龍の右手を持つ男②
ガシャン!
薄暗い部屋に響く金属音。閉鎖的な地下室であることもありその暴力の音は囚われた姉弟に一層の恐怖を植え付ける。
「ギャーギャー騒ぐんじゃねぇ!」
髭を生やした男が檻を蹴りつけると短い悲鳴とともに泣き声が止む。ドスドスと音を立て元居た椅子に戻り再び酒を呷る。
「おいおい、そんなにカッカするなよ。俺たちがこれに関わるのは初めてとはいえガキの泣き声くらい大した事もないだろ?それに地下とはいえお前の声はただでさえでかいんだから。万が一誰かに気付かれでもしたらまずいだろ」
内心あきれながらも瘦せぎすの男が注意する。開発地区とはいえ人攫いなどこの国では重罪だ。現場を押さえられたら言い逃れなんてできるはずがない。
グラン王国王都開発地区。市街地区の一部分であり現在開発途中の場所である。開発地区といえば聞こえは良いが実際のところは掃き溜めだ。
市街地区から溢れた者や脛に傷のある者、犯罪組織の人間等の流れてくる言わばスラム街。率先して行こうだなんて思う人間はまず居ない。
「チッ!こうもウジウジ泣かれてちゃ昼寝もできやしねぇ。腹立つぜ」
「だが最近はこれのおかげでうちの儲けは伸びてるみてーだし、これくらいは我慢しねぇとな」
この最近になって請け負うようになった子供の人攫い。
今までこの地区で稼いできた額がかすむ程の報酬であり、始めてから数回ほどであるが報酬が良いらしく、かなり組織の懐は潤ったことだろう。
「それにしても今更子供なんて誰が欲しがってんだ?」
「知らねーよ。結局俺らは上の言う通りやってれば大金入るんだからなんでもいいってもんだ」
下っ端からしたら考える価値もない質問をあしらいながら目を閉じる痩せぎすの男。引き渡すまで時間は半日以上ある。起きたらまた働かなくてはいけないことに憂鬱になりながらも眠りに落ちた。
不幸にも突然囚われてしまった姉弟は全く予想のできない自分たちのこれからの扱いに震えるばかりであった。
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どこからか聞こえてくる怒号や散らかっているゴミ、あまり人気はなく、歩いている人も怪しい雰囲気を醸し出している者や威圧感を持っている者ばかりである。
どことなく暗いことも相まって堅気の人間とは縁のない空間である事は想像に固くないだろう。
日も暮れているせいかより一層の治安の悪さを感じさせる開発地区。
そんな街並みの路地裏。人目の付かない所で会話が行われている。とはいえそれを「会話」と言うには些か一方的ではあったが。
「悪かった!悪かったって!ここらじゃあんま見かけない奴だったからつい話しかけちったんだ!・・・・・・ちょびっと酒代くらいは頂こうと思ったけどよ」
「そんな事どうでも良い。今日ここら辺でスラムの出じゃない姉弟を見なかったか?姉と弟の姉弟だ。まだ子供のな」
開発地区を歩くことしばしグレイ絡んできた男。小さなナイフをチラつかせながら脅したが、そのナイフの刃を握り潰された後に凄まじい力で路地裏に引き摺られていってしまっては態度が変わっても仕方ないだろう。
もしグレイが外套を着ておらず右腕の鎧が見える状態であればまた違った世界線があったかもしれない。
「い、いや、見てねぇ。こんなところをそんな子供が歩き回ってるハズねぇだろうよ」
これから被るであろう痛みを想像していた所に子供なんかの目撃情報を聞かれて拍子抜けする男。
グレイから矢継ぎ早に次の問いが飛ぶ。
「そうか。じゃあ最近子供を攫ったりしているような組織に心当たりは?」
「そ、それも特にはねぇな・・・。だが最近【影狼】ってトコの羽振りが良いって聞くぜ」
「なるほど・・・。どこなんだそいつらの居場所は?」
「俺がアジトなんて知るわけねーだろ。だが組員は全員狼の刺青入れてるからすぐ分かるだろうよ」
「そうか。・・・じゃあな」
一通り聞きたいことを聞いたグレイはもう用は無いとばかりに踵を返して路地裏から出ていく。
ごみ溜めの中の狼を見つけるために再び捜索を開始した。
「えらい目にあっちまった・・・。何だったんだあいつは。あれが人間の力かよ・・・」
取り残された男は安物とはいえもう原型を留めていないグニャグニャのナイフだった物を見て呟いた。
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犯罪組織【影狼】。開発地区を中心に薬物の売買や詐欺、みかじめ料等で資金繰りをしながら根を張る組織である。
基本的に市街地区等に手を伸ばす事は無く開発地区内での活動をしている上、被害にあった側もやましい事に手を出している場合がほとんどであるため被害者から証拠を集める事も難しく、なかなか手が出せないのがこの街の現状である。
「ここみたいだな・・・」
運よく狼の刺青を見つけて尾行したグレイが見つけたのは開発地区の外れにある大きな館であった。荒れた地区の中に建っているからか建物からはどことなく物々しさを感じる。
門の前には見張りをしているであろう組員が2人おり、かなり警戒しているようであった。館に入ろうとする者に対して刺青を確認しており組員に紛れて忍び込むのは難しいだろう。
中に何人いるかも分からない上に子供がここにいるかも分かっていない状況でいきなり殴り込む訳にもいかないが、このまま建物の影から観察していても埒が明かないのも事実である。
「アレっ、お早いんですね。引き取りは明け方じゃありませんでしたっけ?」
「・・・ッ!」
日が沈んでからかなりの時間が経ってしまっている事への焦りや目の前にアジトらしき建物があるのに動けない苛立ちで集中力を欠いてしまったからか、グレイは後方から声を掛けられるまでその気配に気が付かなかった。
振り向けばそこには右の頬に狼の刺青を入れた男。何故か警戒されていない様であり逆に面食らってしまうグレイ。
「灰色の髪って話だったから客人かと思ったけど違うのか?」
グレイの焦りを感じたのか剣呑な雰囲気になる男。先程のヘラヘラした態度からだんだん目つきが鋭くなっていく。
「いや、少し驚いただけだ。実は予定が早まったんだ」
どうやら客人に間違われたと察したグレイは話を合わせる。
今この時ばかりは年齢に見合わない灰色の髪に感謝した。
「分かりやした。案内しやす」
「頼んだ」
男が館に入ろうと向かうのでグレイも後を追い歩いて行く。
門を潜る時は少し肝を冷やしたが仲間の中で伝わっているのか見張りはグレイの髪を見ると納得したように通した。
館の中では酒を飲む者やそのまま潰れている者が多く、賑やかというよりかは騒がしいといった雰囲気である。
「おい、どうしたんだもう引き渡しか?早いな」
「予定が早まったんだとよ」
館に入るとグレイの存在を訝しむ輩をいるが、それを案内している男が軽く流す。
なかなか杜撰な伝達だとは思ったが部外者にとって、普通ならアジトの中の方が危険である事を考えれば、もう中に入った人間の扱いなぞそんなものだろうとグレイは湧いて出た思考を振り払う。
そのまま男ついて行くと地下へ続く階段がありそこを降りると地下室に着いた。
薄暗く少しカビ臭い部屋の中に組員の男が2人。髭を生やした大柄な男と痩せぎすの男。
・・・に加え檻の中にもう2人の子供。
泣き疲れて寝てしまったのか目元が腫れている。
『良かったな!何も持たないお前らみたいな薄汚いガキでも俺たちの役に立つんだからよ!』
─嫌な記憶を思い出す。
「さっさと引き渡して貰おうか」
沸騰仕掛ける気分を抑えながらグレイは務めて冷静に姉弟を引き渡すよう要求する。
「おいっ!起きろ!」
髭を生やした男が姉弟を起こすため檻を蹴り飛ばす。
再び怒りが湧くグレイだが2人を連れて帰ったらこの場所を衛兵に報告すれば良いと思いぐっと堪える。ここで騒ぎを起こして2人に何かあったらそれこそ本末転倒である。
先に眠りから覚めた姉弟は髭の男を見て恐怖するがその後ろにいるグレイを見て目を見開く。
グレイは片目を瞑り合図をし、姉には意図が伝わったのか頷き弟を大人しくしているように抱き寄せる。
「…では引き取ろうか」
グレイが檻に近づき手をかけ今まさに姉弟が助かったと思ったその時声が掛かった。
「おい、何やってんだ?そいつは誰だ」
どうやらこの事件を穏やかに終える事は難しいようである。