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第三章 変わらぬ関係

第二章 変わらぬ関係


今日も今日とて憂鬱な一週間が幕を開け、どうにか後ろ向きなこの気分を少しでも緩和できないかと通学鞄のサイドポケットから白色の有線イヤホンを取り出しスマートフォンに差し込む。

ホーム画面から音楽アプリを起動させ、プレイリストの楽曲をランダムに設定すると早々に音楽鑑賞へ浸る。

正面の壁の中央に掛けられているアナログ時計に目を向け、担任の川端が教室に辿り着くまでは僅かに時間が残されているな、と確認を済ませると机にうつ伏せになりより良い快適な姿勢へと体を崩す。

本来ならばこのままぐっすりと夢の中へと誘われたいのは山々なのだが、あいにくそんなことは許されておらず、睡魔に敗北しないよう気を張る。


(まぁ、そこまで気を張らなくても今朝は『眠気覚ましにはこれを使え!シルバーZ!』という名の人気売れ筋ランキング堂々の一位を獲得している目薬をさしてきたから、普段よりかは眠たくない)


そんなことを考えていると先程まで聴いていた邦楽ロックの曲から心安らぐバラード曲へと切り替わった。

まるで『ゆっくり寝なさい』と子守唄を歌われているようで先程まで正常に保たれていた意識が若干薄らと遠のいていき、ウトウトとしてしまう。

睡魔に抗おうと顔を前へ上げようと努力するのだが、自分の意思とは反して、いや……無意識的にはこのまま寝てしまってもいいのではないかと思っているのか顔を上げるどころかより一層に腕の中へと顔を埋めていく。


(……それもそうだよな。昨日は夜遅くまで恋乃葉と…………)


耐え難い睡魔の原因を探るべく、昨晩の記憶を遡っているとそのまま俺は夢の中へ誘われていった。


ーーーー遡ること昨晩


自室の机の端に置かれている丸型の置時計に目をやると二十三時四十分と針が指していた。

普段通りベッドで横になりながら読みかけの『俺の妹が可愛すぎて目が離せない!』の六巻を手に読書に励んでいたのを一旦中断させる。

ベッドのヘッドボードに小説を置くと両手を上へ伸ばす。


(いつもならもう少しは起きてるけど、今日はなんか疲れてしもう寝るか)


一度ベッドから立ち上がり自室の灯を消すために扉近くの電灯スイッチまで歩み寄ると、トントンと扉がノックされた。


(ん?こんな時間に誰だろ?父さんかな?)


「はい」と扉越しの相手に向けて返事をし、緩慢に扉を手前へ引くとその先に姿を現した人物が眠気によって重く垂れた俺の瞼を一瞬にして瞠目させてた。


「……こ、恋乃葉」


てっきり恋乃葉はもう既に就寝に入っているのかと思っていたため、見事『父親だろうか』という予想が覆された。

目を丸くして恋乃葉の瞳をじっと見つめていると、恋乃葉は不自然に視線を横へと逸らし口を開いた。


「…………せんか?」


「ん?ごめん、聞こえなかった。もう一回言ってもらってもいいか?」


「だ、だからっ……今から……一緒に映画……っ!見ま……せんか……?」


両手をもじもじとさせながら、時折俺の方へと一瞥する恋乃葉はその言葉を多少躊躇いながら、そしてどこか恥じらいを感じた様子で口にしていた。


「映画?別にいいけど、この時間に開いてる映画館なんてないんじゃないか?」


「映画館じゃなくて、その……わたしの部屋で……」


「こ、恋乃葉の……部屋……」


「は、はい」


今日の今日まで一度たりとも恋乃葉の口からの誘いはなく、大体は俺から仕掛けていた。

けど、今回は恋乃葉から映画を一緒に見ないかと誘われた。


(これってもしかして……お家デート、というやつでは…………いやいや、さすがにこれをデートとカウントするのは愚かか……)


「いいよ別に」


『本当は映画館で観たかったけど』そんな思いを胸の片隅で密かに抱えながらも、言葉にすることをグッと堪える。

いつか、自分から恋乃葉を誘ってみよう、そう自分に言い聞かせながら。


「それじゃあ、早速わたしの部屋に」


「あぁ」


視界の隅に映り込んでいる電灯スイッチを押し、自室の灯りを消すと恋乃葉と共に隣室へ赴いた。

恋乃葉は自室の扉の前で足を止め、ゆっくりとこちらを振り向きながら「す、すこしここで待っていてください」と言うと俺の視界には一切入れまいと扉を最低限の距離だけ開き、ぬるっと身体を滑らせるように自室へ入っていった。


(まぁ、そりゃあそうだよな。いくら兄弟とはいえ、未だに他人だと意識している異性を部屋に招き入れるとなると見られたくないものくらいあるよな。……もしかして、何かあったときように護身用武器を隠すための準備とか……)


何も根拠のない、ただの憶測に過ぎない考えをしながら一喜一憂していると、正面の扉がガチャと音を立てながらゆっくりと開いた。

「どうぞ……」といかにも警戒心が滲み出ている雰囲気と声音で俺を招き入れると、早々に「こちらに座ってください」とうさぎが描かれた可愛らしいクッションを指差した。

誰かの自室に入ったら必ず行ってしまう行動No一と言っても過言ではない、部屋の内装を見渡す。

ベッドや勉強机、棚やタンスの配置は俺の部屋と大差ないけれど、小物の整理整頓や女子特有の可愛らしい壁紙は俺とは似ても似つかないほどの別次元。

今まさに腰を下ろしている、うさぎ柄の可愛らしいクッション。

右手に目を向ければ恋乃葉自身に用意された、猫柄のこれまた可愛らしいクッションが置かれている。

薄いピンクがかった艶帯びたローテーブル。

スタンドミラーや化粧品、雑誌類が収納されている小棚。

ベッドにもたれかけるように置かれた大きなシロクマぬいぐるみ。

そして、入った早々に男子の部屋とは異なると断言できる鼻腔を刺激する甘い香り。

その全ての素材がより一層にここは恋乃葉の自室なんだなと実感させ、次第に鼓動が荒ぶっていく。

バクバクと胸を突き破って飛び出してきそうな高まる心拍数に溢れ出てくる手汗。

両手をぎゅっと握りながらあぐらをかいた太ももへ視線を落としていると。


「兄さん、どうかしましたか?」


疑念を抱きながら眉をひそめた訝しげな表情で俺の顔色を伺うべく、横から覗き込んでくる恋乃葉。

床に手をつきながら後ずさるように「な、なんでもない」と微かに震えている動揺を隠しきれていない声音で返答する。


「そうですか。それならいいんですけど、でももし体調や気分が優れないなら無理に映画を観なくてもーー」


「そんなことない!むしろ……むしろ俺は……恋乃葉と一緒に観たいよ!」


バッと顔を前へ上げながら横で前かがみになっている恋乃葉の透き通る瞳をじっと見つめる。

口をついて出た言葉はもう二度と戻すことは叶わず、どれだけ俺は必死なんだと自分の振る舞いに恥じらいを覚える。

脈拍が更に激しくなりながらも、俺は一切逃げることはせず、ただひたすらに恋乃葉の瞳を見つめ続ける。


「そ、そうですか」


数秒間の沈黙の後、恋乃葉はくるりと背を向けながら、普段通り素っ気なく返答をする。


(恋愛って本当に……難しいなぁ。きっと恋乃葉は俺がなんでここまで必死なのか分かってないんだよなぁ……)


恋乃葉の耳に届かないよう小さくため息を漏らすとベッドのヘッドボードに置かれた四角い置き時計に目をやり「時間も時間だし、早く観ちゃおっか」と両手を上にあげて伸びをする。


「それもそうですね」


「あっ!そうだったそうだった」と独り言ちながら両手をパチンと合わせ、そそくさと花柄の白色カーテンの掛けられたスチールラックからと"とあるモノ"を取り出す恋乃葉。

ガサガサと大きめの樹脂バスケットから「こっちも捨て難いけど、やっぱり映画といったらこれよね」と何やら一人で納得する。


「兄さんは何味がいいですか?」


「何味?なんのことだ?」


「これですよこれ」


そう言いながら片手に持っているポップコーンのお菓子をチラつかせながら、「しょうゆバター、キャラメル、期間限定焼き芋風味なんてものもありますよ!」といかにも意気揚々とした雰囲気でふんすと鼻息を鳴らしながら、様々なポップコーンを箱から取り出して床に並べていく。


「俺は別になんでも」


「なんでもは一番困る回答だって兄さん知らないんですかぁ?」


恋乃葉は忠告するように人差し指を立てながら不服そうに唇を尖らせた。

「わたしは全種類食べたことあるので、"是非"兄さんが決めてください!」謎の威圧感を感じさせる言い草は混乱の渦へと陥れる。


「そう言われてもなぁ」


特段、ポップコーンの味に興味を示さない俺は困り果てたように頭を掻き、床に置かれ数々のポップコーンに目を向ける。

片手を後ろにつき、体制を崩すようにポップコーンを凝視しても一向に決断することは出来ず、優柔不断な性格を顕にしていると、その様子を見かねた恋乃葉が助言をするかのように口を開いた。


「全種類制覇したわたしのオススメはこの期間限定焼き芋風味です!」ガシッと鷲掴みにしながら、焼き芋風味のポップコーンを目先まで突き出す。


「あぁー、じゃあそれで」


「えっー!?本当にこれにしちゃうんですか!?」


「いやだって、恋乃葉はそれがオススメなんだろ?なら、迷うことなんてないよ」


「で、でもそれじゃあ兄さんの意思では……」


「これは歴っきとした俺の意思だ。まぁそれに焼き芋風味のポップコーンなんて聞いてことないしな」


「兄さんがそう言うならいいんですが……」とどこか腑に落ちないように焼き芋風味以外のポップコーンを再び樹脂バスケットに入れていき、スチールラックに保管する。

片手にポップコーンを持ちながらこちらに向かってきた恋乃葉はちょうどクッチョン一個分の距離感を保たれた先に置かれた猫柄のクッションに腰を下ろした。


「それでなんだが、どうして俺を誘ったんだ?映画観るだけなら俺は必要ないんじゃ」


「必要ありありです」


ポップコーンの袋を開封させ、俺と恋乃葉の間に置くと一つつまんで口に入れる。

恋乃葉を真似して俺もポップコーンを口に放り投げる。

ボリボリと咀嚼をしながらゴクリと飲み込むと。


(あぁ……なるほどな。そういうことか)


どうしてただの映画鑑賞にも拘わらず、よりにもよって嫌悪感を抱いている俺なんかを誘ったのか。

この時間帯ならば、ギリギリ麗華さんも起きているはずだし俺じゃなくたっていいはずだ。

麗華さんは心優しい人柄で多少の文句は垂れるかもしれないがなんやかんや了承してくれる。そんなことくらい実の母親である恋乃葉なら分かりきったこと。

けれど、そんな麗華さんを押しよけてまで俺を選択した理由。

なんとなくだが、分かった気がした。


「恋乃葉、お前……好きな奴いるだろ」


「すっ、すすすすすすすすす好きな…………ど、どうしてそんなこと急に訊くのさ!!」


『好きな奴』その言葉を発した途端、恋乃葉の頬は不自然なほどに紅く染め上がり、指で挟んでいたポップコーンを床に落とす。

蚊取り線香のように瞳をグルグルとさせ、口をぽかんと開けている姿は誰がどう見ても図星を突かれたと理解でき、それと同時に俺の言葉を肯定していると分かる。


「すき……好きな人なんてぇ……いませんよ……」


「もう遅せぇよ」


「な、なにがですぅ?勝手な憶測はやめてくださーい」


「目が泳いでんぞ、目が」


大海を漂う魚のように恋乃葉の瞳は左右に行き来し、全く焦点が合わないでいる。

恋乃葉の目向きを追うかのように無理やり視線を合わせようとしても、頑なに避け続ける。

自分が勝手に訊いたのに内心は暗闇に支配される。

崖から突き落とされたような、絶望、落胆、喪失感が混ざり合い、言葉では伝え難い激痛に襲われる。


(あぁ……失恋ってこういうことを言うのか)


パジャマの胸元をぐしゃっと掴みながら、押し寄せてくる様々な感情を必死に押さえつけ、無理やり笑顔を作る。


「どうせあれだろ?好きな奴を映画館に誘うとかなんとかで、事前に異性の俺と予行練習しておきたい、みたいな趣旨だろ?」


「ちがーー」


「いいよ、誤魔化さなくても。父さんや麗華さんには言わないし、安心して恋愛しろよな」


(恋乃葉だって中三だ。思春期真っ盛りで好きな奴がいるくらい普通だろ。普通……だろ……。好きな奴の代わりなのは少し腑に落ちないけど、恋乃葉の頼みなら仕方ないか)


「ほら、早く観ちゃおうぜ。俺がその子の代わりになるかは分からないーー」


「違うよ、兄さん!!」


「ち、違う……?何がだ?」


「わたしに好きな人が……いるとか、予行練習とかそんなんじゃないよ!」


「でもそうじゃなきゃ、俺を呼んだ理由がーー」


恋乃葉は右側に置かれた一枚のDVDのケースをコツコツと強く指先で突きながら「こ れ

!これだよ、これ!」と何度も映画のタイトルを示す。


「『絶叫必須の心霊特集!本当にあった恐怖体験』」そう、目で置いながら口に出すと、先程の言葉の全てが俺の勝手な憶測に過ぎなかったとようやく理解した。

予行練習ではないのかと心の底から安堵した反面ーー。


(でもさっきの慌てっぶり、好きな奴がいることは本当……なんだろうな。じゃなきゃ、あそこまで同様しないだろ。結局俺の失恋は変わらないのか……)


「なるほどな。つまり要約すると、ホラー映画は怖くて一人じゃ観れないから、俺を誘ったと」


「そういうことです!」


人差し指を立てながら、ふんっと鼻息を立てながら心底誇らしげな笑顔を浮かべる恋乃葉。


「だから、わたしに好きな人なんかいません!」


「へぇ〜、そう。いないねぇ〜」


「な、なんですか……。ほ、本当にいませんから!!」


「本当本当にいませんから!」と何度も念を押してくる恋乃葉だが、これ以上会話を試みたとしても押し問答の繰り返しだということは目に見えている光景。

だからこそ俺は「へいへい、分かったよ。そうしておく」と適当に返事をし、恋乃葉が手に持っていた心霊特集のディスクを奪い取り、DVDプレイヤー入れる。

ウィーンと音を鳴らしながらDVDプレイヤーにディスクが飲み込まれていき、床に置かれていたテレビのリモコンを操作する。


「本編再生でいいよな」


「ちょっ!わたし、まだ心の準備出来てないのに勝手に再生しないでーー」


正面のテレビに目を向けた恋乃葉は「ぎゃぁああぁあ!!」と鼓膜を揺らすほどの悲鳴をあげながら、両手で顔を覆う。

あまりの声量にビクッと身体を震わせ、力強く耳を抑える。


「……なんだよ。急に大きな声なんか出して」


「にっ……兄さんが悪いんだからね!!急にDVD入れるからテレビに変な女の人表示されちゃったじゃん!!」


「そんなこと言われても、そろそろ観始めないと……」


横に置いていたスマートフォンを恋乃葉に見せる。


「もう、俺が部屋に来てから一〇分以上経ったんだよ。それにこれ、一時間半特集だろ?明日寝不足は……やだよ……」


「ふぁぁ……」と大きなあくびをしながら、微かに眠い目を擦る。

「それも……そうですね……」と覆われた指の隙間からチラチラとテレビの方を一瞥する恋乃葉は「…………っ、はぁぁ」と大きな深呼吸をし、「よしっ!」と意気込んでから手を退けた。


「み……観ますよ。いいですね……?」


「俺はいつでも準備万端だ」


「そう……ですよね……。では、早速……」


リモコンを片手にポチッと『本編再生』と記された項目を選択すると「きゃああぁああ!!」というセリフが発音され、遥かにリアリティのある恋乃葉の「ぎゃぁああ!!」との叫び声と共に映画が幕を開けた。



ことある事に……というか何もなくても、数十秒に一回は悲鳴を上げては、俺に抱きつこうとしてくる恋乃葉。


(まぁ結局、一度も抱きついてもらえたことはなかったけど。……むしろ、あった方が俺にとってはご褒美なんだが)


今日で何度目か分からないほどの悲鳴を耳にし、なんとか上映時間を終えた。


「い、いやぁ……そんなに怖くなかったですね」


「めちゃくちゃ叫んでただろ」


「まぁあ?ちょぉっと、ほんとにちょぉっとだけ怖かったですけどぉ」


親指と人差し指を近づけながら「ちょっと」とジェスチャーし。


「そんなこと言って、本当は兄さんも怖かったんじゃないんですかぁ〜?」


「俺は心霊とか大丈夫だから」


「そんなこと言ってぇ。おいおいっ!」と肘で小突いてくる恋乃葉は不敵に目を細めながら、不気味に口角の端を上げている顔は『本当のこと白状しろ』と言っているように見える。


(俺にとってはさっきの心霊特集よりも、今の謎の威圧の方が余程怖いのだけど)


「昔から幽霊とか信じないクチだし。どうせ、これだってCGかなんかだろ?」


DVDケースをチラつかせながらそう言うと、「ふぅ〜ん……そういうこと言っちゃうんだぁ」と腕を組みながら唇を尖らせながら、恋乃葉は正面のローテーブルに置かれている、お茶が注がれたグラスに手を伸ばす。

最初の時はコロンと爽快な音を奏でていた氷の音も溶けきってしまった今はどれだけ耳をすましても聞こえてくることはない。

いつもの癖なのか、お茶を喉に通しグラスをテーブルの上に置き直すと、口をつけた部分を優しく親指でなぞった。


「兄さんが怖くないって言うなら、もう一枚いっちゃう?ねぇ、いっちゃういっちゃう?」


「いかねぇよ。もう、一時回ってるし俺はもう寝る。……というか眠い……」


大きなあくびをしながら、ごしごしと目を擦り、乾ききった喉を潤すためにテーブルに置かれたグラスに手を伸ばす。


「恋乃葉もこれ以上観ると夢に出てくるかもしれねぇぞ」


「悪い子はいねぇか!ってな」うらめしやポーズをすると、「ぷっ!」と笑い声を吹き出した恋乃葉が心底面白そうに笑いながら「それっ……!幽霊じゃなくて、なまはげだよー!」ケラケラと口元を添えながら笑い続ける恋乃葉の姿はいつも以上に愛らしいと思った。


(そういえば、恋乃葉がこの家に来て随分経つけど笑った顔なんて初めて見たな。……やっぱりお前はーー)


「……かわいい」


そう口にした直後に言葉の意味を瞬時に理解し、咄嗟に口を抑える。

「へ……?」と気の抜けた声を発した恋乃葉もまたその言葉の意味を瞬時に理解し、かぁっと顔一面が紅くなっていく。


(や、やばい……っ!口に……出してしまった……)


「い、いまっ……なんて……」


「いやっ、今のはその……違くて!可愛いとは言ったけど、それに他意はなくて!だから……その……」


慌てた口調で身振り手振り必死に弁解をするが、逆にその行動が裏目に出て、余計に信ぴょう性が増していく。

言葉を並べれば並べるほど言い訳に聞こえてしまい、どうすれば最適解なのか、もう何が何だか分からない。


「そう……他意は……ない……」


「そう、他意はない」


(他意は……な……くは……ない)


けれど本心を口に出来たら苦労しない。

『本当に可愛いと思った。さらに言えば、ずっと前から好きだった』そんな心の内で密かに潜めている本心を口に出来たら……君に伝えることが出来たならば、君はどんな顔をするんだろう。

喜んでくれるだろうか。

驚いてくれるだろうか。

嫌がってしまうだろうか。

軽蔑してしまうだろうか。

君に寄せる想いを仮に口にすることが出来たならば……どれだけーー楽だったか。

たとえ、直接君に伝えることが叶わなくても、俺は何度だって君に想いを紡ぎ続けるよ。


『俺は恋乃葉が好きだ』と。


この言葉を口にすることが出来たならば、きっと現実は大きく変化をしてみせる。当然、俺と恋乃葉の関係すらも。

良くも悪くも……変化してしまう。

その待ち構えている現実に目を背けて、想いを告げる前から『どうせ俺なんか無理だ』なんて思って決めつけて、結末を勝手に予想してしまっている。

分かりきっている未来に下を向いて、それを仮に現実にしてしまったら恐らく俺は立ち直ることが出来なくて、根拠もない結果を目の当たりにするのがたまらなくーー怖い。

だから俺は『すきだ』この三文字の言葉すらも告げられないんだ。


結局俺はーー臆病なんだ。


「か、仮に他意がなくてもそういう言葉を容易く口にしちゃダメだよ?」


俺の瞳をじっと見るように人差し指を立てて忠告する。


「兄弟のわたしだったから良かったものの、クラスメイトとかそうじゃない異性にそんな『可愛い』とか言ったら、勘違いさせちゃうんだから」


(兄弟……ね……)


「お前は……恋乃葉は……」


(勘違いしないのかよ……)


喉まで出かかった言葉をグッと堪える。

なぜだか分からないが、今この時にこの言葉を口にしてはならないと、カンカンカンと警笛が鳴り響いた。


「ん〜?なに?わたしがどうしたの?」


「なんでもない……」


「明日も早いしお開きにしようぜ」引きつった表情筋を無理やり動かし、張り付いた笑顔を恋乃葉に向ける。

けれど、なぜだかそんな所作も恋乃葉には効果を発揮しなかったようで、不機嫌そうに眉尻を吊り上げながら、片手に持っていたグラスをドンッと勢いよくテーブルに置く。


「なによ!なにか言いたいことがあるなら言いなさいよ!」


「だから、何もないって」


「何もないはずないでしょ!」


「なんでそんなことお前に分かるんだよ……」


自分でも容易に分かり得るほど、冷酷な声音で、まるで突き放すようにそう受け答えをしてしまい、瞬時に「悪い……今のは言いすぎた……」と頬をかきながら、次の言葉を探っているとーー。


「分かるよ……」


恋乃葉は震えた声で言い、顔を俯かせた視線の先には太ももの上でギュッと力強く握られた拳が置かれていた。


「分かるよ……兄さんのことなら……誰よりも……分かってるよ……」


「こ、恋乃葉……?」


ゆっくりと恋乃葉に手を伸ばすが、次々と発せられる荒ぶった、それでいて勢いのある声量に押し負かされてしまい、そっと手が下へと落ちていく。


「分かってるの!!兄さんのことなら全部!!」


駄々をこねる子供のようにぶんぶんと両手を振り下ろす恋乃葉をどうにか治めようと。


「わ、分かったから!俺のことを理解してくれてるのは充分、分かったから!だから、一旦落ち着いてくれ!」


「そ、それなら……よかったです……」


「けどまぁ、そこまで必死にならなくても」


「別に必死じゃないですぅ!ただ兄さんの言葉が少し、本当に少し許せなかったんで!」


「あれは……その、悪かったと思ってる。少し冷たく言いすぎた」


「ふふふっ」と口元を押えながら愉快に笑う恋乃葉は「反省してるならいいです」と目尻溜まった涙を人差し指で優しく拭う。


「はぁ……今日はなんだかいっぱい笑って疲れました。なので、わたしはもう寝ます」


「それは俺も同感だ」


「だから兄さん、出て行ってください」


「あぁ、言われなくてもそうするよ」


完食済みで床に置かれているポップコーンの空の袋をぐしゃぐしゃと丸め、残り僅かなお茶を飲み干すと、それらを手にこの場を立つ。

退出すべく扉に足を伸ばそうとしたとき、足裏に"なにか"が当たる感触を覚える。

「ん?悪い、なにか踏んでーー」足をどけた先で姿を現した、俺が今踏んでいたのはーー、


「…………俺の……写真……?」


「あっ!?あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!」


心霊特集の観賞時以来の発狂を張り上げながら、血色の良い肌が一気に青ざめていく。

風呂上がりの無造作な前髪の隙間から覗く額からはだらりだらりと汗が垂れ流し、歯科衛生士に診てもらうのかと錯覚させるほどに大きく開かれた口からは明眸皓歯が見える。


「……なんで俺の写真が……恋乃葉の部屋に……」


「こ、こここここれは、ちが……ちがくて!その……あれがあれで……こうなって……」


「……まさか」


「これには深いわけがーー」


「俺の弱みを……握るためか……?」


「へぇ……っ?」


(そ、そういうことか。そういうことだったのか)


この時、全ての辻褄が合った。


(憎悪に駆られる恋乃葉は限りなく嫌っている俺の命を奪うため、限界まで弱点を探っているんだ。

だからあの時、『兄さんのことは誰よりも分かってるよ』そんなことを口にしたんだ。

あの言葉の裏には、真の意味は……兄弟や家族、より親密な関係故に他の人と比較しては『兄さんのことは誰よりも分かってる』ではなく、あくまでも俺の命を奪うための算段で、パッと見何の変哲もない言葉に聞こえたあの一文も実は仄めかすように口にした殺害予告に過ぎなかったということか……っ!)


探偵の如く顎に指を添えながら、必死に頭を回転させていると本来の意味合いが徐々に姿を露わにしていく。


(『お前の弱みは全て手の内だ、だから下手な真似はするな。』そういう意味が込められていたのか)


そんな真意を暴いてしまっては次第に恐怖心に駆られて身体全身がブルブルブルっと震えてくる。

まるで振動マシンに乗っているかのように。


「に……兄さん……?あのね……この写真は……」


「いや……もういい。全て分かったから」


「す、全て!?全て分かったってどういうこと!?も、ももももももしかしてわたしの……気持ちもーー」


「悪い。今日はもう会話する気になれない」


額に手を当てながら、片手に持っていたグラスを力強く握りしめる。

亀裂が入っているグラスならパリンと音を立てながら割れてしまうほどに。


「……兄さん……っ!わたし……わたしね……実は……兄さんのことがーー」


想像以上に恋乃葉が内に潜めている真実が俺にとっては計り知れない破壊力があり、外見はかすり傷ひとつ見当たらないが、心にはナイフでえぐられたような、言葉で言い表せない激痛と絶望が押し寄せている。

それ故に、何やら言いたげな雰囲気を醸し出していた、というか途中まで口にしていた恋乃葉の言葉を無碍にするかのように部屋を出ていき、背を向けて扉を閉めた。

その後はよろよろと泥酔状態に犯された人のように立っていることでさえ必死な足取りで自室へと戻り、魂を吸い取られたようにベッドへ倒れ込んだ。

ムンクの叫びのように憔悴した顔つきで意気消沈と悲観にくれながら、そっと眠りについた。



「……っ……なた……かなた!」


「……ん"ん"?……ってなんだ岳か」


身体を左右に揺らしながら、心地よい睡眠から引っ張り出したのは、頭をポリポリとかいている岳だった。


「……なんだ、もう来てたのか」眠い目を擦りながら、耳に装着していたイヤホンを取ると机に置いた。


「はぁ?何言ってんだお前」


何が彼をそうさせたのか、呆然とした面持ちで首を前に出すと眉間に皺を寄せながら、「もう、二時間目だぞ?」とても信じ難い言葉を岳はいとも容易く平然とそう口にした。


「……ふんっ、いやいやいや、何言ってんのはお前だろ?今が二時間目のはず……ない……だ……っ!?」


ぐぅっと両手を上にあげながら伸びをし、眠気を感じさせる細い目で正面の壁に掛けられている時計に目を向けるとーー。


「ちょっ……!は、はぁ!?ちょちょちょ、まてまて……いや、そんなことは……」


幾度となく両目を擦り、目を凝らして時計の針を確認しても決して時刻が変化することはなく

ただひたすらにカチカチカチカチと秒針の音を奏でながら、刻一刻と時を刻む一方。

爪を立てながらガリガリと頭をかき、「……八時五十分にホームルームが終わって……九時から一時間目が……始まって……」指で数字を数えながら現在時刻を改めて確認する。

そして全てを数え終えた後、俺はガクガクブルブルと下顎を震わせながら。


「おい!なんで起こしてくれなかったんだよ!!」岳の両肩を鷲掴みをして荒々しく左右に震わせる。

「痛てぇよ!」と俺の手を肩から振り払い、左手を右肩に添えながらぐるぐるとコリを解消するように回す。


「だってお前、気持ちよさそうに寝てたからよ。起こすに起こせなかったというか」


「でも……それでもよぉ……っていうか川端は起こさなかったのか?あの短気な川端なら起こすどころか怒鳴り散らかしてチョークでも投げてきそうだけど」


「それがな、なんか川端の奴重要な用事があって今日休みだってさ。だから一時間は自習で最後まで誰も代理の教師は来なかったよ」


(不幸中の幸いというかなんというか……。まぁ川端が来なかっただけマシかぁ)


安堵と呆然の含むため息を漏らしながら、起き上がらせた身体を再び机でうつ伏せになり、スライムのようにダランと垂れる。


「マジで良かったなお前。俺がもし川端だったら怒られるじゃすまねぇぞ。もしかしたら殴られてたかもな」


握られた拳をぶんぶんと振りながら、拳骨のジェスチャーをする岳。


「この時代、このご時世にそれはないだろ。教師が生徒を殴ったりなんかしたら大問題だ」


「それもそっか!」後頭部に手を当てながらケラケラと笑う岳を横目に俺は内心『いや……川端なら本当にやりかねないな』と岳の助言も拭いきれないでいた。


「って、もうチャイムなんじゃん。翔奏〜二時間目からまともに受けろよ〜」


振り向き様に軽く手を振る岳に対して「お前に言われなくても」と俺もまた軽く手を振った。



帰りのホームルームを終えた俺は窓から差し込む茜色の夕日を身体全身で浴びながら、筆記用具や小物類を通学鞄に入れていた。

そんなところにルンルンといかにもご機嫌の様子でスキップしながらこちらに向かってくる岳の姿を視界の隅で捉える。


「なんだよ、岳」


「なんだとは冷たいなぁ」


「いつもならお前、彼女と一緒に帰ってるはずだろ?」


「おぉー!さすが親友俺の事よく分かってるぅ!」


「チッチッチ、けど今回……いや、今後は違うんだなぁ」と妙に癪に障る舌鳴らしをしながら、人差し指を左右に動かす岳。


「今後は違うってなんのことだ?……いや、もしかしてお前……」


「あぁ、そのもしかしてだ」


「マジか……またか……」


中学からの関係なだけあって何となく岳が言おうとしていることを察した。


「今回の彼女とは何ヵ月の交際だったんだ?」


「一ヵ月と七日ー!」


ニッコリと屈託のない笑みでそういう岳に対して、分かりやすくため息を漏らす。


「お前なぁ、もう少しは長続きさせる努力とかしろよ」


「したわ!もうめちゃくちゃ努力したわ!けどな、あいつの方から『好きじゃないなら無理に付き合わなくていいから!』なんて怒鳴るからさぁ」


「まぁたそれか。お前の交際期間、毎回半年も満たないな」


「でもあれだな。恋人と別れたというのにこんなにもご機嫌なのはやっぱり……恋愛感情がないから……なんだよな」


「一応言っておくが、これでも一ヵ月七日は新記録更新なんだからなぁ!」


「へいへい、そうですか」と一切感情の籠っていない適当な返答をすると「そういう翔奏は例の"いもうと"とラブラブちゅちゅっちゅ、上手くいってんのかぁ?」反撃と言わんばかりに言葉を続ける。


「うっせぇ……俺の恋愛はなどこかの誰かさんみたいに遊びじゃねぇし、他のやつよりも難しいんだよ」


(好きな人が……妹なんだから)


「俺だって遊びじゃねぇよ!ただ、花の高校生で青春を謳歌しねぇともったいなって言ってんだよ!」


「……お前、女子じゃねぇだろ」


(好きでもない奴と付き合ってる時点でなにが遊びじゃねぇだ。俺にとっては充分遊びだっつうの)


「それでなんだけどよぉ。俺から名案があるんだ」


「名案?」


「あぁ、お前だってきっと喜ぶ」


普段通り談話を興じる時の定席と言っては過言ではない、正面の机にひょいっと飛び乗って腰を下ろした。

名案とやらをなかなか言い出さない岳に苛立ちを覚えた俺は「早く言えよ」と催促すると彼は人差し指を立てて。


「合コンに行こうぜ!」


「……はぁ?行くわけねぇだろ」


「いやいや、そう言わずにさぁ。お前もそろそろ恋愛という恋愛したいだろ?ずっと片思いだとさ、焦れったくてたまんないだろ。その気持ちを解消するにもいい機会じゃんかよ!」


「それはお前だけだろ。俺は別に……片思いだっていい……」


(確かにこの想いを伝えられたら。その上付き合えたりしたら。なんてこと俺だって考える。もちろん最悪の事態だって。でもだからといって他の女子に目移りだけはしたくない。俺が好きなのはどこ誰でもない恋乃葉で恋乃葉以外は考えられないんだ)

岳が溜めに溜めた名案は見事愚案に化し、俺はぐったりと机にうつ伏せながら窓の外を眺める。

校庭で部活動に励む者。

恋人と思わしき生徒が異性と共に校門を抜けて行く者。

それらの姿を目にした俺は先程、岳が口にした言葉を思い出す。


『青春を謳歌しねぇともったいない』


(もったいない……ねぇ)


「なぁ、行こうぜ翔奏!せっかくの彼女探し滅多にないぞ!」


「別に彼女は誰でもいいってわけじゃないし……」


「まぁそんな堅いこと言わずにさぁ。可愛い子も来るんだってよ!」


「可愛い子ねぇ……」


「だから行こうぜ、なぁ!なぁ!」としつこく押してくる岳に対してどれだけ拒否したとしても、彼が絶対に引くことはないであろうことくらいは中学からの付き合いの俺なら重々承知している。

最終的には強引に腕を引っ張てまで、俺を連れていくことも。

だからこそ、これ以上粘っても俺には選択肢は残されていないのだ。

『合コンに行く』ただその道しか。


「……はぁ、分かったよ。行けばいいんだろ、行けば」


「さっすが〜、俺の親友ぅ〜!」


「気持ち悪い……!くっついて来んな!」


「そんなぁ、冷たいこと言わずにぃ〜」


「冷たくもなんでもないだろ!いいから離れろ!」


ブレーキが故障した機関車のように勢いを落とすことはなく、どれだけ拒絶しても一向に距離を縮めてくる岳の顔を平手で押し返す。


「それで、その合コンとやらはいつ開催予定なんだ?」


「明日だ」


「はぁ!?明日!?お前よぉ、前もって言っておけよなぁ」


「大丈夫安心しろ!翔奏のセットアップや髪型は俺が任せてもらうことになってるから!」


「そういうことを言ってるんじゃねぇんだよ!」


一体何が大丈夫なのか岳は誇らしげにウインクをしながら親指を立て「そうと決まれば、尚更明日が楽しみだな!」と全くもって会話の噛み合わないことに俺は呆然とため息を漏らしながら彼とのまともの会話は諦めることにした。


「それじゃあ俺は色々と準備があるからー!」


「ちょっ……おい!」


腰を下ろしていた机からひょいっと飛び降りると隣席に置いていた自身の通学鞄を片手に教室を飛び出して行った。

放課後が開始して随分と時間が経過した今、廊下を行き来する生徒などはおらず、静寂に包まれた廊下からは「明日のことは後で連絡するからよー!」と岳の声だけが響き渡って、教室にいる俺の元まで届いた。



「兄さん……今日は遅かったわね」


「あぁまあな。色々あって」


玄関先で鉢合わせた恋乃葉は片手に参考書とノートを持ちながら自室へ向かう足を止めた。


(あれ……そういえば昨日は色んなことがあって気が付かなかったけど、いつのまにか恋乃葉の口調が所々ではあるけどタメ語になっていたような……)



「色々?」子首を傾げながら疑念を抱きそう問いかける。


「なんか厄介なことに巻き込まれてな。恋乃葉も友達は選んだ方がいいぞ」


無作為に靴を脱ぎ捨てながら、右肩を回していると。


「兄さんにも友達とかいたんだ」思ったことを包み隠さずそのまま口にする恋乃葉。


「い、いるわ!」


(ま、まぁ……高校に進学してから半年たった今も岳たった一人だけど……)


「てっきり、ぼっち生活を送っているものだと」


「ぼっちじゃねぇし。それにーー」


『明日は合コン行くし』喉まで出かかった言葉をギリギリで噤み、違和感を誤魔化すために恋乃葉を追い越して階段を上る。


「何今の!それに、なんて言おうとしたの!」


「なんでもないよ。別に言う必要のないこと」


「何よそれ!更に気になるじゃんかよ!」


階段の下から顔だけを覗かせている恋乃葉は手に重ね持っている参考書とノートで手招きするように扇ぎながら、『こっち見なさい!』と言っているように汲み取れる。


(今の今まで友達ゼロ人だと勘違いしていた恋乃葉に『明日合コン行くんだ』なんて口にしてみろ。何を言われるか分からない。きっと、思う存分に茶化されるに違いない)


だからこそ、無理矢理にでも話題を変えるために先程気が付いた要点を引っ張り出す。


「そんなことより敬語口調治ったんだな」


「敬語口調?あぁ、もうなんか慣れちゃって。気が付いたらタメ口で喋ってた」


「そうか」


「兄さんは今まで通り敬語の方が良かった?」


「いいや、そんなことない。やっぱり家族なんだしタメ口の方がこっちも喋りやすい」


「か……家族……ね……」


俺の発言が不服に感じたのか、恋乃葉は眉を八の字に緩めながら、ぐったりとした目つきで視線を下へと落としていた。


「なんだ?なにかおかしいこと言ったか?」


「う、ううん!なんでも……なんでもないよ!」


「そうか?ならいいんだが」


メトロノームのようにぶるぶると首を横に振り、「わ、わたし、もう少しで受験だし部屋に戻って勉強しなくちゃ!」とどこか張り付いた笑みでガッツポーズをしながら意気込んでいた。


「そうか、恋乃葉ももう受験生か」


「うん!わたし頑張って勉強するから!」


スタスタと階段を駆け上がりながら、俺を追い抜いていく恋乃葉はくるりと振り向くと、真夏のひまわりのような眩しい笑顔を向けながら、「絶対に行きたい志望校があるから!」とだけ言い残して自室へ入っていった。


(……絶対に行きたい志望校……か。恋乃葉がものすごく頭がいいことはこの間麗華さんから聞いた。定期考査では毎回百点以外は取らないとのこと。それほどまでの名門校に進学したいんだろうなぁ。……いやでも待てよ。この間、分からない問題があるからって俺の部屋に来たよな。恋乃葉ほどの頭脳を持ち合わせていれば、あの問題くらい俺に訊くまでもなく余裕なんじゃ……)


考えれば考えるほど余計に紐を解くのが難解になっていき、俺のような至って平凡な頭脳では到底理解出来ずにと本来の意図を推理するのは潔く諦めたら。

階段の途中で止めていた足を再び進めようと一歩踏み出したとき、ポケットに入れていたスマートフォンがぶるぶると振動した。

制服のポケットからスマートフォンを取りだし液晶を確認すると、そこには岳からの一通のメッセージが届いていた。


(あぁ、さっき言ってた明日の予定についてか)


届いたメッセージをタップし、送られてきた文章に目を通しながら、階段を緩慢に上がっていく。


【明日は午前授業だってことは知ってると思うけど、それに合わせて時間決めたから】


(午前授業……初耳なんだが)


液晶を下へスクロールしながら、自室の目の前まで至り着いた俺は扉を奥に押しながら室内へ入っていく。


【なんか、相手の女子が大事な用事の合間を縫って来るらしいんだわ】


(なんで、大事な用事の合間に合コンに来るんだよ……。もっと、有意義な使い方あるだろ)


肩にぶら下げていた通学鞄を乱暴に床へと放り投げ、ブレザーのボタンを外していくと鞄の上に被せるように放り投げる。

よろよろと疲労感を感じさせる足取りでベッドへ倒れ込むと、ぼふんっぎぃぃと軋む音が鳴り響く。

仰向けに寝返りを打ちながら、スマートフォンを操作する。


【それで、学校終わりに直行で集合場所に向かうことになったから】


とりあえず、今現時点で届いているメッセージに全て目を通し終えると、ようやく俺も返信をする。

ボッポッポと可愛らしいタップ音を指先で奏でながら、文字を入力すると入力欄の横にある『送信』ボタンを押す。


「わかった」


たった四文字で収まる短い言葉を返信すると、一秒の間も開けずに文字の下に『既読』と表示された。


【おっ!やっと返信来たか!】


「今帰って来たからな」


【そんなこと言ってぇ。本当は妹とキャッキャウフフ、あんなことやこんなことしてたんだろー】


「お前、明日覚えとけよ。お前の余命宣告は明日だから覚悟しとけ」


【わぁー、怖い怖い!翔奏くん、プンプン怒?】


たとえ岳の対話をしていなくとも、相手の顔が見えなくとも、というかその環境が余計に頭に血が上る。

掌に爪痕がきざまれるほど力強く握られた右手は今すぐにでもあいつの顔面に叩き落としたい。


(欲を言えば、全部の歯が欠けるくらい顔面を潰したい……。いや、むしろ今からあいつ家に出向いてやろうか)


やり場のない怒りを抱えながら、スマートフォンをギュッと握るとシュポンと岳からのメッセージが届いた。


【俺ん家に来んなよなー!俺はまだ死にたくないんだからよ!】


(チッ、お前は超能力者かなんかかよ)


思考を読まれたことで更にむしゃくしゃと腹立たしい。


【それでだ。重要なのはここから】


「重要なら早く言えよ」


【制服のまま行くからセットアップの件はなくなったけど、髪型は別】


(あぁ、なんかそんなこと言ってたな)


「別に髪型とかもセットしなくていいんだけど。俺は彼女目的で行かないし」


【だとしてもだ。せっかくの合コンで可愛い子も来るんだし、ちゃんとお洒落しようぜ】


「はぁ……」と大きなため息が静寂な自室に響き渡る。


(どれだけお節介なのか……)


横向きへと寝返りを打つと、またしてもぼふんっぎぃぃとベッドが軋む。

太陽が傾く度、徐々に自室へと差し込む茜色の夕日の影響でスマートフォンの液晶が見にくくなり、半身を起き上がらせながらガサッと乱暴にカーテンを閉める。

そうすると、せっかちな岳は俺からの返信を待たずに新たなメッセージを送信してきた。


【別に休み時間で髪をセットしてもいいんだけど、クオリティを求めるなら明日の朝、俺ん家に来てほしいんだわ】


「朝?朝はちょっと無理」


【あっ、そっか。お前朝弱かったもんな】


「なんでお前がそのこと知ってんだよ。……キモ」


【おい!その二文字地味に傷つく!前に自分で言ってたろ、毎日朝起きるのが辛いーって】


(そんなこと……言ってたわ)


岳の言葉でその時の記憶が脳裏に蘇る。


(なんか、弱みを握られたようで腑に落ちないな)


「それに髪の毛セットした状態で登校したら、悪目立ちしそうだし」


【あー、確かにお前顔だけはいいもんな、顔だけは】


「顔だけは余計だ」


【前髪だらしなく垂らしてないで、イケメンなんだからその顔見せつければいいのに】


「俺はお前みたいにーー」そう文字を入力している間に岳から【俺の次にイケメンだけど、それでも女子からはモッテモテになれるぞ】と普段通り平常運転の言葉選び。


(いつも一言余計なんだよ)


そんな愚痴を心の中で呟きながら、入力途中だったメッセージを送信する。


「俺はお前みたいにモテたいなんて欲求、ないんだよ」


【またまたそんなこと言っちゃってぇ。ってことで明日の朝俺ん家来いよ!】


「は?だから学校でセットするって言ったろ」


【いやぁ、お前のその言葉聞いたらなんか気になってよ。どれだけ注目浴びるのかなぁって】


「そんなくだらない好奇心は捨てろよ」


【まぁまぁ。別に恥をかくわけじゃないんだし、いいだろ】


(なんでこいつは毎度俺の希望を引き受けてくれないんだ!)苛立ちを覚えた俺はガシガシと頭をかきながら、溜まりに溜まった愚痴を素早い手つきで入力していると、またしても岳に先手を取られて一通のメッセージが送られてくる。


【じゃ、そういうことでー!明日はよろー】


(こ……こいつ……。勝手に会話終わらせやがって……)


入力欄に表示されている文字を一旦全部消去し、新たなメッセージを入力し、送信ボタンに指を伸ばす。


「俺は絶対行かないからな!いくら待ってもお前ん家には行かないからな!」


【はいはーい、ここからは未読スルーしまーす】


「おい!」


「逃げるな!」


「がく!」


「おい!」


言葉の通り、どれだけメッセージを送信しても既読という文字が表示されることはなく、俺の意思など微塵も尊重されず、一方的に会話を中断させられた。


(あいつ……マジで明日覚えとけよ……)

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