一章 『酩酊』
「ねぇ、そろそろ貴方たちの身の上話、聞かせてよぉー」
三人の真ん中で、カレンがふと声を漏らした。
木樽のジョッキを片手に、エールを煽る彼女の頬は林檎のように赤い。
身の上話、と言われても俺にはこれといった武勇伝があるわけでもない。
ただ先生の元で修行して、ある日突然放り出された――それだけだ。
「別に、面白い話じゃないぞ」
「面白いかどうかなんて聞いてないのっ。つべこべ言わずに……吐きなさい!」
どうやら、かなりの勢いで酒が回っているらしい。
呂律は怪しく、言葉の端々が甘く解けている。カレンは遠慮という概念をどこかに置き忘れてきた様子で、ぐいっと俺の顔を覗き込んできた。
そのまま、隣で苦笑いしていたジーンにビシッと指を突きつける。
「あなたもよ! いつまでそうやって飄々としてるつもり? 気にくわないわねぇ……!」
「え、お、俺も? ……いやぁ、俺の話も大してドラマチックじゃないんだけどなぁ」
「いいからぁ~! 若者の瑞々しい過去を、お姉さんに聞かせなさいよぉ!」
カレンの「お姉さん」風な物言いに、ジーンがふと眉を上げた。
「そういえばさ、カレンちゃん、ちなみに今いくつなの?」
「にじゅっしゃ~い!」
「「年下……!?」」
俺とジーンの声が見事にハモった。
てっきり、酸いも甘いも噛み分けた「年上の大人の女性」だと思っていた。この場を支配する落ち着いた色気に、俺たちは完全に騙されていたらしい。
「じゃあさ、カノンちゃんのことも聞かせてよ。そしたら俺たちも話すからさー」
「おい、お前、勝手に……」
「いいじゃんいいじゃん、減るもんでもなし」
「私のぉ……? 別にいいけどさぁ」
エールを再び煽ると、カノンは心もとない手つきでジョッキを置いた。熱を帯びた呂律の回らない口調で、記憶を辿るように言葉を並べる。
「十六、だったかな……。冒険者になったのは。駆け出しの時は、ほんとに、大変だったんだから……」
彼女は思い出に浸るように、赤らんだ顔には似合わない、どこか虚空を見つめるような遠い目をしている。
「いーっぱい、経験したつもりだった。最初は、そう、ゴブリン退治。最初はあんなのに凄く苦戦したんだよ……。アイツら、本当にずる賢いんだ。遠くからスリングで石を投げたり、待ち伏せしたり。一匹見つけたら、後ろには物凄い数の徒党が隠れてる。……最初に組んだパーティーの仲間がね、毒矢を喰らっちゃったの。その時初めて、あぁ、死ぬんだって……すぐ隣にあるんだって、肌で感じたんだ」
ゴブリン。
単体であれば、武器を振るえる者なら容易く屠れる相手だ。だが、奴らの真骨頂は数、狡猾さ、そして何より一切の慈悲がない残虐性にある。
俺もヘドが出るほど殺してきた。生き物を殺す感触や、あの特有の死臭に鼻を慣らすために、巣を壊滅させ、子供だろうと容赦なく。その度に、自分の中の何かが摩耗していくのを感じながら。
「そこから、たくさん依頼をこなして……みんなと一緒に、強くなったつもりだったんだぁ……」
「みんな」というのは、もうここにはいないかつての仲間のことだろう。
カノンは力なく笑っているが、俺もジーンも、茶化すことも励ますこともできなかった。ただ、彼女の言葉の裏にある重みに圧されるように、黙って耳を傾けることしかできなかった。
「もう……いないんだもんね……。そっか、一人かぁ……」
ぽつりと漏れた言葉とともに、彼女の瞳がわずかに潤む。しかし、溢れそうになる雫を、彼女は意地を張るように慌てて手の甲で拭った。
ジーンが説得した生き残りも、目の前のカノンも、彼女たちが背負わされた絶望の重みは、決して傍観者である俺たちが推し量れるものではない。
かといって、安易に誰かがその重荷を肩代わりしてやるのも、何かが違う気がした。
これは、彼女たちが一生背負い続けなければならない楔だ。だが同時に、それは彼女たちを再び冒険へと突き動かす冷徹な原動力にもなり得る。
一度地獄を見て、それでもなお剣を手に取った。新しく冒険をやり直すという決断は、並大抵の覚悟や根性でできることじゃない。
……彼女たちは、決して弱くない。
にへらと笑うカノンの横顔を見つめながら、俺は心の中で、その不器用な強さを認めていた。
そのあどけない笑顔を見ていると、彼女が自分たちよりもずっと年下であるという事実が、改めて胸に落ちてきた。
「カノンちゃんなら大丈夫っしょ。あんなことの後だってのに、こうしてヘラヘラ笑えてるんだし?」
ジーンはいつもの悪戯っぽい調子を取り戻して、あえて軽口を叩く。それが彼なりの、湿っぽさを吹き飛ばすための気遣いなのだと分かった。
「ああ。お前は強いよ。……きっと、大丈夫だ」
俺は、自分の中に浮かんだいくつもの言葉を吟味し、一番熱を帯びたものだけを選んで口にした。
ジーンは道化を演じて空気を和らげ、俺は真摯に、今伝えられる最大限の肯定を投げかける。それが、今の彼女に俺たちができる唯一の「返杯」だった。
「両手に蜜蜂とはこの事ね~」
ようやく満足したのか、カレンは残りのエールを豪快に喉に流し込んだ。
おかわりを注文しようと手を挙げかけ――そのまま、すとんと電池が切れたように机へ沈む。
「……寝た」
「あはは、お疲れ様。少しはスッキリしたのかもね。ずっと、ヤケ酒っぽい飲み方だったし」
ジーンは頬杖をつき、面白そうにカレンの頭を眺めながら指を鳴らす。
「すみませーん、こっちもおかわり」
「お前、さっきから結構なペースだが。実は相当いける口か?」
「いや、人並みだよ。カレンちゃんが案外、可愛いもんだったってだけ」
「あー……かもな」
俺も、カレンの寝顔を見ながら呟く。
「そういえば、お前、あまり聞いてこないよな。俺のこと」
おかわりを頼み、届いたばかりの酒を啜るジーンに、ふと思いついた疑問を投げかけた。
「え? 聞いてほしいの? だったらグイグイいくよ?」
「断る」
「ほらね! そう言うと思った! だから無駄な努力はやめたんだよ」
ジーンはケラケラと笑い、グラスを弄ぶ。
「……でもさ、それはリオも同じじゃない? 俺が魔術師だって言ったとき、一切疑わずにパーティー組んでくれたし」
「魔法使いの最高峰、なんて大層な肩書きには驚いたがな。だが、真偽なんてどうでもいい。実際に強化魔法を受けて、その効力を俺自身が証明した。それで十分だ。これからは援護も期待してる」
互いに踏み込まず、背中だけを預ける。この絶妙な距離感が、今は心地よかった。ジーンの調子の良い性格も、この距離感で付き合う分には悪くない。
いつか、自分から話す日は来るんだろうか。
そんな予感を、酒と一緒に胃の奥へ流し込む。
「さてと。そろそろお開きにしたいところだけど……こっちはどうしようか?」
ジーンが視線で示した先には、テーブルに突っ伏したカレンの姿があった。俺は彼女の肩を軽く叩く。
「起こすしかないだろ。……おいカレン、起きろ。帰るぞ」
「むにゃ……んぅ、あと、五分……」
叩かれた肩をすぼめ、カレンはさらに深く眠りに沈んでいく。その様子を眺めていたジーンが、おかしそうに肩をすくめた。
「はははっ。良い寝顔だね」
「言ってる場合か……。おい、カレン。起きろって」
「んんぅ……じゃあ、だっこぉ……」
「おい! ちょ、カレン……!?」
起きたかと思えば、カレンはあどけない声を漏らして俺の首に腕を回してきた。
さらりと揺れた銀髪が頬をなで、甘い香りが鼻腔をくすぐる。おまけに、押し当てられた胸元の柔らかな感触がダイレクトに伝わってきて、嫌でも男としての意識を強制起動させられた。
「あんまりイチャついてると、傷心中の女の子に付け入ってたぶらかしたって、周囲に言いふらしちゃうぞー?」
「……っ、この野郎。他人事だと思って」
面白そうにニヤつくジーンの視線が痛い。
「さあさあ、さっさと彼女を宿まで送ってあげなよ」
「はぁ? お前はどうするんだよ」
「俺? 俺はこの後、さっきお酒を注いでくれてた給仕のあの子と……ね?」
「……お前、飲んでる間のどこでそんな約束取り付けてたんだよ。下半身で行動しやがって」
「なんとでも言え! 俺は今日、彼女の心と体を手に入れる。……というわけで、これ」
呆れて溜息を吐く俺の手に、ジーンはニカッと笑って一枚の紙切れを押し付けた。
「この町の地図か……?」
「そっ。俺が泊まってる宿に印をつけといた。迷子になっても、そこを目指せば俺に会えるってわけだ」
軽口を叩き合っていると、ちょうど仕事上がりの時間なのだろう。先ほどの給仕の少女が、期待と緊張の混じった面持ちでジーンの傍らへ駆け寄ってきた。
「お、お待たせしました! ジーンさん!」
「いや、全然。むしろ助かったよ。こんなに綺麗な子とデートするんだ、心の準備をする時間がいくらあっても足りないくらいさ」
「は、はい……っ。ありがとうございます……」
ジーンの甘い囁きを正面から浴びた少女は、熟れた林檎のように顔を真っ赤にし、逃げるように視線を伏せた。
クッソ、腹立つ……!
背を向けようとするジーンは余裕の笑みを崩さない。
「じゃあなリオ。カレンちゃんによろしくな。……さて、お待たせ。行こうか」
「はいっ、喜んで!」
ジーンがスマートに差し出した腕に、女給は待ってましたと言わんばかりにしがみつく。
鼻歌でも聞こえてきそうな上機嫌な様子で、二人は夜の喧騒へと消えていった。
「はぁ……」
深い溜息とともに、俺は腕の中に視線を落とした。
まだ俺の腰にがっしりと抱きついているカレンは、いつの間にか再び深い夢の中へと旅立っていた。規則正しい寝息が、俺の腹のあたりをくすぐる。
「……おい、起きろよカレン。せめて自力で立ってくれ……」
ゆすってみても、返ってくるのは幸せそうな寝言だけだ。
ずっしりと肩にかかる彼女の体温と重みを支えながら、俺は天を仰いだ。
「タクシー……呼びたい。マジで……」
連絡一つで車が迎えに来てくれた、かつての世界の文明が、今さらながら骨身に沁みて恋しい。
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