一章 『嫌な予感』
ランタンの微かな灯りが、湿った岩肌を舐めるように照らし出す。
一歩進むごとに、外で感じた死臭は濃度を増し、じっとりと肌にまとわりつく脂じみた熱気に変わっていった。
「……いたぞ」
低い声で呟き、俺は岩陰に身を潜める。
広間の奥、焚き火の爆ぜる音と共に聞こえてきたのは、獣じみた下卑た笑い声と、湿った肉を咀嚼する音。そして――絶望にひきつった女の、掠れた鳴咽だった。
そこにいたのは「化けネズミ」などではない。
鈍色に光る分厚い皮膚と、丸太のような四肢。額から突き出た一本角。
オーガ。それも、十を優に超える群れだ。
広間の中央では、数人の女冒険者が無惨な姿で転がされていた。装備は全て剥ぎ取られ、剥き出しの肌は泥と血に汚れきっている。男の冒険者は見当たらない。いや、隅に転がっている「肉塊」がそれだったのだろう。
コレが不明な個体の正体か。
「趣味が悪いな……。アイツら、女だけを生かしてやがる」
背後からジーンの冷ややかな声がした。いつもの軽薄さは微塵もなく、ランタンの光に照らされた彼の横顔は、彫刻のように冷徹だ。
「作戦は?」
ジーンの問いに、俺は答えなかった。
ただ、背負っていた大斧の柄を、指の関節が白くなるほど強く握りしめる。
「……そんなもんはない」
足に力を込め、岩陰から一気に踏み出す。
小細工など、この不快な吐き気を増幅させるだけだ。
「おいリオ! 正面から行くのかよ!?」
背後でジーンが驚いたような声を上げたが、構うものか。
俺の足音に気づいたオーガの一体が、肉の塊を放り投げて立ち上がる。三メートル近い巨躯が、咆哮と共に棍棒を振り上げた。
「ガァアアアアッ!」
空気を引き裂く重低音。だが、俺は鋭く踏み込んだ。
重心を低く、懐へ。
振り下ろされた棍棒が俺の髪をかすめ、地面を砕く衝撃が足裏から伝わってくる。
斧を横一閃。
鉄の塊が空気を断つ重い音が響き、次の瞬間、オーガの強靭な脇腹に刃が食い込んだ。
並の武器なら弾かれるはずの硬質の皮膚を、質量と遠心力で強引に叩き切る。
手応えは重い。骨を砕き、内臓を潰す感触が柄を通じて両腕に伝わってくる。
そのまま体を捻り、斧を引き抜くと同時に一回転。遠心力を乗せた二撃目が、オーガの太い首を半ばまで断ち切った。
鮮血が噴水のように吹き上がり、俺の頬を熱く濡らす。
巨体が地響きを立てて倒れるのと同時に、残りの群れが一斉にこちらを向いた。
「マジか……! 脳筋にも程があるだろ!」
呆れたようなジーンの笑い声。
直後、洞窟内の空気が微かに震えるのを感じた。
「ま、いいぜ。派手に暴れるのがお望みなら――合わせるぜ~。『相棒』!」
更に一歩、踏み出す。
その瞬間、身体が異常なほど軽く感じられた。
(……なんだ、これ?)
四肢の先まで熱い奔流が駆け巡り、背負っているはずの巨大な斧が、まるで羽根のように軽い。視界も異常に冴え渡り、襲いくるオーガの鈍重な動きが、止まっているかのように錯覚する。
「リオ、遠慮すんな! 特製の『ブースト』だ、心臓が止まらない程度に使い倒してくれ!」
後方でジーンが愉快そうに叫んでいる。
勝手に魔法をかけられた不快感よりも、今は目の前の肉壁を排除する効率が上回った。
俺は地を蹴り、強化された脚力は岩床を粉砕し、俺の身体を弾丸に変える。
オーガの眉間に斧を叩き込み、そのまま流れるように横の個体の首を跳ね飛ばす。
鉄錆と脂の臭いが混ざり合う中、俺は瞬く間に群れを殲滅した。
残ったのは、折り重なるオーガの死骸と、重苦しい静寂だけだ。
「さっすが~。あっという間に終わったな」
息を一つ吐くと、先程までの感覚が消え失せた。
余韻に浸る暇もなく、俺は返り血を拭うこともせず、広間の隅に固まっていた女冒険者たちへと歩み寄った。
彼女たちは、助かったという安堵よりも先に、目の前の凄惨な光景――自分たちを蹂躙した化け物を、さらに圧倒的な暴力でなぎ倒した存在に怯えていた。この視線にはもう慣れたが……。
「……大丈夫か?」
声をかけると、最前列にいた一人がビクッと肩を跳ねさせた。
彼女たちのとおぼしき服を震える彼女の肩にバサリとかける。
泥と血に汚れた彼女の顔が、弱々しくこちらを見上げた。
「あ……ありがとう、ござい、ます……」
「立てそうか?」
手を貸すべきなのだろうが、どこに触れていいのか分からない。
俺が立ち往生していると、後ろからひょいとジーンが顔を出した。
「ほらほらリオ、そんな怖い顔してちゃ女の子が泣いちゃうだろ? こういうのはもっとスマートにさぁ」
ジーンはどこから取り出したのか、清潔な布を彼女たちの足元に広げ、膝をついて優しく声をかける。
「もう大丈夫。外まで送るから、ゆっくりでいいよ。……ほら」
俺は背を向け、周囲の警戒を始めるの。
背後でジーンが「ごめんね、あいつああ見えてシャイなんだ」なんて余計なことを言っているのが聞こえる。
警戒のためではあるが、実際は女たちの泣き声や、彼女たちの視線にどう応えていいか分からない居心地の悪さから逃げ出したかっただけだ。
背後からは、ジーンの落ち着いたトーンの声が聞こえてくる。
「……災難だったね。でももう安心だ。俺たちが来たからには大丈夫」
その声には、先ほどまでのふざけた調子が消え、相手を安心させるための柔らかな響きがあった。
俺には逆立ちしても真似できない芸当だ。
「……それで、一体なにがあったの……?」
ジーンが尋ねると、一人の女が、震える声で話し始めた。
「最初は、普通の化けネズミを追っていたんです。でも、急に壁が崩れて……あいつらが現れて。男の人たちは、一瞬で……」
「壁が崩れた? 自然に、かい?」
ジーンの問いかけに、女が首を横に振る。
「いえ……何か、大きな振動があったんです。まるで、誰かが意図的にあいつらを外へ引きずり出したみたいな……。それに、あいつら、ただのオーガじゃありませんでした。何かを……何か食べさせられていて、そのあと急に凶暴化して、理性を失ったみたいに暴れ始めて……」
「食べさせれていた……?」
ジーンの声がわずかに低くなる。
俺は背を向けたまま、その言葉を反芻した。オーガを人為的に強化し、意図的に街の近くへ解き放った者がいるということか。
「そう、です。それを食べさせたのは……黒いローブを被った男でした。オーガたちはその男を恐れているようでもあり、同時に崇めているようでもあって……。私たちは、その……あいつらの『苗床』として生かされて……」
女はそれ以上言葉にならず、再びむせび泣いた。
「なるほどね……思っていたより、根が深そうだ」
ジーンの衣擦れの音が聞こえ、彼は俺の方を振り返った。
「リオ、聞いた? どーする?」
俺は振り返らず、暗闇の奥を見つめたまま斧の柄を叩いた。
「……俺たちの依頼は、ここの魔物の討伐と生存者の救出だ。それ以外は協会の仕事だろ」
「つれないねぇ。まあ、今は彼女たちを連れて帰るのが先決か」
ジーンはそう言いながら立ち上がったが、その視線は女たちが言っていた「崩れた壁」の方を、鋭く射抜いていた。
◇◇◇◇
洞窟を後にし、夜の静寂に包まれた道を進んで街へと向かう。
俺は最後尾から、生存者たちを先導するジーンの背中を追っていた。相変わらずジーンは「生えてたから何となく食べてみたんだけど、それがなんと毒キノコでさ~」などと、生存者の緊張を解くために軽口を叩き続けている。
お前、その辺に生えてるキノコをなんとなくで食ってんのか?
心の中でツッコミを飛ばしていると、その列のすぐ前を歩いていた銀髪の女が、ふと足を緩め、俺の隣に並んだ。
「……さっきは、助かった。礼を言うわ」
短く切り揃えられた銀髪を夜風に揺らしながら、彼女が前を向いたまま言った。
「気にしなくていい。俺は自分の仕事をしただけだ」
「そうね。でも、あんな無茶苦茶な戦い方をする人は初めて見たわ」
彼女の視線が、俺の背に揺れる血塗れの大斧に注がれる。その瞳には、恐怖ではなく、純粋な戦士としての「好奇」が宿っていた。
「あなた、魔法を使っていなかったわね。ジーン……でいいのかしら? 彼が強化魔法をかけていたけれど、それ以前の足運びや、斧を振るう予備動作。あれは技術だけで成立しているものじゃない。ただの筋力とも違う。……何なの、あの動き」
彼女もまた、一組のパーティーを率いる実力者だったのだろう。俺の動きの「異質さ」に気づいたらしい。
「ただ力任せに斧を振ってただけだ」
素っ気なく返すと、彼女はわずかに口角を上げた。
「……ふふ、隠すのね。いいわ、命の恩人の秘密を暴くほど野暮じゃない。でも、あの上位個体をあんな風に圧倒できる人間が、この街にいたなんて驚きだわ。名前、教えてもらえる?」
「……リオだ」
「リオ。私はカレン。街に戻ったら……何かお礼をさせて? もう……綺麗な体じゃないけど……」
冗談めかした口調だったが、その目は真剣だった。
うっとりとした瞳を浮かべながら、俺の無骨な腕を、熱を帯びた手つきでそっと指先でなぞる。
その熱っぽさに、俺は反射的に腕を引いた。
「……あんり安売りするなよ」
突き放すような声を出したが、視線をどこに置いていいか分からず、俺はわざとらしく周囲の闇を睨みつける。
そんな俺の反応を楽しむように、カレンは少しだけ潤んだ瞳でこちらを見上げ、さらに声を落とした。
「安売り? 私は本気。あんな場所で、絶望しかけていた私の前にあなたが現れた。……斧を振るうあなたの背中、死神みたいで本当に素敵だったわ。私、ああいう『力』に抗えないの」
「頭が冷えてないだけだ」
「もうっ。……けど、気が向いたら、宿を訪ねてきて。いつでも、あなたが望む方法で礼を尽くすから」
まるで熱病に浮かされているかのような誘い。死線の直後に訪れる、生の実感を求めるような危うい色気。
俺が返答に窮していると、案の定、前方から騒がしい影が割り込んできた。
「はいはいはーい! リオを口説くのはそこまで! こいつ、純情すぎて爆発しちゃうから!」
ジーンが二人の間に割って入り、俺の肩を組んでくる。
「残念だったねお姉さん。リオの『お礼受付係』は、この相棒のジーン様が独占してるんだ。礼なら俺がたっぷり聞いてあげるよ?」
「ごめんなさい。私、軽そうな人は好みじゃないの」
「好みの問題かいっ!」
「残念だったな」
俺はジーンを冷たく突き放すように言うと、カレンは後ろで「フフッ」と艶やかに笑い、短くなった銀髪を揺らして歩調を戻した。
そして、街の門が、ようやく遠くに見えてきた。
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