大牙狼戦 #1
***
ケロコンたちから離れて数分後のユルは、ソロリの街をゆるりと散策していた。
不死鳥など、権力の象徴とされている獣を象った装飾が施された住居や商店などの建造物が並ぶ。
まだ寒いのに若芽が息吹く街路樹を境に歩道と車道で分けられた道には、見慣れない絢爛な服装の人々と電機車が行き交っている。
電機車は国府の上層街にもあるが、下層街の住民専用であり、もちろんユルは乗ったことがない。そしてユルは電機全般への興味、言ってみれば憧れに近い感情を抱いていた。
商品の良さを謳った商店の看板には、ゴルを通貨とした取引価格が大きく記されていて、ユルはその高価さに心の底から驚いていた。
(ソロリで生まれ育てば、こんな意味不明な旅をするはめにならなかった⋯⋯いや、どちらにしても、親がアレじゃ⋯⋯まあ、こればっかりは運みたいなものだし)
そう考えるユルの顔、口元が斜めに吊り上がっていたが、過去はすっかり忘れたつもりの本人にその自覚はなかった。
物見遊山のようにフラフラと歩くユルとすれ違う人々の多くが足を止めて振り返っている。
旅行者が珍しいのか、それとも、雪でも降りそうな気温のなか、引きつった表情のユルが纏う真夏の服装を信じられない思いで見ているのか。
孤児かしら⋯⋯などと、ひそひそと何かを話す者たちもいるが、ユルは気に留めていない。
ユルは1時間ほど街を練り歩いたが、確かに宿は全く見あたらなかった。本当に宿が無いのだとしても、これだけ栄えていれば宿に近しい形のサービスを提供する店くらいはあるはずと踏みながら。
耐冷のおかげで寒くはないが、柔らかなベッドで寝てみたい。貧しい者が多い、国府の上層街に生まれてこのかた、そんな寝床に出逢ったことがない。
切実な希望を抱き続けてきたユルだったが、時間が経つに連れて歩く速度が遅くなり、やがてぼうっと立ち止まった。
力の抜けた顔で肩を深く落とし、長いため息に続けて呟く。
「⋯⋯野宿、決定ですね。はぁ」
野宿を決意してから30分後、ユルは4メートル近い高さの隔壁の前で背面歩きをしていた。
鼻腔へ微かに届く木々と土の匂いから、この隔壁の向こうには森か林のようなものがあると推測しながら。
隔壁から10歩ほどの位置で止まり、ユルは対冷と脚力を付与。正面へ踏みきって跳躍、隔壁の向こう側に着地。
辺りを見渡した紺藍色の瞳に常葉樹の森が映る。
自然保護区的なやつだろうか。ユルは辺りをぐるぐると見回す。
何度も気の抜けた欠伸を繰り返しながら、背を預けられる太い木を探し、霧が籠もる森の中を歩き始めた。
(でっかい穴が空いてるけど⋯⋯あれでいいか。眠くなってきたし)
やがてユルは身を預けられそうな古木を発見。どうにも気だるそうに近寄り、48キロの体を幹に預けた。
だがすぐに国府からの支給物である、強靭加工を施された背嚢の存在を思い出し、幹と自分の背の間に挟まれたそれを足の横に移動、チャックを開けて何かを漁り始める。
支給服のスペア、濾過装置つきの金属筒に入った飲み水、換えの濾過フィルター、大量の薫製肉、豊富な種類の木の実。
マッチと携帯用電機ライト、若葉の匂いがする香水などの道具の脇に納められた小さな枕を後頭部で挟み、ユルは膝を抱えて目を閉じた。
街と腐葉土、うっすらと水の匂いが混ざる、初春の冷えた夜風がユルの色白な肌を撫でていく。
雲が夜風に流れると、慎ましげに顔を見せた月が辺りを金色の世界に染めていった。