初心少年とウンディーネ
彼の話をしよう。
体育会系で、真面目で、初心な。
これは、そんな彼の物語。
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挙動不審というのは、やたら目に入るものだな、と思う。
自分の場合は目が良い分、そういうのはよく視える。
その気が無くとも室内まで見通せるこの目は室内での奇行も視えてしまうので、見ないフリをするのが上手になった。
というか関わりたくも無いのでスルースキルが上がった、と言えるだろう。
だが、ソレは他のヒトに見えない位置で行われた奇行に対して、だ。
「うぉお……おお……!」
……ゴミ捨て帰りに、壁に向かって頭を抱えて唸りつつ時々頭を壁にぶつけている同級生を目撃した時、どういう反応をすれば良いんですの……?
見ないフリをしたくて堪らないが、コレは誰でも気付くレベルの奇行だ。
そしてその奇行をしているのが、体術で良い成績を収めている、分類的には陽キャとされるクリスティアン。
こちらに気付いていないのか、彼はそのミントグリーンの髪を揺らしながら壁にガンガンと頭を叩きつけている。
……放っておくワケにもいきませんわよね。
仕方が無いと溜め息を吐いてから、クリスティアンに声を掛ける。
「クリスティアン、ナニやってんですの?」
「見ての通りだ!」
「いや見ての通りだと、壁に頭突きカマすという奇行をしている頭オカシイヒトでしかありませんわよ」
「そっちの方がマシだ!俺は、俺は……ああぁぁああぁあああぁああ!」
再び壁に頭を叩きつけ始めたクリスティアンに、思わずドン引きして一歩下がる。
彼はかなりまともかつ真面目だと思っていたのだが、彼もまたアンノウンワールド特産である狂人だったのだろうか。
が、このままではどうにもならない。
壁に傷が付くのも、そしてクリスティアンが怪我をして保険室に行くのも、どちらも回避しなくては。
ただでさえ学園側が色々負担してくれているというのに、こんなよくわからない出費を増やさせるワケにもいかないのだから。
「では少し失礼しますわ」
「見ただけではなく、俺は逃げて……グォッ!?」
衝撃を与えないと話すらしてくれそうに無かったので、時々体術で組んだ時にひっくり返されている恨みもあり、クリスティアンに膝カックンを仕掛け、体勢を崩したトコロに腕と足で軽く弾き、バク宙をキメさせる。
綺麗に回転してベショリと地面に落ちたクリスティアンは、相当余裕が無いのか受け身すら取れていなかったが、すぐに回復したのかガバリと起き上がった。
「いきなりナニをする!?」
「奇行状態の同級生にナニがあったのか聞こうとしても無視されたので、ソレ以上はお止めなさいと強制的にストップかけただけですわ」
そう言うと、ようやくこちらの存在に気付いたのか、クリスティアンは驚いたようにパチクリと目を瞬かせた。
「……ジョゼフィーヌか?俺を投げれるとは、いきなり体術の腕が上がったな」
「いやわたくしが上がったんじゃなく、アナタがまったく反応しなかっただけですのよ」
いつもなら死角から攻撃しようと反射とカンだけで対抗して勝って来るクセに、一体ナニがあったのだ。
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とりあえず意識は戻って来たようなので、と中庭に移動した。
話を聞くにもどうもヒトに聞かれたくないようなので、ヒト気の無い場所だ。
……わたくしの部屋かクリスティアンの部屋に行っても別に良いんですけれど、ルームメイトの問題がありますものね。
誕生の館で子作りをするのが常識なので、現在人の性欲はほぼ絶滅しているのが現状だ。
なので男女で同じ部屋に居ようが、危険なナニかが起こるハズも無い。
つまり禁止もされていないので、プライベートな悩みなら個室の方が良いかとも思ったが、もしルームメイトが部屋に居た場合出て行ってもらうのもナンなので、こうして中庭のヒト気の無い場所へ移動した、というコトだ。
「ソレで、ナニかありましたの?今日の授業ではいつも通り絶好調だったハズですけれど」
そう問うと、クリスティアンは顔色を赤くしたり青くしたりさせながら、手を組む。
「……その、森の中で走り込みしていてな、泉があったから汗を流そうとしたんだが……」
言いにくそうにしながら、クリスティアンは組んだ手の上に額を乗せ、背を丸めた。
「…………じょ、女性が、水浴びをしていて……な」
「ああ、覗いてしまいましたの?」
「そうハッキリと言わないでくれ!」
顔を真っ赤にして叫んだクリスティアンの目には、涙が浮かんでいた。
「いや、でも別にそう気にする程のコトでもありませんわよね?」
「気にするだろう、覗きだぞ覗き」
キホン皆性欲が無いのでその辺はあまり気にしないのだが、羞恥が無いワケでもない。
そして罪の意識もあるからこそ、ソコでラッキーとならず、こうして深く思いつめてしまうのだろう。
……わたくしの場合、気を遣わないと制服くらい透視してしまうので、その辺あんまりわかんないんですのよねー……。
油断すると常に透視状態だ。
下着だの全裸ならまだしも、油断し過ぎると筋繊維までクッキリ見えてしまうので、なかなか大変だったりもする。
まあ視界の生き物が皆人体模型みたいな姿だろうと、見慣れればワリと平気だが。
自分はそんなコトを考えてぼんやりしていたが、クリスティアンにとっては一大事らしく、叫んだ。
「……しかも魔物の女性の!水浴びを!俺は見てしまった!」
「あー」
……確かに魔物の場合はちょっと気にしますわよね。
ヒトは殆どが誕生の館を利用するが、誕生の館を利用する魔物はヒトのパートナーが居る魔物くらいだ。
ゆえに野生かつ性行為により繁殖するタイプは、性欲が死んでいたりはしない。
つまりアウト判定率が高い。
「思いっきり目が合ってしまい、俺は混乱のまま謝罪しつつ逃げてしまった……。彼女もナニか言っていたようなのだが、上手く聞き取れず……どうしたらわからず、俺は、覗きという行為を行った上に、逃げ、逃げ……」
「そう思いつめず、まずは落ち着いてくださいな」
罪を自白するように語るクリスティアンの顔色は真っ青だ。
ここはいつから懺悔室になったのだろう。
いや、懺悔室というか、普通に開けている中庭なのだが。
「とりあえず要領を得ないので色々質問して情報を纏めますけれど、よろしくて?」
「……ああ」
背中を撫でつつそう聞くと、クリスティアンは静かに頷いた。
「まず、相手が魔物だと何故気付きましたの?」
「全体的に青くて、透けていたから……。そして目の色も青かった」
「成る程」
透けているとなるとゴーストだろうかと思ったが、ゴーストは霊体でも着れるような服でないと着替えられない。
ゆえにゴーストはキホン、死んだ時の服装が多い。もしくは思い入れの強い服の2パターンだ。
だがクリスティアンの言い方からすると服を脱いで水浴びをしてたのだと思われる。
……もし服を着たままであれば、水浴びを覗いてしまった、という言い方はしませんものね。
ゴーストが水の中に居たら、水死した霊だろうか、と思うだけだ。
そしてここが重要だが、ゴーストは一部を除き、普通のヒトには見えない。
自分のように目が良いモノや、魔眼持ち、そして霊体などに近い、父のようなエネルギー体的存在であれば視える。
一部のゴーストはそういうのでなくとも見えるが、ソレとは違うだろう。
……そう考えると、精霊辺りでしょうか。
精霊はゴーストのように視えるヒトでなくては見えにくいが、見えないワケでは無い。
声が聞こえにくいというのも、視えるヒトでなければ波長が合わないので、納得がいく。
「……声が聞こえにくいとのコトでしたが、どんな感じに、ですの?」
「掠れているというか、ノイズが入るというか……音が小さい上に途切れ途切れ、みたいな」
「成る程」
やはり精霊っぽい。
ゴーストの場合も似たようなモノなのだが、その場合はおどろおどろしいとか、寒気がするとかの感想もあるハズだ。
しかしソレが無いとなると、精霊だろう。
……厄介なのは、泉の精霊ってコトですわね。
可能性としてはウンディーネだと思われるが、ウンディーネの場合は逸話などが少々アレだ。
これだけクリスティアンが思いつめているなら再び会いに行って謝罪すべきなのだろうが、聞き取れないのが痛い。
普段なら自分が付き添って通訳するという案を出すのだが、ウンディーネ相手に女である自分がいきなり顔を出すのは悪手だろう。
……最悪わたくしかクリスティアンが死にますわね。
そしてクリスティアンが死ぬ場合は相手のウンディーネも死ぬ可能性があるというトラップ。
どうにか安全に会話をし、クリスティアンがキチンと謝罪するコトが出来れば良いのだが。
「……文通みたいなのはどうでしょう」
「文通?」
「ええ」
思いついたのは、交換日記だ。
少なくとも文字であれば、聞こえないというコトも無いだろう。
「まず大前提として、相手は恐らく精霊だと思われますわ。どの精霊かは確証が無いので、間違えていた場合が怖いので黙っておきますが」
「その発言がもう既に怖いんだが」
女神が美しく苛烈であるように、女としての特性が強く、感情がハッキリしている魔物は皆恐ろしいのだ。
般若とかホントその最たる姿だし。
「声が聞こえにくいというのは、相手が精霊だからでしょう。クリスティアンは魔眼持ちでもありませんしね。一応魔道具を使用するという手もありますが、文通の方がコストも少なく済むハズですわ」
魔道具の場合、もし丁度良いのが無かったら作製を頼む必要がある。
ソレに時間を掛けるとより一層謝罪しにくくなるだろうから、その辺りも考えた上での文通だ。
「精霊の場合は使用する文字が違う可能性もありますが、確かベルント語学教師の部屋に精霊語のわかりやすい本があったハズですわ。その本と一緒にノートとペンを持って行って、その上で謝罪をし、許してもらえるかどうかを聞いてはどうですの?」
「そ、その手があったか……!」
赤と青を行き来して最早紫に近い顔色だったクリスティアンは、その案に顔を健康的な色へと戻す。
「今すぐベルント教師のトコロに行って本を借りてくる!ありがとう!」
「いえいえ、お気になさらず。あ、でもお相手に誰の案かを聞かれたら相談した友人に、と答えてくださいまし」
「?よくわからんが、わかった!」
いやホント、ソコは重要だ。
うっかりジョゼフィーヌという同級生の女子に助言を貰った、というような言い方をされると変な誤解を生む可能性があるので、匿名の友人という扱いでお願いしたい。
・
数日後、クリスティアンに先日のコトで話があると言われ、再び中庭のベンチで隣り合って座っていた。
「言われた通りにしたら、彼女……泉に住むウンディーネという精霊らしいのだが、ウンディーネは覗きなどという行為をしてしまった俺に対し、とても優しい笑みと共に、許してくれた」
「文通に関しては大丈夫でしたの?」
「ああ!確かに彼女が使用した文字は精霊語だったが、ベルント教師がついでにと持たせてくれた他の本もあったお陰で、意思疎通は問題無い!」
「ソレはなによりですわ」
地球の芸人のように愉快な擦れ違い程度ならともかく、ウンディーネ相手に擦れ違うと最悪死人が出かねない。
神話系での擦れ違いなど、悲劇までのカウントダウンでしかないのだから。
そう考えると、キチンと意思疎通が出来ているようで本当になによりだ。
「……本当に、優しく、美しく、素晴らしい魔物だった」
ほぅ、と息を吐くクリスティアンの顔は、恋をしたヒトのソレだった。
「…………時間ならありますから、お話、聞きますわよ?」
そして自分は独り身なせいでダメージを負うとはいえ、それでも聞きたくなるくらいには恋バナが好きだった。
「そうか!では是非聞いて欲しいのだが」
クリスティアンはクリスティアンで聞いて欲しかったのか、ソワソワした様子で話し始める。
「まず謝罪の時なんだが、会いに行ったら彼女はまた泉のトコロに居てな。その時は水浴びはしていなかったのだが、水の反射がその透き通る体をより美しく照らし、ソレはもう一枚の絵画のような光景で」
「あ、ハイ、えっと、申し訳ないんですけど、その辺ちょっとカットしていただけます?話進みそうにないので」
「そうか?重要だと思うが……仕方が無いな」
……危うく凄まじいノロケを聞かされるトコロでしたわー!
ノロケも度が過ぎなければ聞きたいモノだが、アレは度が過ぎてるタイプのノロケでしかなかった。
やたら友人からノロケを聞かされる身としては、必要以上のノロケは勘弁願いたい。
「頭を下げて謝罪した後、俺には彼女の声は聞き取れないと言って、ノートとペンを渡したんだ。そしたら、見られた時は驚いたが、その時の慌てぶりと謝罪から許す気になった、と。そして、その、俺の顔が好みだったから、また会えて嬉しいとも言ってくれてな」
気恥ずかしそうに、照れ照れとクリスティアンは頬を掻いた。
「そしてまたその時のウンディーネが美しいんだ。サラサラと文字を書く姿も美しいが、ペンを持つその指もまた透き通るような細く柔らかそうで美しい指で、彼女のように素敵な相手の指に口付けが出来たら、と思ってしまった……!」
「まあ実際透き通ってますものね」
というかクリスティアン、凄く顔を赤くさせているが、もしや指フェチなんだろうか。
「そうやって謝罪の後少し話してから、また来ても良いかと聞いたら、是非来て欲しいとノートに書いてくれてな。もしまた来るという約束を破ったら水の中に引きずり込んで殺すとまで言われて、コレは脈アリなんじゃないかと思うんだが、ジョゼフィーヌはどう思う!?」
「脈アリってか約束破ったら脈止まりますわねーって思いますわ」
「そうではなく!」
「ウンディーネがソコまで言うってコトは、伴侶……パートナーになりたい級に好きって意味だと思いますわ」
というか今の話を聞いた上でよく視たら、クリスティアンの周囲に精霊の魔力が視える。
まるで守るようにクリスティアンを覆っている魔力だが、恐らくコレは約束を破った瞬間に牙を剥くモノなのだろう。
……まあ精霊の場合、裏切りさえしなければその分だけの恩恵を授けてくれるらしいので、守るようにっていうのもあながち間違いでもないのでしょうけど。
「いっそのコト、将来的に変な誤解が生まれる前にソッコで告白してはどうですの?常に一緒に居れば、変な誤解は生まれる前に回避出来るでしょうし」
「変な誤解?」
「女子に告白されたとか云々、みたいな。ウンディーネは結構嫉妬深かったりしますもの」
情緒もナニも無く言ってしまえば、ウンディーネはヤンデレ精霊なのだ。
「変な誤解から拗れるよりも、円満なパートナー関係を築く為に、出来るだけ早く行動した方が良いと思いますわ」
少女漫画のような第三者による誤解合戦が発生するのは避けたい。
年頃の男女しかいない少女漫画ならともかく、相手はウンディーネだ。
途端に昼ドラからの悲劇が発生する。絶対発生する。甘酸っぱい思い出にはならないと断言出来る。
「い、いや、だが、出会ったばかりだぞ?」
「わたくしの友人、出会って即日プロポーズとかワリとありますわよ」
そして何故かソレに立ち会ったりするという謎。
こっちは天使の子であって、キューピッドでは無いのだが。
「大体、アナタが告白される可能性があるというコトは、あちらが誰かに告白されるという可能性もありますのよ?うっかりソレを目撃して誤解からの擦れ違いを起こすよりは」
言い切る前に、クリスティアンが立ち上がった。
「すまん、ちょっと告白してくる」
「あ、はい、いってらっしゃいな……?」
自分の言葉が相当な地雷だったのか、覚悟を決めた目をしたクリスティアンは、スタスタと森へと向かって行った。
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コレはその後の話になるが、クリスティアンの告白は無事成功したらしい。
報告はされていないが、察した。
「アナタが友人なのね?女と聞いて一瞬どうしようかと思ったけど……応援してくれたらしいし、クリスのコトは友人としてしか見てないみたいだから、良かった。ねえ、私とも友達になってくれるかしら?」
「あ、ハイ」
その日の日暮れ頃、談話室で本を読んでいたら、クリスティアンが連れてきた美女にそう言われたのだから、報告されるよりも先に察するしかない。
青い髪、青い肌、青い目、青い服。
視えるがゆえに透き通るコトも無く視える彼女は、クリスティアンの腕を抱きながら、とても美しく微笑んでいた。
「あのね?ホントは最初の時、あまりにもクリスが好みの顔だったから、私達の世界……精霊の世界に攫っちゃおうかとも考えてたの」
「あらまあ」
「でも、そうする前に彼ったら、すっごく顔を真っ赤にして謝るから、可愛くって。だからいきなり攫うのは止めて、ゆっくり仲良くなろうと思ったの。……うふふ、だからこそ、数日でパートナーになってくれって言われたの、嬉しかったわ」
ウンディーネの友達になって以来、クリスティアンが少し用事がある時など、ウンディーネはよく自分のトコロへ来て話すようになった。
恐らくクリスティアンが相手では文字でのやり取りになるので、喋り足りないのだろう。
どうも二人からは安全な休憩所扱いされているような気がするが、まあ良いというコトにしておく。
ウンディーネは嫉妬深いトコロがあるが、クリスティアンはあの性格だ。
ゆえに誤解から修羅場になるコトも無く、多少あってもこちらに愚痴りに来る為、大変なコトになる前に対処も出来ている。
「そして話を聞いたら、アナタが色々と応援してくれたみたいで……ありがとう、ジョゼフィーヌ」
「友人の恋の応援をするのは、友人として当然ですわ。でも、どういたしまして」
もし危険視されていたなら大変なコトだが、色々と助言したお陰でウンディーネからは安全牌の女友達として認識されている。
事実その通りでしかないので、変な誤解をされずに済み、ホントに良かった。
身の安全が約束されているからこそ、こちらも安心してウンディーネとの友情を築けるというモノだ。
クリスティアン
精霊語を頑張って学んでいる為、ウンディーネの気持ちはちゃんと理解してる。
調べた方が良いと言われたのでウンディーネについての記述などを調べたが、ソレらを読んでも「俺を選んでくれて嬉しい」としか思わないツワモノ。
ウンディーネ
会話の為にはいちいち書かなくてはいけないが、その手間も愛しいと思っているので無問題。
実は誕生の館を利用するのでも良いからパートナーと子供を作れば半透明に見えるとか言葉が聞こえにくいとかの障害が無くなるのだが、子供はその内作るしと思って言わずに現状を楽しんでる。