忘却少年とマデルアンサー
彼の話をしよう。
遺伝で毎日記憶を失っていて、最近では少し昼寝をするだけでも記憶を失って、少しの移動も一苦労な。
これは、そんな彼の物語。
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早朝、廊下でおろおろしながらうろうろしているヘロルトを捕まえた。
「ハァイ、ヘロルト」
「え、っと、ハァイ?」
「今日のヘロルトとは初めましてですわね。わたくしアナタの友人であり同級生、ジョゼフィーヌ・エメラルドですわ」
「あ、ジョゼフィーヌ!」
ヘロルトは明るい青紫色の髪を揺らし、安堵したように笑みを浮かべた。
「良かったあ!キミがジョゼフィーヌだったんだね!ヘロルト君のメモに書かれてた特徴と一致してたから、もしかしたらって思ってたんだけど、良かった!キミに会えて!」
「よしよし」
己の手を縋るように握り締めたヘロルトの頭を撫でる。
朝目覚めてから今まで、さぞや不安だっただろう。
……なにせ毎日、記憶がリセットされますものね。
起きた時、自分が誰なのかわからない。
だからなのか、ヘロルトのベッドや机、そして壁にはビッチリとメモが貼られている。
……名前とか、場所とか、友人の名前や特徴、そして制服の着替え方とか、でしたわね、確か。
そして今年のヘロルトのルームメイトは朝が苦手なタイプなので、起こすのも忍びない、となったのだろう。
今年に入ってからは毎朝そんな感じだから今更だ。
そう、既に今のやり取り、ほぼ毎朝やっている。
「というかヘロルト?普通にルームメイト叩き起こして自分のコトを聞きゃ良いじゃありませんの」
「昨日までのヘロルト君がやってたら、今日のヘロルト君が起こすと怒られる可能性があるもん。
ヘロルト君からしたら今日が初めましてだけど、彼からしたら毎日ヘロルト君に叩き起こされて同じコトを聞かれてるかもしれないし」
「うーん、そういう懸念があるからこそナニも聞かずに廊下出て食堂に行こうとして迷子になってる辺りで、そんなコトしてるかどうかを察しても良いと思いますわよ?」
「前情報どころか全部の情報が無いヘロルト君には無理かな」
「さらっとそういう会話が出来る辺り、余裕そうに思えますけれど」
「今はジョゼフィーヌが居るからだよ。メモに何枚か、ジョゼフィーヌのコトが書いてあった。こっちの事情をよく知ってるし色々教えてくれるから、頼った方が良いって」
「んー……まあ、そうですわね」
個人的に面倒事はお断りだが、ヘロルトの場合は記憶がリセットされるコト自体が遺伝なのでどうしようもない。
記憶喪失状態の友人を見捨てる程薄情にもなれないのが己だ。
……毎日同じ会話してるっつっても、相手からしたら初対面の相手と初めての会話、ですしね。
一応ヘロルトの場合は記憶こそ失えど、体の方には蓄積されているらしい。
その為か、最近は初対面からでも大分緩んだ対応になってきている。
……それでも七年掛かってる辺り、リセットのレベルは相当ですわ。
七年掛かって、やっと気を緩めれる相手、という程度まで蓄積させるコトが出来た。
こういうのがどうにかなるパートナーが彼に見つかれば良いのだが。
……記憶リセットが厄介ですわよね。
記憶がリセットされるというコトは、パートナーに対してもまた毎日初めましてからのスタートになってしまうというコトだ。
毎日ロスジェリーフィッシュとの記憶が消えるレアンドラの場合は彼女からの凄まじいクラゲ愛があるから上手くいっているが、ヘロルトの場合は好き嫌いも忘却してしまう。
……つまり、好みが無いのが問題ですわ。
一応好物はあるようだが、ナニを食べても初めて食べるモノなのだ。
要するに、クラゲへの愛で惚れ直せるレアンドラとは根本的に違う。
……良いお相手が居れば良いんですけれどね。
「じゃ、食堂に行きましょうか。こっちですわよ。あと食事しながら、今までやった勉強教えますわ」
「エッ、ホント!?ナニも覚えてないから助かる!あ、でも記憶が無いから教わっても理解出来ない可能性が……」
「こちとら毎朝教えてるんだからその程度のは大体わかってますわ」
毎朝というか、正確には早起きしてヒトに教えれるだけの学力がある組が、ヘロルトに会ったら教える、という感じだ。
今日は己が最初にヘロルトに会ったから教えるだけであり、ワリと日替わり。
「アナタ、結構蓄積はされてるみたいだから、教えればするする理解して面白いんですのよねー」
「待ってジョゼフィーヌ、もしかしてヘロルト君のコトをスポンジかナニかだと思ってたりする?」
「吸収率が日に日に高くなってるとは思いますわ。結果、毎日記憶喪失になるのに良い成績維持してますし」
「うーん、確実にそれはジョゼフィーヌとか、あと他にも教えてくれる心優しい友人達の功績だと思うよ?ヘロルト君の自力じゃどれをどう学べば良いかわかんないもん。よっ、教え上手!」
「褒めても飴しか出ませんわよ」
「寧ろナンで飴なら出るの?」
「厄介な子の口封じ用に、こういう系が役立つんですのよねー……」
狂人だが根本的には良い子ばかりなので、口に食べ物を突っ込めば黙って咀嚼してくれる。
その間大人しくなるので、食べ物というのは実に偉大だ。
飴やチョコやクッキー辺りはハズレが無くて良い。
「そういえばジョゼフィーヌ」
「ハイ?」
食堂への道を歩いていると、ヘロルトに問われる。
「ヘロルト君はヘロルト君がヘロルト君だという実感がわかないから暫定的にヘロルト君って呼んでるけど、ヘロルト君はヘロルト君のコトをナンて呼んでたのかな?」
「今のヘロルトは記憶が無いから自分が自分であるという確証が無く、故に書かれていたその体の名前をそのまま一人称に用いているが、昨日までのヘロルトは自分自身のコトを一体なんと呼んでいたのか、ですわね?」
「そうそう」
「まあヘロルトは記憶失っても根っこ変わらないので、同じくヘロルト君呼びでしたわよ」
記憶が無いからこそ、ヘロルトからすれば自分の全てが自分のモノでは無いみたいなんだろう。
自分の体が自分の体である確証も、その名が自分のモノである確証も無い。
故に、己を己と認識出来ない為、己自身すらも他人のように呼んでいる。
……ま、いつものコトですし、わたくしにゃどーしようも出来ない部分をうんたらかんたら考えてもしゃーないコトですわよね。
面倒臭いコト考えて無駄に脳みそ動かすよりも、今日の朝食はナニを頼もうか考えるという有意義なコトにエネルギーを使うとしよう。
「ところでアナタ、食堂までの道もメモが貼ってあるハズですけれど、ソレ見ませんでしたの?」
「正直メモが沢山過ぎたから、必読!って書かれてたメモだけしか見てない」
「あー、ナンかアナタが毎朝迷ってる理由がわかった気がしますわ」
食堂まで行く道のメモにも必読の文字を足した方が良いんじゃないだろうか。
・
放課後、ヘロルトに捕まった。
「キミ!ジョゼフィーヌだよね!ヘロルト君の友人で、魔物に詳しいっていう!」
「え、ハイ、そうですけれど……つかまた記憶無くしたんですの?」
「森で寝落ちしたらしくて起きたら森の中で記憶喪失でホントどうしようかと!」
「超ヤベェヤツじゃありませんの。よくまあそっから帰ってこれましたわね」
「そう!自分が誰かもわからなくて困ってたら、なんか、不定形の魔物が教えてくれた!」
「不定形」
「ナンでもその魔物の種族名、マデルアンサーだって!わかる!?」
「あー、成る程」
マデルアンサーとは、模範解答という概念の魔物だ。
その相手によって求める答えが変化するからか、その姿は不定形であり、そして相手が好ましいと思う姿に変化する。
……マデルアンサー、あの森に居たんですのね。
万物の答えを知っている、概念系魔物。
そして答えを知っているだけでありそれは正義とは違う為、何通りもの答えを有している。
……考え方や状況によって異なる答え、全て平等に認識してますものね。
だからこその模範解答だ。
しかしあの魔物、人間を好ましく思う個体はあまり居ないはずなのだが。
……相手が望んでいない答えでも、答えである以上は伝えてしまう性質ですし。
その為、質問に答えたのに不機嫌になる人間が一定数居るからか、人間との関りを絶った個体も少なくない。
故に、人間と関わるとは相当に珍しい。
「どういう会話をしたんですの?」
「起きて、ナニも覚えて無くて、自分は誰だっけって呟いたら、そのマデルアンサーが「貴様はヘロルトという名の混血だ」って」
「成る程」
「誰なのかって聞いたらマデルアンサーっていう名前だって教えてくれて、それで、他にも色々質問しちゃったのに、マデルアンサーはすぐに答えてくれてね!ナンだかすっごく格好良かったっていうか、その」
「うんうん」
「どうしてそんなにも詳しく教えてくれるの?って聞いたんだ。お友達だったのかな?って。
そしたら「正真正銘の初対面だが、貴様が記憶を失うコトを知っている。このままでは見回りが来るまで森から出られないだろうというコトも、だ。そして貴様は答えを求めていた。答えを求めるモノに、答えを与えるのがこの私だからな」って!」
「格好良かったんですのねえ」
「そうなの!もう本当に格好良くてさあ!しかも、「貴様の求める答えがあるのなら、望んでいない答えかもしれないが、答えるコトは出来る。再び記憶を失い、欲しい答えがあるのなら、また来ると良い。答えるのが私の本分なのだから、答えるくらいはしてやろう」ってえ!」
「痛い」
好きな俳優と握手出来た乙女みたいなテンションで背中バシバシ叩くのは止めて欲しい。
楽しそうならまあ良いっちゃ良いが、普通に痛い。
・
コレはその後の話になるが、ヘロルトは食堂までの道のメモでは無く、マデルアンサーに関しての情報メモに必読の文字を足したらしい。
そして他のヒトに毎日聞いてるだろうコトを聞くのは、と密かに気にしていたらしいヘロルトは、マデルアンサーに毎日会いに行って質問するようになっていた。
……まあ確かに、毎日同じコト聞かれるとちょっとアレですものねえ。
その辺気遣われていたからかヘロルトからそういう質問をされるコトはほぼ無かったが、やはり質問したいというのはあったらしい。
その為マデルアンサーに色々と質問を続けた結果、マデルアンサーはヘロルトのパートナーになっていた。
……やー、正直初耳だったのもあってビックリしましたわ。
まさかそんな頻度で会いに行っていたとは。
しかもパートナーになるレベルで。
「おい、ヘロルト貴様」
「うん?」
「貴様は右利きだろう。左手で持つのを得意とはしていないのだから右手で持て」
「あ、通りでナニか違和感があると。うん、確かにこっちの方が持ちやすいかも」
「当然だ」
そう言って頷いたのは、メイドのような形状になっているマデルアンサーだった。
「あと貴様はこのスープの後味が苦手だから少し待て。違うモノに交換してもらってくるから、貴様は先にそのマッシュポテトを食っていろ」
「ハーイ。ありがと、マデルアンサー。ところでコレって」
「普通に掬って食え」
「了解でっす」
席を離れたマデルアンサーに、ヘロルトはへらっとした幸せそうな笑みでそう返した。
「ヘロルト」
「ナニかな、ジョゼフィーヌ」
「嬉しそうですわね」
「うん、嬉しいよ。マデルアンサーはヘロルト君のコトにヘロルト君よりも詳しいから、嬉しい。
ああやってヘロルト君のコトを気にしてもくれるからね。毎日全部を忘れちゃうヘロルト君にも優しく全部教えてくれる、最高のパートナーだよ」
「良いコトですわ」
ところで、とヘロルトに問いかける。
「ところで、ナンでマデルアンサーはメイドの姿になってんですの?」
「ああ、ヘロルト君もソレ聞いたよ。ナンでも、色々と面倒を見る必要がある貴様のパートナーには適している格好だろう、って」
「へー」
前に己がマデルアンサーに聞いた時は、「男であるヘロルトからすれば、異性の姿の方が良いだろう」と言っていたハズだが。
まあ、数ある答え全てを把握しているのがマデルアンサーだ。
相手によって返答を変えるというのも、間違いではあるまい。
ヘロルト
遺伝で毎日記憶喪失になるが、友人達のサポートで比較的問題無く生活出来てる。
今までは己の書いたメモに頼って色々な知識を再び記憶していたが、今はマデルアンサーが嫌がったりもせず全ての質問に答えてくれるので嬉しい。
マデルアンサー
万物の答えとされるモノを知っているが、質問者の望む答えでは無いコトも多い為人間とはあまり関わらない個体が多い魔物。
問い掛けに対して答えを与える魔物なので、ヘロルトが毎日同じ、または違う質問を沢山してくれるのが実は結構嬉しい。