03
次の週の月曜日、隅市さんと保育園の運動場で擦れ違った。
「この前はありがとうございました」
「また行きましょう」
この日はこれだけで終わった。
だがこの日以降、我々二人は保育園で出逢うと、挨拶とは別に意味深な笑みが交わされるようになった。会話はない。挨拶だけだが、視線のやり取りだけで、全ては済む。私は、保育園で隅市さんに出逢うと、ホッとするようになった。飲みに行く前も、保育園の中で、誰かの父親に会えば、なにか安心するところはあったが、一緒に飲んだ仲間の隅市さんは、もう誰かの父親ではない。
私はいつのタイミングで、つぎ隅市さんを飲みに誘おうか、ウズウズしながら見計らっていた。
というのも、隅市さんと飲みに行った時も、連絡先の交換はしていなかったし(私に関していえば、警戒心から携帯すら持って行ってなかった)保育園の中でも、毎日会えるとは限らない。それに私なりに他の保護者の登園、降園が少ない時間に赴いていたのだが、やはりゼロというのは不可能で、周囲の目を気にして、気がねなく飲みの約束を取り付けるのは困難であった。
しかし前の飲みから十日後、声をかける機会ができた。
朝、パンダ組の部屋で私が息子と二人きりでタオルや下着を所定の位置にセットしていた時、将吾くんと隅市さんが入室してきた。
「おはようございます」
隅市さんは、いつもの笑顔で声をかけてきてくれた。
「ゆいと、いこぉ」
隅市さんの息子、将吾くんが、私の息子を伴い部屋を出ていった。結人と将吾くんは仲の良い友達になっていたようだ。
朝の時間も、保育園では午後六時以降といっしょで、園児を一つの部屋――遊戯室で保育してくれる。そして九時になると、年齢ごとの教室に身を移す。 今二人は、遊戯室へ行ったと思われる。
「隅市さん、今週の金曜日どうですか? コンビニ」
私は早速飲みに誘う。
「いいですねぇ。オッケーです」
「じゃあ待ち合わせの場所、今度はコンビニの前でいいですか?」
「そうですね、そうしましょう。時間は前といっしょぐらいの七時半でいいですか?」
「はい」
我々はそろって遊戯室に向かった。記入用紙に時間を書くためと、息子に一言声をかける為だ。
「じゃあな結人」と息子に声をかけると、彼は笑顔で手を振った。将吾くんも隣で手を振っていた。こちらは隅市さんに対してだ。
「行ってらっしゃい」
保育士の先生も笑顔で私たちを送り出す。
私はこの「行ってらっしゃい」を毎朝聞くたび、心がどんよりする。
(どこに行くんだ、俺は?)
自問せざる得ない。
息子を送った私の当時の生活は、そのあと家に帰り、洗濯機を動かし、その間に朝食を生意気にも摂って、それが終わると、洗濯物を干し、テレビを見たり、食器を洗ったり、お風呂掃除をしたり、またテレビを見たりしていた。外出しない。なのに「行ってらっしゃい」だ。
嫌味か?
私の心は、そんなことでも荒れる。
金曜日になった。
今回は、妻に二千円ぐらい用意してもらった。私は何度でも言うが当時無職。飲みに行くなんて大それたことのできる身分でないのは重々承知していたが、妻は、いやな顔せず、お金を手渡してくれた。私は、感謝しながらコンビニに向かった。
隅市さんはもう到着していた。
「早いですね」
七時半になるには、まだ十分ぐらいあった。
「ええ。じゃあさっそく買いに行きましょうか」
この日は、自分の物は自分で支払った。これからは、ほんとそうしましょうというルールにした。
この前と同様、我々は、とりあえず乾杯をして、缶を傾けた。
「実はもっと早く誘いたかったんですが、中々タイミングが……」
と私は切り出した。
「私もです。保育園で会っても飲みの誘いの話はねぇ。だから出輪さんと約束取り付けられなかったので、僕、前の週に一人でここに来ました」
「あっ、そうか、もともと隅市さん、ここでひとりで飲んでたんですもんね」
「ええ。だから、出輪さんも気が向いたらここにきたらいいじゃありませんか。よほどのことがないかぎり大抵週末は私、ここにいますから」
「そうですね。そうします」
私はチキンをほおばる。やっぱり香辛料がきいていて美味しい。
「――へぇ、家事はすべて隅市さんがしてるんですかぁ。え? ごはんの用意もですか?」
「そうですよ」
この日、飲みながらまず話題に上がったのが、日中家で何をしているかだった。
「すごいなぁ、僕は料理はしていません。米研ぐことは毎日しているけど」
「料理、おもしろいですよ。今度挑戦してみたら?」
「僕、無理です。包丁で物を切るってのがどうしても怖くて……。なんだか、絶対自分の指切りそうで」
「ははは、大丈夫ですよ。最近は、包丁なんか使わなくても、料理できますよ。大根、人参、じゃがいもの皮はピーラーっていう皮むきの器具もあるし、カレーだったら野菜をみじん切りにする必要がないから、まず指を切るってことはないです」
「そうですかぁ?」
「ハンバーグに関して言えば、ミンチ肉をこねるのが気持ちいいんですよ。そのあと、ぺったんぺったんと手のひらに向けてこねた肉を投げるんです。ミンチ肉から空気を抜くためにね。その時の音と手のひらに伝わる感触が気持ちいいんです。ぺったんぺったんとずっとやってられます。料理はね、厭なこと忘れさせてくれるんですよ」
この日の隅市さんは、酒がよい具合に働いたのか、とても饒舌だった。
「カレーぐらいなら、できそうかな……」
「奥さん、喜んでくれると思いますよ。カレーの場合、子供は別味にしなければなりませんけどね。大人用のカレー粉を入れる前に、子供の分は別のお鍋に入れて、甘口のルーで煮込まないといけません。あと簡単なもので、鍋料理なんかもいいと思います。好きな野菜を入れて、肉も、豚鳥牛なんでもいいから入れて、あとは魚、豆腐、うどんを鍋で煮込むだけです。これだったら、手間暇もそんなにいらないし、子供も栄養満点で食事できるし、とてもいいですよ。夏でも汗かきながら食べるんです」
隅市さんは、日常を楽しんでいるようだ。私とはまったく違った。
「隅市さん、朝起きて、どういうスケジュールで生活してるんですか?」
本当に知りたかった。隅市さんと、同じことをすれば、彼と同じような朗らかな表情、口調、仕草に近づけるかもしれないと考えた。私は、自分を変えたかった。世間でも、これに似たようなフレーズはよくきかれる。『変わらなきゃ』みたいなものだ。でも簡単には無理だ。言葉だけでは、無理だ。私は、よく自己啓発本を購入した。本に載っている言葉を頭に叩きこんで、生活に役立てようとした。でも結局のところ言葉だけじゃだめなんだ。言葉と行動。これが一つになって、自分が変わる可能性が出てくる。あくまでも可能性だが……。でも、大半の人が、そうなんじゃないだろうか。啓発本を買っても、その時、その次の日ぐらいまでは、実行していこうと躍起になるが、段々と気持ちが廃れていく。で、変わらず前といっしょの自分を見るのだ。
行動ができないのだ。動けないのだ。
だから酔いで高揚している私は、直感的に隅市さんの真似をしようと思った。
自分と同じように日中家で生活をしている彼の真似をすれば、いい方向に自分が向かうんじゃないかと、理屈抜きで考えた。
「スケジュールですか? うぅん、特別予定を立てて生活はしていません。でも、そう言われれば、生活のリズムは出来ているかな。ええと、朝六時に起きて、洗濯機を動かして、それから家族と朝ごはんを食べます。朝ごはんは妻が作ってくれるんですよ。朝食後、少しして妻が働きに出るので、それを見送ってから息子が保育園に行けるよう準備をして、自分の歯磨き、着替えを済まし、息子を保育園に送りに行きます。保育園から帰ると、洗濯物を干して、朝ごはんの食器の片付け、風呂掃除、ゴミ出しの日ならゴミ出し。あとは、月曜日と木曜日は部屋に掃除機をかけます。これらを午前中までに済ませます。午後からは、昼ごはんを少し食べて、あとはその日の晩御飯を考えながら、三時ぐらいまでぼんやりしています。晩御飯の具材がなければその間に買い物にも行きます」
「買い物行くんですか?」
「ええ、大抵、妻の休日に家族みんなで買い出しには行きますが、何か足りないものがあれば、行きますよ。……ええっとどこまで話しましたっけ。そうだ昼ごはん食べたら、テレビ見たり、本読んだりしてるかなぁ。で、三時から晩御飯の準備です。米を研いだり、具材を切ったりします。料理の種類にもよりますけど、だいたい夕方五時までには料理はできています。それから洗濯物を取り入れてたたみ、保育園に息子を迎えに行きます。保育園から戻ると息子とお風呂に入って、妻の帰宅を待ちます。妻が家に帰って来るのが、だいたい六時半ぐらいですか。七時過ぎには夕食を食べ始め、八時からは妻に将吾の面倒を見てもらい、私はその間夕食の後片付けをして、九時には家族全員就寝かな? 毎日こんな感じで過ごしています。ただ、金曜日だけは、私だけ飲みに出かけます。このコンビニにね」
「すごいですね……」
私は、絶句した。
頭がクラクラした。当時の私に、そんな芸当できるはずなかった。
朝八時前に息子を保育園に送りだした私は、帰宅後、保育園で感じたことに頭を悩ませつつ吐き気を我慢しながら、なんとか洗濯物を干す。これだけは必ずした。そして、そのまま昼ぐらいまで寝る時もある。起きていて、色々と考えるのが厭だから寝るのだ。でも、前の晩十分睡眠している私が寝られるはずもなく、布団の中で、ぼおと過ごす。つまり眠るというより、体を横にしているだけなのだ。
正午が過ぎれば、適当に昼ごはんを食べる。ここまで何もしていないが腹は減る。それから五時ぐらいまで、テレビを見たり本を読んだりしてダラダラ過ごす。五時になったら、米研ぎ、風呂洗いをして、洗濯物を取り込み、たたむ時間があればたたみ、それが終わると息子を保育園に迎えに行く。帰宅したら結人と一緒に風呂に入る。風呂を上がる頃には妻が帰宅して晩御飯の準備をしてくれる。その間私は、息子とミニカーや電車のおもちゃで遊んだりしている。で、晩御飯をみんなで食べて、就寝。こんな生活を毎日毎日繰り返していた。自堕落な生活だった。それに比べ隅市さんは……、きっちりしている。こんなきっちりしている人が無職? 疑問だ。私は彼に尋ねたくなった。
――前は何の仕事をしていたのですか?――
と。
しかし私同様、なんらかの失敗で、前職を退職したのかと変に気を使ってしまい、喉まで出かかった言葉を絞りだせない。みんながみんな、私と同じように人間関係の躓きで退職したとは限らないのにだ。でも気になる。気になりだしたら、益々聞きたくなる。
酒の力をかりよう。私は残りのビールを全て飲み干すと、
「ビール買ってきます」
とコンビニに向かおうとした。
隅市さんも、急いで缶ビールを傾け、缶をゴミ箱に放り込むと、私についてきた。
二缶目、私は500mlにした。隅市さんは、一缶目と同じく、350だった。
私は、一気に半分ぐらいまで飲んだ。
「どうしたんです、出輪さん?」
私のハイペースに驚いた隅市さんが顔を近づけ聞いてくる。
「いや、今日は特別ビールが美味しい」
私は、いつもと同じビールの味に対してそう言った。
ビールの大量摂取は、即座に私の秘めた力を呼び起こしてくれつつあった。羞恥が無くなり自尊が芽生え、一時的ではあるが、自分は何でもできると覇気が出る。この日も私の内から、そういうものが生まれ始めていた。
「ところでね隅市さん。前は、何の仕事をしていたんですか?」
さっそく酒の力によって、喉に引っかかっていた言葉を投げかけた。
「うん?」
彼は、凛々しい眉を吊り上げ、二秒ほど維持したのち、少しずつ下げていき、笑みを浮かべると、ビールを口に含んだ。
「何してたと思います?」
缶から口を離すと彼はそう言ってきた。
「うーん」
唸る私。
「どこかの商社で働いていたとか、ですか?」
「違いますよ」
「なんだろ? 僕、職業の種類なんて、サラリーマンか、製造業のオペレーターとかしか、思い浮かばなくて……。なんだろ? まさか、役者とかじゃないですよね?」
「ははは、違いますよ」
「隅市さん、男前だし、ひょっとしたらと思ったんですけど。ううん、わからん」
缶ビールがペコンと鳴った。
私が指に力を入れ過ぎて、缶が少しへこみ、次に別の指で別の場所をへこませた反動で、へこみが戻った音だった。
「降参です、隅市さん」
私は、隅市さんに目を向けた。
「――医者です」
「は?」
「外科医してました」
「へ? ほ、ほんとですか?」
「はい。でも今はメスもなにも握っていません」
「すげえ! すごいじゃないですかぁ。お医者さんだったとは……。僕の範疇にはなかったな、その職業は。……でもなんで、なんで今は……お医者さんしてないんですか?」
私はぶしつけながら聞いてみた。確実に、なにか特別な理由があって医者の仕事を辞めたことは明白だったが聞いた。酒が入ってなかったらまず質問はしていないだろう。
「色々あって……」
やはり隅市さんは、言葉を濁した。
「色々……」
私は話をやめない。この人に何があったのかを知りたく、好奇心とアルコールが私を少し意地悪にしている。
「色々ですか……」
隅市さんを誘導するような声色で、もう一度言ってみた。
「そう。色々あってね…………聞いたら引きますよ、出輪さん」
「そんなすごいことがあったんですか?」
「ありました。…………患者をね、患者さんを死なせたんです」
「う」
私は、喉を詰まらせた。ビールが胃から戻ってきたような感覚に襲われ、それを喉仏を動かし、もう一度胃へ送り返した。
「ね、酒の席にはそぐわない話でしょ。やめましょう」
隅市さんは、缶ビールを一気に飲み干しコンビニへと向かったようだ。ビールを買いに行った彼を背後に感じながら、私も急いでビールを飲み干そうとした。
――グシャリ
音がした。缶を潰す音だ。
私は腕を止め、後ろを振り向いた。
隅市さんがゴミ箱に缶を入れあぐねていた。
ゴミ箱がいっぱいなのかと思ったが、思い返してみると、さっき、ゴミ箱に缶を捨てた時は、缶の落ちた音が大きくした。つまり、中に缶はそんなに捨てられていないということだ。隅市さんは捨てる前に、缶を握り潰したのだろう。その為、缶の形がいびつになり、ある部分がゴミ箱の捨て口につっかえたようだった。隅市さんは、ガチャガチャゴミ箱の前で音を立てている。
私は驚いた。隅市さんの動きと表情のギャップにだ。
捨て口に荒々しく缶を突っ込もうとする動作に対して、表情は能面のように固まっている。私は、隅市さんがコンビニから戻ってきたら真っ先に謝ろうと思った。
「すみません、隅市さん、藪から棒に変な質問して」
コンビニからビールを買って戻った隅市さんに、私はすぐ謝罪した。
「変な質問? ――ああ、さっきの仕事の話ですか? 全然構わないですよ。前に何の仕事をしていたかという話は、絶対出るもんでしょ? それにしても、出輪さんも気分害したでしょ。あんなこと聞かされたら」
「ちょっとびっくりしました。でもその……、ほんとなんですか、さっきのお話」
私は謝罪したのにも関わらず、懲りずに話の続きを催促している自分に驚いた。が、彼が先ほどの能面のような冷たい表情でなく、いつもの隅市さんの表情に戻っていたから、なにがあったのか聞いてみる気になった。
「本当です。あれは、食道という器官にあった癌細胞除去手術の時でした。私は執刀していた患者の動脈を傷つけ、そこから大量の血が吹き出てきました。なんとか血管を縫合して、事なきを得ましたが、その患者さんは、二週間後に亡くなりました。遺族から私の執刀したオペの段階で何か問題があったのでは、と追及され裁判となりました。事故調査委員会が設置され、事故の検証がなされましたが、私は不問。罪には問われませんでした。しかしそれ以降、私はメスを握れなくなってしまいました。亡くなった男性の顔と遺族の怒りの形相が頭に浮かび、手が震えるのです。その度、オペは交代してもらいました。そんな私の様子を見たり聞いたりした同僚や上司が休養を勧めてくれて、心療内科に通い、仕事は休むことにしました。一か月、二か月と時間はあっという間に過ぎ去りました。その間、処方された薬を飲んだりカウンセリングを受けたりしましたが、私の精神は良くなるどころかますます悪化していきました。診療内科に通うため外出すれば、遺族の方と鉢合わせするんじゃないかという不安がよぎり、外出する事が億劫となっていき、しまいには家から出られなくなりました。私は、私をこのように追い込んだ世界――いわゆる医学の世界から抜け出したくなりました。それは、友人、先輩後輩と、人間関係を含め全てにおいてです。結局私は妻と相談して病院を退職することにしました。退職してから、妻の勧めもあり、この神戸へ気分一新家族全員で引っ越してきました。神戸は、妻が幼少過ごした所で、彼女の両親もいるし、知人も多くいて、それを頼りにこちらへ来たんです。引っ越ししてから、薬剤師の免許を持つ妻は、薬屋で働き、私は医療に関係ない仕事――倉庫で商品の仕分け作業のアルバイトに取りあえず就きました。医師としての仕事には当然自信が持てなかったのでそうしたんです。その時就労証明書が取れたので子供を結人くんと一緒の保育園に入園させたんです。運がよかったと妻は言っていました。待機児童が多い中、たまたまパンダ組の学年には空きがあって、将吾は入園できたんです。将吾を保育園に預け、私は、自身の症状改善のためアルバイトをしました。私はさきのオペの一件が発端で人と接するのが怖くなっています。遺族の怒りの形相、罵倒にほとほと参ったんです。人というのは感情を剥きだせば恐ろしいと実感しました。それからです、人間というのが怖くなったのは。だからアルバイトをして、徐々に人と接し、自分を取り戻そうとしたんです。でも駄目でした。アルバイト先がたまたま悪かったのか、そこの責任者は、ミスをするとすぐに怒鳴ります。ミスする私が悪いのということは、わかっています。だけど、怒鳴られるのは、きつかった。責任者の怒鳴る顔を見ると私は、頭がクラクラしてきて、呼吸も変になりました。仕事のミスも際立って多くなり、私はアルバイトをすぐに辞めました。それからは働いていません。外出もほとんどしなくなりました。家から出たら、バイト先の責任者や、従業員に会うかもしれない、そう思うと外の出るのが厭になりました。ふふ……結局住む場所を変えても私の症状は変わりませんでした。妻はゆっくりしたらと言ってくれていますし、今はその言葉に甘えている状態です」
隅市さんは、ビールを飲んだ。五秒は缶を傾けていたか。中身は殆どなくなったようだった。
「保育園の送り迎えは、大丈夫なんですか? ……外に出るじゃないですか?」
「大丈夫です。送り迎えに関しては、苦もなくできるようになりました」
「そうですか…………。隅市さん、本当に色々……色々あったんですね」
私は現実に眼前で苦しんでいる他人を見て、いたたまれない自分を見出す一方、自分だけが苦しい訳でないと、隅市さんには申し訳ないのだが、何だか少しホッとした自分も見つけた。
「ふう、なんだか、ちょっとすっきりしました。私、こちらに引っ越してきて、まともに他の人と会話したのって初めてだったんで……。なんだかよかった、出輪さんに喋れて」
「僕みたいなんでよければ、話聞きますよ」
「うん……」
隅市さんは缶を地面に置くと、ひざを屈伸し始めた。
「夢中で話していたから、気がつくと足が棒だ」
「はは」
隅市さんは屈伸をやめ、目線を私に合わせた。
「私ね、確信があったんです。出輪さんになら、自分の思いを吐露できると。保育園で何回か擦れ違ううちに、そう思ったんです」
隅市さんにそう言われ、私は笑うのが精いっぱいだった。どこをどう取って、私に吐露できると思ったんだろう。
その後、我々二人は、缶ビールを買いにコンビニへ。
買い戻った我々は、定位置について、黙々と飲んだ。突然に沈黙を破ったのは私だった。
「僕もね、人間が苦手です」
「……」
隅市さんは、無言で私の話に傾注する。
「僕もここ最近、仕事辞めまくってて、今もって無職。僕も人と接することに憶病になっていました」
「どうしてですか? なにか出輪さんにも人が苦手となる原因があったんですか?」
私はその時、缶の飲み口をじぃいと見つめた。隅市さんの質問に答えようとしたが、出だしの言葉がみつからない。
「いいですよ、出輪さん、無理に答えなくて。はは……飲みましょう、話題変えましょう」
「――無視です」
「え?」
「無視です」
出た言葉がこれだった。
「職場のある先輩に無視されて、それが原因で八年勤めた会社を辞めました。僕、精密機械を作る会社で働いていました。なんで無視されたのか僕にもよくわかりません。無視される前の日までは普通に会話していたのに、急に僕のことを避けだして……。僕に何か落ち度があったのかもしれません。でも本当に心当たりがなかったんです。理由はわからないままも、僕はその人に謝りました。でももう良好な関係には戻りませんでした。良好な関係に戻らなくてもその人とは一緒に仕事しなければなりません。僕が作った製品の不具合を先輩であるその人に持っていき、判断を仰ぐということもしなければならないのですが、それもできなくなってしまいました。悩んだ挙句、出社できなくなった僕は、その時、結人を妊娠していた妻に会社まで足を運んでもらい退社の手続きをしてもらったんです。会社を辞めたあとも、結果的にずっとその人から受けた仕打ちを引きずってて、気分一新で新しい仕事始めても他人が自分のことをどう思っているのかを気にしすぎてすぐに仕事辞めてしまって……今も社会に飛び込んでいけません」
「そうなんですか……辛いですね……。出輪さん、精神的に追い詰められてるんですね」
「どうでしょう? どうでしょうって、きっとそうなんだろうなぁ。結人を保育園に入園させた時は、たまたまアルバイトの仕事してて、市のこども室にも手続きの紙なんかも提出できたんです。でもその仕事もそれからしてすぐに辞めました。その後も、三つぐらい職場を転々として今は無職。情けなくなります」
「出輪さん、精神的に病いを患っているんですよ。診療内科とかに診断してもらった方が……」
「ええ。診察してもらいました。うちの奥さん、看護師しているんですけど、そこの職場の人からの勧めもあって、診療内科を受診したんですけど、そこで処方された薬を飲むと、吐き気はするし、意識はぼうとしてくるし、診察するのに長時間待たされるし、何より、人間を信用できなくなっていた僕は医者の言うことも疑うことがあって、すぐに通院するのはやめました」
「薬は慣れるまで少し時間がかかるからなぁ。という私も通院するのやめましたが」
隅市さんは、にこりとした。
私もつられて口元をゆるました。
「――そうですか」
隅市さんは、そう言うと、缶を傾け、一気に中身を飲み干した。
「出輪さん、日本酒いけますか?」
「日本酒? ……ええ、飲みます。飲めます」
「待ってて下さい」
彼は、駆け足でコンビニに向かった。
すぐに両手に小さなガラス瓶のような物を持つ隅市さんが出てきた。
「ワンカップ?」
私の口から洩れた。
「ぐいっといきましょう」
隅市さんはそう言うと、カップ酒を私の目の前にかざした。
私は受け取って、まじまじと見た。日本酒を飲むのは久しぶりだ。
「あっ、お金」
「いいですよ。――さっ」
上部を覆うプラスチックの蓋を取って、続いて金属製の引き金をゆっくりめくり、尖がらせた口を瓶にくっつけ、隅市さんはカップ酒を飲む。
負けじと私も急いで蓋を取り引き金をめくるが、力が入りすぎて勢いよく剥くってしまい、その反動で中身がこぼれ、酒が少し手にかかってしまった。
「ああっ」
もったいないと私は、手の甲に唇をつけ酒を吸った。
微量でも、日本酒の力は凄い。一舐めで、私は自分の意識が飛んだことがわかった。
「久々ぁ」
手の甲から変わって瓶に口をつけ、日本酒をチビリとした。
「これぇ」
力が漲ってきた。体的には、これしきの量では、なんの変化ももたらせないが、気分が変わった。
「僕、昔はよく日本酒飲んでたんですよ。冷酒をよくね。最近は、やめてたんですけど。やっぱり日本酒サイコー」
もう一口含んだ。
私のはしゃぎようを隅市さんは、笑顔で見ていた。
缶ビールがカップ酒に切り替わってから、私が一人で喋っている状態となった。
なぜ職場で無視されたのか、わからない、わからないと連呼し、また、無視だけが原因で会社を辞めたわけでなく、仕事量の多さも加わってのことだということを添えて隅市さんに説明した。
「ね、ね、ね? どう思いますぅ隅市さん?」
ワンカップの酒量が底をつこうとしていた時、私はこの日の最高潮に達していた。缶ビール三缶にカップ酒一杯。これだけの量で、私はもうぐでんぐでんだった。久しぶりの日本酒が効いたのだろう。
「ね? 変でしょ? なんで俺が無視されなきゃいけないんだっつうの」
この時のわが身を見れば、目はトロンとしていて、口は半開き状態、お尻を突き出し、やや内股だったろうに思える。
「あ? もう無い。酒買ってきます待ってて下さい」
空に近い瓶を揺らすと、中身を全て飲んで、私はコンビニに行こうとした。
「大丈夫ですか、出輪さん?」
隅市さんが心配そうに私を見つめる。
「大丈夫大丈夫」
私はきちんとゴミ箱の瓶の専用の捨て口に空の瓶を放り込むと、コンビニに入って行く。
店に入った私は、カップ酒の売り場を探す。
「どこだぁ? どこにあるぅ?」
独り言をいい、店内をウロウロする。酔っているせいかなかなかカップ酒が置いてある場所がみつけられない。
「出輪さん、ここです」
私を心配してか、知らぬ間についてきてくれていた隅市さんが、私のすぐ後ろで声をかけてくれた。
振り向くと、カップ酒が陳列されている棚があった。
「ああ、ここかぁ」
「出輪さん、本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ、昔は五合飲んでも平気でした」
これは嘘だ。
五合飲んだことは本当だが、決して平気ではなかった。
飲んだ次の日の朝、どうやって家まで帰ったのか記憶がないぐらい、平気でなかった。その時の自分を擁護すれば、五合飲む前に、生ビールを六杯は飲んでいた。
しかしこの日は、その半分の量でもうすでにぐでんぐでん状態。隅市さんが心配するのも無理なかった。
「隅市さん、外で待ってて下さい」
私はカップ酒二つと、近くに吊るされてあったジャーキーを二つ掴んでレジに並んだ。
この頃になると若い女の子の店員も、この客よく缶ビール買いに来るやつだと、私や隅市さんのことを認識していたと思う。先週もこの子が接客してくれていた。高校生か大学生か。
それはともかく、私は袋を持って外に出た。自動ドアのすぐ前で隅市さんは待っていてくれた。ドア越しに私の様子を見ていたんだろう。
「どうぞ、隅市さん」
すばやく、袋からカップ酒を隅市さんに手渡そうとした。
「て、定位置で受け取りますよ」
我々は、いつもの場所に移動した。
「へへ、どうぞ――」
このあと私の記憶が曖昧になっている。
隅市さんにカップ酒を手渡したところで記憶が曖昧――断片的になっている。
次の日の朝、眠りから覚めた私の視界はゆっくりと波打っていた。まだ酔っぱらっているようだった。
「うん?」
すぐに疑問が湧いた。俺、どうやって家に帰ってきたのか、ということだ。薄暗い部屋の中、上体だけをタオルケットの中から起こし、二日酔いで気分がすぐれない脳をフル稼働させて、昨晩の記憶を思い出そうとした。よく思い出せない。記憶を辿る作業がすぐ億劫になったので、何気に周囲を見た。昨晩着ていた服が枕元に脱ぎすてられていた。私はパンツ一枚で寝ていたようだ。隣りの布団に目をやり、誰もいないことを確認した。妻はもう起きてキッチンで朝食でも作ってくれているのか――子供は? 結人もこの寝室にいない。声もしていない。当時、寝室として使用していた和室は、襖をあけると廊下を跨いですぐキッチンがあり、その前には、リビングがある。大体、我々の生活空間はそのあたりだったので、和室にいれば、妻か息子の喋る声、テレビの音などが確認できるはずなのに、その時は、耳をそばだてても何も鼓膜には響かなかった。
それはさておき、ふたたび昨晩のことを思い返す。マンションのエレベーターは確か一人で乗った。隅市さんには送ってもらっていない。別れた場所は? 思い出せない。カップ酒二杯目を飲んだ以降の話の内容は? よくわからない。やってしまった……記憶がないのだ。過去、私は酒を飲んで記憶を失くしたことはあった。でも量が量だったので、ありうることだった。でもこの時は……。缶ビール三本、カップ酒二本。これだけ。これだけだったと思う……。これだけで記憶が……。情けない。たったこれだけで前後不覚になるとは。弱くなったと思った。
寝室を出て、リビングへ。妻に昨夜何時頃に帰ってきたか聞こうと思った。
でも誰もいない。家中を探したが妻も息子もいない。
「えぇ?」
リビングに戻り、独り素っ頓狂な声を出して立ち尽くす。時計を見れば、デジタルで14時となっている。
私は、とりあえず床に腰を下ろした。
しばらくして妻にメールした。二十分ほどして、返信があった。結人と買い物に出かけているという。酔い醒めに三杯目の水をがぶ飲みしていたら、三時過ぎ二人は帰ってきた。聞けば、朝起こしても私は起きなかったらしい。
「昨日は、うるさかったんだよ」
と妻に言われた。
何でも、帰宅時間は午後十一時頃で、約一時間ぐらい寝室で寝ようとする妻と息子の枕元で、隅市さんを褒めまくっていたらしい。
「凄いわぁ、凄いわぁ」
と連呼していたようだ。さすがの妻も、私に対して怒鳴ったらしい。
でもまったく記憶にない。
その日息子の結人は、私にあまり近づかなかったような気がする。