一章 『爆弾』
襲撃のあった現場から、馬車の車輪を直し、怯える親子を護衛しながら歩くこと数刻。
地平線の先に、石造りの堅牢な城壁が見えてきた。
この近隣では中々の規模を誇る交易都市だ。里の退屈な風景とは似ても似つかない、天を突く監視塔とひっきりなしに出入りする馬車の列。
「……ここが、街か」
門をくぐる際、衛兵たちが俺の姿を見て一瞬で表情を強張らせた。
無理もない。背中には血の臭いが染み付いた巨大な斧、そして何より、自分では意識していない目が、彼らには危険な流れ者のそれに見えたのだろう。
だが、俺の背後から商人の男が慌てて飛び出し、必死に身分を証言した。
「待ってくれ! 彼は恩人なんだ! ゴブリンの群れから、あっしと娘を救ってくれた英雄なんだよ!」
英雄、という言葉が耳に痒い。
俺はただの通りすがりだ。
手続きを終え、街の中へと足を踏み入れる。
立ち並ぶ露店、行き交う人々、見たこともない色鮮やかな品々。鼻を突くのは、香辛料の匂いと、大勢の人間が放つ熱気だ。
隣を歩いていた少女――リリシアが、おずおずと俺の袖を引いた。
まだ顔色は悪いが、先ほどまでの絶望しきった瞳ではない。彼女は少しだけ赤くなった顔で、俺を見上げた。
「本当に、ありがとうございました。あなたがいなかったら、私……」
「じゃあな。……次は、もっと安全な護衛を雇えよ」
俺はぶっきらぼうにそう告げ、彼女の差し伸べられた手をさらりとかわした。社交辞令というやつが苦手だ。
「た、旅人さん! お礼がまだ済んでな――行っちまった……」
食い下がる親子を背に、俺は雑踏の中へと紛れ込む。
さてと。
まずはどこへ向かおうか。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「……まずは、この血をどうにかしないとな」
すれ違う住人たちの引きつった視線が、俺の服にこびりついた赤黒い汚れに集中している。このままでは宿どころか、衛兵に不審者として連行されかねない。
俺は賑やかな大通りを避け、路地裏へと足を踏み入れた。華やかな表通りとは打って変わって、湿り気を帯びた空気と石鹸の匂いが混じり合う、生活感の漂う一角。
「……ここなら、それなりに安くて静かそうだ」
使い込まれた木の看板に、質素だが手入れの行き届いた宿を見つける。
扉を開けると、カランと乾いた鈴の音が響いた。
「……一晩、頼みます。あと、湯があればありがたいです。身体を洗いたいので」
カウンターに座っていた初老の主人が、俺の姿を見て一瞬眉を寄せたが、俺が差し出した銀貨を見ると、無言で鍵と古びた手拭いを差し出した。
「……二階の一番奥だ。湯殿は裏手にある。その汚れ、しっかり落としていきな。うちは殺伐とした客は御免なんだ」
「ありがとうございます」
俺は短く答え、軋む階段を上った。
裏手の湯殿で、冷めかけの湯を頭から被る。
こびりついていた返り血が、茶褐色の濁りとなって足元へ流れていく。
先生との過酷な修行の日々。
そして、先ほどのゴブリン共の嫌な感触。
熱い湯が、強張っていた筋肉を少しずつ解きほぐしていくのを感じながら、俺は自分の掌を見つめた。
奪うことで強さを身に付けてきた事しか知らなかったこの手が、今日は「助けて」と言った誰かのために動いた。
「……意外と悪くない」
独りごちて、俺は濡れた髪を乱暴に拭った。
清めた体を拭い、ベッドに横たわると、使い込まれた藁の匂いが鼻をくすぐった。
里を出てからというもの、常に気を張っていたせいか、泥のような眠気が一気に押し寄せてくる。
「……少しだけ。少しだけだ」
数十分の仮眠。
夢は見なかった。ただ、深い闇の底に沈み、再び浮上した時には、身体の芯に残っていた重怠さが少し消えていた。
窓の外を見ると、陽は少し傾き、街は夕刻の活気を帯び始めている。
俺は立ち上がり、乾いた服に着替え、最後に枕元に立てかけておいた大斧を背負った。
返り血は落ちた。
これで少しは、街の連中を驚かせずに済むだろう。
「ちょっと出歩いてみるか」
一階に下りて、宿の主人に短く会釈をして表へ出る。
とりあえず目指すは、この街の酒場。
そこなら仕事の依頼を受け付けているはずだ。まずはあそこを見つけに行ってみよう。
人波を掻き分け、ひときわ大きく賑やかな、酒樽の紋章が刻まれた建物へと辿り着く。
扉を開けると、汗と鉄の匂いが混じり合った、独特の熱気が俺を迎え入れた。
掲示板に群がる連中、酒を酌み交わす荒くれ者、そして中央にある受付。
俺の登場に、数人の冒険者が値踏みするような視線を投げかけてくる。
俺はそれを無視し、依頼がズラリと並ぶ掲示板の前へと無造作に歩み寄った。
「んー……。どれも、似たり寄ったりだな」
掲示板に貼り出された羊皮紙を、端から順に追っていく。
薬草の採取、荷馬車の護衛、はぐれ魔獣の討伐。
『誰かのために力を使う』。その言葉をなぞるなら、ここにあるすべての依頼が正解に見えるし、同時に、客観的に見てどれもが自分の「力」を振るうには些末すぎるようにも思えた。
「おいおい、見ろよ。また新顔だ」
「背中のソレ、本物か? 薪割りにはデカすぎやしねえか」
背後から、下卑た笑い声が届く。
里の連中の冷やかしとは違う、明確な悪意と、新参者への洗礼。
俺は無視を決め込み、掲示板の最も奥――ひときわ古び、血の汚れでも付いたのか変色している一枚の依頼書に目を留めた。
【緊急調査:未確認個体の討伐及び生存者の捜索】
報酬額は他の依頼とは桁が違う。だが、その横には「死亡率高」いう警告が赤々と書き殴られていた。
これにしよう。
俺がその紙に手を伸ばした瞬間、横から伸びてきたガッシリとした腕が、俺の肩を強く掴んだ。
「よせよ、兄ちゃん。死に急ぐにも程がある」
振り返ると、全身の至るところにに刺青を刻んだ大男が、呆れたような、それでいて値踏みするような鋭い眼光で俺を睨みつけていた。腰に下げた剣の柄には、使い込まれた者特有の鈍い光が宿っている。
「その依頼は、この街のベテランが三人帰ってこなかった代物だ。悪くない目をしてるが、死体になりに来たわけじゃねえんだろ?」
周囲の冒険者たちがニヤニヤとこちらを囲む。
俺は掴まれた肩をわずかに揺らし、男の指を一本ずつ剥がすようにして、無造作にその手を振り払った。
「……生死を決めるのはアンタじゃなくて俺だ。止められる筋合いはない」
俺は男の脇を通り抜け、剥ぎ取った依頼書を手に、そのまま中央の受付へと歩き出した。
背中越しに、「チッ、勝手にしやがれ」という吐き捨てられた言葉と、冷ややかな視線が突き刺さる。
受付のカウンターに依頼書を叩きつけると、若そうな受付嬢が目を丸くして俺と依頼書を交互に見た。
「あ、あの……! この依頼は、まだ登録も済んでいない方が受けられるようなものでは……」
「登録は今からします」
「は、はい! ごめんなさい!」
俺の言葉に、受付嬢は怯えたように肩を震わ
せた。
……なぜ謝る。これでも、努めて穏やかに話しているつもりなんだが。
思えば、村の人たちは、こんな俺を本当に温かく迎え入れてくれていたんだな。離れてみて、彼らの無垢な優しさが、今になって痛いほど身に染みる。
「こ、こちらの書類に……必要事項の記入をお願いします……っ」
差し出された羊皮紙に目を通す。項目を追っていくと、一つ、手が止まった。
パーティー名……?
「ここ、記入は必須ですか? 俺はパーティーには所属していないんですが」
項目の欄をトントンと指先で叩きながら、視線を受付嬢へ戻す。
「ぱ、パーティーに所属、していない……?」
受付嬢が弾かれたように顔を上げた。その眼差しに宿る、剥き出しの驚愕。俺はわずかに眉をひそめ、困惑を隠さずに問いを重ねる。
「……何か問題でも?」
「い、いえ! ですが……普通、冒険者登録はパーティーに所属していることが大前提でして――」
「所属していない場合でも、登録自体は可能なんですか?」
彼女の言葉を遮るように、核心だけを問う。
「どう……でしょう。正直、お一人での登録というのは……前例がないかと……」
彼女の困惑した声が、静かな受付ロビーに妙に響いた。
俺は一つ、深く溜め息をついた。威圧するつもりはないが、話が進まないのは困る。
「……前例がないにしろ、一人での登録自体は可能なんですよね?」
できる限り語気を和らげ、努めて丁寧な口調で再確認する。だが、それが逆効果だったらしい。
「で……っ、きますぅ……っ」
ひっ、と喉を鳴らした彼女の瞳が、みるみるうちに潤んでいく。
あ、やばい。これ、放っておいたら泣き出すぞ。
周囲の視線が、まるで「女の子を泣かせている非道な男」を見るかのように突き刺さるのを感じ、俺はたまらず頭をかいた。
「じゃあ、それでお願いします」
これ以上長引かせたくない。俺はそれだけ告げて、半ば強引に話を締めくくった。
その直後。ぐい、と強引に肩を掴まれ、体が引き戻される。
振り返ると、そこには先程の大男が立っていた。今度は嘲笑ではなく、明確な「怒り」を面に張り付かせて俺を睨みつけている。
「おい兄ちゃん。あんまり嬢ちゃんを困らせんな。前例がねぇっつってんだ。黙ってお前みたいな無愛想なルーキーを受け入れてくれるパーティーでも探して出直してきな」
大男の太い指が、威圧的に俺の胸板を小突く。俺はそれを冷めた目で見つめ、短く返した。
「……じゃあ、あんたのパーティーにでも入れてくれるのか?」
「お断りだ。お前みてぇな協調性の欠片もなさそうな野郎が一人いるだけで、こっちは全滅しかねねぇからな」
「なら、でしゃばるな。一人で登録しようが俺の勝手だ。あんたには関係ない」
「――あんまし調子に乗るなよ、ガキが」
大男の喉から地を這うような唸り声が漏れ、周囲の空気がピリリと凍りつく。一触即発。ただならぬ空気が俺たちの間に流れる。
そんな俺たちを交互に見上げ、受付嬢はついに限界を迎えたらしい。半泣きになりながら、震える声で精一杯の仲裁に入った。
「はわわっ……あ、あのぅ! け、喧嘩はダメですよぉ……っ! お、おやめになってぇ……!」
次の瞬間、暴力的な圧力が俺の肩に加わる。掴んだ拳に力が込められ、ミシミシと服の繊維が悲鳴を上げた。
「……手離せよ」
「ああん? 聞こえねぇな。おい、これだけ口が回るんだ。少しは『実力』の方も見せてくれるんだろうなぁ!?」
男の右拳が大きく引き絞られる。周囲の冒険者たちが「やるぞ」とニヤつきながら身を乗り出し、受付嬢の悲鳴がロビーに響き渡った。
「や、やめてくださいっ! 冒険者同士での私闘は禁止――」
制止の声が届くよりも早く、男の拳が空を裂いた。
狙いは顔面。まともに食らえば首から上が吹き飛びかねない剛腕。だが――。
俺は最小限の動きでそれを紙一重で回避すると、男の懐に一歩踏み込む。
「なっ――!?」
空振りの衝撃で泳いだ男の視界に、俺の掌が入り込む。
そのまま男の喉元を掴み、問答無用で受付カウンターへと叩きつけた。
――ドォォン!!
激しい衝撃音とともに、頑丈なカウンターがミシミシとたわむ。
さっきまで騒がしかったギルド内が、嘘のように静まり返った。
「……喧嘩はダメだそうだ。聞こえなかったのか?」
喉を押さえ、顔を真っ赤にして悶絶する大男を見下ろしながら、俺は冷めた声で告げた。
「……っ、ぐ……う、動かねぇ……!!」
俺の手に喉元を押さえ込まれた大男――ガイギスが、顔を真っ赤にして必死に力む。だが、岩を押し上げようとするかのような絶望的な抵抗は、俺の手元を1ミリも揺らすことはできない。
「う、嘘だろ……?」
「あのガイギスが、真正面から力負けしてんのか……?」
「あのルーキー、何者だ……?」
静まり返っていたロビーに、さざ波のような動揺が広がっていく。
俺はそれらの雑音を意識の外に追いやり、喉を掴んでいた手に一気に力を込め、ガイギスの巨体をそのまま床へと叩きつけた。
凄まじい衝撃音とともに男が沈み、床のタイルにひびが入る。
「……さて」
俺は事も無げに、散らばりかけた書類へと視線を戻した。
「これは『私闘』に当たりますか? そもそも俺は、まだ冒険者登録すら済ませていない部外者ですが」
まるで天気の確認でもするかのような淡々とした口調。
受付嬢はもはや、泣き止むどころか呼吸すら忘れたように硬直している。彼女の潤んだ瞳には、絶句したまま俺を見上げて、呆然とした表情だけが映っていた。
「あの……」
固まっている彼女に、登録の続きを促そうとした――その時。
「お見事ォ! いやぁ、スゴいねアンタ! どっから出してるんだよ、その馬鹿げた腕力!」
小気味良い拍手の音が、静まり返ったロビーに響く。
また別の男が、ふらりとこちらに歩み寄ってきた。
「……次から次へと」
思わず漏れた毒づきに、男はひらひらと両手を振って見せる。
「おっと、そんは警戒すんなって。俺は別にアンタとやり合う気はないさ。……そこで無様にノビてるデカブツみたいには、なりたくないからね」
男は足元に転がるガイギスを一瞥すると、皮肉げな笑みを浮かべて俺の隣までやってきた。
そして、深く被っていた頭巾をゆっくりと脱ぐ。
現れたのは、雪のように白い髪。
目元まで無造作に伸びたその髪を、長い指先で無造作にかき上げた。
年齢は俺と同じくらいか。
背丈も百七十五センチほどで、俺と大差はない。
だが、その食えない笑みを浮かべた瞳は、まるで貴重な掘り出し物を検品するかのように、俺の全身を舐め回していた。
白髪とは対照的な、漆黒のロングコート。
目を引くのは、左目のあたりに刻まれた無惨な火傷の痕だ。病的なまでに青白い肌が、その赤黒い傷跡を一層禍々しく際立たせている。
「パーティー、入ってないんだって? じゃあ俺と一緒だ。しかもまだ冒険者登録すら済ませていない。……なあ、こんな偶然ってあると思うか?」
男は芝居がかった仕草で肩をすくめて見せたが、その含みのある視線だけは、鋭く俺の芯を射抜こうとしていた。
「これも何かの縁じゃない? 一人で登録するよりは二人の方が道中楽しくなると思うけど?」
何度目かも分からない溜息を吐き出し、俺は仰向けに天井を仰ぎ見た。
今度はまた、ベクトルの違うややこしいのが絡んできたものだ。旅立ちの初日からこれでは、この先が思いやられる。
ほんの数秒の沈黙。思考を整理してから視線を男に戻し、俺はあえて突き放すように訊ねた。
「……道中が賑やかになる。それ以外のメリットは?」
向き直った俺の言葉に、男は待ってましたと言わんばかりの不敵な笑みを浮かべる。
「俺、魔術師」
驚いた。というより、耳を疑った。
この世界において、物理法則や自然の法則をを改変する『魔法』は一般化されている。だが、その中でも事象の根源に干渉し、天災規模の現象を一人で引き起こす『特級魔法』。それを制御・運用できる人間は、敬意と畏怖を込めて『魔術師』と総称される。
高度な技術と、常軌を逸した魔力許容量。
国家の勢力図を一人で書き換えかねない「戦略級の個体」が、なぜこんな場所で暇を持て余している?
「……冗談だろ?」
「冗談かどうかは、俺と一緒に依頼をこなせば分かるでしょ?」
俺の問いに、男は相変わらず不敵な笑みを崩さなかった。
この男が本当に『魔術師』を名乗る実力の持ち主だとしたら、その余裕は強者の証明だ。だが、俺がその真偽を測りかねて沈黙している間に、男は返答を待たずして目の前の羊皮紙に筆を走らせ始めた。
「あ。お、おい! 何勝手に書いて――」
俺が止めに入るよりも早く、さらさらと迷いのない筆致で書き上げた書類を、男は受付嬢へと滑り込ませた。
「はい! パーティー名決定! 登録お願いしま~っす!」
「あ……。は、はい……! ただいま!」
屈託のない、しかし断絶を感じさせるほど軽快な声。
受付嬢が戸惑いながらも受理の印を押し、印が書類に定着していく。その光景を眺めながら、俺は深い絶望とともに悟った。
どうやら俺は旅の初日にして、最高に性質の悪い「爆弾」を抱え込まされてしまったらしい。
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