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一章 『祝杯』

 酒場の扉を開けた瞬間、熱気と喧騒が嘘のように霧散した。 


 俺たちがこれほど早く、あるいは生きて帰るとは誰も予想していなかったのだろう。何より、二人で出て行ったはずの俺たちが、ボロボロになった数人の女性冒険者を連れているのだ。場に居合わせた連中の視線が、針のように突き刺さる。


 そんな空気をお構いなしに、ジーンは軽快な足取りで受付嬢の元へ向かった。


 「依頼達成! 報告は一言で言えば『オーガの群れ』、かな。で、こっちのお嬢さん方は、未帰還だったパーティーの生き残りだ。……これだけで説明、足りる?」


 困惑する受付嬢を助けるように、保護された彼女たちが震える声で証言を重ねる。


 「わ、分かりました。正式に受理いたします。……ギルド本部へも、至急報告を上げておきますね」


 「ありがと」


 「い、いえ! それでは報酬の用意をして参りますので、少々お待ちください」


 彼女が奥へ消えるのを見届け、俺はジーンの隣に並んだ。相棒は相変わらず、横目でこちらを見ることすらせずに口を開く。


 「あの受付嬢さん、可愛いねぇ。どこの出身かな。色々聞いてみたいなぁ……」


 「やめとけ。一応、仕事中だぞ」


 「それがナンパをしない理由になるかよ!」


 「……堂々と言いやがったな」


 俺は背後に立ち尽くす彼女たちへ、さりげなく視線を向けた。

 ひどく汚れた装備、うつむいたまま震える肩。パーティーを失い、誇りや尊厳さえも蹂躙された彼女たちの絶望は、察するに余りある。

冒険者を続けるのか、それとも別の道を歩むのか。


 ……俺が口を挟むべきことじゃない。そう割り切ろうとするほど、胸の奥にざらついた感覚が残った。


 「お待たせいたしました。こちらが、今回の報酬です。一応、お二人の分に分けてお渡しします」


 受付嬢が差し出した革袋が、カウンターの上でドサリと重苦しい音を立てた。


 「おおう、すんごいな……。これ、半年は遊んで暮らせるだけの金貨が詰まってるぞ」


 ジーンが早速中身を覗き込み、手際よく勘定を始める。ジャラリ、という硬質な音が、静まり返った酒場に皮肉なほど響いた。


 「……こんなに、もらえるのか?」


 「わ、私には報酬設定の詳細は分かりかねますが……皆様がそれだけの価値がある仕事をなされた、ということだと思います」


 受付嬢の言葉に嘘はないのだろう。だが、この金の一部が「彼女たちの悲劇」の上に成り立っている事実に、俺は小さく息を吐いた。


 「これは……彼女たちのこれからの為にあててくれ」


 革袋から金貨を一枚だけ抜き取り、残りのすべてを受付嬢へと押し戻す。


 「え……で、ですが! こんな額、受け取れません!」


 困惑する受付嬢の横で、ジーンが「ぷっ」と吹き出した。彼は手元から倣うように金貨を一枚つまみ上げると、親指でピンとはじく。


 「ははっ! お~れもっ!」


 ジーンは同じように報酬を受付嬢に返した。


 「なにもお前まで、付き合うことはないだろう」


 「だって俺、大したことしてないもん。リオにちょこっとバフを乗せただけ。それでこの大金を受け取ったら、それこそバチが当たるっしょ。この一枚でも十分すぎるくらいだよ。それに――」


 ジーンは空中で金貨を掴み取ると、握り拳を俺の胸に軽くぶつけてきた。


「最っ高にイカす相棒に出会えた。……それだけで、お釣りが出るくらいさ」


 「……なんだそれは」


 屈託のない笑顔を向けるジーンから、俺は照れ隠しに視線を外した。


 「そ、そんなの……受け取れません……!」


 俺たちのやり取りを呆然と見ていた生き残りの一人が、絞り出すような声で食い下がった。

 そう言うだろうとは思った。


 無神経な親切は、時に残された者の矜持を傷つける。それでも、俺はこうするべきだと判断した。……あの人なら、きっと同じことをするはずだから。


 「助けてもらったことには、心から感謝してる! でも、ここまで情けをかけてほしいわけじゃ――」


 潤んだ瞳に強い意志を宿し、彼女が言葉を重ねようとした時。その言葉を遮るように、ジーンがそっと彼女の手を取った。


 「これはね。情けじゃなくて、投資なんだ」


 ジーンのいつもの軽薄さは影を潜め、声には穏やかで真摯な響きがあった。


 「君たちには、これからも冒険者を続けてほしい。……もちろん、無理にとは言わないよ。でもさ、また一から始めて、たくさんの人を助けて、もっともっと強くなって……」


 ジーンはそこで言葉を切り、いたずらっぽく、それでいて信頼を込めて笑った。


 「いつか俺たちが困ったとき、今度は君たちが助けてくれないかな?」


 その言葉を受けた彼女は、溢れそうになる涙をこらえるように唇をぎゅっと噛み締めた。

 冒険者としての最期の意地だったのかもしれない。だが、ジーンの優しさの方が一枚上手だったようだ。


 「っ……、…………っ」


 堪えきれなくなった雫が頬を伝い、床に小さな染みを作る。彼女は何度も、何度も、溢れる涙を拭いもせずに大きく頷いた。


 「うんっ……! ――うん……っ!!」


 それは言葉にならない、精一杯の誓いだった。

 震える声で絞り出されたその返事を聞いて、ジーンは満足そうに口角を上げる。


 俺はそんな二人を横目に、少しだけ視線を逸らした。



◇◇◇◇◇◇ 



 「ふぅ……。やっぱり、仕事のあとの一杯は格別だね!」


 そう言ってジーンは、なみなみと注がれたエールを一気に煽った。喉を鳴らして黄金色の液体を飲み干すと、空になったジョッキを勢いよくテーブルに叩きつける。

 

  寄付金の委託や、手元に残したわずかな報酬の受け取り。それら一通りの手続きを終えた頃には酒場の活気が戻りつつあった。

 俺とジーンは、そのまま酒場のカウンター席に腰を落ち着け、遅い夕食を囲んでいた。


 「ん! やっぱり、戦った後のメシは格別だね!」


 ジーンが、湯気の立つ肉料理を頬張りながら幸せそうに笑う。


 テーブルの上には、豪華とは言えないまでも、温かい料理と二つのジョッキが並んでいた。ついさっき、あれだけの大金を迷いなく手放した男の食事にしては、随分と質素なものだ。


 「……本当にお前、後悔してないんだろうな。金貨一枚とはいえ、一つ良い靴を買ったらなくなるぞ」


 俺はエールを一口流し込み、向かいに座る相棒を改めて眺める。


 ジーンは肉を飲み込むと、悪びれる様子もなく肩をすくめた。


 「ん? だから言ったじゃん。最強の相棒をゲットしたから、お釣りが出るくらいだって。それにさ……」


 ジーンはジョッキを手に取り、ニカッと笑って俺に突き出した。


 「今日の一枚で食うメシは、あの袋ごと貰って食う高級料理より、絶対に美味いと思うんだよね。……そう思わない、リオ?」


 俺もジョッキを傾け、冷えたエールを一気に喉へと流し込んだ。


 「……違いない」


 ふっと自然に笑みが溢れた。自分でも驚くほど、胸のつかえが取れていた。


 「それと、さっきは助かった。……あの人たちが納得のいく説明をしてくれて」


 俺の言葉に、ジーンは口いっぱいに詰め込んだ飯を咀嚼しながら目を丸くする。


 「……へぇ、今日初めてお礼言われちゃった」


 「悪いかよ」


 「うそうそ。それは別にいいんだけどさ。リオって最高にイカすけど、不器用すぎるのも考えものだよ? 損ばっかりしてそう」


 ジーンがフォークの先で俺を指しながら、茶化すように笑う。

 俺は視線をジョッキの泡に落とし、独り言のようにボソリと呟いた。


 「――それをフォローするのが、相棒の仕事だろ」


 直後、カチャンと高い音が響いた。

 見れば、ジーンがフォークを皿に落とし、口を半開きにして固まっている。


 「え、あ、今の……! それって、ちゃんと俺を相棒だって認めてくれたってこと!? リオ、今の聞いたからね! 録音魔法はないけど、俺の脳内にバッチリ刻んだからね!?」


 「っ……、うるせぇな。黙って食えよ」


 急に気恥ずかしくなり、俺は乱暴に肉を突き刺した。


 「あはは! 照れてる、リオが照れてるよ! ほんっとぶっきらぼうなんだから!」


 「調子に乗るな……! 飯、取り上げるぞ」


 騒がしく笑うジーンを睨みつけるが、一度緩んだ頬はなかなか元には戻ってくれそうになかった。


 「おかわりはいかがでしょうか、お二人さん!」


 俺たちの騒がしいやり取りを遮るように、朗らかな声が割り込んできた。


 振り返れば、並々と注がれたエールの樽を手にした女性店員が立っている。金髪を丁寧に三つ編みにまとめ、清潔感のあるエプロンをなびかせた、若く礼儀正しい娘だった。


 「あ、じゃあ一杯もらおうかな。リオはどうする?」


 「……ああ、俺も頼むよ」


 「は~い、畏まりましたっ!」


 彼女は手際よく、俺たちのジョッキに黄金色の液体を注いでいく。表面にふんわりと白い泡が盛り上がるのを見届けた後、彼女はすぐには立ち去らず、目を輝かせて俺たちを覗き込んできた。


 「あのっ、お二人ですよね? ギルドで噂になってますよ! この街の誰も達成できなかったあの厄介な依頼を、新米さん二人だけで、あっという間に片付けちゃったって!」


 彼女は顔を上気させ、まるで自分のことのように興奮気味に身を乗り出す。


 「……本当に、本当に凄いですね! お二人みたいな強い冒険者さんがこの街に来てくれて、みんな心強いって言ってますよ」


 真っ直ぐな称賛の眼差しを向けられ、俺は思わず毒気を抜かれた。

 ジーンがニヤニヤしながらこちらを見ているのが、視界の端に映る。


 「……運が良かった。それに、俺一人でやったわけじゃない」


 俺がそっぽを向いて答えると、彼女はクスッと楽しそうに笑った。


 「それにしてもさ。こんなに可愛いお嬢さんにエールを注いでもらえるなんて、俺たちは運がいいなあ」


 「か、可愛いなんて……! そんな、滅相もありませんっ」


 ジーンが甘い声をかけると、さっきまで快活に話していた彼女は、瞬く間に顔を林檎のように赤らめた。


 「いや、本当さ。どうして今まで気づかなかったんだろう……ねえ、俺、もっと君と話がしたいな。もし良かったらこの後、二人で夜の街に溶け込んでみない?」


 ジーンは肘をつき、流し目で彼女を見つめる。その仕草には、女性慣れした余裕と特有の色気が漂っていた。


 誘われた彼女の方も、困惑しつつも頬を染めたまま、決して満更でもない様子でジーンを見返している。


 「…………」


 俺は何も言わず、ただ呆れたようにジョッキを傾けた。


 正直、見ていられない。だが、腹立たしいことにジーンの顔は、客観的に見てもかなり整っている部類だ。自覚がある分だけ性質が悪い。


 喉を通る苦いエールが、ジーンの甘ったるい台詞を洗い流してくれるのを待ちながら、俺は心底どうでもいい感情を飲み込んだ。

 

 「――ちょっと。何してるのよ、あなた」


 ジーンが甘い言葉を重ねようとしたその瞬間、氷のように冷ややかな声が割り込んできた。


 見れば、そこにはカレンが立っていた。

 凛とした……というよりは、どこか呆れ果てたような眼差しをジーンに向けている。


 「なっ……カレンちゃん!?  な、なんでここに?」


 「なんでって、お礼も兼ねて夕食を、と思ったら……。命の恩人が女の子を口説いてる現場に遭遇するなんて、思ってもみなかったわ」


 カレンは腕を組み、ジーンと店員の女性との間に割って入る。その毅然とした態度に、顔を赤らめていた店員もハッと我に返り、慌てて「失礼しますっ!」と逃げるように奥へ引っ込んでしまった。


 「あああ、俺のロマンスが……!」


 「投資をしてくれたんじゃなかったの? だったら、その口先を動かす暇があるなら、もっと有意義なことに使いなさいよ。不潔」


 カレンの容赦ない一言に、ジーンは胸を抑えて大げさにのけぞった。

 俺はそれを見届けてから、ようやくジョッキを置いた。


 なんだ。これならエールをもう一杯、頼んでおいても良かったかもしれない。


 ジーンをひとしきり睨みつけた後、カレンは「はぁ……」と深い溜息をついて、空いている椅子を引いた。


 俺の隣に座り直した彼女の表情からは、先ほどまでの刺々しさが消え、代わりに静かな覚悟のようなものが宿っている。


 「……改めて、話に来たの。さっきのお金のこと、それから、私たちのこれからについて」


 カレンは机の上で両手を組み、真っ直ぐに前を見つめた。


 「あの後、生き残った皆で話し合ったわ。正直、一度は絶望したし、もう剣を握るなんて無理だと思った。でも……あの『投資』って言葉、悔しいけど効いたわ。あんなこと言われて、そのまま逃げ出すなんて、死んでいった仲間たちにも顔向けできないもの」


 彼女の声は少し震えていたが、その瞳に迷いはなかった。


 「私たちはこの街を離れることにしたわ。ここじゃ、どうしても死んだ仲間の顔がよぎって、足がすくんでしまうから。……もっと西にある、新興の街へ行く。そこで一からやり直すわ。あなたたちがくれたお金は、その準備と、死んだ仲間の遺族へ送る費用にさせてもらう」


 カレンは一度言葉を切り、深く頭を下げた。


 「いつか、あなたたちが困った時に助けられるくらい、強くなる。それが、あなたたちが私たちに『投資』したことへの、唯一の配当だと思ってるから。……絶対に、無駄にはさせないわ」


 顔を上げた彼女の表情は、昼間の泣きじゃくっていた女性の面影はなく、一人の「冒険者」の顔に戻っていた。


 「……と、いうわけよ。わかった? 返事は?」


 カレンが机をコン、と指先で叩く。

 先ほどまでの「夜の街に溶け込もう」なんて浮ついていた空気は微塵もない。ジーンはといえば、背筋をピンと伸ばして、まるで教官の前にいる新兵のように固まっていた。


 「は、はい! もちろん! いやぁ、いい判断だと思うよ。うん、カレンちゃんなら絶対やれるって!」


 「ちゃん付けで呼ばないで。反吐が出るわ」


 「ひっ……! す、すみませんカレンさん……!」


 ジーンの引きつった笑顔を、カレンは冷徹な眼差しで切り捨てる。

 さっきまでの色男っぷりはどこへやら、今のジーンは蛇に睨まれた蛙そのものだ。


 「大体あなた、投資なんて偉そうなこと言っておきながら、その実態はこれ? 女の子を見れば鼻の下を伸ばして。……リオ、あなたも大変ね」


 「まったくだ」


 俺が短く同意すると、ジーンが涙目でこちらを向いた。


 「ちょっとリオ!? 助けてよ! さっき『相棒の仕事だろ』って言ってくれたじゃん! 俺のこの、精神的な窮地をフォローしてよ!」


 「俺の仕事は戦場でのフォローだ。私生活の自業自得までは管轄外だな」


 「冷たい!  冷たすぎるよ! リオ!」


 ジーンが机に突っ伏して嘆いていると、カレンはフンと鼻を鳴らしてようやく表情を緩めた。その口元には、ほんの少しだけ、いたずらが成功した子供のような笑みが浮かんでいた。

 

 「けーどっ。……リオ」


 カレンはふと声を和らげると、身を乗り出した。その距離の近さに、俺は思わず目を背ける。彼女は俺の目を覗き込みもうとして、唇の端を妖艶に吊り上げた。


「私、あなたにお礼をしないまま街を離れるのは、やっぱり無理。――ねえ。相棒との騒がしい夜より、私との『熱い夜』の方が、ずっと楽しめると思うんだけど?」


 上目遣いで、囁くように落とされた誘い文句。


 帰り道と同じ――それ以上の熱量をもって。


 「カ……カレンちゃん? よく俺にあんな正論まがいの説教飛ばせたよね?  どの口が言ってるの……?  あれ? 無視されてる?  完全に俺を背景扱いしてるよね?」


 隣でジーンが立ち上がって喚いているが、カレンの視線は俺の顔に固定されたままだ。

 ジーンは自分の存在を必死にアピールしようと手を振ったが、カレンが鬱陶しそうに手でシッシッと追い払うのを見て、がっくりと膝をついた。


 「……どうして差がついた、慢心か……?」


 ジーンの悲痛な独り言を耳にしながら、俺はカレンの真っ直ぐな、けれどどこか挑発的な視線に、どう応えたものかと表情を曇らせる。

 

 「……もうっ。そんなに困った顔をしないでよ。私が悪いことでもしてるみたいじゃない」


 あまりの狼狽ぶりに、カレンが毒気を抜かれたようにクスクスと笑った。

 俺はようやく肺に溜まっていた息を吐き出し、視線を泳がせる。


 「わ、悪い……」


 「謝らないの。……そういうところが、付け入る隙だらけなんだから」


 カレンは少しだけ名残惜しそうな、それでいてどこか吹っ切れたような表情で、ゆっくりと俺から距離を置いた。


 彼女は改めて椅子に深く座り直すと、店員を呼んで追加の注文を告げる。


 「せめて今夜はご馳走させて。今日はたくさん飲みましょう? ……私もね、忘れたいことがいっぱいあるの。それくらいは、付き合ってくれる?」


 その言葉に含まれた「忘れたいこと」の重みを察し、俺の胸の奥がわずかに痛んだ。失った仲間、恐怖、そして挫折。それらをすべて背負って前へ進もうとする彼女の、精一杯の頼み。


 「ああ。……もちろんだ」


 俺が頷くと、カレンは子供のように嬉しそうに目を細めた。


 それを見ていたジーンが、「いいな~、俺は? 俺の分は!?」と横から割り込もうとするが、彼女はそれを華麗にスルーして、届いたばかりのジョッキを俺に突き出してきた。


 「さ、乾杯っ」」



ここまで読んで頂きありがとうございます!


誤字、脱字、不自然な箇所等ありましたらご報告頂けると幸いです!


感想なども是非お待ちしております!

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