1話
騎士ラザン・ヴィットが最後に立っていた城門の前には、剣も誉れも置かれていなかった。
わずか数刻前まで彼の肩にかかっていた紅のマントは、いまや砂塵にまみれ、地面に打ち捨てられている。
「汚名を背負って退け。真実はもはや関係ない。民が英雄を求めている」
淡々とそう告げたのは、ラザンが最も信頼していた仲間だった。勇者ロア=エルステッド。
疑いの余地のない冤罪だった。
だが、魔王軍との大戦が終盤にさしかかっていた今、「騎士の裏切り」という物語は都合がよかった。
民衆に不安を与えるより、敵を一つ作って安堵を与えたほうが政治的には優しい。
「ラザン・ヴィット。貴様を叛逆の罪により、騎士団から除名する。以後、二度と剣を取ることは許されぬ」
それが最後の言葉だった。
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それから三ヶ月。
ラザンは馬を持たず、名も名乗らず、各地の復興地を渡り歩いていた。
倒壊した村、焼かれた畑、水源を失った街。
戦いの跡地はどれも、勇者たちが英雄譚の一章を刻んだ舞台である。だが、そこには拍手も喝采も残っていない。
「……もう、柱は立たねぇな。材木が足りねぇ」
壊れた宿屋の骨組みを前に、村人たちが肩を落とす。
ラザンは黙って腰に差した工具袋を下ろし、無言で木を削り始めた。
「……あんた、何者だ?」
「ただの旅の者です。手伝わせてください。礼はいりません」
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彼が名を明かすことはなかった。
だが、その目と手が語ることは多かった。
剣を握っていた者にしかない重み。
味方をかばって幾度も盾を構えた者にしかない、構造物への慎重な目配り。
そのひとつひとつに、人々はやがて小さく頷いた。
「お前の手は――戦うより、建てるのに向いているのかもしれん」
最初にそう口にしたのは、片足を失った老鍛冶だった。
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ラザンは語らなかった。
だが、村々の復興は進んだ。
潰された井戸を修理し、獣に襲われた柵を立て直し、地滑りで崩れた農道を補修する。
その全てを、ただ一人で黙々と行っていた。
「……あんた、もしかして騎士だった?」
ある晩、焚き火のそばで、少年が問うた。
「違うさ。ただ、昔、剣を振るったことがあるだけです」
ラザンは火の中を見つめながら答える。
「じゃあ、どうしてこんなことしてるの?」
「さあな」
その言葉に、少年は少しだけ考えてから、膝を抱えた。
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ある朝。
ラザンは、壊れた石碑を見つけた。
それはかつての戦場の碑。勇者とその仲間たちの名が刻まれていた。
当然ながら、そこにラザンの名前はなかった。
だが――それはもう、どうでもよかった。
「名が残らなくても、救える命はある」
誰にも聞かれず、誰にも届かぬように、ラザンはそう呟いた。
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彼の旅は続く。
次に向かうは、かつての激戦地。
魔王軍の幹部と勇者が交戦したという「浸魔の丘」。
未だにそこでは、奇妙な現象が報告されていた。
それが、物語の次なる扉だった。