で命を失うヒトは少なく無い。
……実際、イェルンみたいに事故で腕を無くしたヒトとか、それなりに居ますものね。
事故で足を無くしたり、混血な為親から受け継いだ要素がヤバ過ぎたゆえに両腕を切り落とした子なども居る。
そして事故などは親だって例外では無く、その為大きくは無いもののアンノウンワールドにも孤児院は存在している。
……ま、犯罪とかもあるっちゃありますものね。
例えば顔の右半分と右腕がラピスラズリで出来ているルーラントなどは結構な頻度で狙われていたりする。
生け捕りならともかく、ラピスラズリ部分のみを狙われたらイコールで命狙いというコトでもある。
つまりそういった犯罪者も、居ないでは無い、というコトだ。
そんなコトを考えつつ、何十年も前に発行された本を捲る。
実際にあった凶悪犯罪が書かれている本だが、一部今は冤罪だとわかっているヒトのも載っていたりして、当時は相当ヘイトが高かったんだろうなと思う。
……完全にそのヒトが悪だって書き方ですものね、コレ……。
「……ナニ読んでるんですか?」
「あら、チェーリオ」
眉を顰めながらページを捲っていると、チェーリオが後ろから本を覗き込みながら怪訝な表情をしていた。
図書室であるコトを気にしてか、キチンと小声だ。
騒がしいタイプの友人を何人か思い出し、アリス先輩が言っていたマナーは大事という言葉に内心深く頷いた。
……常識的なコトですけれど、大事ですわよね。
「今読んでるのは……実際にあった凶悪犯罪が詳しい描写で書かれている本ですわ。まあ、古い本なので偏見や冤罪のヤツも少し混ざってますけれどね」
小声でそう返しつつ少し身をずらして本を見せると、チェーリオは顔を顰めた。
「うわ、細かい文字がギッシリ……」
「古いから仕方ありませんわ」
古いと結構書き方も違っていたりする。
幸い自分はこの目のお陰で、ソレらも比較的普通に読み解けるが。
「僕には無理そうですねー……。まず文字が読めないのに、こんなにも細かくて小さい字……絶対間違いますよ」
「まあ、確かに初心者向けではありませんわね。というか読んでたわたくしからすると、コレ多分上級生向けですし」
「うへぇ」
チェーリオは朱色の髪とは対照的に、その顔を青くした。
彼は孤児だ。
どうもかなり幼い時から孤児だったらしいのだが、当時居た町には孤児院が無かったらしい。
しかし良いヒトが多い町だったらしく、幼い時から短期の住み込みで接客の仕事などをしていたんだとか。
……でも、文字が読めなくても出来る仕事をしてた結果、文字の読み書きを覚える機会が無かったって言ってましたわね。
彼が孤児院に入ったのは、つい二年前だという。
その為、まずペンを持つコトに慣れるのに時間が掛かり……という感じで、入学までに文字の読み書きを覚えるコトは出来なかったらしい。
聞くコトによる暗記は得意だからと入学してからの授業はキチンと受けつつ、文字の読み書きも頑張って覚えようとしている。
その甲斐あって、まだ時間は掛かるようだが、最近は子供向けの本はどうにかギリギリ読めるようになってきたらしい。
「んー……」
チェーリオはじっと自分が読んでいた本を見る。
「……コレ、他国語ですか?」
「当たりですけど外れですわ」
「え?」
「コレ、色んな国の言葉が混ざってるトコの本ですの。なので……ここですわね。この辺はペルハイネンの言葉ですけれど、ここから先は違う国の言葉で表現されてますわ」
「僕、本が普通に読めるようになるの、一体いつ頃になるんでしょうか……」
読書初心者にはハードルが高過ぎる本だったのか、チェーリオが遠い目になってしまった。
「ええと、コレはまず他国の本ですから読めないヒトの方が多いんですのよ。で、普通は自国語が使用された本を読む感じですから、自国語さえある程度覚えれば問題ありませんわ」
「僕からすると、自国語も他国語も全部インクの羅列にしか見えないんですよねー」
「まあソレも合ってるっちゃ合ってますわね」
本に書かれた文字は全部インクの羅列であるコトに違いは無い。
「んん……モチベーションを下げてしまったお詫びに、ナニか音読しましょうか?」
「え、ソレですか?」
チェーリオは少し顔を青褪めさせながら、自分の手元にある凶悪犯罪についての本を指差した。
ソレに対し、苦笑して答える。
「流石にコレを音読はしませんわ」
「で、ですよね」
「そうですわね……読みたい本とかありませんの?」
「……どれがどう違うのか、わからなくて」
「あらら」
確かに本と縁が無いヒトからすれば、全部文字の羅列でしかなく、どういった内容があるのかはわからないだろう。
「なら……あ、料理の描写が細かい本がありましたわね。レシピでは無くて子供向けの本なのですけれど」
食事を提供する店などでよく接客として働いていたらしいので、身近なモノの方が入り込みやすいだろう。
そう思って提案すると、チェーリオは明るい表情で頷く。
「おお、ソレなら僕でも理解出来そうですね」
「でしょう?では、ちょっと待っていてくださいな。この本を戻してから音読用の本を借りてきますわ」
……ホントは絵がメインである漫画をオススメする気でしたけれど、漫画の殆どは極東語ですものね。
本を読むというよりはチェーリオの為に文字の読み書き練習として、というのが本題だ。
なので今回漫画は選択肢から外したのだが、漫画の代わりになる丁度良い本があって良かった。
・
数日後、バイトでもある翻訳作業に少し疲れてきたので気分転換に森の近くを歩いていると、チェーリオを見つけた。
しかも魔物と一緒に居る。
「ええか?ここはこう。ほんでコレは「王子様」っちゅう言葉やさかい、王女様とはまたちょいと文字が違うとるんよぉ」
「成る程……こうですか?」
「んー、さっきも書いたからか王女様はおうとるけど、王子様の方はここの文字がちゃうなぁ。ここはこう」
「成る程」
どうやらチェーリオの腕に巻きついている蛇の魔物が、チェーリオに文字の読み書きを教えているらしい。
……というか、尻尾がペン先になっているというあの特徴は……。
「ペンスネイク、ですわね」
そう呟くと、聞こえたらしいチェーリオが振り向いた。
「え?あ、ジョゼフィーヌじゃないですか」
「んぅ?お友達なん?」
「ええ」
ペンスネイクにペコリと頭を下げる。
「同級生のジョゼフィーヌですわ。すみません、魔物と一緒に居たので少し気になってしまいましたの」
「あぁ、ソレもそうやねぇ。普通のコトやし、気にせんでええよぉ」
舌をチロチロと出しながら、ペンスネイクはそう言ってくれた。
「ええと、ところで……お勉強中ですの?」
「ハイ!」
チェーリオがニッコニコの笑顔で頷く。
「凄いんですよ、ペンスネイク!文字に詳しいんです!」
「詳しいっちゅうか、ウチの場合は親の知識が遺伝される魔物、っちゅう裏技的な感じやけどねぇ」
ペン先になっている尻尾を揺らし、ペンスネイクは苦笑するような声でそう言った。
「ま、命の恩人やさかい、教えれるだけは教えたろ思うただけよぉ」
「恩人?」
「そ」
シュシュシュ、と舌を出してペンスネイクは笑う。
「ついさっき鳥の魔物にとっ捕まって巣に持ち帰られそうになっとるトコを、この子に……チェーリオやったっけ?チェーリオに助けてもろてね」
「時々、高い木になってる果実や泳いでる魚の魔物とかに石投げて食料として確保してたから……咄嗟に石を投げたんです。直前に落としたペンを拾って貰ってたので、ホント咄嗟に」
「ほんでその礼に、こうして簡単な文字の読み書き教えとるんよ」
「僕としては石投げただけなんですけど、折角なので……」
「成る程」
というかペンスネイクを捕まえていたから動きが多少鈍っていたとしても、空を飛ぶ鳥の魔物を石で迎撃するとか中々に凄いと思うのだが。
まあ自分がどんな文字でも読めるのが当然のように、彼にとってはそのくらい出来るのは気にする程のコトでも無い当然のコトなのだろう。
「ちゅうても、チェーリオは文字に慣れとらんだけやさかい、覚えるんは早いんよねぇ」
「注文の暗記とか、ツケたお客さんの顔を覚えたりとかしてましたからねー」
そう言ってから、チェーリオは苦笑いを浮かべる。
「……まあ、文字の羅列とその意味を暗記するだけなので、応用が下手なんですけど。「王子様」っていう文字を覚えても、「王子」や「若様」とかになるだけでもうお手上げです」
「若様はもう色々と違う文字だと思いますわよ?」
「応用ー……」
チェーリオはガックリと肩を落とした。
「……書くのも苦手なんですけど、聞いた話では確か極東語には子供向けの文字があるんですよね?」
「あるっちゃありますけど、恐らくその極東文字はソレ含めて三種類混ざったのがデフォルトという高難易度な文字のコトですわよ。しかも時々こっちの言葉も混ぜてたりしますし」
なので正確には子供向けでは無いので止めた方が良いと暗に言うと、チェーリオは驚いたように叫ぶ。
「詐欺じゃないですか!」
「生まれつきその言語使ってたら簡単って思うモンなんですのよ。あとその子供向けの文字を覚えたとしても結局こっちの本読めないコトに変わりないのでオススメしませんわ」
「……魔法で覚えたり出来ないんでしょうか」
元々接客や料理運びなどの体力勝負な仕事をするコトが多かったからか、チェーリオは項垂れながら顔を覆ってしまった。
「まぁまぁ、そう落ち込みぃな」
ペンスネイクはチェーリオを慰めるように、その顔をチェーリオの頬にぐりぐりと擦り付ける。
「覚えるんは早いんやから、応用部分もある程度覚えやええだけよぉ。応用の仕方を知らんからわからへんだけやんなぁ。そんなら覚えてまえばわかるようになるてぇ」
「……そう、ですよね。そうですよね!」
その言葉に気合が入ったのか、チェーリオはグッと両手を拳の形にする。
「学費も掛かるだろうに孤児院のヒト達は僕を学園に入学させてくれたワケですし、全力で学ぶ為にも、まず文字を覚えなくては!」
「そうそう、その意気で頑張ればすぐ出来る思うでぇ」
……随分、相性良さそうですわね。
チェーリオは向上心こそあるが少々打たれ弱いというか、落ち込みやすい。
けれどペンスネイクはその辺り、上手に気合を入れ直させている。
「……いっそ、授業に一緒に出てもらうのはいかがですの?」
「え?」
「……どーゆぅ意味やのん?」
一人と一匹に首を傾げられた。
「えっとですね、まずチェーリオは聞き取りで暗記こそ出来ますが、書かれた文字が読めないんですのよね。ソレで見たままを暗記するコトは出来ますが、ノートに書き写すとなるとまったく同じ文字が書けるワケでは無いので、ちょっとおかしなコトになりますの」
「……そうなんですよね」
チェーリオが少し遠い目になった。
最初の頃はわからないながらも見たまま書こうとしていたようだが、似た文字になっていなり絶妙に文字が違っていたりとコレジャナイ感じに仕上がってしまっていた。
「かといってわたくし達が毎回ノートを貸したり音読したりが出来るワケではありませんから、いっそペンスネイクが一緒に授業を受けつつノートを書いて、授業の後に色々と説明したりして授業内容の理解と文字の読み書き練習が出来れば最高だと思うのですけれど……」
「いや、流石に今日出会ったばかりの魔物相手にそんな図々しいお願い出来ませんよ」
「ええよぉ?」
「えっ!?」
ヘラリとした笑みを浮かべながら手を横に振っていたチェーリオだったが、ペンスネイクのサラッとした返事にその表情を驚きへと変化させた。
「ウチの種族、親の知識とかが子ぉに受け継がれるんよ。やから学園の授業受けれるゆうなら、是非こっちからもお願いしたいくらいやわぁ」
「き、基本的に魔物は害さえ無ければ学園内に入っても大丈夫ですし、僕の代わりにノート書いたりとかしなくても授業は受けれますよ?」
「えい」
「むっ?」
ペン先が危ないからか、尻尾より少し手前の位置でペンスネイクはチェーリオの頬をペチンと軽く叩く。
「あんなぁ、ウチはソレ踏まえた上でええっちゅうたんよぉ?ウチに前言撤回なんてあらしまへん。ソレともナニ?」
ペンスネイクはしゅるりとチェーリオの首に巻きつき、その長い舌でチロリとチェーリオの目尻を舐める。
「……ウチと一緒は嫌なん?」
「そんなコトは全然まったくありませんけど!ペンスネイクに迷惑が!」
「ならええやん。ウチがええ言うとるんやし。なぁ?」
「ですわねー」
同意を求められたので頷くと、ペンスネイクはシャシャシャと笑った。
・
コレはその後の話になるが、チェーリオとペンスネイクはパートナーになった。
あの後チェーリオが、一緒に生活するのはパートナー相手じゃないと良くないのではと言い、ソレに対しペンスネイクは、ならパートナーになれば良いと返し、確かにソレなら、という感じで一人と一匹はパートナーになった。
端から見ていた身としてはソレで良いのかとも思ったが、相性が良さそうだと薦めたのはこちらなのでナニも言えなかった。
……実際、問題ありませんしね。
「んで、ここがこう……おっと、インクインク」
ペンスネイクはインクが切れたらしく、ペン先の尻尾を加えてインクを補充した。
唾液がインクになっているのもまたペンスネイクの特徴である。
「で、ここがこうなっとるからこうなるんよぉ」
「成る程……つまり、こういう……」
「そう!出来とる出来とる、おうとるよぉ!長い例文も自分で考えて書けるようになったなぁ!」
「エヘヘ、ペンスネイクが細かく教えてくれたお陰ですよ」
喜んだペンスネイクによりチェーリオの首が絞められているように視えるのだが、本人と本魔が気にしていないらしいのでスルーしよう。
同じく談話室に居る殆どの生徒も気にしていないくらいには日常の光景だ。
「そんだけ書けるようになったんやったら、絵本くらいなら読めるんとちゃう?」
「あ、確かに……!」
「読めへんトコはウチが教えたるさかい、文字読む練習も兼ねて図書室に借りに行こか」
「そうですね!」
すっかりパートナーに慣れたらしいチェーリオは、ペンスネイクを首に巻いたまま、楽しそうに談話室を出て行った。
ペンスネイクがパートナーになってからのチェーリオは落ち込む頻度も減ってきて、良いコトだ。
チェーリオ
記憶力は良いのだが基本的に言葉と顔を覚えるのが得意なので文字の暗記は似た文字が鬼門。
ペンスネイクのお陰で、絵本までなら自力のみで読めるようになってきた。
ペンスネイク
尻尾の先がペン先になっていて唾液がインク、親の知識は子に受け継がれるなど、知識関係に特化した魔物。
新しい考え方にも繋がるので、チェーリオに色々教える時間を結構楽しんでる。