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02

 この日はそんなにも風が吹いていなかったので、スナック菓子を地べたに置き、それをアテとして食べる時は腰を曲げて屈み、でも座らずビールを立ち飲みし、大いに喋った。

 飲むペースが二人とも早い。さっきの500は飲み終え、もう三缶目に突入していた。時刻はロータリーの真ん中に立つ時計で午後八時をちょっと過ぎだところだ。

 「どうです、子育て」

 「大変です」

 やはりというか、話題の中心は子育ての話となった。

 「お風呂は、誰が入れてるんです?」

 「大抵、僕です」

 「私と一緒だ。子供の髪の毛洗うの大変じゃないですか? 子供の頭って、抱えると結構重いから」

 「ええ、ほんとに。もうそろそろ、抱えずに立ったままでも洗髪出来たらいいのになぁって思います」

 そんな日々の生活の話をつまみに飲んで、一時間ぐらいを過ぎようとした時には、我々の会話にはある種の法則が生まれていた。

 聞き手が、隅市さん。

 話すのが私。

 隅市さんは、人から何かを聞きだすのが上手だった。

 私は基本的に人と話すのが苦手。その私が、アルコールのせいも多分にあったろうが、この日みたいに、ほとんど初対面のような人と、自分のことを気持ちよく喋るということが信じられなかった。私の警戒心は嘘のように消えていた。

 「へえ、三十四歳なんですか。もっと若いと思ってた」

 「隅市さんは何歳ですか?」

 「三十七歳です」

 隅市さんも聞いた年齢よりももっと若いと私は思った。テンポよく進む彼との心地いい会話に、私は、自分の現状の核心たることを思わずポロリと口にした。

 「隅市さん、僕ね今ね、働いていないんです」

 飲む前は、確実に話題にあがろう職業の話になれば、適当にアルバイトでもしていますと言ってのけようと思っていたのだが、この時は、本当に思いがけず口に出していた。

 ビール缶を口にあてようとしていた彼は、そこで肘をピタリと一瞬止めた。

 そして、肘を一気に上げ、ビールを飲み干すと、

 「出輪さん、もうビールないですよね。買ってきます」

 と言い、私の前を横切ろうとした。

 「いや、まだあります」

 私の声を笑顔で答えたまま、彼はコンビニに入って行った。




 四缶目のプルトップを開け、私は、一口飲んだ。

 そして、隅市さんに目をやった。

 隅市さんも、ビール缶をラッパ状態にして、飲んでいた。

 「はぁ」と息をはいたあと、彼は、「そうなんですかぁ」と口元に弧を作り微笑んだ。

 それは先ほどの私の吐露に対しての返答だろう。

 「ええ」

 と私はこたえ、ロータリーに目を向けた。ロータリーを照らす眩い光が幻のようだ。私は目を閉じた。ほんとに幻ならな。私はさっきの自分の発言に対して、酒の勢いとはいえ、いらぬことを言ってしまったな、とすぐに後悔していた。後悔は、酔いを少し薄め、私を現実世界にほんの少し引き戻していた。

 隅市さん、俺が働いていないこと、奥さんに言うだろうな。そうなると奥さんは他の保育園のママ友に言うだろうな。そうなると俺また保育園に行きにくくなる。ママ連中も俺のこと噂する。無職なんだって、と。私が無職ということは、ママ連中も気がついている人はいたに違いないが、それが決定的になる。そんなことを想像すると気持ちいい酔いが、もう二日酔いになりそうだった。

 「出輪さん、怒らないでくださいね」

 私は、隅市さんに顔を向ける。

 「なんとなく、わかってました、あなたが働いていないってことを」

 「え?」

 「私と似てたから」

 「似てる?」

 「ええ、生活習慣が私ととても似てたんです。それで私と一緒なのかもって思っていました」

 「あの――」

 「私も無職です」

 「えっ、今なんて?」

 「私も無職です」

 私は、声を失った。息を吸い込み過ぎて激しくむせた。

 「大丈夫ですか?」

 隅市さんが背をさすってくれる。

 私はまた酔い始めた。




 「出輪さんのこと、観察っていったら語弊がありますが、保育園でよく見ていました」

 「はぁ」

 隅市さんは私の観察日誌を語りだした。

 俯き加減の私。目に精気がない私。たまに無精ひげを蓄える私。そして送迎時間。

 彼は少なくとも私がフルタイムの労働者でないと予測したらしい。でも彼が私のことを観察してすぐに、この人も働いていないのではと、考えるようになったという。たとえフルタイムの労働でなくても、仕事は仕事だ。仕事疲れで、多少の俯き、なんかはあるかもしれないが、保育園では、子供の前では、もっと堂々としていると、彼なりの評だ。働いているという誇りが、表情、姿勢に現れるという。でも私はそうじゃなかったらしい。

 「人を避けているようでした」

 彼の言葉に合点。

 私はなるべく保護者の送迎が少ない時間を研究し、その時間に息子を預けに行ったり迎えに行ったりしていた。保護者の中にも色々いて、こちらが挨拶しても、確実に聞こえているはずなのに無視を通す人もいる。そういう人はほっとけばいいのだが、私はそのことだけで心に多大な傷を負う。それを避ける為時間を選ぶ。できるだけ人と会わない時間を。そしてその時間は、隅市さんの送迎時間とも重なる。

 「で、いつか飲みに誘おうと思ったんです。私と同じような境遇の人と飲みたいなって思ってね。まぁ、出輪さんのことは、想像の域だったんですが……。気を悪くしないでください」

 「いやいや、当たってましたね、はははははー」

 私は、四缶目も飲み干した。

 「隅市さん、もう一杯いきましょう、もう一杯。僕が買ってきます」

 私はエンジンがかかっている。俄然張り切って、ポケットに手を突っ込んでコンビニに向かおうとした。

 「あ」

 私は止まった。

 ポケットをまさぐり、恐る恐る、手を出す。

 手を広げると、そこには、百円玉が二枚と、十円玉が、四、五枚。あと、一円玉がいくらか。

 「出輪さん、お金、もうないでしょ」

 うしろから隅市さんが、声をかけてきてくれた。

 私はバツが悪い。

 「すみません。自分の分しか……」

 「いいですよ。一緒に行きましょう」




 それからは、二人は一気にうち解けあった。というより、私が一方的にまくしたて、自分の内情を披露し始めたと言った方がいいかもしれなかった。ろれつが回らなくなりつつある私の言葉を、彼は、丹念に聞いてくれていた。

 「あのチリチリ頭のおばはんね、僕の息子が朝登園しても名前は呼んでくれないんですよ。他の子供やったら、『あー、ユウキくんおはよう』って声かけるくせにね」

 私は言葉が悪くなっている。チリチリ頭のおばはんとは、息子の通う保育園で働くパートの保育士のことだ。

 「ほんま、あの保育士腹立ちますわ! 一回ね、ガツンと言ったろかと思いますよ。結人が中々僕から離れず、愚図ってても見て見ぬふりです。ほんま腹立ちます」

 この時ばかりは、日頃の鬱憤を爆発させていた。

 妻にもこのようなことを言っていたけど、彼女の反応は、私の期待するものとは違った。

 「気にし過ぎでしょう」

 楽天的な妻には、そんなことわからないのだ。

 でも、隅市さんは違う。

 「私もそう感じる時ありますよ」

 同意してくれるのだ。言葉は私ほど汚くないが、ある人を罵る時もあった。

 「――あ、もう九時だ」

 「そろそろお開きにしましょうか」

 「隅市さん、またここで飲みましょう。ね? ね?」

 私がハマってしまったのだ。コンビニ飲みを。ほんと安くあがるし、酔える。

 「それなら出輪さん、携帯の番号交換しませんか?」

 隅市さんの提案に了解の返事をしようとした私だったが、自分の小心のため、携帯電話を持ってきていないことを、だいぶ酔った身で気がついた。

 「ああ……、あの僕、今、携帯壊れているんです」

 「そうですか……。じゃあまた今度にしましょう」

 無用な嘘だった。なぜこんな嘘をついたのか不明だったが、一度口にしてしまったので、それで通すことにした。

 そのあと二人で最後の空き缶をゴミ箱に入れ、飲みはおひらきとなった。

 私は駅から徒歩五分の駅近マンションに住んでいたので、

 「じゃあ、隅市さん、またお願いします」

 といい、彼とはすぐに別れた。

 少しの帰路、私は自分の浅はかさに幻滅していた。

 「なんで、千円しか持っていってないねん……、それに携帯……」

 自分の小ささを痛感したまま、エレベーターに乗り自宅へ到着。

 妻と子供はまだ起きていた。

 私はシャワーを浴びてから小腹が空いたので、その日妻が作った夕食を少し食べ寝室へ。

 もう妻と子供は寝息を立てていた。


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