昼下がりの〈ダンステリア〉にて
アキバの街の中の飲食店の中でもひときわ綺羅びやかな雰囲気を放つ、ケーキを主力とするカフェ〈ダンステリア〉。時刻も昼を過ぎ、客もまばらとなったカフェテーブルの一つに、無精髭を顎に生やし、すこし癖のある髪を短く切りそろえた目の細い男性が一人座っていた。
「うう、正直アウェイ感が半端ないっスねえ」
その男性、カーユは所在のなさにおもわず身体をふるわせる。
カフェテリアという店の性質上、〈冒険者〉と〈大地人〉が混じりはするものの、店で働くウェイトレスは女性ばかり。店のテーブルにまばらに座る客もその殆どが女性で、カーユ以外の数少ない男性も女性との同伴客ばかりだ。
ああ、あいつら爆発しないかなあなどと心のなかでぼやきながら、カーユはもう冷めてしまったコーヒーに口をつける。正直味わう余裕はなかったりする。
残念ながら長らく特定のパートナーとなる女性のいない彼としては、本当であればアキバの街の中でも遠慮したい場所の上位に位置するこの〈ダンステリア〉なのだが、今日ばかりは此処ではなくてはならない理由があるのだ。
「待ち合わせまでは、あと10分ってとこッスかね……」
何度目になるだろうか。〈海洋機構〉に所属する〈機工士〉が造った懐中時計をまたも懐から出し、その文字盤を確認しながらカーユは誰にというわけでもなく呟く。
待つという行動が別段嫌いというわけではないが、それも状況次第、相手次第だ。この店内の雰囲気、それに加えてこの後には大ギルド同士の利益の損得に関わる交渉が待っているのだから、どうにも落ち着かない自分のこの状況も仕方がないじゃないかとカーユは心のなかで自分に言い訳する。
まるでゲーム〈エルダー・テイル〉が現実化してしまったようなこの世界でこそ、アキバ最大を誇る生産系ギルド〈海洋機構〉の副官ナンバー2などという多くの人の上に立つ立場にあるが、元々の中の人といえば、少々機転がきいて喋れるという程度の普通のゲーマーでしかないのだから。
そして、今日の交渉の相手はあの〈D.D.D〉なのだから。
〈D.D.D〉というのは、なんとも捉えどころの無いギルドだ。ゲームだった時代からミナミ最強を誇ったギルド〈ハウリング〉と並び称される、日本サーバー最大の戦闘系ギルド。その構成人数もさることながら、高度に統制のとれた組織化によってどの戦闘系ギルドよりも多くの〈大規模戦闘〉レイドクリアの実績をもつ、日本で〈エルダー・テイル〉をプレイしていたゲーマーであれば誰もがその名を知る超有名ギルド。しかし、その実態というのはどうにも外部からはいまいち見えてこない。
とはいえ〈D.D.D〉がうわさに聞くミナミの〈Plant hwyaden〉のように秘密主義を貫き、外部に漏らす情報まで制御しているのかといえば、そうではない。
〈大災害〉前にはサブギルドマスターの地位にあり、他のギルドとの交渉などに出てくることの多かった櫛八玉という女性プレイヤーは時に非常に計算深かったりはするものの結構に明けっ広げな性格であったし、カーユ個人としてもゲーム時代から交友のあるギルド幹部のうちの一人、リチョウなども豪胆で快活といった感じで必要以上に隠し事をするようなプレイヤーではない。
その他に聞こえてくる〈D.D.D〉所属の〈冒険者〉の噂も、一流ではあれども、さほど特別なものでもなければ謎めいているわけでもない。さらに言えばギルドマスターのクラスティがアキバ〈円卓会議〉の代表に就任したことにより、〈D.D.D〉というギルドを構成する〈冒険者〉が外部と関わることも以前に比べると非常に多くなっていると言えるだろう。
しかし、例えば〈黒剣騎士団〉や〈ホネスティ〉のようなアキバの他の戦闘系ギルドと比べると、その個々の〈冒険者〉から得られる情報から〈D.D.D〉というギルドの輪郭というか実体みたいなものが、イマイチ見えてこないのだ。
だからといって普段のアキバの街での生活に困ることはないのだが、今回のカーユのように、いざ〈D.D.D〉というギルドを相手取ることになる立場になってしまった〈冒険者〉は、その捉えどころのなさに困惑してしまったりするのだ。
とはいえカーユもあの〈大災害〉以降、自分の所属する〈海洋機構〉というギルドの看板を背負って幾つもの交渉事をこなしてきた自負がある。無策というわけではない。
今回の交渉の場へ現れるのは現状〈D.D.D〉の副官を務めている高山三佐であろうことは予想がつくし、その高山三佐は「エターナルアイスの古宮廷」において開かれた〈大地人〉貴族たちの領主会議の時に同席している、いわば「戦友」でもある。
そしてその時の情報から、彼女が極度の甘党であるとの情報も得ている。
だからこその、この〈ダンステリア〉なのだ。甘いケーキで飽和攻撃を仕掛ければ、あの鉄面皮の高山三佐といえども隙を見せるに違いないのだ。
そんな感じで自分を奮い立たせるために心の中で一人拳をにぎるカーユの頭上から、女性の声がかかる。
「〈海洋機構〉のカーユさんですよね? お待たせしまったようですみません。〈D.D.D〉のリーゼです」
「えっ?」
「えっ?」
カーユの立てた作戦は、どうやらその最初の段階から崩れ始めてしまったようだった。
◆
「ほい、お待たせしました。カーユさんにはコーヒーおかわりと、リーゼちゃんにはアップルティーとモンブランね」
そう言ってカーユたちの座るテーブルに給仕に来たのは〈ダンステリア〉の店長、可奈子だった。この店自体には馴染みはないが、店と同じ名前のギルドのギルドマスターである可奈子女史とは生産ギルドの連絡会などで顔をあわせることもあり、カーユとしては知らぬ相手というわけでもない。
職人気質な料理人、そして色々なギルドの女性〈冒険者〉に顔のきく女性だという風に記憶している。
「ふーん、珍しいお客様だと思ったら、そういうこと」
その可奈子はリーゼとカーユの顔を交互に眺めた後、納得したとばかりに小さく頷き、2人の前にリズミカルで慣れた手つきでティーカップやケーキを並べていく。
そして、メニューを並べ終えてテーブルを去るその際に、カーユの耳元に小さな声で囁いた。
「リーゼちゃん、中の人まだ高校生だからね。あんまりアコギにむしるような取引しちゃだめだよ?」
(ぶふっ!)
口につけたコーヒーを吹きそうになりながら振り向くと、既にそこには可奈子の姿はなく、スキップするような軽やかな足取りで店の奥の方に戻っていく彼女の後ろ姿が見える。すでに店内には他の客の姿も殆ど無く、特に仕事もないのだろう。可奈子は店のカウンターまで戻るとこちらを振り返り、まるで「見ているぞ」とでも言うかのようにカーユと目を合わせ、にやりと笑う。
(じょ、女子高生!? ってことはカフェテリアでJKと二人でデーtいやまて違うぞ俺。これはギルド同士の取引だろ、落ち着け俺……)
動揺する心をどうにか宥めながらテーブルの正面に座るリーゼの方に向き直り、カーユは相手の姿を改めて視界におさめる。
左手でソーサーを胸の位置まで上げて支えながら上品に紅茶に口をつける仕草は、ボリュームのある巻き毛の金髪とも合わさって育ちの良いお嬢様のような印象を作り出しているが、高山三佐とも似た意匠のどこか軍服を思わせるローブ姿と少しきつめな目つきからは、戦闘系ギルドの幹部らしい鋭さも感じられる。一見すると隙のなさそうな印象。
しかし先ほどの可奈子の言葉を思い返して見なおせば、その表情の後ろには歳相応の緊張したような少し幼い雰囲気が見て取れる。
(うわあ、これ、やりにくいっスねえ……)
たしかにこんな相手と一方的に有利な条件で取引などしてしまったら、自分は悪者街道一直線。今晩の夢見はさぞ悪いものになってしまうだろう。「あの眼鏡の色男から上手くぶんどってこいよ」と送り出してくれたミチタカやギルドの仲間たちには申し訳ないが、今回は無難な線で収めるしかないと、カーユは諦める。
お互いに一口、二口とカップに口をつけ、少し落ち着いたところで、カーユは用意した中でも最低限の儲けで試算したほうの目録を懐から取り出す。
そして、その目録をリーゼの前に差し出し、取り引きの言葉を開始する。
「え、えっとこれが今回、収集依頼をかけたいアイテムの一覧っスね。主に中レベルの大規模戦闘由来っていう〈ホネスティ〉からの公開情報を元に金額は試算してあるんで、確認してください」
「は、はい。拝見しますわ」
少しぎこちない手つきで目録を受け取ったリーゼだったが、そこは流石に〈D.D.D〉の幹部といったところか、目録に目を通すうちに、固かった雰囲気はしだいにしっかりしたものへと変わっていく。
「あら?」
そして、目を通し始めてからしばらく経った後、なにか気になる部分を見つけたのか、リーゼはちいさく首をかしげる。
「なんか気になる所があったっスか?」
「はい。まず、この〈銀の円環〉。これは確かに記述のあるレイドゾーンでのドロップもありますけれど、それ以外でも率は落ちますが通常フィールドのモンスターからのドロップ情報があった筈です。そのフィールドのモンスター分布は〈大災害〉後も変わっていないとうちのギルドでも調査済ですね。それから〈絶えない火種〉に関しては〈鬼火のかけら〉と適切なレベルの魔触媒との錬成でも作成できますわ。あと、この〈積層結晶体〉。これであれば指定されたレイドゾーンよりも、収集効率で言えば──」
「ちょっ、ちょっと待った!!」
「はい?」
まるで用意してあった原稿を読み上げるかのようにスラスラと、保持するアイテムの種類ではアキバ一である〈海洋機構〉でも、流通では大きな役割を締める〈第8商店街〉でも、情報の収集と公開を旨とする〈ホネスティ〉でも把握していないような貴重な情報を次々と口にするリーゼの言葉をカーユは慌ててさえぎる。
そういえば噂で聞いたことがあった。『焚書されざる図書目録』アンブレイカブルライブラリ。その卓越した記憶力と頭の回転の早さから、情報においてギルドを支える〈D.D.D〉の三羽烏の一人。それが彼女なのだ。
ひとつ息を呑んだ後、カーユはゆっくりと周囲にもういちど視線を流す。目に留まるのは先ほどと同じようにこちらを眺めたまま、うっすらと笑みを浮かべる可奈子女史の姿。
〈エルダー・テイル〉のプレイヤーというのは7対3くらいの割合で女性が少ないと言われている。そのせいなのか、それとも元来、女性というのがそういうものなのか、アキバの女性〈冒険者〉というのはギルドなどの垣根をこえて繋がりをもっているかのように感じられることが多いとカーユは常々感じていた。この状況は不味い。ここで下手をうてば、その女性たちを敵にまわしかねない。
(ああ、こりゃダメだ)
カーユは天を仰ぎながらため息をつき、この時、本当の意味で全ての駆け引きを諦めた。
「いやいやいや。wikiとか見れない現在、そういうアイテムドロップとかの情報っていうのは財産っスから、特に俺みたいな商売人には簡単に明かしちゃダメです! 正直言って、今さらっとリーゼさんが口にした情報でアキバの一部のアイテムの相場変わるっスから! そういう札は隠してちらっと見せつつ取引材料にしなくちゃダメです!」
「え? そうなんですの?」
「そうなんです!!」
きょとんとした幼い表情で首をかしげるリーゼに対して、半ばやけになりながらカーユは説明をする。
「あーもう! 聞いちゃったからにはしゃあないっス。じゃあ、この、ここの買い取りの値段、倍に上げるんで、これが情報料ってことでいいっすかね」
脳裏で今得た情報を金銭に変換する算段をたてながら、カーユはこれで勘弁してくださいといった風に心の中で白旗をあげる。
「ありがとうございます。あ、それから〈D.D.D〉としては〈命奪の刃金〉と〈鮮血の宝玉〉の流通量が増えてくれると助かるのですけれど、これのコアドロップとか錬成の情報とかも取引の札になるんでしょうか。あ、それからうちではもうあまり使う人は居ませんけれど、〈焦燥の車軸〉あたりは素材が簡単に集まりますわね……」
だが、その計算をもぶち壊すべく、またもリーゼから情報という手榴弾が投げつけられる。いや、情報が増えてカーユや〈海洋機構〉が一方的に損をするわけではない。最終的なプラスは事前に想定していたよりも随分と大きなものになるだろう。なのだが、今回の取引のために用意した資金やアイテム、その量や予定されていたスケジュールが白紙に返って、なおかつ数倍の事務作業になって彼自身に降ってくる未来がカーユの脳裏によぎる。
「うう、買います。その情報全部買わせてもらうっスよ……」
そこまでだった。テーブルに突っ伏し、カーユはそこで力尽きたのだった。
 




