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勢いだけで書いてます。ご了承ください。
「もう本当、ふざけんじゃねえ! あのクソジジイ!」
俺、高校二年ももうすぐ終わりの神崎たつみはコンビニのATMの前で、思わずキャッシュカードを床に叩きつけた。周りの目線が俺に集中してるのはわかったけど、このイライラは止められない。
たかだか十五万だと? 一ヶ月十五万で生活しろって言うのか!
俺の親は長者番付けにも乗る大富豪だ。ほんの数日前までクレジットカードだって使い放題だった。なんだこの仕打ちは。
俺は引きだした十五万円を、高級ブランドの革財布にしまい、コンビニを後にする。大雨だ。持ってきた傘も意味をなさないくらいどしゃぶりだった。真冬にこんなどしゃぶりとか、単に神様の嫌がらせとしか思えない。
一応傘をさして自分のマンションへと帰っていく。そのマンションでさえ築二十年経つおんぼろマンションだった。風呂なんて入っていて興ざめする。今どき全自動だろ。なんで手動なんだよ。
そんなことを思いながら、俺は結局濡れて冷えた体を温めるためにシャワーを浴びる。狭い狭いシャワー室でどうしてこうなったのか、何度も頭を巡らせた。
それはほんの数日前だった。部屋でくつろいでパソコンゲームをしていた時に、成績表を持った親父が俺を訪ねてきたんだ。俺の成績が酷かったらしく、眉間に皺を寄せていた。まあいつものことだと思ってたんだ。この時はな。
俺の高校は金さえ積めば入れる。むしろ金がなければ入れない。言うところの、お嬢様・お坊ちゃん専用の学校だ。生徒の成績はピンキリで、くっそ天才めいたやつもいれば、俺みたいな親に呆れられてばかりの奴も沢山いる。
正直成績なんて俺にとってはどうでもよかった。高校だって行かなくたって良かったんだ。親父の後を継ぐだけで金が入ってくるんだからな。元々勉強なんて意味がないと思っていた俺をこんな学校に突っ込んだ親も馬鹿だと思う。
そんな馬鹿親父が俺の部屋に入ってきてこう言ったんだ。
「大学受験をしろ」
ってな。
まあそれだけなら別に良かったんだ。本当に。
「偏差値六十以上の大学の学部に受かる事が条件だ。それまで家に帰ってくることも、私の会社を継ぐことも許さん。勿論クレジットカードも没収だ。現金で生活しろ」
はて、こいつは何を言っているんだと思った。だけどそんな俺を無視して親父はまくし立てて言葉を続ける。
「一人暮らし用のマンションは決めてある。月々仕送りもしてやる。家賃と電気水道代はこちらで出してやる。それと」
まだあるのか、と俺は呆れた。この時はまだ、親父が冗談を言っているのだと俺は思ってたんだ。
「お前に家庭教師をつける。大学一年生だ」
「はあ?」
さすがに声に出してしまった。家庭教師なんて過去何度もつけていた。だけど皆俺の馬鹿さ加減に匙を投げて逃げ出していたんだ。なのにまだつけるっていうのか。
「親父、冗談ももう少しリアリティ出さないと」
ケタケタ笑う俺を見て一向に笑う気配のない親父。さすがに俺もこの時ばかりは、まさかと思わざる得なかった。
「え? マジなの?」
「荷造りをしろ」
「いや、ちょっと急すぎない? 母さんだってきっと反対す……」
「母さんも賛成している。さっさと支度するんだ」
この時、俺のバラ色の人生は終わった。
シャワーを終え、半袖を着る。寒くないかって? 大丈夫。暖房はがんがんにつけてるからな。どうせ電気代は親持ちなんだ。これくらい贅沢しても構わないだろう。
そのままベッドに横になる。そして部屋を見渡した。
小さいキッチンに、小さいダイニング。そしてそのダイニングから続く扉を開けるとなんてことでしょう、小さな部屋が一つ。今俺が横になっている『勉強部屋』だ。勉強部屋にはベッド以外に机とパソコン、それから本棚しかない。テレビや漫画やゲームは全部実家だ。以上部屋の説明終わり。
つまらん人生だ。
俺は枕に顔を埋めた。もうパソコンゲームとインターネットサーフィンしかやることがなくなる。たかだか十五万じゃ学校の奴らとまともに遊ぶこともできない。終わったな。
一人でぶつぶつと文句を言っているとインターホンが鳴った。誰だよ、と思って思考を巡らす。
「ああそういえば」
今日だった。親父が勝手に決めた家庭教師の初訪問ってやつですね。
玄関に向かい、鍵を開ける。どうせ今まで通り、真面目なスーツを着た姉ちゃんか兄ちゃんなんだろうな。いかにも勉強してました、って奴。もしくは大学デビューしました、みたいな作りたての大学生ばかりで変わり映えしないんだよな。
「はいはい、どうぞ」
俺は扉の先にいる『先生』をよく拝んでやろうと思って、思わずにやけていた。だが、その矢先だ。
「神崎たつみだな?」
突然呼び捨てにされ、少し開けた扉をがんっと自分で開けやがった。
「私は鈴木由香。お前を教えに来た」
オレンジのジャージにぼさぼさのショートヘア、そして眼鏡をかけた、到底大学生とは思えない風貌の女もどきが、俺を睨んできている。俺は突然のそれにただ呆然とするしかできなかった。
「邪魔するぞ」
俺が何も言わないでいると、その女がずんずんと家の中に入っていく。
「ちょ、ちょ、ちょっと待てよ!」
さすがの俺もそれには我に返り、女の腕を引いて引きとめた。
「なんだ」
なんだ、じゃねえ! 一体何者なんだこの女。
今までとは全く違うタイプのそれに俺は少々戸惑う。
「勝手に人の家上がらないでくれるかな」
「ああ、そうだったすまない。お前の名前をちゃんと確認してなかったな」
「俺は神崎たつみで合ってるけど……いや、そういうことじゃなくて……」
「合ってるならそれでいいだろ」
そう言って女は腕を振りほどくとダイニングを抜けて勉強部屋へと入っていく。未だ頭が整理しきれてない俺は、ただぽかんとしていた。
えーっと、あの人は本当に家庭教師?
さすがの俺も困惑する。なんでよりにもよってあんなコミュニケーションが取れなさそうな奴をよこしたんだ。
そうこうしているうちに女が部屋から出てきて、また俺の方へ戻ってくる。良かった、ただの間違いだったのか。
と、思ったのも束の間だった。
「あの部屋暑いぞ。温度下げといたからな」
「は?! 勝手に下げんなよ!」
さすがの俺もカチンときた。なんなんだ本当にこの女!
「冬だぞ。もう少し節電しろ。お前はもう少し厚着しろ」
「そんなの俺の勝手だろ、うるさいんだよ」
勝手に部屋に入り、勝手にエアコンまで操作して、しまいには小言まで言ってくるそいつに俺は心底腹が立った。解雇だ! 俺はすぐさま親父に電話してやろうと思い、ポケットにあったスマホを取り出す。
「何する気だ?」
「決まってんだろ。解雇だ解雇」
俺が親父に電話をかけ始める。だけどその女ときたら、微動だにもせず、ただ笑って俺のすることを見ているだけだ。
その理由がすぐに俺にもわかった。親父との電話を切ると俺は項垂れるしかなかった。
「年間契約だと?」
ふざけんな。なんだそれ。腸が煮えくりかえりそうだ。親父は解雇するつもりは毛頭ないらしい。
「ふざけんな、お前みたいな奴」
俺は背を向けて部屋に戻ろうとした。何が何でもこいつの言う通りなんてしてやらねえ。そういう思いでいっぱいだった。
だが次の一言で俺の足は止まってしまう。
「お前、偏差値六十以上の大学に入らないと、家に戻れないんだってな」
そうだった。俺は現実問題このままでは家には戻れないんだ。
いっそニートになるか? 一瞬そんなことも頭をよぎったが、ニートの暮らしなんてせいぜい引きこもってネットの奴と会話するくらいだ。そんなんじゃなく俺は贅沢な暮らしがしたい。金が使いたい。そのためには収入がいる。どう考えても家に戻るしか手がない。
女の一言でぐっと奥歯を噛みしめた。
俺は頭が悪い。そんなこと自分でもわかってる。頼れるのはこいつだけだ。だけどだけどだけど、頼りたくねえ!
「私についてこれれば偏差値六十なんて余裕だぞ」
その言葉を聞いて俺は振り返った。馬鹿言うな。俺の今の成績を知った上で言ってやがるのか。
「言っとくが、俺は分数ができねえ。小数もだ」
それを聞けば大抵の家庭教師は一瞬顔を歪める。
けれど、その女は違った。ずっと笑っていて、「だから何?」と言わんばかりだ。
「今の成績はさほど問題じゃない。一番の問題はお前自身のやる気だけだ」
さも当たり前のことを口にする。
ふん、と俺は鼻で笑った。やっぱりな。結局言ってること『普通』じゃねえか。
「言っとくけどやる気はない」
自信満々に答えると、今度は女が鼻で笑った。
「なら何年かかってもそのままだな。一生今の暮らしを続けると良い」
それを言われて自分の眉間に皺が寄るのがわかった。
「それじゃ困るんだ」
「だったらやる気を見せろ」
「見せろって言われたって……勉強なんかしたことないからわかんねえよ」
さすがにちょっとしょげる。それを見ていた女は黙って、そしてにやりと笑みを浮かべた。
「なんなら座って話そうや」
ダイニングのテーブルの向かい側に座った女――由香――が、俺の出したウーロン茶を飲みながら、ずっとにやついている。ちょっと気味が悪い。だけどよくよく見てみると、眉毛はきりっと整えられていて、目も大きくはないが二重で、鼻も高めだった。恐らく化粧をすると化けるタイプだ。
そんなことを思っていると、「さて」と由香は口を開く。
「やっと落ち着いたな」
いや、元凶はあんたの言動ですから。
俺は苦笑しながら、続きの言葉を待った。
「お前の成績は親御さんからもう教えてもらってるから大雑把には把握できてるつもりだ。はっきり言おう。お前の頭じゃ今から一年じゃ偏差値六十は無理だな」
おう、はっきり言ってくれますね。今までのどの家庭教師も言わなかったことをすっぱりと。
「だからと言って、だらだらやるわけじゃない。二年だ」
そう言って由香はブイサインを作って俺に見せる。さすがの俺もこれには少々驚いた。たった二年で小学校から高校までの範囲をやってのけるのか?
「いいか。大学受験に必要な事はある程度限られてくる。小学校、中学校の全範囲を完璧にできる必要はない。だけど完璧にできないといけないところはしっかり教える」
それだけ言うと、由香はきょろきょろと当たりを見回す。
「見たところ、お前の部屋には参考書というものが一つもないな」
まあそりゃあ勉強なんてしたことがないもので。
俺がそういうと、また由香が俺を睨んできた。目力ってやつですか。ちょっと怖いんですが。
ひるんでいると、由香は立ち上がり、俺を見下す。
「着替えろ」
「え?」
「参考書を買いに行く」
「はあー! もう疲れた!」
両手いっぱいの参考書の紙袋を机に置くと、俺はそのままベッドに横になった。
本屋で漁りまくった結果、数万円がお空へと飛んでいった。こんなことに金を使ったことがない俺としてはもったいないの一言に尽きる。
買うだけ買って、由香は俺に明日までの『宿題』を出して帰っていった。俺はその宿題の参考書を取り出す。そこには『はじめての掛け算割り算』と表記されている薄っぺらいドリルだった。
さすがに馬鹿にしすぎだろ。
俺はまたため息をつく。こんなんで本当に俺は大学に入れるのか?
とりあえず、机に向かうことにした。なんだかパソコンをいじる以外に机に向かうなんて新鮮なんだが。
俺はドリルを開ける。ああ、やっぱり簡単だわ。シャーペンを手に取り、さらさらと解いていく。だけど後半になるとややこしい割り算が出てきて、時間がかかるようになった。ああ、本当めんどくせえ。
最初はちまちまと解いていたが、いつの間にかドリルを放り出してパソコンをいじっていた。まあ明日の夕方までだし、明日は日曜日で学校休みだし、午前中にやればなんとかなるだろう――
「は? 宿題が終わってない?」
「あ、ええと、これにはわけがありまして……」
結局俺はあのあと徹夜でゲームをして、昼過ぎまで寝ていたんだ。昼食をとったり、ゲームのイベントをこなしてたら、あっというまに約束の時間になっていた。そう、俺は小学校二年生の宿題でさえまともに終えられなかったのだ。
由香はぎろりと俺を睨んでくる。口には出していないが、相当怒っている。
「……まあ、想定範囲内だ」
彼女はため息を一つついた。目線が反れるとふうと俺も安堵する。
そんな彼女が何をひらめいたのか、俺の隣に座ると、物凄い勢いで何かをメモをとった。そしてそれを広げて俺に見せる。
「ざっくりと、予定だ。今から夏まで半年。中学レベルまで引き上げてやる。メインターゲットは数学、英語だ。この二つは文系理系問わず必要になってくるからな。それから勉強の習慣がないお前に宿題は無理だとわかった。いいか。毎日だ。学校が終わり次第私が来て面倒みてやる」
これが、俺の地獄の始まりだった――