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7話

ミィナの体は、既に限界に近かった。

前の村で負った傷は深く、右脚の太腿はほとんど力が入らず、長距離の移動もままならなかった。


だが、彼女には止まる理由がなかった。


「依頼内容、確認します。前線からさらに西。補給路の奪還、報酬は半金先払い、残りは達成時に」


「貴様、あの赤刃じゃないか? 本当に来るとはな……死人かと噂されていたぞ」


「死に損なっただけよ。ほかに傭兵がいないなら、私に任せて」


契約はすぐに結ばれた。

彼女が向かうは、三国の緩衝地帯――“炎の谷”。


かつて、魔王軍と人類連合の最大規模の戦闘が行われた場所。

地形そのものがねじ曲がり、大地は常に熱を帯びて赤く染まっている。


そこは“今も戦争が続いている”と言われる場所だった。


**


歩を進めるたび、焼け焦げた匂いが鼻をついた。

破壊された兵器の残骸。戦死者の鎧。地に染み込んだ赤黒い血。


数年前、ミィナの母国もここで滅びた。

自国を裏切った王族たちが、魔王軍と通じ、民は盾にされた。

彼女はその時、すべてを失った。


「それでも――」


握った拳に、まだ力がこもる。

彼女は剣を携えていない。前回の戦闘で、右手の指の一本を失ったからだ。


それでも、投擲用の短剣、仕込み刃、そして拳だけはまだ使える。

戦いに身をささげるしか、彼女にできることはなかった。


**


彼女の任務は、“中立地帯の補給路を奪還する”こと。

その道が遮断されていることで、後方部隊の兵糧が尽きかけているという。


だが、彼女が到着してすぐに気づいた。


「これは――奪還なんて生易しいもんじゃないわ」


そこは、既に“戦場”ではなかった。

まるで、巨大な商業国家のような“戦争利権の街”だった。


人が物を運び、武器を売り、薬を売り、情報を売り――

国の違いなどどうでもいい。ただ儲かればいい。


補給路は奪われたのではなかった。

“誰かの手で切られ、別の誰かの利益に組み込まれた”のだ。


**


「――じゃあ、私の任務って何?」


誰のために戦うのか。

国のため? いや、もう自国はない。


金のため? 確かに、生きるには必要だ。

けれど、もはやミィナにとって“金”は生きるための手段ではなく、“死ぬまで戦い続けるための延命薬”だった。


その夜。

商業街の裏通りで、彼女は小さな野良猫と出会った。


毛並みは汚れ、片耳は千切れかけている。

けれど、その目は、誰よりもまっすぐで――生きることに真っ直ぐだった。


「おまえも、生きてるんだな」


ミィナは微笑み、小さな肉片を分け与えた。

猫は警戒しながらもそれを食べた。


気づけば、彼女はその猫に“ナナ”と名付けていた。


誰かに名前をつけるなんて、何年ぶりだろう。


**


数日間、ミィナは依頼を無視して、ナナと共に過ごした。

路地裏で眠り、残飯を拾い、気づけば誰にも追われずにいた。


誰かを殺さなくてもいい夜。

血の匂いがしない朝。


「こんな風に生きられたら……って、考えたことなかったな」


ナナは彼女の膝の上で丸まり、静かに寝息を立てていた。


だが、それも長くは続かなかった。


ある夜、彼女が食料の調達に向かったわずかな時間――

ナナは、何者かに殺されていた。


理由も、意味もなかった。

ただ、誰かの目に留まり、“路地裏を汚す不要物”として蹴り殺されていた。


**


ミィナは叫ばなかった。泣きも、怒鳴りもしなかった。

ただ、ナナの身体を抱え、その場に座り込んだ。


そして、ぽつりと呟いた。


「……そうか、やっぱり、そうなんだな」


この世界には、意味なんてない。

人が死ぬことも、愛が壊れることも、命が踏みにじられることも。

理由なんて、ない。


だからこそ、彼女は戦う。


**


数日後。ミィナは、補給路の主である商人組合の幹部に接触する。

表向きは交渉。だが――それは、処刑だった。


ミィナは人知れず、彼らを葬った。

証拠も痕跡も残さず。あの猫の命を、その手で弔うように。


補給路は再び開かれた。

軍部は喜び、契約は完了した。


だが、報告には“傭兵の名”はなかった。

すべてが偶然の事故であり、正体不明の“第三勢力”の仕業とされた。


ミィナは、そのまま姿を消した。


**


戦争は、終わらなかった。

だが、補給が届いた部隊は、全滅を免れた。


兵士の一人が呟いた。


「誰かが、俺たちを助けたんだな……名も知らん、誰かが」


ミィナは、遠くの山道でナナの眠る場所をもう一度振り返った。


「ありがとう、ナナ。……私は、進むよ」


戦争は終わっていない。

けれど、彼女の中では、少しずつ、終わりが見えていた。


失くしても、進む。

それが――彼女にできる唯一の、生き方だった。

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