この世界と記憶
この世界の話をしよう。
まずこの世界は地球では無く、アンノウンワールドと呼ばれている。要するに未知の世界、というコトだ。
その名の通り、この世界には常に未知が存在している。
例えば魔物。
この世界に動物は存在せず、しかし動物型の魔物は存在するという世界。
魔物との距離感は地球でいう動物との距離感に近く、同じ世界で敵対したり共に生活したりという、共存関係にある。
わかりやすく説明するなら、ポケットに入るモンスターなあの作品。ああいう感じに共存している。
魔物は動物型だけでは無く、機械型、概念型、人造型、その他諸々存在する。
神や天使を始めとし、付喪神に幽霊、そして人を食う鬼や狼などの人外。
かつてはそんな人外達を区別していたそうだが、現在では人外全てを「魔物」という名称で括るようになっている。地球でいう「動物」という括りのようなモノだと思えばわかりやすいかもしれない。
魔物は沢山存在している。
猫と一口に言っても、ミケだのタビだの、はたまたスコティッシュだのペルシャだのと存在するようなのに近いレベルで沢山だ。
人間が品種改良で新種を作るのと同じように、ナンらかのナニかで魔物化することも多い。
つまり常に未知が生まれているというコトであり、それゆえのアンノウンワールド、と言えよう。
……他に、魔法やらもありますものね。
改めて自分の脳内をそう整理しつつ、ドレスの裾を踏まないようにしながら、しかし姿勢を崩さないようにと心掛けながら屋敷の廊下を歩く。
……わたくしはジョゼフィーヌ・エメラルド。現在四歳。それなりの貴族であるエメラルド家次女であり両親健在、兄が一人、姉が一人、つい最近生まれた弟が一人。
自分の中にある記憶を、大人の思考力で纏め上げる。
「…と」
そんな事を考えていたら、到着していた。
自分は目の前の扉を視て中に母が居るのを確認し、軽くノックして声を掛ける。
「お母様、いらっしゃいます?」
「はぁ~い、いらっしゃいますわよ~」
いつも通りにのんびりとした母の返事に少し安堵する。
「あの、少々お話がありますの」
「あらまあ」
扉の向こう、椅子に座りながら自分の弟を抱いてあやしていた母が、少し驚いたように頬に手を当てたのが視えた。
「珍しいですわね……」
同時に、声は出ていないのだろうが、口の動きからそう言っているのが視える。
確かに自分はあまりこう改まって言うコトも無かったので、違和感に気付いたのだろう。
「ええ、構いませんわ。お入りなさいな」
自分の弟をベビーベッドの上に寝かせながらそう言っているのを扉越しに視ながら、一応声を掛けて扉を開ける。
「……それで、何かあったんですの?」
緩いウェーブを描く紫の長髪を背中辺りで二つ結びにしている母は、椅子に腰掛け直しながら、心配そうに言った。
「あったんですの」
そう返し、自分も母にどうぞと手で示された椅子に座る。
「実はですね」
椅子の上で母と向き合いながら、自分は言う。
「何か急に異世界の知識とか記憶がINしましたの」
「あらまあ」
言い出し方も相手の反応も軽過ぎる気もするが、この未知だらけの世界で異世界云々などよくあるコトだ。
惑星からしてアンノウンワールドと未知を全力アピールしているのだから、この程度はおたふく風邪みたいなものである。
つまり、それなりに前例もある。
「えーと……だとすると、どのタイプですの?」
四児を産んだとは思えない若さの母が、首を傾げた。
……まあ、実際産んではいませんものね。
「異世界からの知識や記憶がINすると、人格が異世界寄りになったりと色々あるわけですが……知識だけがINですの?それともジョゼの人格がヤバめなタイプのINですの?」
「お母様、わりと冷静ですのね」
「人格に汚染されて常識崩壊からの廃人状態なら流石にアウトなので戸惑うと思いますけど、見てる限りジョゼ自身落ち着いてますもの。つまり害は無いのでしょう?」
流石は母だ。この未知が飽和状態な世界で生まれて生きてるだけはあって、アウトじゃなきゃセーフ理論で考えている。
……まあ、わりと意味わからないの多めですものね、この世界。
「ええ、害は無い……と、思いますわ」
断言は出来ないが、ほぼ確実にそうだろう。
「何せ、わたくしの場合、異世界に居たらしい自分……と言うのでしょうか。その自分の記憶がINしたみたいなのですが……どうも自我が薄めというか、あまり興味が無いみたいでして。わたくしの中にあるのは異世界の知識だけですの」
「一番楽なヤツですのね」
「そのようですわ」
……というか異世界知識からすると多分前世的なアレだと思うのですが、オタク関係以外に対する興味薄すぎてわたくしを上回れないんですのよねー。
記憶や知識を確認する限り、異世界転生とかのジャンルだと思われる……が、ジョゼフィーヌの自我の方が強かった。
……四歳に負ける自我ってのもどーなんですの?
前世の自分……というか異世界の自分はオタク系以外には本気で興味も無かったらしく、死んだのか死んでいないのかすらよくわからないレベルで記憶が薄い。
もう少し自分の命に興味を持てとも思うが、そのお陰で自分の人格がそのままなのはありがたい。混乱も少なく済んだのは事実だ。
……正直記憶は殆ど無いクセに、知識だけはしっかりある辺り、オタクとしての根性が見えますわね。
他人事のように言わせてもらうが、異世界の自分、オタク過ぎやしないだろうか。
いやお陰で四歳児でありながら思考力がかなり発達したし、異世界の知識やオタクソウルがINしたのでこちらの世界の様々なコトを調べたくてたまらない、というレベルで済んでいるのだからプラマイで言えばプラスになっておりつまり幸運ですの。
途中で思考が迷子になりかけた気はするが、結論が出れば問題無い。アンノウンワールドの常識だ。
「まあ、知識がINしただけなら問題も無いと思いますわ」
椅子の背もたれに体重を掛けながら、母は安堵したように言う。
「肉体が変質したとかならともかく」
それはともかくと言うのだろうかと思うかもしれないが、この世界ではデフォルトだ。
何とこの世界、人間と魔物の混血が存在するのである。
どういうコトかと言えば、誕生の館という施設があるのだ。
夫婦……魔物と人の場合は夫婦に近い相棒という意味でパートナーという名称を使うのだが、そんなパートナー同士の一部、要するに細胞をその施設にある道具に入れる事で、良い感じにお互いの要素を50:50で分けた子が誕生するのである。
何故そんな施設があるのかと言えば、性行為による出産はリスクが高いから、というのがある。
次に生まれつきや事故により子が望めないヒトの為という理由。
そして最後に大きな理由として、魔物と人がパートナーとなって愛し合っても、性行為で子が望めない場合も多々あるから、だ。
動物型の魔物と人では、子は出来ない。機械系魔物と人でも子は出来ない。概念的魔物に至っては性行為自体不可能である。
いや、他の魔物も生態的に不可能なのは多いが。
ちなみに人と人でも誕生の館は使用出来る。元々出産のリスクを無くす為の施設なのだから当然だ。
結果現在は童貞処女でも子持ちはザラに居る、というか寧ろその状態がデフォルトになっていたりする。
なので性行為による出産をした女性は、周囲から熊を素手で倒した猛者のように崇められるレベルである。そのくらいヤバイ。
さておき話を戻すとそんな感じのアレコレで50:50の子が生まれるのだが、五割魔物の遺伝子を受け継いでいる為、肉体に変化がある子も多い。
……お姉様とか、翼も無いのに飛べますものね。
飛べるのは父の遺伝だろうが、父には翼がある。しかし姉には翼は無い、が、事実飛べるのだ。
姉曰く魔力の流れに身を任せれば飛べるらしく、父も翼は補助でしかないと言っていたがよくわからなかった。まあ魔力の流れを視た限り、その通りではあったが。
ちなみに父の種族は天使である。
触れる事は出来るが、生態的に肉体を持たぬエネルギー体に近く、要するに性行為とかで繋がったまま絶頂迎えると最悪本体であるエネルギー体が相手と混ざって天使という種族から変化するという危険性がある、というのが天使だそうだ。
しかし混ざりさえしなければ平気な為、父と母は誕生の館で私達を生んだ。
先程の、母は私達を産んでいない、とはそういう意味だ。
……お父様、思いっきり天使ですしね。
光輪とか翼とか、バリバリ天使だ。
それだけなら魔物と人との間に生まれた子にもよく見られる特徴だが、しかし、父は人外……魔物枠。
どうやって見分けるのかと言えば、目だ。
父の目はリスのように、目の部分がぐりぐりと塗り潰されたような大きな瞳をしている。
しかし重要なのはその大きさでは無い。それが人外の証だったら、その目を受け継いだ自分まで人外になってしまう。
魔物の見分け方は単純明快、目の色だ。
人間は皆、明るい暗いの差異はあれど、皆茶色の目をしている。
対する魔物は、それ以外。赤だの青だのカラフルな目の色こそが、人外の証。
ちなみに父は青目である。春の青空のように、水色っぽさもある青だ。
もっとも魔眼を封じる為に目隠しをしている人や、事故などで目を失った人も居る。そもそも魔物は目が無いものも多いのだ。
その場合は、気配で見分ける。言ってしまえばカンであり、何となくだ。
人間っぽい、魔物っぽいという感覚での判断だが、これがまた確実性が高い。
中には人に寄生する魔物も居るので百発百中とは言えないが、九割七分くらいの確率で当たる。
自分の場合は魔眼では無いものの目が特殊なので、感覚に頼らなくても視たらわかるが……まあ、これは今語るものでもないから良いだろう。
「とりあえず、お母様にはわたくしに異世界知識がINした報告をしておきたかったんですの」
「ええ、話してくれて嬉しいですわ」
そう言って微笑む母に父譲りの銀髪を撫でられた。
サラサラストレートな父とは違い母から遺伝した緩やかな、しかし毛量がある為主張の強いウェーブの掛かった銀髪が揺れるのを広い視界で視ながら、心の内で安堵する。
……異世界の自分が持ってた知識では、話しても相手に受け入れてもらえないパターン多いですものね。
よくわからん事はザラにあるわ、アウトじゃ無ければ大体はスルーして生活するわなアンノウンワールドだ。
異世界知識程度で騒ぐ程無知でも無いし、殺伐ともしていない。
ああ、あるある。と流されるレベルの、日常なのだ。
「今は彼……お父様は町の人に頼まれたとかで出ていますからすぐには伝えられませんけれど」
頭を撫でる手は止めずに、母は窓から外を見つつそう呟く。
「帰ってきたら、お話しましょうね」
「ええ。……お父様のコトですから、遅い帰りになりそうですけど」
「うふふ。彼、人気者ですもの」
この辺りの領地の持ち主は、エメラルド家だ。
父は天使なので入り婿みたいなものであり、言ってしまえば当主は母なのである。
しかし、父は天使ゆえの接しやすさ、相談のされやすさなどから領民達の好感度を上げ、今では領地で知らない人は居ないレベルで人気者となっている。
……まあ、飛べるからってフットワークも軽いですしね。
恐らく今日もあちこちで声を掛けられ、日暮れ頃に土産を持たされて帰ってくることだろう。
「お兄様とお姉様は学園だから……報告出来ませんわね」
兄と姉は既にペルハイネンという国にある学園に通っている。
ペルハイネンは地球的に言うならファンタジー要素が含まれた中世のヨーロッパみたいな国だ。
……いえ、わたくしが居るここもペルハイネン内ではありますが。
そのヴェアリアスレイス学園は九年制であり、十歳から入れる、世界一大きい学園。
遠い国や町から来た者は学園内の寮で生活しており、要するに兄と姉は長期休みでもなければ帰ってこない。
「手紙を書けば良いんですのよ」
優しく微笑みながら、母は机にある引き出しから便箋を取り出した。
淡いピンクに、パステルカラーの花が咲いているような可愛らしい便箋だ。
「彼には今晩、食事の時にでも話すとして、二人にはこちらで伝えましょう」
母はイラズラっ子のようにクスリと笑う。
「仲間外れにした、と拗ねちゃうかもしれませんものね」
母のその言葉に、自分も笑った。
ジョゼフィーヌ
この時点では四歳。次からは十歳。
前世だなと思える知識がINしたが、オタク部分以外の自我が薄かったのでジョゼフィーヌの知識として吸収された。
なので基本的にアンノウンワールド基準。
魔眼では無く、生まれつきでも無く、後天的にやたらと目が良い。
ただし物心ついた時にはもう目が良かったので、後天的部分の理由は現状不明。