3話
「……お前が、ラザンか」
そう言われたとき、すでに町の衛兵十数名に囲まれていた。
ラザンは一切の抵抗を見せなかった。ただ目を伏せ、腰に手を伸ばそうとした鍬を置き、手を頭の後ろに回す。武器を手放しても、疑いの目は変わらない。いや、むしろ確信に変わっていた。
「聞いてるぞ。魔王と繋がってた裏切り騎士だってな」
「……違う」
声は冷静だったが、誰の耳にも届かなかった。いや、届かせようとする空気がそもそもなかった。
こうしてラザンは、二度目の“投獄”を味わうことになる。
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監獄と呼ぶにはあまりに雑な小屋に押し込まれたラザンは、床に座りながら壁の剥げた漆喰を見つめていた。
この町――コルメナはかつて、勇者一行の通過地点だった。
その時、魔王軍の実働部隊と激突したという。街の広場を中心に繰り広げられた大規模な戦闘は、結果として勇者の勝利に終わったが、その代償もまた大きかった。
「いまだに広場の地下から瘴気が抜けねえんだとよ」
隣の牢に入れられた男が、ぼそりと呟いた。
「誰も言わねえが、あれは勇者の“置き土産”だってわかってるさ。けどな、言えねえんだよ。英雄様にな。俺たちの世界は、そいつに救われたんだからよ」
男の声に、恨みはなかった。
あるのは疲労と、諦め、そして――恐怖だった。
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翌朝、ラザンは牢から引きずり出された。
理由は簡単。
“人手不足”。
最近、町外れの森に“幽霊屋敷”が出現し、討伐隊が全滅したという。
正確には、討伐隊が“全員行方不明”になっただけだが、町は恐慌状態だった。
そして囚人すらも「使える手札」に数えられたのだ。
「死んでもかまわん。だが生きて戻ったら、無罪放免してやる」
淡々と語る町長の目には、一切の情がなかった。
むしろ「死んでもらってもいい」という前提すら透けて見える。
ラザンは黙って頷いた。
汚名を晴らすためではない。ただ、自分の目で見たかった。
勇者たちの“戦いの爪痕”が、どれほど世界を蝕んでいるかを。
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森は深く、冷たい空気がまとわりつく。
そこに、あった。
突如として木々の隙間に現れる“建物”。
豪奢な屋敷、だがどこか歪だ。まるで――死者の記憶が寄せ集まって形を成したような、不気味な塊。
ラザンが一歩足を踏み入れた瞬間、空間が歪んだ。
音もなく扉が閉まり、背後の出口は消えていた。
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屋敷の中では、過去の残響が繰り返されていた。
燃える本棚。割れる鏡。首のない騎士たち。
ラザンは、かつての戦場の映像が“まるでそこにいるかのように”再現されていることに気づく。
これは、死者の記憶。
戦場で消えた兵士たちの“思念”が、屋敷という形を借りて訴えているのだ。
「俺たちも……戦っていたのに……なぜ……」
「誰も……覚えてくれない……」
彼らは“魔王軍の兵士”だった。
だがそれ以前に、人間だった。
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ラザンは戦わなかった。
鍬を持ち、静かに、ひとりひとりに土をかけていく。
「お前たちがここにいたことは、俺が知ってる」
そう呟いた時、空気が和らいだ。
幽霊屋敷は静かに崩れ、ただの森へと戻った。
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町に戻ったラザンを、衛兵たちは沈黙のまま見つめていた。
町長は何も言わなかった。ただ、ひとつだけ紙を差し出した。
「……追放状は、破棄しておいた。だが……町の外へ出てくれ」
「わかってます」
ラザンはそう言い、背を向ける。
彼の名は記録に残らない。
けれど、彼が浄化した“幽霊屋敷”は、確かにもう存在しなかった。
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風が吹いた。
ラザンはその風の中に、誰かの“ありがとう”を聞いたような気がした