無傷少年とファイアバード
彼の話をしよう。
肉体が傷つかない体質で、致命傷でも無傷で、けれど痛覚はヒトより強い。
これは、そんな彼の物語。
・
ルシアノは談話室でめそめそ泣いていた。
「……また怪我したんですの?」
「うむ」
紫がかった紺色の髪を揺らし、ルシアノは涙を拭いながら頷く。
「ペン先がな、うっかり指先を貫通したのだ」
「ウッワ痛いヤツ」
「痛い……」
傷も何もない綺麗な指先を摩りながら、ルシアノはしくしく泣いた。
……怪我が無いからこそ、面倒ですわよね。
ルシアノはどんな攻撃を受けようと、まったくもって怪我をしない。
混血では無く生粋の人間なので、あくまで体質なのだろうが。
……だからというか、痛覚がヒトより優れてるのがキッツイですわ。
怪我が早く治るとかではなく、そもそも怪我をしない。
しかし攻撃した側は、確かに攻撃した感触があるらしいのだ。
……そして、ルシアノも攻撃を受けた際の痛みを、数倍の痛みとして感じてるんですのよね。
無痛覚系再生能力者な生徒達にはよく慰められている。
彼ら彼女らは自分に痛覚が無いからこそ、怪我は負わないのに痛覚が数倍強いルシアノのコトを気にしているのだ。
……そりゃ、無傷なのに激痛に呻いて脂汗垂らしてたら、普通誰だって気にしますけれど。
「普通なら、怪我をした場所に絆創膏とか張れば良いんでしょうけれど……アナタの場合、そうもいかないのが厄介ですわよね」
「痛みがあるだけで、怪我をしているわけではないからな」
声がめちゃくちゃ震えていた。
視える体の反応からしても、かなりの激痛が走っているのだろう。
「幻肢痛に近いものだからこそ、対応が難しいんですのよね。痛み自体は本当に感じているのが視えてますし……幻肢痛とはまた違うのが厄介ですわ。怪我が無いだけで痛みは本物なんですもの」
「痛覚を鈍らせるのも考えはしたが」
「痛みを無理矢理感じなくさせるだけであって、肉体は痛みを訴えている。その状態で普通に動いていたら、翌日には無いはずの傷が悪化したような痛み……でしたっけ」
「とても辛い」
「ドンマイですわ」
ルシアノの頭を軽く撫でてから、魔法で濡らしたハンカチをルシアノの指に被せる。
「氷とかで冷やしても傷が無い分あんまり効果が無いんでしょう?なら少し冷やすくらいの方がメンタル的に良いハズですわ」
「……礼を言う」
「お礼はこちらから言いたいくらいですけれど……」
何せルシアノは、痛みこそ感じれど怪我はしない。
それ故によく生徒を助けているのだ。
……転びそうなのや怪我しそうなのを庇って怪我して、激痛に呻くのは自分ですのに。
怪我をしないとはいえ、痛みを感じるならば、それは他のヒトと大して変わらないと思うのだが。
まあ、ソレで七年経過しているので、今更本人に言っても納得はしないだろう。
「どういたしまして」
とりあえず、そう返しておくコトにした。
・
現在己とルシアノは進行形で逃走していた。
「いやコレもうどうしたら良いんですのっつかあの愚か者共ヒトの方向感覚狂わせるとか大分腹立ちますわね!というかルシアノ、アナタ大丈夫ですの!?」
「うううぐううううう……!」
「オッケー駄目なんですのね!」
「離して!離してよ!どうせキミ達も私を捕まえようとしてるんでしょ!?」
「違いますしあんまり暴れないでいただけます!?」
ルシアノの腕の中には、燃え盛る鳥の魔物、ファイアバードが居た。
吉兆の魔物であり、存在が幻に近い魔物である。
……いやホント、まさかこうなるとは思いませんでしたけど!
植物の授業の予習として学園外の森へ来たのが間違いだったのだろうか。
ルシアノに植物を見分けるコツを教えていたまでは良かったのだが、愚か者に追われていたファイアバードとルシアノが激突。
……んでもって、ファイアバードって燃えてるから、熱いんですのよね。
本魔が心を許していれば、ソレは熱いどころか心地良い温もりに感じるらしい。
だがファイアバードはヒトの内面を察してしまうらしく敵意や害意に敏感で、それ故に人間を警戒する個体が多いそうだ。
……ほぼ幻の魔物だから書物にそんな記述はありませんでしたけれど、ゲープハルトが言ってた以上は本当でしょうしね。
実際めちゃくちゃ警戒されているのか炎そのものだった。
そして厄介なのが、というか今現在こうして愚か者達に追われている理由は、密猟というアウトなコトしてるのを目撃されたから消してしまおう、という短絡的思考でターゲットにされたから、である。
……しかも対象の方向感覚狂わせる魔眼持ってる愚か者が居やがるのがクソ面倒ですわねもう!
ファイアバードは羽に耐熱性の網が引っかかっており身動きが出来ない。
なのでとりあえずソレを外そうとするも警戒が強くて触れれば火傷。
……で、追っ手が来て、でも触るコトも出来なくて、そのまま見捨てるワケにもいかないしどうしたら、って思ったらまさかルシアノがファイアバードを抱えるなんて……。
火傷一つついていないとはいえ、痛覚がヒトより強いルシアノからすれば、とんでもない熱と激痛に襲われているだろうに。
しかしルシアノは、痛みに涙を流しながらもファイアバードを抱える腕の力を緩めはしていない。
……いい加減、逃げるのも厳しくなってきましたわね。
方向感覚を狂わせる、というよりは誘導するタイプの魔眼なのか、さっきから上手く逃げられない。
「ルシアノ」
「ナンだ!?」
「伏せ」
「!」
ルシアノは痛覚が強い為、体術と剣術の授業は取っていない。
しかしいざという時の指示に従わないと危険な場合もあるので、生徒達は緊急時の指示には従うようになっている。
……さて。
ファイアバードを抱きかかえたままルシアノは素直に伏せてくれたので、すぐソコまで来ていた愚か者を迎撃する。
「いけませんわ」
軽く跳躍して一番近い愚か者の腹に蹴りを一撃入れ、スピンのようにくるんと回りながらさっと右腕を掴んで後ろに回し、腹部の痛みで前かがみになっている背中を蹴飛ばして肩をゴキャリと外す。
そのまま近くにある石を蹴飛ばして、魔法を放とうとしていた愚か者の手に当てて阻止。
「いけませんわ」
跳躍して枝を掴んで、逆上がりするように相手の顎を蹴り上げる。
綺麗に入ったからか気絶したらしい。
「いけませんわ」
最後に、スカートの中、太ももに仕込んであるナイフを取り出して投擲する。
愚か者の肩の布を背後の木に縫い留め動きを止めたので、そのまま一気に距離を詰めてその腹に腰の入った一撃をカマす。
「…………ハイ、終了。追っ手三体潰しましたわ」
二名気絶で一名は肩が外れて呻いている。
汚らしい言葉を吐いていたので頭を踏んで気絶させておいた。
「いや、ジョゼフィーヌ貴様今頭を……」
「うるさかったんですもの」
「ジョゼフィーヌの悪に対する態度を見ていると、悪にだけはなってはならぬのがよくわかる」
「確かにソレはとても大事な考えですけれど……それよか大丈夫ですの?ルシアノもファイアバードも。というかルシアノ、ファイアバード抱いてる腕は?」
「凄まじい熱さと激痛に涙が止まらぬが、今は逆に冷たいようなナニも感じぬような状態になっているから恐らく大丈夫じゃない」
「オッケー一旦下ろしなさいな」
ルシアノは素直にファイアバードを下ろした。
ファイアバードはこちらを警戒してか、炎で出来ているその羽を膨らまして全力で威嚇してきている。
「というかだなジョゼフィーヌ、何故迎撃出来るのに逃げていた?」
「そうですわねー、ホントはファイアバードに触れないから守るコトも助けるコトも出来ないなって思ってソッコで迎撃しようと思ったんですけれど、目の前に居る怪我こそしないけどヒトより痛覚強い子が火傷の激痛に耐えながら抱き上げて走り始めたからですわねー」
「悪かった」
「いえ、わたくしもソッコで諦めたのに、あそこで抱き上げてでも守ろうとしたメンタルは賞賛に値しますわ。ところで指先ピクピクしてますけれど大丈夫ですの?」
「駄目だ。落ち着いたからか痛みがどっと来て正直呻きたくて仕方が無い……!」
「とりあえず冷やしときなさいな」
ぼろぼろ涙を零しながら泣くルシアノの手に、魔法で出した水で濡らしたハンカチを被せておく。
ルシアノの手は火傷もかすり傷の一つも無い綺麗な手だが、視える筋肉の動きは全力で痛みを主張している。
……ホント、痛覚標準のわたくしですら無理ってなったのに、ヒトより痛覚強いルシアノがよく持とうと思えましたわよね。
まあ、その優しさがルシアノの美点と言えよう。
痛覚があるが故の常識人だと思えば腑に落ちる。
「で、ファイアバード」
「ナニよ」
「まずわたくし達の内心を見透かしてみなさいな。敵か味方も判別出来ないんじゃ孤独に死ぬだけですわよ」
「………………」
こちらに敵意や害意が無いのがわかったのか、ファイアバードはゆっくりと翼を落ち着かせた。
「……ごめんなさい」
「わたくしは別に。追われている最中に追っ手と同じ種族が居たら敵だと認識するのもわからんでもありませんしね。ただルシアノにはもう一度謝罪を。MVPは彼ですもの」
「そうね」
多少冷静になったのか、愚か者が気絶しているからか、こちらが敵では無いとわかったからか、ファイアバードは落ち着いた様子で、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい。アナタ達を疑っていたせいで、酷く熱い思いをさせて」
「大丈夫、だ」
「なワケないでしょう」
ぼろぼろ涙を零しながら言うルシアノの額に、撫でるようなデコピンをカマす。
撫でるようなレベルでも、ルシアノからすればアイタッくらいの痛みなのだ。
……下手に普通のデコピンやると気絶しかねませんものね。
軽く背中を叩くだけで相当のダメージになったりするので大変だ。
まあ、七年もの付き合いがあれば適度な力もわかっているので問題無いが。
「……火傷、させちゃったわよね」
「してはいませんわ。火傷の痛みを感じてるだけで」
「エ?」
「んー、とりあえずその説明もしますけど、一旦その網外しますわね。見てて気分もよくありませんし」
「え、ええ」
彼女からの警戒が無くなったからか、少し熱いくらいの温度になっていた。
心を許していればもう少し心地良い温度になるのだろうが、まあ警戒されなくなっただけでも良いだろう。
……さて、この網は持ち主に返さなきゃですわね。
その辺で転がってる愚か者共を網で一纏めにする。
コレで回収する兵士も楽だろう。
「……アナタ、結構その、見た目や口調に反して過激なのね」
「よく言われますわ」
「ジョゼフィーヌは口調も結構アレなトコが多いぞ」
「ルシアノ、そう言われるのは慣れてるから構いませんけれど、アナタ喋る余裕ないのに無理して喋ろうとしなくて良いんですのよ?」
「いや、寧ろ、喋っていた方が気が紛れる……」
「なら仕方ありませんわね」
会話に集中するコトで痛みから意識を切り離そうというのもわからんでもない。
「さてルシアノについてですけれど、彼って体質なのか絶対に怪我をしない体なんですの。怪我をしても怪我をしない、という」
「でも、凄く辛そうに見えるわよ」
「痛覚がヒトより数倍強いんですのよね」
ファイアバードが息を呑んだ。
「ま、待って。私、私相当に強い火力にしてたんだけど……!」
「火傷は負ってませんわ。ただちょっと痛みだけが普通よりキッツイだけで……ルシアノ、痛み止め一応ありますけど気休めに飲みます?」
「頼めるか……?今、凄く、両腕が心臓のようになっている」
「脈打ってるレベルの痛みなんですのね」
とりあえずワンピースのポケットに入れてある痛み止めと小さい水筒を渡そうとするが、思いとどまる。
「コレ、自分で持ったら激痛ですわよね」
「ア」
「よし、口開けて上向いて喉閉じてくださいまし。薬放り込んでから水注ぎますわ」
「頼む」
ルシアノに痛み止めを飲ませれば、即効性だからかある程度痛みは落ち着いたらしい。
「ふぅ……手が心臓のようではなくなったな」
ルシアノがそう言った瞬間、その膝の上にファイアバードがふわりと座り、丸まった。
「……ン?」
「…………熱くはしないから、私の羽毛の中にその手を入れてみて。心を許している相手にだけっていう限定的なものだけど、体の不調とか、痛みとか、そういうのを取り除くコトが出来るから」
「良いのか?」
「傷付けたのは私だもの。心を許しているかと聞かれたら微妙だけど、せめてものお詫び。助けてくれた恩人に対して、酷い火傷を負わせちゃったしね」
「火傷の痛みを感じているだけで火傷を負っているのとは違うのだが……感謝する、ファイアバード」
「こっちのセリフよ」
ファイアバードの羽毛の中に手を入れ、ルシアノは少しだけ表情を緩ませた。
どうやら痛み止めよりも、痛みを和らげる効果があったらしい。
……さて、わたくしは兵士に連絡入れてこの愚か者達を回収してもらわないとですわねー。
とりあえず魔法で兵士に連絡する用の狼煙でも上げるか。
・
コレはその後の話になるが、ファイアバードはルシアノのところに居るコトにしたらしい。
元々はルシアノの火傷の痛みが完全に治るまでというつもりだったらしいのだが、少しの怪我すらも無いのに痛みに呻くルシアノを見て、放っておけないとなったそうだ。
……誰かを癒す能力がある魔物って、放っておけないっていう本能でもあるのかもしれませんわね。
「…………痛みを感じるコトが少ないというのは、良いな」
「ルシアノ?言っておきますけれどアナタの場合痛みは結局感じてんですのよ?ただすぐにファイアバードが癒してくれるから痛みが長引かないだけで」
「それだけでもありがたい。ヒトより強い痛みを、ヒトと同じくらいの時間掛けて治していたからな。ジョゼフィーヌにはわかるか?怪我もしていないのに包帯を巻いて押さえたい俺の気持ちが」
「実際に痛みがあるとなるとまあわからんでもありませんわね」
痛みも無いのに包帯巻いてたら黒歴史真っ最中なのだろうかと思うが、ルシアノの場合マジでシャレにならんのだ。
パッと見だと怪我が無いせいで本人が言わなければ痛みを感じているとわからないのも厄介だろう。
……まあ、わたくしは筋肉が痛みに反応した動きしてるのが視えるからわかりますけれど。
「というかね、ルシアノ」
「む?」
ルシアノの膝の上で撫でられていたファイアバードが、見上げるようにルシアノに視線を向けた。
「今でこそこうして心を許して癒してるし、温度だって丁度良いくらいにしてるから湯たんぽのように乗せられても文句は無いわ。私だって心地良いし。
でも最初はキミの手を焼け落としかねないくらいの炎だったってコト、忘れて無いわよね?」
「忘れるハズが無かろう。アレは凄く痛かった」
「ソレでよく触れるわね」
「今のファイアバードが俺を警戒していないのであれば、俺がファイアバードを警戒する理由もあるまい」
「そういうものかしら」
「そういうものだ」
そういうモンじゃないと思うが、本人が良いと言っているなら良いのだろう、多分。
ルシアノの表情も大分緩んでいるワケだし。
野暮なコトは言うまいと思いながら、己はストレートの紅茶を飲んで甘さを相殺した。
ルシアノ
肉体が損傷するコトこそ無いものの、ヒトよりも強い痛みを感じている。
現在はファイアバードが痛みを癒してくれるお陰で、痛みに呻く時間が短くなった。
ファイアバード
心を許せば丁度良い湯たんぽ温度だが、狙われがちなせいで心を許さない個体が多く、殆どは触れた瞬間に炎の熱さを感じて火傷するコトになる魔物。
相当な痛みを感じても絶対に手放さず守ろうとしてくれたルシアノに心を開いた。




