神の舌を持つ異世界料理人
【第1話 転生の釜、そして異世界の厨房へ】
この世界には、食べた者が思わず涙を流すほどの料理を作る人間がいるという。
かつて、その称号を持った男がいた。
氷堂 蓮、享年二十六歳。
七歳から料理を始め、十五歳で星付きレストランのキッチンに立ち、二十三歳には「天才料理人」と雑誌に特集された男。包丁一本でどんな食材も最高の一皿に変えてみせる、現代日本が生んだ料理の申し子だった。
その彼が死んだのは、まったく馬鹿げた理由によってだった。
深夜、厨房から帰宅途中。コンビニのおにぎりを片手にぼんやり歩いていたところを、トラックにはねられたのだ。
(……なんで俺、コンビニのおにぎり食べてんだろ。もっとうまいもん作れたのに)
それが、蓮の最後の思考だった。
✦ ✦ ✦
目が覚めたとき、蓮は白い天井ではなく、むき出しの石造りの天井を見上げていた。
全身が赤ん坊のようにふわふわと小さい。そして、どこか遠くから女性の泣き声が聞こえる。
(……転生、か。まじか)
蓮——いや、この世界では「レン」と呼ばれることになる彼——は、驚くほど冷静にその事実を受け入れた。前世の記憶を持ったまま生まれ変わったことも、自分の体が赤ん坊であることも、すべてを瞬時に整理した。なにせ、調理場で何百回も修羅場をくぐった男だ。パニックは一切ない。
与えられた家族は、王都郊外に住む食堂の老夫婦。子どものいなかった二人は、孤児として拾われてきたレンを本当の孫のように溺愛した。
そして、彼らの食堂の厨房こそが、レンにとっての第二の「道場」となった。
✦ ✦ ✦
月日は流れ——。
レン・ヒドウ、二十歳。
王都「アルベラス」の中心街に、小さいながらも連日満席の食堂「釜のレン亭」を構える若き料理人。
前世の料理技術と、この世界ならではの食材・香辛料・魔法草の組み合わせ。それらを融合させたレンの料理は、口にした者の表情を一変させる力があった。
「また来たよ、レン坊。今日は何がある?」
常連の老騎士が鼻を鳴らして入ってくる。
「おじさん、今日は魔草バジルのポトフです。鶏じゃなくてグリフィンの手羽使いましたよ」
「グリフィン!?それは贅沢な……」
「安く手に入ったんで」
レンはにやりと笑い、鍋の蓋を開けた。湯気が溢れ出し、食堂中に馥郁たる香りが広がる。老騎士はその香りだけで目を細めた。
(ここでもやっぱり、飯を食べて幸せそうな顔を見るのが好きだな……)
前世の記憶があっても、この感情だけは変わらない。レンはそっと微笑んだ。
それが、この物語の始まりだった。
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【第2話 王都一の料理人になる日まで】
「釜のレン亭」の評判は、王都アルベラスの端から端まで広がっていた。
とくに変わっているのは、メニューが日替わりであること。そして、驚くほど安いこと。
「なんで安く出すんだ?腕があるなら高く売れるだろうに」
ある日、市場の商人にそう言われて、レンは首をかしげた。
「だって、うまい飯は誰でも食えるべきじゃないですか。貴族だけのもんじゃないし」
「……変な若者だ」
商人は苦笑したが、翌日から毎日通ってきた。
✦ ✦ ✦
レンの1日は朝四時に始まる。市場で食材を吟味し、店に戻ってから仕込みを始める。昼は大忙し、夕方には閉店、夜は新レシピの研究。その繰り返しだ。
この世界の食材は前世と似ているようで違う。魔力を持つ草は加熱するとまるで別の香りを放つし、竜の脂は焦がすと旨味が爆発的に増す。レンにとって、それは終わりのない料理実験の連続だった。
(前世では日本の食材しか使えなかったからな。ここはある意味、無限の食材庫だ)
ある夜、レンが試作品の皿をつついていると、扉が激しくノックされた。
「レン!ちょっといいか!?」
入ってきたのは幼なじみの青年、カイト。王都の騎士見習いで、毎週レン亭に飯を食いに来る「一番古い常連」だ。
「なんか大変なことになってんぞ。王城の料理長が引退するんだって。で、後継者を公開選考するらしい」
「ふーん」
「ふーんじゃなくて!お前、出ろよ絶対!」
「俺、今の店が好きだからなぁ」
「いや出ろって!王城料理長になったら王族に飯作れるんだぞ!?ロマンだろ!?」
レンはしばらく考えてから、スプーンを置いた。
「……まあ、腕試しにはいいか」
(王族か。どんな顔をして食べるんだろう)
その好奇心こそが、運命の歯車を回す一押しになるとは、このときのレンはまだ知らなかった。
✦ ✦ ✦
翌週、王城主催の料理選考会が始まった。参加者は百人を超えていたが、レンの料理を一口食べた審査員たちは、全員が同じ言葉を呟いた。
「……これは、本物だ」
結果は言うまでもなかった。
ただし、レンが提示した条件は一つだけ——「王城専属ではなく、自分の店も続けさせてほしい」。
宮廷料理長たちは渋い顔をしたが、国王自身がにやりと笑ってそれを許可した。
「面白い料理人だ。好きにしろ」
こうしてレン・ヒドウは、二十歳にして王城公認の若き料理人となった。
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【第3話 最初の弟子志願——第一王女ルシア】
王城の料理番として初めて厨房に立った翌朝、レンが下準備をしていると、厨房の扉が音もなく開いた。
現れたのは、金の長髪を高く結い上げ、深紅のドレスを纏った若い女性だった。
歳は二十二、三ほど。整った顔立ちに、なぜか微妙にそわそわした表情を浮かべている。
「えっと……あなたが、新しい料理人の、レン?」
「そうですが、どちら様で——」
「わたし、ルシア!第一王女!弟子にしてっ!!」
いきなりすぎる第一声に、レンは包丁を持ったまま固まった。
(……王女が、弟子志願?)
「えと、お気持ちはありがたいんですが、王女殿下が厨房仕事をされるのは——」
「わたし、お父様に縁談を押しつけられそうで!料理が本当に上手くなれば、外交の食事会を自分で仕切れるって言って時間を稼いでるの!だからほんとうに弟子にしてくださいお願いします!」
一息で言い切ったルシアは、両手を合わせてレンを上目遣いで見上げた。
(……なるほど。政略的な理由か。でも目が本気だ)
レンはため息をついてから、エプロンを一枚放り投げた。
「つけてください。まず玉ねぎを刻んでもらいます」
「やった!」
ルシアは満面の笑みでエプロンを受け取った。その笑顔は、王女のそれというより、遠足の朝の子どものようだった。
✦ ✦ ✦
一時間後。
「な、なんで玉ねぎってこんなに難しいの……目が……目が痛い……」
涙でぐしょぐしょになりながら、それでも刻み続けるルシアを、レンは横目で見た。
(根性はある)
「息は口で吸って、目を細めてください。あと包丁は……ちょっと貸してください」
レンがルシアの後ろに回り込み、手を重ねて包丁の持ち方を直す。
ルシアは一瞬だけびくっと体を硬直させたが、すぐに集中した顔になった。
「……こう?」
「そう。ゆっくりでいいです」
二人の手が重なったまま、リズミカルに刻み始める。
ルシアはほんの少し耳が赤くなったが、レンはすでに玉ねぎの断面の均一さに注意を向けていて、まったく気づいていなかった。
(このひと……鈍い……)
ルシアが内心で思ったことは、のちに他の弟子たちの共通認識となる。
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【第4話 ハーブ畑とうっかりキス(ラッキースケベ①)】
王城の裏庭には、宮廷料理用のハーブ園がある。魔草から普通の香草まで、数十種類が整然と並ぶ一角だ。
ある晴れた朝、レンがそこで収穫をしていると、背後からルシアが元気よく走ってきた。
「レン!今日の授業はいつから——きゃっ!」
ルシアの足が、水やり用の長いホースに引っかかった。
体がぐらりと前に倒れる。
しゃがんでいたレンが立ち上がろうとしたちょうどその瞬間——。
「——っ!?」
どすん、という音とともに、ルシアがレンに覆いかぶさるような形で倒れ込み、二人の顔が完全に触れ合った。
一秒。
二秒。
三秒後、ルシアがゆっくり顔を離して——真っ赤になった。
「わ、わわわわ!ごめんなさいっ、今のはっ、わたしが転んで——!」
「……ホース片付けておかなかった俺のミスです。怪我なかったですか」
レンは頬に手を当てながら、すでに立ち上がって何事もなかったような顔をしていた。
(……なんか、柔らかくて、いい香りがした、気が……した……)
レンの顔は、ほんの少しだけ耳が赤かった。
(……気のせいだ。仕込みに戻ろう)
「で、今日は何が習いたいですか」
「——っ……ぁ、あの、スープのこと……」
ルシアの声が蚊の鳴くような細さになっていたが、レンはすでにハーブを摘み始めていた。
✦ ✦ ✦
その日の昼、ルシアは侍女に問われた。
「殿下、お顔が赤うございます。お熱では?」
「……ち、違うわよ!ハーブの香りが強かっただけよ!」
強がるルシアの耳は、まだほんのり赤かった。
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【第5話 第二王女エリナと料理対決】
問題は、一週間後に起きた。
王城の厨房に、空気の違う人間が入ってきたのだ。
ルシアと同じ金髪だが、こちらは短く切りそろえられている。瞳は冷たい碧色で、口元には常に薄い笑みを浮かべている。年齢は二十歳。ルシアの妹、第二王女エリナだ。
「あなたが例の料理人ね。レン、とか言ったかしら」
「どうも。何かご用ですか」
「姉が入れ込んでいると聞いたから、様子を見にきたの。もし大したことないなら、今日限りで師事をやめさせるつもりよ」
堂々と言い切るエリナに、レンは眉一つ動かさなかった。
「それを決めるのはルシア殿下じゃないですか?」
「姉は決断力がないから、わたしが代わりに判断してあげるの」
(……姉想いなのか、それとも過干渉なのか)
エリナはテーブルに腕を組んで寄りかかり、レンを見上げた。
「一つ勝負しましょ。わたしもそれなりに料理は習っているの。同じ食材で作って、わたしが認めれば、師事を続けていいわ」
「勝負じゃなくて、食べてみてもらえればそれでいいですよ」
「……なんで勝負を受けないの?」
「勝ちたくないわけじゃないですが、俺の目的は評価してもらうことじゃなくて、うまいものを食べてもらうことなので」
エリナはほんの少し、目を細めた。
「……食べさせてみなさい、その料理を」
✦ ✦ ✦
レンが作ったのは、薄切りにした赤竜の霜降り肉をじっくり炒め、ワインと魔草クレソンで煮詰めたソースをかけた一皿だった。
エリナはフォークを持ち上げ、一口食べ——止まった。
二口目。三口目。
気づけば皿が空になっていた。
「……もう一皿、食べてもいい?」
「どうぞ」
(勝ちに来たんじゃなかったのか……まあいいか)
レンが皿を追加したとき、エリナが静かに言った。
「わたしも……弟子にして」
「……姉妹そろって仲良く来てください」
「姉と一緒はいや!別々の時間にして!」
「わかりました」
ルシアとエリナ——正反対の姉妹が、同じ師匠を持つことになった瞬間だった。
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【第6話 深夜の厨房と涙のスープ(感動回①)】
深夜二時。王城の厨房に明かりが灯っていた。
レンが翌朝の仕込みをしていると、厨房の扉が静かに開いた。
エリナだった。
いつもの取り澄ました表情は消えており、目元が赤く腫れている。
「……なにか、食べさせてもらえる?」
レンは何も聞かなかった。
鍋に火を入れ、残っていた鶏ガラのだしに根菜と少しの魔草塩を加えて、シンプルな澄んだスープを作り始めた。
エリナはカウンターの椅子に腰を下ろし、何も言わずにレンの背中を見ていた。
十分後、白い深皿にそっと注がれたスープが置かれた。
エリナはスプーンを持ち、一口すすった。
次の瞬間、ぽろりと涙が零れた。
「……なんで、こんなに……」
「シンプルなもののほうが、弱ってるときには沁みますから」
レンは向かいに腰を下ろして、自分のコップにお茶を注いだ。
「話したくなったら聞きます」
エリナはしばらく沈黙したが、やがて静かに話し始めた。
縁談のこと。相手の公爵は高齢で、エリナの意思など誰も聞かないこと。父王でさえ「国のためだ」と言うだけで、エリナの顔を見ていないこと。
「……みんな、わたしを王女としか見てない。エリナ、って見てくれる人がいない」
レンは少し考えてから、言った。
「俺は、エリナさんの料理を食べたいと思ってます」
「……え?」
「王女の料理じゃなくて、エリナさんが作った料理を。今は下手くそだけど、それはそれで面白いから」
エリナは目を丸くして、それから小さく笑った。
前に一度も見たことのない、ほんの少し崩れた笑顔だった。
「……下手くそって言った」
「事実だから」
「……もう一杯、もらえる?」
レンは無言でスープを注いだ。
深夜の厨房に、二人の沈黙が、静かに満ちていった。
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【第7話 温泉宿の騒動——全裸の誤解(ラッキースケベ②)】
王城の年一恒例行事として、「南湯の里」への保養旅行があった。温泉の効能で体を整え、料理人は現地の食材を研究する、というのが名目だ。
レン、ルシア、エリナの三人で向かうことになり、宿に着いた初日の夕方——。
レンは「露天風呂の食材研究」として、浴場近くに生える薬草の採取に来ていた。まだ女性陣が入浴する時間ではないと確認してのことだったが——。
「のんびりできるわね……ふふ、レンって知ってるかしら、ここの温泉は魔草の成分が——」
脱衣場から出てきたルシアが、薬草を採取するため屈み込んでいたレンに気づかず、浴場の入口の石段を越えた。
「——あ"っ!?!?」
「——っ!?!?!?」
レンは即座に体ごと反転して壁を向き、両目を押さえた。
「す、すすすすみません!俺、外にいたつもりで……!」
「なんでいるのよ!!時間を間違えたのはわたしの方だけど!!それはそれとして出てって!!」
ルシアの悲鳴。後ろでエリナの声が聞こえた。
「姉様どうしたの——あら」
「エリナも来ないで!!」
「わかってる……でもレン、ちゃんと目を閉じてる?」
「塞いでます!視力がなくなるくらい押さえてます!!」
「……正直者ね」
エリナがくすりと笑う声がした。
✦ ✦ ✦
その夜の夕食は、なぜかずっとルシアがレンと目を合わせなかった。
レンが謝ろうとするたびに「もういいです!!」と言われた。
エリナはひたすら美味しそうに料理を食べながら、二人を交互に見て、静かに微笑んでいた。
(姉様が年相応の顔をしてる……珍しい)
翌朝、ルシアはこっそりレンに話しかけた。
「あの……昨日のは、忘れてください」
「もちろんです」
「……何も見えてなかった?」
「目を押さえてたので……その……なんか、光の加減で、シルエットだけは……」
ルシアの顔が真っ赤になった。
「忘れてください!!!!!」
「はい……」
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【第8話 第三王女ソフィアの食わず嫌い】
ソフィア・アルベラス、第三王女、二十一歳。
ルシアとエリナの間の妹は、あまり表に出ない存在だった。図書館に籠って本を読み、人と話すのが苦手で、食堂でも隅に座って一人で食べる。
その彼女が厨房に来たのは、姉二人の強い薦めがあってのことだった。
「あの……料理を……習いたい、と思っていて……」
消え入りそうな声で、ドアを半開きにしたまま立っているソフィアに、レンは手を止めた。
「入ってください。何でも食べられますか?」
「……じ、実は……魚が……苦手で……」
「食べたことあります?」
「子どものころに……硬い焼き魚が……」
(焼きすぎた魚のトラウマか。よくある)
「じゃあ今日は魚だけ作りましょう」
「えっ!?」
「嫌いなものから逃げてると、一生食べられませんから。でも無理に食べさせはしないので安心してください」
ソフィアは恐る恐る椅子に座った。
レンが作ったのは、白身魚を低温でじっくりと火入れし、バターと魔草レモンのソースで仕上げた一皿だった。生臭さは一切ない。ふわりと立ち上る香りはむしろ甘い。
ソフィアは目をつぶって一口食べた。
……何も起きなかった。
恐る恐るもう一口。
「……あ……」
「どうです?」
「……おいしい……魚って、こんな味がするんですか……」
「ちゃんと作ればそうです」
ソフィアはその日、皿を三枚空にした。
「わ……わたしも、こんな料理が……作れますか……?」
「作れます。ゆっくりやりましょう」
ソフィアはほんのりと頬を染めて、小さく頷いた。
(はじめて……料理が怖くなかった)
三人目の弟子が、静かに、しかし確かに加わった瞬間だった。
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【第9話 南の島国王女ナリア、登場】
外交使節団が王都アルベラスを訪れたのは、秋の初めのことだった。
南方の島国「セルーナ王国」からの使節——その筆頭が、第一王女のナリア・セルーナだった。
年齢は二十歳。褐色の肌に、腰まである黒髪。南国の太陽のような、真っすぐで明るい笑顔を持つ少女だ。
ナリアが外交晩餐会でレンの料理を食べた瞬間、フォークを置いて立ち上がった。
「これを作ったのはどなた!?」
周囲が静まり返る中、レンが厨房から出てきた。
「俺ですが」
「弟子にしてください!!」
会場が再び静まり返った。
「……外交の場ですよ」
「わかってます!でもこの味はわたしが探していたものなんです!わが国の食材と組み合わせれば——!」
ナリアの目が輝いている。計算でも礼儀でもなく、純粋な興奮。
(……本物の料理好きだ、この子)
レンはしばらく考えてから、言った。
「滞在期間中は教えます。ただし——」
「ただし?」
「あなたの国の料理を俺に教えてください。等価交換で」
ナリアはぱっと顔を輝かせた。
「それ最高!!絶対いっぱい教えます!!」
外交官たちが顔を見合わせる中、ナリアは嬉しそうにレンの手を両手で握った。
(……元気な子だ。さっきから手が離れない)
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翌日から、ナリアは毎朝厨房に来た。
彼女が持ち込む南国食材——色鮮やかな香辛料、見たことのない果実、乾燥させた珍しい魚——にレンは子どものように目を輝かせた。
(これは……酸味と辛さが共存してる。面白い……)
「レンが嬉しそう!わたしと同じ顔してる!」
「これ、どうやって使うんですか」
「まず炒めるの!でもちょっとだけ!超強火で三秒!」
「三秒……メモします」
ナリアの滞在は一ヶ月の予定だったが——結局、彼女は帰らなかった。
「外交の名目で長期滞在を申請しました!お父様も許可してくれました!」
「……いいんですか、王女が」
「わたしが将来嫁ぐ相手国の料理を学ぶ、という名目です!」
(……嫁ぐ相手国……俺の国……)
そこに気づいてしまったレンは、微妙な顔をして目を逸らした。
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【第10話 料理祭の前夜——試食地獄(ラッキースケベ③)】
王都では年に一度、「大食祭」と呼ばれる料理の祭典がある。各国の料理人が腕を競い合い、民間人も参加できる大規模な祭りだ。
その前夜、レンは新作レシピの最終調整で厨房に籠っていた。
「できた。あとは温度だけ確認して——」
「レン!まだいた!試食させて!!」
ナリアが飛び込んできた。続いてルシア、エリナ、ソフィアも入ってくる。
「みんな来たの……まあいいか。じゃあ感想を聞かせてください」
レンが新作を次々と並べ始めると、四人は目を輝かせてスプーンを持った。
問題は、レンが一皿ごとに「ここを食べてみてください」と指で差すたびに、ナリアが全員分を先に食べてしまうことだった。
「ナリア、それは人数分ある——」
「もう食べちゃった!おかわりください!!」
そんな混乱の中、ソフィアが鍋のスープを確認しようとして踏み台に乗り、バランスを崩した。
「きゃっ——」
レンが咄嗟に手を伸ばして支えた。が、その拍子にソフィアが回転してレンの胸に顔を埋める形になり、両腕でしっかり抱きとめる形になった。
数秒の沈黙。
「……大丈夫ですか」
「……は、はいっ……すみませんっ……あつっ……」
ソフィアの顔が煮えるように赤い。レンもさすがに少し顔が赤い。
「ソフィア密着してるね!!」
ナリアが叫んだ。
「うるさい!!」
ソフィアは素早くレンから離れ、本を取り出して顔を隠した(本は逆さまだった)。
「……あつ」
「まだ赤い」
「見ないで」
エリナが淡々とスープを飲みながら言った。
「このスープ、少し塩が多い」
「……ありがとうございます、直します」
レンは気を取り直して鍋に戻ったが、背中に四対の目が集まっているのを何となく感じていた。
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【第11話 料理祭本番!王都を揺るがす一皿】
大食祭当日。
王都の大広場に百を超える屋台が並び、各国の料理人が腕を競う。午後には審査員による正式評価が行われ、最高位には「金の杓子賞」が贈られる。
レンのブースの前には、朝から長蛇の列が続いていた。
「レン!出し物は何にするの!?」
「ナリアが持ってきた南国香辛料と、アルベラスの根菜を合わせたシチューです。あと、エリナさんが育てた魔草ハーブを使った前菜を」
「わたしのが入ってる!?」
エリナの目が一瞬大きくなった。
「先週の実習で育ててもらったやつです。うまく育った」
「……そう」
エリナは顔を逸らしたが、口元がわずかに緩んでいた。
✦ ✦ ✦
午後の審査。
レンが提出した一皿——「南北融合の大地のシチュー・前菜添え」——を審査員の一人、老齢の宮廷料理長が口にした瞬間、会場が静まり返った。
老料理長は目を閉じ、ゆっくりと皿を置いた。
「……これは、料理ではなく、物語だ」
南の熱と、北の土と。二つの世界が一皿の中で溶け合っている。食べた者は、まるで異国の風を感じるような、不思議な感覚に包まれた。
評価は満点。
「金の杓子賞」は、レン・ヒドウに贈られた。
✦ ✦ ✦
表彰式のあと、レンのもとに四人が集まってきた。
「おめでとうレン!!」
ナリアが飛びついてきた。レンはよろけながら受け止めた。
「ありがとうございます……」
「レン、来年はわたしたちも一緒に出せる?」
ルシアが少し照れた顔で聞いた。
「弟子チームで出すのも面白いですね」
エリナは何も言わなかったが、賞のメダルをそっと触れて離した。
ソフィアが小声で言った。
「……レンのシチュー、本に書き留めてもいいですか……料理の記録として……」
「もちろん。レシピ全部渡しますよ」
「……ありがとう……ございます……」
ソフィアはそっと手帳を開いた。その表紙には、小さく「レンのレシピ集」と書かれていた。
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【第12話 前半の締め——弟子五人が揃う夜(感動回②)】
大食祭から数日後、夕暮れ時。
厨房の扉が開いて、初めて見る顔が二人入ってきた。
一人は長い銀髪で、どこか神秘的な雰囲気の少女。年齢は二十二ほど。もう一人は短い赤毛のかつらを被った快活そうな少女、二十一歳ほど。
「失礼します。わたくし、隣国フェルナ王国第一王女、アイリス・フェルナと申します。先日のお料理の噂を聞いて参りました」
「あたしはカリン!西のブライト王国の末の王女!弟子にしてくれなきゃ泣く!」
「カリン殿下……そういう言い方は……」
「いいじゃん!本音でしょ!」
レンは頭を押さえてから、ため息をついた。
(また増えた……)
✦ ✦ ✦
その夜、珍しいことが起きた。
レンが「今日は全員で一緒に食べましょう」と言い出したのだ。
ルシア、エリナ、ソフィア、ナリア、そして新たに加わったアイリスとカリン。六人がテーブルを囲んだ。
レンが作ったのは、シンプルな家庭料理だった。鶏の丸焼き、根菜のスープ、素朴な白パン。
それだけだった。
けれど食卓は、笑い声と会話で溢れていた。
「このパン、わたしが捏ねたの!」
ナリアが自慢げに言った。
「かたい」
「エリナひどい!!」
「このスープは姉様とソフィアが一緒に仕込んだものね」
「……お、おいしく、なりましたか……?」
「うん、すごく」
食事が進むにつれ、六人の距離が縮まっていく。王女や異国人という肩書きが薄れて、ただの「仲間」になっていく感覚があった。
レンは食べながら、六人の顔を眺めた。
(前世では、一人で食べることが多かった。……うまいものを作っても、誰かと食べなきゃ半分の価値もないんだな)
ルシアが気づいてレンを見た。
「レン、なんか嬉しそう」
「……そうですか」
「うん、ちょっとだけ」
レンは何も言わなかったが、確かに笑っていた。
その笑顔を見た六人は、それぞれ少しだけ顔が赤くなった。
誰一人、それを口にしなかったけれど。
✦ ✦ ✦
この夜の食卓が、「師匠と弟子たちの物語」の、本当の始まりだった。
【第1期・前半 完】
【第13話 アイリスの秘密——夜の菓子作り(ラッキースケベ④)】
アイリス・フェルナ第一王女は、いつも落ち着いていた。銀の長髪、淡い翡翠の瞳、静かな口調。彼女が感情を乱すのを見た者は、側近でも少なかった。
だから誰も知らなかった——彼女が、甘いものに目がないことを。
ある夜、レンが翌日の菓子の試作をしていると、厨房の扉が静かに開いた。
「……まだ起きていたのですか」
アイリスだった。いつものドレスではなく、白いナイトローブを纏っている。
「夜中に菓子を作ってるとわかって来たんですか?」
「……偶然通りかかっただけです」
(絶対嘘だ。甘いものの匂いが漂ってきたとき、廊下でこっそり鼻をひくひくさせてた)
レンは何も言わずに椅子を引いた。
「座ってください。試食してもらえると助かります」
「……仕方ないですね」
アイリスがカウンターに腰を下ろす。レンが魔草蜂蜜のタルトをスライスして差し出すと、アイリスは目を細めて一口食べた。
表情が変わった。
(……ふわっ……)
普段一ミリも崩れないその顔が、ほんのりと緩み、頬が丸くなった。
「……おいしい」
その声は、普段の凛とした声より二オクターブほど柔らかかった。
レンは次の試作品に手を伸ばそうとして、不意に体を振り向かせた。
テーブルの上に置いていた粉の袋が倒れ、薄力粉がふわっと広がった。
白い粉がアイリスの顔と胸元と、丁度そこに顔を向けたレンの顔にばさっとかかった。
二人とも、一瞬フリーズした。
白い粉をかぶって、二人の距離は五センチもなかった。
「…………」
「…………」
アイリスがゆっくりと後ろに体を引いた。白い粉をかぶった銀髪のまま、完璧な無表情に戻っていた。
「……拭くものを、いただけますか」
「あ、はい……すみません……」
レンがタオルを渡しながら目を逸らした。なぜかさっきのアイリスの柔らかい顔が頭から離れない。
(……あの顔、ずるい……いや何がずるいんだ俺は)
アイリスはタオルで顔を拭いながら、ごく小さく言った。
「……もう一切れ、もらえますか」
「どうぞ」
その夜、タルトはほぼ全部なくなった。
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【第14話 カリンの挑戦と特製丼】
カリン・ブライトは問題児だった。
才能はある。嗅覚が鋭く、味覚も確か。ただし我慢ができない。
「レン!今日の授業飛ばして新しいの教えて!もう基礎は飽きた!」
「飽きた、じゃないです。玉ねぎを炒め始めてまだ一分ですよ」
「一分で十分でしょ!!」
「十五分炒めてください」
「ひどい!!」
カリンが机をばんばん叩く。他の弟子たちが苦笑しながら自分の調理を続けている。
レンはカリンの隣に立って、低火でじっくり炒め続ける玉ねぎを指した。
「色が変わってきたの、わかりますか」
「……ちょっとだけ、茶色くなってきた?」
「甘くなってきた証拠です。一口食べてみてください」
カリンは恐る恐るフォークで一口。目を見開いた。
「……甘い。玉ねぎなのに」
「時間と火加減が、食材を変えます。急げばいいものがいつでも作れるわけじゃない」
カリンはしばらく鍋を見ていた。
「……わかった。続ける」
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一時間後、カリンは特製のグラタンを完成させた。
ベースはじっくり炒めた玉ねぎのホワイトソース。上には野草と竜のチーズ。
全員で試食すると、ルシアが目を丸くした。
「カリン……すごく美味しいわ」
「……マジで?」
「初めて自分で満足いくもの作れた気がする……なんか……泣けてきた……」
「泣かなくていいです」
「でもレンが正しかった。時間かけたから美味しくなった」
カリンは素直に言ってから、すぐに照れて顔を背けた。
「……言ったからね!!次からまた急いでも知らないよ!!」
「わかりました」
(ちゃんとわかってる。素直な子だ)
レンは小さく笑った。
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【第15話 七人目の王女マリア——泣き虫お姫様】
マリア・ヴァルデ、東方の小王国ヴァルデ国の第一王女、二十歳。
彼女の特徴は一つ。よく泣く。
感動しても泣く。嬉しくても泣く。うまいものを食べても泣く。
初日、レンが出迎えた瞬間から泣き始めた。
「……噂通りの方で……感激で……」
「まだ何もしてないですよ」
「でも……!存在感が……!」
カリンが横で呆れ顔をした。
「マリア、大丈夫?」
「大丈夫!!泣いてるだけで元気です!!」
✦ ✦ ✦
マリアは調理が始まると泣き止んだ。
代わりに、異常な集中力を発揮した。食材一つ一つに語りかけるように、丁寧に、丁寧に扱う。
(……この子、料理に命を込めてる感じがする)
マリアが最初に作った料理は、故郷の家庭料理だという素朴なスープだった。
レンが一口飲んで、目を細めた。
「……誰かを思って作りましたか?」
マリアがはっとした顔をした。
「……おばあちゃん、去年亡くなって……このスープが……好きで……」
また泣き始めた。
でも今度は誰も何も言わなかった。
レンは黙って自分の分のスープを飲み干した。
「……おいしかったです。また作ってください」
マリアは涙をぼろぼろ流しながら、しっかり頷いた。
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【第16話 浴室前廊下の大惨事(ラッキースケベ⑤)】
七人になった弟子たちとの合宿形式の料理特訓が、王城の別館で三日間行われることになった。
二日目の夜、レンが廊下を歩いていると、前方から複数の足音が近づいてきた。
角を曲がった瞬間——。
浴場から出てきたルシア、ナリア、マリアの三人と、正面衝突した。
三人とも、浴場上がりで、薄いバスローブを纏っただけだった。
「「「——っ!?!?!?」」」
「——っ!?!?!?」
四者全員が硬直した。
レンは〇・二秒で反転して壁に向かい、両目を両手で塞いだ。
「す、すみません、廊下で鉢合わせるとは思わず——」
「見たっ!?」
「見てません!今すぐ見てません!!」
「ナリアはレンに見られてもいいよ!!」
「ナリア!!」
ルシアの怒声。マリアはすでに泣き始めていた。
「ど、どうしよ……見られちゃった……嬉しいのか恥ずかしいのか……」
「泣かなくていいです!!早くお部屋に戻ってください!!」
レンは壁に顔を押しつけながら懇願した。
背後でぱたぱたと足音が遠ざかり、最後に「もうっ!!」というルシアの声が聞こえた。
✦ ✦ ✦
翌朝の厨房。
なぜかエリナとアイリスとソフィアがレンを交互に見てから、目を逸らすという謎の行動を繰り返していた。
「……どうかしましたか」
「何もない」(エリナ)
「何もありません」(アイリス)
「……なんでもない、です」(ソフィア)
(……昨夜の一件、全員に広まってる……)
レンは粛々と朝食の支度を続けた。
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【第17話 八人目シオンと九人目テレサ——ライバル国の王女たち】
秋深まる頃、二人の王女が同日に弟子入りを申し込んできた。
シオン・ランハルト。北の大国ランハルト帝国の第二皇女、二十一歳。黒髪に黒瞳、凛とした軍人気質。父の命で料理を学ぶという名目だが、実は極度の偏食で悩んでいる。
テレサ・グレイシア。中原の商業国グレイシアの第一王女、二十歳。明るい栗色の巻き毛、笑顔が絶えない商売上手。「料理が経営に使える」という打算から来ているが、実は素直な料理好き。
二人は——犬猿の仲だった。
「ランハルト帝国の皇女が平民に頭を下げる教育?笑えますね」
「商人の娘が王女気取りで師匠に媚びる方が笑えますけど?」
「やめてください二人とも」
レンが静かに割り込んだ。
「厨房でやりあいたいなら、まず一人前の料理人になってからにしてください。今はまだ二人とも、スープも満足に作れないですよね」
二人とも黙った。
「じゃあシオンさんから。まず苦手な食材を一つ言ってください」
「……野菜全般……」
「どれか一つだけ選んでください」
「……ニンジン」
「じゃあ今日はニンジンだけ使った料理にしましょう」
「レン師匠!わたしは?」
テレサが元気よく手を挙げた。
「テレサさんは一番好きな料理を作ってください。うまくいかなかったところを俺が直します」
「やった!!」
二人が並んで調理台に立つ。仲は悪いが、料理となると二人とも真剣だった。
(ライバルがいる方が伸びるやつらだ、これは)
レンは密かに確信した。
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【第18話 ソフィアのレシピ本と告白未遂(感動回③)】
ある日、ソフィアが分厚い手帳をレンに差し出した。
「……これ、渡したくて……ずっと作ってました」
手帳を開いたレンは、思わず手の動きが止まった。
そこには、レンが教えた全てのレシピが、丁寧な字で書き留められていた。材料の量、火加減の注意、ソフィア自身が気づいたコツ、失敗した記録まで。挿絵もある。完成形の皿の絵、食材の断面、炎の高さの目安まで、全て手描きだった。
(……これを、ずっと書き続けてたのか)
「……これ、何冊目ですか」
「……四冊目です……最初の三冊は、うまく書けなかったので……」
ソフィアが恥ずかしそうに俯いた。
「レンのレシピが……なくならないように……いつかレンが、いなくなっても……」
そこで言葉が途切れた。
「……いなくなっても?」
「…………」
ソフィアはしばらく黙っていた。それから、とても小さな声で言った。
「……レンのことが……好きで……」
一瞬の静寂。
「……料理のことが、ですよね」
「……はい……料理の、こと……です……たぶん……」
ソフィアは顔を真っ赤にして本で顔を隠した。手帳もレシピ本も床に落とした。
レンはそれを拾ってそっと手帳を返しながら、少しだけ顔が赤かった。
「……大切にします、これ」
「……はい……」
沈黙が続いた。
でも、不思議と苦しくない沈黙だった。
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【第19話 十人目ユナ、最後の弟子——盲目の料理人】
最後の弟子が来たのは、冬の入り口のことだった。
ユナ・ミラ。遠方の山岳小国ミラ国の王女、二十歳。目が見えない。生まれつきだった。
彼女は侍女一人に手を引かれ、王城の厨房に現れた。
「レン殿……でしょうか。声から、そう感じました」
「はい、レンです。よく来てくださいました」
「弟子にしていただけますか。断られると思っていましたが……」
「なぜですか」
「目が見えませんから、料理は難しいと……周りに言われてきました」
レンはしばらく考えてから言った。
「試してみましょう。まずこれを触ってみてください」
レンがユナの手に、野菜を一つ置いた。
ユナはゆっくりと指先で触れた。
「……硬い。表面が少しざらざらしてる。葉の名残があるから……根菜ですね。ニンジンかカブかな……」
「カブです。よくわかりましたね」
「触れればわかります。香りも、指先から少し伝わります」
レンは確信した。
(この子は、俺たちが気にしない情報で料理を作れる)
「弟子にします。見えないことは問題じゃない。あなたが感じることを、俺は料理で聞かせてもらいます」
ユナが、ほんのりと微笑んだ。
「……ありがとうございます」
✦ ✦ ✦
ユナが初めて一人で完成させた料理は、素朴な白いポタージュだった。
十人の弟子が全員でそれを囲んで飲んだとき、誰もが黙った。
優しくて、温かくて、どこか懐かしい味だった。
「……ユナ、すごい」
マリアがぽろぽろ泣いた。ナリアも目が潤んでいた。
ユナは首を傾けた。
「……みなさんが飲んでくれる音が聞こえます。それだけで十分です」
レンはその言葉を聞いて、前世の記憶の中で誰かに言われた言葉を思い出した。
(料理は食べてもらって初めて完成する——か)
十人目の弟子が、揃った。
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【第20話 全員集合!大厨房の大混乱(ラッキースケベ⑥)】
十人の弟子が初めて全員揃う日が来た。王城の大厨房を借りての特別授業だ。
結論から言うと、大混乱だった。
ナリアが南国香辛料を入れすぎてテレサが辛さで倒れ、カリンが火力を上げすぎてシオンの鍋が爆発寸前になり、マリアが感極まって泣きながら調理しているせいでレシピに涙が落ち、エリナとルシアが「あなたの塩の量は多すぎる」「姉の言うことを聞いて」と言い争い始め——。
そこへユナが「大丈夫です、方向はこっちで合ってますよね?」と訊きながら鍋を持って歩き始め、ちょうど振り向いたレンに正面衝突した。
ユナの持っていた鍋がびしゃっと傾き、中のソース(温かい)がレンの胸元にかかった。
と同時に、バランスを崩したユナを支えようとしたアイリスが転び、ソフィアにぶつかり、ソフィアがカリンに倒れ込み、カリンが「いたっ!!」と叫んでレンに向かってバランスを崩し——。
気づいたら、レンはソースまみれで四人に囲まれ、ユナに腕を掴まれ、アイリスが肩に頭をぶつけ、ソフィアがエプロンの裾を踏んで立ち往生し、カリンが腕にしがみついていた。
五秒間の静止。
「……大丈夫ですか、全員」
「「「「ごめんなさい」」」」
四人が一斉に謝った。
ルシアとエリナとナリアとマリアとテレサとシオンが遠巻きにその光景を見ていた。
「……ナリア、さすがに今回はフォローできないよね」
「それでもレンが全員受け止めてるの、なんか……すごい……」
テレサがぽそっと言った。
「……師匠ってどこまで鈍いんですかね」
エリナが、珍しく感心したような顔で言った。
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【第21話 国王の試練——十皿の料理で語れ】
国王から呼び出しがかかったのは、師走の初めだった。
「レン。各国の王女を弟子に抱えていると聞いた。それで一つ試したいことがある」
国王は笑みを浮かべていたが、その目は真剣だった。
「年末の各国大使を招く晩餐会を、お前と弟子たちに任せる。十皿、全て弟子たちが主体で作れ。ただし各自の国の料理と、この国の食材を必ず一つずつ融合させること」
レンは少し考えてから、頷いた。
「弟子たちに確認してからでいいですか」
「もちろん。ただし答えは今日中だ」
✦ ✦ ✦
弟子十人に話すと、全員が即答した。
「やる!!」(ナリア)
「受けましょう」(ルシア)
「やらないわけないでしょ」(エリナ)
「……やりたい、です」(ソフィア)
「まかせて!」(カリン)
「感激……でやります……(泣)」(マリア)
「承知しました」(アイリス)
「面白そう!」(テレサ)
「やります」(シオン)
「……声と音だけが頼りですが、精一杯やります」(ユナ)
その夜から、猛練習が始まった。
レンは十人の担当皿を決め、それぞれの個性に合ったレシピを提案した。ルシアには美しい前菜、エリナには深みのあるスープ、ナリアには南国の色鮮やかな主菜、ソフィアには繊細な魚料理——。
十人が一丸となって、師匠とともに晩餐会に向けて動き始めた。
それぞれの国の食と、アルベラスの食が、レンという一人の料理人を通じて、融合していく。
(……これが料理の力だ。言葉が通じなくても、食えば、つながれる)
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【第22話 ナリアの帰国危機と「残ります」宣言(感動回④)】
晩餐会の三日前、ナリアに緊急の書状が届いた。
セルーナ国王——ナリアの父——からの命令だった。内容は一言で言えば「即刻帰国せよ」。政略婚の話が急速に進んでいるというのだ。
ナリアは書状を読んで、しばらく黙っていた。
それから、レンのところに来た。
「レン。わたし……帰らないといけないかも」
いつもの明るさが、全部なかった。
「晩餐会まで三日あります」
「晩餐会のことじゃなくて……」
ナリアは口をへの字に結んで、窓の外を見た。
「わたし……まだ、もっと料理を習いたい。いろんな国の食材を合わせて、新しいものを作りたい。でも父は……」
レンは少し考えてから言った。
「晩餐会には出てほしい。ナリアさんの皿がないと、南国の食は表現できないから」
「……うん」
「その後のことは、ナリアさんが決めていいです。でも——」
レンは少し言葉を選んでから、続けた。
「ここに残ることを選んだとき、ナリアさんの席は必ずあります」
ナリアはしばらくレンを見つめてから、唇を少し震わせた。
「……それ、師匠として言ってる?」
「……そうです」
「師匠としてだけ?」
(……なんで今そんなことを……)
レンはちょっと困った顔をしたが、正直に言った。
「……ナリアさんの料理を、もっと見たいと思ってる、からだと思います」
ナリアは三秒ほど硬直してから、目を輝かせた。
「残ります!!父には手紙を書きます!!晩餐会でいい料理を作れば外交の名目にもなる!!」
「……強引だな」
「南国の王女ってそういうものです!!」
ナリアがレンの腕を両手で掴んで、ぶんぶんと振った。レンは苦笑しながら腕を振られ続けた。
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【第23話 レンの前世の記憶と、最後の一皿(感動回⑤)】
晩餐会当日。
十人の弟子たちが、それぞれの一皿を完璧に仕上げた。
ルシアの前菜は美しく、エリナのスープは深く、ソフィアの魚料理は繊細で、ナリアの南国主菜は色鮮やか、ユナのポタージュは優しく、マリアのデザートは温かく、カリンの惣菜は豪快で美味しく、アイリスの菓子は上品で甘く、テレサのパンは香ばしく、シオンの副菜はシャープに決まっていた。
大使たちが次々と皿を空にしていく。感嘆の声が響く。
国王は満足げに微笑んだ。
「——見事だ、レン」
宴が終わり、弟子たちが片付けをする中、レンは一人、厨房の火の前に立っていた。
何を作るでもなく、ただ炎を見ていた。
(前世では……一人で飯を食べる日が多かった。誰かのために作っても、隣で食べる人がいなかった)
そのとき、背後に足音が集まってきた。
振り返ると、十人全員がいた。
「レンが一人でいるから心配した」(ナリア)
「師匠、今日の料理は全員分うまくできたと思いますが」(エリナ)
「……レンのおかげです」(ソフィア)
「レン師匠がいなかったら、わたしたちここまで作れなかった」(テレサ)
レンはしばらく黙っていた。
それから、言った。
「……俺、前の世界でも料理人だったんですよ」
誰も何も言わなかった。ただ聞いていた。
「うまかったと思います。でも一人だった。誰かと食べることがなかった。……ここに来て、初めて、飯を囲む意味がわかった気がします」
ルシアが静かに言った。
「……わたしたちは、ずっとここにいます」
十人が、一斉に頷いた。
レンは何も言わなかったが、確かに、泣きそうな顔をして——笑った。
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【第24話(最終話) 師匠と弟子たちの、いつまでも続く食卓】
翌朝、レン亭に全員が集まっていた。
王城ではなく、レンの小さな食堂だ。
「なんで来るんですか、全員」
「朝ごはんを食べに来ました!」(ナリア)
「店を手伝います」(エリナ)
「……わたしも、いていいですか……?」(ソフィア)
レンは額に手を当てたが、結局「どうぞ」と言った。
十人がそれぞれ厨房の準備を始める。包丁を持つ者、出汁を引く者、テーブルを拭く者。誰に言われたわけでもなく、自然に動き始めた。
(……この光景、どこかで見たことがある気がする。いや——前世では見たことがない。ここで初めて見た)
朝の光が厨房に差し込み、鍋の湯気が立ち上り、十人の笑い声が溢れる。
店が開くと、いつもの常連たちが目を丸くした。
「レン坊、今日は人が多いな」
「弟子たちです」
「こんな美人ばっかり!?」
「騒がしいでしょう」
「いや、いいもんだ。賑やかなのは好きだよ」
老騎士がしみじみと言った。
✦ ✦ ✦
昼過ぎ、店が落ち着いたころ、ルシアがレンの隣に立った。
「ねえ、レン」
「なんですか」
「わたし、縁談を断りました。正式に」
レンは少し驚いて振り向いた。
「……お父様が許したんですか」
「まだ怒ってます。でも……わたし、ここにいたい。料理を覚えたい。そしてその理由はたぶん、料理だけじゃないです」
ルシアはほんのり赤い顔で、レンをまっすぐ見た。
レンは少しの間、ルシアを見て——それからそっと目を逸らして鍋の火加減を確認した。
(……わかってる。わかってるんだけど、俺には今、言えることが——)
「……今日の昼のスープ、塩が足りなかったですよね」
「そこじゃなくてっ!!」
ルシアが怒鳴る。厨房中が笑う。
エリナが呟いた。
「……やっぱり鈍い」
ナリアがうんうんと頷く。
ソフィアはそっと手帳に書いた。「師匠はやっぱり鈍い——でも、それが好き」
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夕方、十人で食卓を囲んだ。
今日の料理は全員で作った。誰かが失敗した分を誰かが補い、誰かが泣いた分を誰かが笑い飛ばし、誰かの得意を誰かが学んだ。
最後にレンが一品だけ作った。
前世で最後に食べた——コンビニのおにぎりを、この世界の食材で再現した一品だった。魔草の塩と、竜米で握った、素朴な白いおにぎり。
十人が一口食べて、全員が「おいしい」と言った。
(……前世の最後の一口が、こんな形で報われるとは)
レンは笑って、自分もおにぎりを一口食べた。
うまかった。
一人で食べるより、ずっとずっと。
✦ ✦ ✦
その夜、店を閉めて一人になったレンは、星空の下で呟いた。
「……次は何を作ろうか」
答える者はいなかったが、レンには確信があった。
明日の朝、厨房の扉を開ければ——きっとまた、あの賑やかな十人がいる。
それだけで、十分だった。
✦ ✦ ✦
——第1期 完——
神の舌を持つ異世界料理人〜王女たちは今日も厨房で転ぶ〜
第2期へ続く




