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01

 今私は、奥さんの故郷で日々を送っている。

 昔思い描いていた理想の暮らしで、一日一日が心地よい。といっても、こちらに移り住んでまだ十日だが、これから一生この生活が続くのだと思うと、自然笑みが浮かぶ。都会にあった家を売り払い、引っ越してきた。

 いわゆるここは田舎だ。

 奥さんの実家に帰省という形でこちらに赴いたことは何回もあった。

 その都度、このゆったりとした郷土、いいなぁと思った。しかし、滞在期間は多くても二日。その空気をかすかにだけ知り、帰京。知り得ないこともあった。それを今はたった十日、されど十日、どっぷりとここまで集中してこちらの土地に触れ、見えてきたことがたくさんある。

 時間がゆっくり流れている――――。なぜなのかと、自分なりに分析してみると、出会う人が全てにおいてゆったりしているからなのであろう。行動、口調、全てにおいてゆったりしているのだ。若者が少ないということも要因にあがろう。世間がせわしくない。具体的な一例を上げると、何らかの店に入り、会計時、若い店員の客のことはお構いなしの、「レシートは袋の入れておきます。なおこちらのレシートに印刷されているバーコードからウンヌンカンヌン……」との聞きとれないぐらいの早口な業務用のコメントは聞かずに済む。要するにストレスが無いのだ。挨拶も、きちんとお客の顔を見てしてくれるし、都会では無くなってしまった情緒が存在しているのだ。うちの奥さんの口調が穏やかなのもわかる。ここで生まれ育てば、気質的に優しくなるというか、気長になるのも頷ける気がする。

 その奥さんはこの時間、家を出ている。看護師の資格を持つ妻は、知り合いからの頼まれごととして、この家から自転車で二十分ほどの距離にある県立病院で、助っ人パートタイマーとして働いている。

 私の職業は小説家。

 もう確信して小説家と言える。

 最近は、売れる売れないは別として、年に一冊ほどのペースで作品を世に出しているのだが、こちらに来てからは書こうという気にはまだなれず、とにかく日々をのんびりと過ごしている。

 そんなぐうたらな私を見ても奥さんは文句も言わない。

 一つには先ほど言った、基本的に優しいということ。一つには、またいつか作品を仕上げるだろうと思っているのだろうし、もう一つには、自分の古里へ私が来てくれたということも一因しているのかもしれない。

 私の両親は既に他界し、奥さんの両親は健在だ。二人とも七二歳で、いずれ同居するだろうが、今は車で一時間ほどの距離にある老人ホームで元気に生活している。奥さんとしては、親とすぐ会える環境を提供してくれた私に、感謝の念があったのかもしれない。

 それにお金に関して言えば、ここでの生活費は奥さんのパートでなんとか賄える。預金も少しだがあるし、贅沢はできないが衣食住は心配いらない。

 こちらでの時間を満喫しつつ、空気にも体が慣れた頃、ふと、私の元に速達が届いた。

 この速達を運んできた郵便局員が乗るバイクのエンジン音が、だんだんと小さくなっていく。

 玄関で速達を受け取った私は、それに目を落とし、手を返して送り主の名前を見た。

 この名前を見るたび、私の記憶はある時期に焦点をあてる。

 ――十七年前

 この速達の送り主と知り合ったのは、確かそう、十七年前。

 半年にも満たない付き合いだったが、書簡のやり取りだけは今でもある。

 (速達?)

 初めてだ、速達で送られてくるなんて。

 封を開けて真っ先に目についたものは、何かの券が入っていたということだ。よく見ると、新幹線の券が二枚。それと地図が載っている紙。

 そして二枚の便箋。

 私はきつく折られた便箋を広げ、文面に目をとおした。


 内容は――


   どうもです。葉書、拝見しました。

  希望の地へ引っ越したとのこと、まことにおめでとう。

  のんびりと田園風景を眺めている出輪さんが目に浮かびます。

  葉書では、気ままに散歩したり、本を読んだりと、有意義にそちらの環

  境を満喫していらっしゃるようですね。羨ましいかぎりです。

  さて、今回手紙を書いたのは他でもありません。

  どうでしょう、奥様とこちらに遊びに来ませんか? 

  まだまだ越境する気はない、ここが最高なので外界にでるつもりはない

  という意思が固いかもしれませんが(笑)、出輪さんと対面して、一杯

  やりたいです。精神的に楽になったんだなぁと、出輪さんの文面を見て

  の私の勝手な誘いなのですが、小生も、年賀状でお知らせした副院長の

  仕事が、ひとまず段落したこともあり、この機を逃しては一生出輪さん

  と逢えないという非痛も込めています(おおげさか)

  ともあれ、逢える可能性を高めるため、出輪さんの性格を利用させて頂

  きます。

  新幹線のキップを同封し、またこちらで宿泊のホテルも予約させてもら

  います。

  出輪さんが来てくれないと、全てが無意味になります(泣き)

  と、本気半分、冗談半分の筆でしたためます。

  できればお逢いしたいです。逢って葉書のやり取りだけでは知りえなか

  ったことも、聞けたらなぁと思っております。ご本人の都合、奥様の都

  合、あるかと思いますが、日にちは、この手紙が着くであろう日付より

  十日後としております。

  出欠の有無の連絡は無用です。私は期日、ホテルのロビーにいます。出

  輪さんがおいでになる、ならないかかわらず、私はロビーにいます。

  困るやつ、と思われるでしょうが、そうさせて下さい。これも出輪さん

  と逢える可能性を高める私なりの方法なのです(笑)

  では、これにて失礼します。これからは寒くなるということです。お体

  に気をつけてお過ごしください。


                                                         隅市健吾



 私は台所に身を移した。手紙と封筒をテーブルに置くと、イスを引き出し、どかりと座った。

 「ふう」

 いつもは隅市さんからの便りを受け取ると、十七年前に思いを馳せるが、その作業はすぐに中断。懐かしさを一瞬感じ取り、日々にまた没入してしまう。

 お互い、また逢いましょう、とやり取りしているが、これまで実現していない。

 今回隅市さんが具体的に、日取り、場所決め、逢うことを段取りしてくれたのには、私の心情を汲んで、いいタイミングだと判断してくれたからであろう。

 隅市さんと会った当初の私の内面はささくれていた。精神的に脆く、危うく、鬱々と生活していた。

 その感情は、ある程度の起伏を繰り返しながら、しかし時間が過ぎ去り、確実になだらかに落ち着いてきた。

 今がまさにその底辺だろう。

 これからも感情のうねりは起き、ただならぬ思いに苦しむかもしれない。でもそれがきたとしても対処する余裕が今の私にはある。自分に自信がある。

 今日はいい機会だ。隅市さんと出逢った頃を深く辿ろうと思う。

 過去にも何度かこの頃の記憶を強く集中して遡るという作業を試みたが、あまり思い出したくない事柄もあるのですぐに思考を停止させていた。

 だが今は自然と、その頃へと、家の中を流れる青い風とともに意識は軽くとぶ、停止せずに。

 眠りにも似た感覚の中で、当時の状況を思い返す。

 その頃私は、毎朝の日課として、三歳になる息子を自宅からすぐのところにある保育園に預けていた。 周知の通り保育園という所は、両親及び片親が働いている等、日中、何らかの事情で子供の面倒が見られない立場の人が利用できる施設のことだ。

 私はその時無職。本当のことを言えば、息子を保育園に預けられない。

 だが、保育園という所は、言い方は悪いが、入った者勝ち。

 0歳から息子を入園させた私は、その頃は働いていた。もちろん奥さんも。入園手続きも滞りなく無事終了。

 一年が経ち、継続して保育園を利用する者は、更新の手続きをしないといけない。だが私は無職だったので、更新に必要な「就労証明書」という用紙が出せなくなっていたのだ。「就労証明書」というのは、その名の通り当人が本当に働いているか証明する用紙で、所属する会社から会社名が入ったハンコを押してもらい、いくつかの質問事項(勤務する時間帯等)を記入してもらうというものだ。それが無いと本当は保育園に子供を預けることはできない。なぜなら、職が無ければその本人が家にいるのだから……。つまり私が家に居て、息子の面倒をみられるから。でも市は……正確に言えば市立こどもセンターは、園児を強制的に退園させない。早く職を見つけて手続きして下さいと言ってくるが、実力行使はしない。私はその温情に甘えている訳でないのだが、ズルズル無職状態が続いた。いや……いや、私も私なりに仕事を見つけては何とか働こうと実際幾つか入社した。でもどれも長続きしない。一日だけ出勤して、辞めた時もある。長いものでも一カ月ぐらいだった。仕事が長続きしない理由は色々あったが、やはり一において、仕事に対して疲れるというより、人に対して疲れるからか。私は異常に他人の内面を気にしていた。 今でこそもう五十の齢を過ぎて、それでも多少気にするところもあるが、あの頃に比べたら断然マシにはなっている。だが当時は、他人の目、他人の態度を過敏に意識して、それによって苦悩し、暴走し、自分をうまく制御できずに、気がつけば朦朧の世界へ浸っているというが常であった。

 その暗黒虫ともいうべき私の内面が生まれ蠢きだした始まりは、ある。

 息子が誕生する約半年前、私は長年働いていた会社に出社できない状態となってしまっていた。

 その日の朝、目が覚め、急速に私の心に広がったのは――会社に行きたくない、この感情だけだった。それから半年間、一回も出社せず、退社に至った。

 私が出社できなくなった理由……つまりは、暗黒虫の未完成体――幼虫――が誕生したきっかけは、職場の人間関係の躓き、だった。

 詳しい理由は後々過去の私に言わせるとして、それが原因で私は、人と接することに煩わしさを感じるようになった。

 でも、働かないと、購入したばかりのマンションのローンの支払いもあるし、生活費もいる。妻だけの収入では、預金を切り崩しながら生活していかなければならない。その預金も減るいっぽう。なんとかせねば。

 私は心機一転、新しい仕事をした。だが駄目だった。私は、すぐにその仕事を辞めた。仕事をしていないブランクのためかと自己分析したが、そうでないとわかった。やはり私は致命的に人と接することに臆病となっていたのだ。震えるぐらい私は愕然とした。

 そこから暗黒虫を体内に宿しての、私の長い暗闇のトンネル生活が始まった。

 もはや社会からの落後者たる烙印を自分に押しあてた当時の私が日々思うことは、自分は、馬鹿にされている、蔑まされている、無能で畜生で、厄介者で最低で……。そんなことばかり脳みそなのかそれとも別の……つまるところ、心で思い浮かべていた。

 そのような心境で生活しているため、他人から発せられる言動行動の受け取り方も、屈折していた。それが原因か、まず朝から私はくたくたになる。息子を保育園に連れていくという行動だけでだ。

 もともと人と接するのに、当時以前から私はくたびれていたのだが、そのくたびれが強烈となった境目があった。保育園に行くという行動だけに関してだが。

 それは、保育園の職員に、

 「就労証明書を早く提出して下さい」

 と言われたことが原因だ。

 たまたま息子を迎えに行った妻が担任の先生に言われた。もちろん催促の相手は私のことだ。

 私は家でそのことを聞き、血の気が引いたの今でもよく覚えている。

 もうその次の日からは、保育園に足を踏み入れるたびに、動悸が激しく私の全身に響いた。誰かれの目線が気になった。

 息子を抱っこして教室に向かうが、抱っこされているのは自分のようで、いつも私はフワフワしていた。地に足がついていないようだった。

 そのような状況下、妻も出来る限り息子の送り迎えをすると言ってくれた。妻は当時、看護師として自宅から電車、バスを乗りついである病院に勤めていた。土日は休みで、しかも夜勤もなく、朝出勤して残業はたまにあったものの夕方には帰宅という生活をしていた。でも働いていない私がせめて息子の送迎ぐらいはと、よほど体調が悪い時以外は、自ら送迎を買って出ていた。

 だが私は毎朝深呼吸をして覚悟を決めてからでないと保育園に行けなくなってしまっていた。それは迎えに行く時もだった。

 (働いていないんだったら家で息子の面倒みたら?)

 (今待機児童がいっぱいいて、本当に子供を預けたくてもあずけられない人もいるのに)

 (無職のところの園児なんかをなんで保育しないといけないの?)

 このような音として聞こえない声が、被害妄想著しい私の心の耳に怨嗟のように聞こえてきた。

 私は追い込まれていった。

 市立こどもセンターから保育園に情報がいっている……。

 みんなが私の(いや、当時は、俺と一人称を使うときは使っていたか)個人の状況を共有しているんだと思いこんでしまった。

 実際はどうだか知らないが、少なくとも一保育園職員に私が働いていないということが漏れているんだ。

 疑心にとりつかれた私は、自分でもわかるように目つきまで変わった。

 もはや職員は敵だとさえ思い始めていた。

 こちらが挨拶しても無視するやつもいる。たまたま聞こえなかったのかもしれないが、私は、そいつに敵意を持った。でも愛する息子を預けている保育園。自分の感情は爆発させない。させられない。私の苛立ちを妻が全てといっていいぐらい負った。

 私が自分をさらけ出せたのは妻だけだった。今思えば本当に悪い事をしたと懺悔せざるを得ない。

 しかし晴れ間はくる。一人の人間によってだ。

 それが隅市健吾さんだった。彼もこの保育園に自分の息子を預けている。奇しくも彼の息子は私の息子と同い年だった。

 でもしかし、隅市さんの存在に気付いたのは、私の息子が保育園に入園してから三年もたったある日だ。

 後で聞いてわかったのだが、彼の息子は三歳の時初めて、保育園に入園したとのこと。

 そんな彼の存在を知ったのは、保育園の運動場の周囲に咲き乱れていた桜が全て落ち、緑々たる葉がとってかわって木々を彩る頃だった。朝、いつものように登園してきた私と息子が保育園の門をくぐろうとしたら、丁度彼が中から出てきた。

 「おはようございます」

 彼は、にこっとし、私にそう言ってきた。それから私の息子にも挨拶してくれた。

 私の彼への第一印象は、

 (あ、男前)だった。

 目鼻立ちがはっきりしていて、誰に似ているということはないのだが、映画俳優みたいな人だと思った。長身で胸板が厚く、体格はラガーマンを連想させる。その時は、彼がどのクラスの父親なのかもわからなかったが、初見の次の日の夕方、息子が籍を置くパンダ組の教室で帰り支度をしている時、彼がその部屋に入室してきたから、知ることができた。

 私は彼に会ってから、幾分か気分が楽になった。

 男女均等な世の中になったとはいえ、保育園の世界では、やはり女性が圧倒的多数子供の送り迎えをしている。私が子供の時などは、殆どが女性だった。それに比べると男性も多くなったが、なんだか男が居づらい場所には違いない。

 その後意識して保育園の中を見れば、隅市さんは、息子さんをかなりの回数送迎しているみたいだった。

 それからも彼とは保育園の中で何度か挨拶するだけの、まさに顔見知り状態だったが、変化は唐突に訪れた。

 「出輪さん、今度飲みに行きませんか?」

 彼から飲みの誘いがあったのだ。

 その日は息子を迎えに行くのが少し遅く、辺りは薄暗くなろうとしていた。

 息子の通っていた保育園は、午後六時を過ぎると、年長、年中、年少関わらず、遊戯室という部屋に一同集めて保育する。

 私は息子が日頃生活しているパンダ組でひとり、その日彼が使用したビショビショの服、下着、タオル等を手さげ袋にしまって、帰る準備をし、息子のいる遊戯室へ向かおうとした。

 その時に隅市さんが教室に入って来て、挨拶の後、右記のことを言ったのだ。

 「ああ、あ、はい」

 私は何も考えないで返事した。

 もともと私は酒がいける方だ。好きだった。

 長年勤めた会社でも仕事帰りは必ず一杯やって帰宅していた。だが会社を辞めてからは、元々友達付き合いがそんなになかった私は、必然的に連れだって飲みに行く相手もおらず、飲むにしても家で飲むことがほとんどだった。

 曖昧とも言える返事のあと、私は思い出したようにこう付け加えた。

 「でもね、小遣いがね心細くて、行くのは少し先になりそうなんですが……」

 当時の私に小遣いなんてものなかった。もらえる身分でもない。働いていないのだから。働いている妻でさえそうだった。そう考えると当時の妻も不憫だった。服一枚買えないでいた。

 「僕と一緒だ」

 隅市さんは笑顔で返してきた。

 「僕も懐が寂しくて……。でもいい所があるんです」

 隅市さんは笑顔を降り注いでくる。

 人を信用できないでいた私はその笑顔が怪しく見えてきた。

 「千円もあれば、たらふくいけます」

 「はぁ」

 気乗りしない私に隅市さんはたたみかけてくる。

 「あすの金曜日、子供を迎えに来てから、そのあとどうですか?」

 隅市さんは、私が毎日子供の送り迎えをしていることがわかっている。でないとこんな質問できるわけがない。

 「でも子供は?」

 そう、まさか子供同伴で飲みに行くつもりかと私はいぶかしがる。

 「もちろん、子供を家に送ってからです。失礼ですが、奥様は?」

 「います」

 その後隅市さん主導のもと、話が進んだ。

 約束を結びその日は彼と別れた。

 待ち合わせ場所は保育園。時間は、余裕を見て午後七時半となった。

 飲みに行くその日――金曜日も保育園で会う可能性もあり、そんな早急に約束を取りつけなくてもと私は思ったが、隅市さんは話を決めた。

 そして当日。保育園ではタイミングが悪かったのか、送迎どちらとも隅市さんには会わなかった。

 息子と風呂に入ったりして妻の帰りを家で待ち、妻の帰宅後家を出た。妻には、保育園で知り合った隅市さんという人と飲み行く、と、誘われた木曜日に簡単ではあるが説明している。妻は隅市という名字に反応した。なんでもパンダ組進級当初、定例の懇談会があり、新入の挨拶の時のことを記憶していたようなのだ。

 それはともかく、私は千円札一枚だけを裸のままポケットに忍ばせ、保育園へと向かった。携帯電話も持たずにだ。

 ――なんや? こちらに酒飲ませ前後不覚にさせて、財布から現金抜き取る算段か?

 私は本気でそう考えていた。

 それぐらい本当に人という者を信用しきれずにいた。

 隅市さんの強引ともいえる飲みの約束に、眉つばだったのは事実だし、素性もよくわからないそんな人と飲むという不安もあったろうが、それにしても、私はその時よほど人生に切羽詰まっていたとしか思えない。誰が我が子の通う保育園の保護者に酒を飲ませ酔わせて追剥まがいなことをするのか。今考えると馬鹿馬鹿しくなる。

 だが当時の私は本気だ。身ぐるみはがされても千円だけ。私は警戒心をたぎらせて、待ち合わせ場所の保育園まで歩いた。

 保育園の門の前に彼はもういた。保育園の明かりは消え、あたりはわずかに街灯に照らされているだけで薄暗い。

 「どうも遅くなりました」

 内弁慶な私は、警戒心を心の奥に潜ませ、笑顔で声をかけた。

 「どうもです。行きましょうか」

 隅市さんは、歩き始めた。

 私は彼の背中めがけて言った。

 「隅市さん、あの僕本当に千円しか持ってきてないんです。居酒屋とかはちょっと……」

 「大丈夫です。僕もそれぐらいしかありません」

 歩くすぐ傍の自販機の光が、振り返る彼の反面を照らす。それによってできる影が、彼を悪魔のように見せる。

 隅市さんは駅前の方に足を進めているようで、段々と風景が繁華になってきた。

 (駅前に行くのか? そのへんだとやっぱりどこか店に入るのか? いや、駅の向こう側にいくのかも。それにしても店には入るわけか。でも千円で?)

 私はひとり頭を巡らしていた。

 隅市さんは、グングン歩を進める。

 やがて我々は、駅前のロータリーに辿り着いた。そのロータリーは、駅はもちろんのこと、大型スーパー、コインパーキング、銀行、本屋、カフェ、美容院等、多々な施設に取り囲まれていることもあって、人の往来が激しい。しかもこの時期、都市開発と銘打って、駅前付近にはマンションが至る所に建設され、加えて人が増えた。そういう私たち家族も、その駅前マンションの一つに住んでいた。私は結局は、保育園から自分の家の近くまで戻ってきたことも忘れるぐらい狼狽しながら、隅市さんの背中をみつめていた。

 「あの隅市さん――」

 私が、不安込めて彼にもう一度思いのたけを言おうとした時、

 「ここです」

 と隅市さんは肩越しに言った。

 「え?」

 私は辺りをキョロキョロする。

 スナックはもちろん居酒屋すらない。あるのは――

 「ここです」

 隅市さんはもう一度繰り返した。

 「え?」

 「ここですよ」

 隅市さんが指さした先には、ロータリーの一画にあるコンビニエンスストア。

 「コンビニ?」

 「そうです」

 隅市さんはニコニコしている。

 「出輪さん、コンビニで飲んだことあります?」

 「コンビニで?」

 「ええ、コンビニで買ったビールなんかを店先で飲むやつです」

 「ありませんよ、ありません」

 私は手と頭を激しく振って否定した。

 「初めは羞恥心と闘って下さい。すぐに慣れます、酔えばね。発泡酒だとお金が安くて済むんですよ」

 「はあ」

 「物は試しですよ。行きましょう」

 隅市さんはそう言うと、コンビニに入ってしまった。

 私も後に続いた。

 隅市さんは350mlの缶ビールとチキンを購入。私も同じく350の缶ビールとチキンを選んだ。お代は、私は固辞したのだが、隅市さんが全て払ってくれた。

 「こっちです、出輪さん」

 店を出て隅市さんは、雑誌が陳列されている窓ガラスの前を通り過ぎ、コンビニとその隣にある建物の間の僅かな隙間付近で足を止めた。

 その場所は、ロータリーを照らす繁華な光が入り込んでいない不思議な空間だった。

 コンビニの隣の建物は、二階建てで、建築関係の事務所らしい。この時間はもう営業時間終了か、休日なのかわからないが、明かりはなく真っ暗だ。それに反して、コンビニの窓ガラスからは煌々とした光が放たれ、付近の光をうち消す作用があるみたいだ。実際、窓ガラスのすぐそばにいる我々を強力な光でできる濃い影で覆い尽くしてくれている。だからか、あまり周囲の目を気にしなくてもよさそうな場所と言えよう。

 「どうぞ」

 隅市さんはレジ袋から、ビールを取り出し私に手渡す。

 「すみません、ありがとうございます。次は僕が払います」

 「いいえ、いいんですよ、誘ったのはこっちなんですし。もうこれでおごるおごられるはナシにしましょう」

 「え? でも……」

 「もうお互い気遣いなし。――それじゃ、お疲れ様です」

 「お、お疲れ様です」

 私たちは乾杯した。

 隅市さんの飲みっぷりは実にいい。太い首に備わっている喉ぼとけを上下に動かしながら缶ビールを傾けている。

 私も負けじと喉を鳴らす。

 「はぁあ」

 二人して、息を吐いた。

 季節は初夏になろうとしていた。梅雨は例年より十日も早く終わり、今から夏本番を迎える。この時期は、正午過ぎからうだって、夕方でも暑い。そこにキンキンに冷えた缶ビールは最高だった。私は久しぶりにビールが美味しいと感じた。

 「どうぞこれ」

 隅市さんは、手首にぶら下げたレジ袋から、紙でくるまれたチキンを取り出してくれた。

 「骨なしですから豪快にいって下さい」

 隅市さんはそう言うと、自らもチキンを取り出し、紙をめくると、がぶりと一噛みした。

 私は彼の食べっぷりを見て、自然と唾液が出てくるのがわかった。

 午後七時半もだいぶ回って、私のお腹もすきすきだった。

 豪快に私もチキンをほおばった。唾液の反応が期待した通りの味が口中に広がる。

 「コショウきいてておいしいでしょ」

 「はい」

 しばらく二人は、会話もなく飲む食うを堪能した。私の缶はすぐに空になった。

 私は一欠けらのチキンを口へ放り込むと、

 「ビール買ってきます」

 と店に行こうとした。

 「じゃあ私も」

 隅市さんも続こうとしたが、私は彼の動きを制した。

 「僕が買ってきます。待っておいて下さい」

 私は500mlの缶ビール二本と、スナック菓子を一袋買った。

 「どうぞ」

 ビールを隅市さんに手渡す。

 今回のビールは、二人とも落ち着いてゆっくりと飲む。

 「ここいいでしょ」

 隅市さんが言った。

 「たまに来られるんですか?」

 「ええ、週末によく」

 「一人でですか?」

 「はい。初めは、周りをキョロキョロして飲んでいました。でも通行人なんかをよく見ても、殆どの人が私なんか見ていません。逆にこっちが通行人を観察しています。あっ、あの人仕事疲れしているなとか、あの若者たちは今からコンパかなとか」

 「おもしろそう」

 「面白いですよ、人間観察です。出輪さんも――――あっ?」

 「えっ? どうしました?」

 「僕たち、まだ自分からは、自己紹介もしていないのに、相手の名前は知っている」

 「あ」

 そう言われて私も気がついた。

 保育園には、登園した時に園児を何時に連れてきたか書く記入用紙がある。そこには、登園時間の他に、誰が連れてきたか(父、母、祖母、祖父、etc)退園予定時間、誰が迎えに来るかなどを書かなくてはいけない。ほんとか嘘か詳細はよくわからないが、この記入用紙がない時に、ある園児の祖母が孫を勝手に迎えに来て、それを知らなかった園児の母親が、保育園にもう自分の娘がいないとパニックなった事例があったようだ。それから右記のような事故が起こらないために記入用紙は出来たみたいだ。まぁその話は別として、その記入用紙には、園児の名前がフルネームで記されている。

 いつもほとんど私が息子を送迎しているので、送迎者の欄には、「父」と記入する。そのことで隅市さんは、私の名前を知ったのだろう。という私も彼の名前を知ったのがそうだったから。

 私たちの他に、パンダ組で父親が送迎共にする園児はそんなにいなかった。たまに送迎共に、またはそのどちらかをしている父親もいたが、私たちほど目立って行っている人はいない。しかも私と隅市さんの場合、送迎時間帯が近いことが多かった。だから、園内で隅市さんと擦れ違ったあと、記入用紙を見て、あれは隅市将吾くんのパパかと予想することができた。

 「じゃあ、改めて言います。私、隅市将吾の父親の隅市健吾と申します。よろしく」

 「僕、出輪結人の父で、出輪広志といいます」

 私たちは互いに辞儀した。そのあとなぜか二人して大笑いした。我々の笑い声がロータリーに響く。通行人もさすがに何事かと、こちらに目を向けるが、そんなこといっこうに構わない。

 「いやぁ、こんな風に真面目くさって自分を紹介したの何年ぶりだろう」

 「僕もです」

 笑いは続く。

 「明日は、仕事休みですか?」

 隅市さんが聞いてきた。

 「ええ、休みです」

 私は正直に答えた。次の日が土曜日だからではない。仕事してないから、休みなのだ。

 「じゃあ今日は飲んでも大丈夫ですか?」

 「大丈夫ですよ」

 私はもう心地よくなってきている。


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